あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

「あすか」誌2月号作品の鑑賞 2024年(令和6年)

2024-02-10 11:02:21 | あすか塾 2024年

             「あすか」誌2月号鑑賞 

 

 野木桃花主宰「寒卵」2月号から

 

早起きの夫の咳き根深汁

 リズム正しく生活されているご様子が見えるような句ですね。新聞でも読みながら咳をされたことを聞き逃さず、風邪でも引いたのかなと細やか気遣いをされている心の動きを、そうとは言わず下五の「根深汁」に象徴された表現ですね。

 

門松の風に直立夜の雨

 まるで門松が黙禱するかのように佇んでいるような表現ですね。そのように解釈する必要はないのですが、この句の前に「元旦の眼を覆ふ能登の地震」「全身の細りゆく地震大地凍つ」の二句がありますので、その哀悼の意の流れで読んでしまいます。

 

歳月の重みを負うて年男

 お連れ合いが今年の年男なのでしょうか。今年は辰年ですから、昭和二七年(一九五二年)生れの七二歳か、昭和十五年(一九四〇年)生れの八四歳でしょうか。それだけでも充分な「歳月の重み」を背負われたお歳ですが、「年男」はその年の神様の真意を代行する大切な役目を負う年ですね。

 

手のひらにいのち息づく寒卵

 寒中に生れた寒卵自身に、他の季節のものに比べて栄養素を多く含む滋養があることの意味があり、まさに「いのち」が息づいていますね。上五の「手のひらに」で、命の尊さを慈しむような響きがある句ですね。

 

悴みて古典繙く宇治十帖

 今年のNHKの大河ドラマは『源氏物語』の作者、紫式部がモデルのドラマですね。

 「宇治十帖」は、『源氏物語』の最末尾にあたる第三部のうち後半の「橋姫」から「夢浮橋」までの十帖のことで、宇治を主要な舞台とした話の展開で、それまでと異なる点が多く、別作者(紫式部の娘など)説もある、特別な「帖」ですね。主人公の内省的な姿の表現もあり、特に読者に好まれている「帖」ですね。それを新年早々に「悴む手」でページをめくられている姿が目に浮かびます。

 

 「風韻集」から 感銘秀句

 

改札を出てそれぞれの秋の暮       さき子

 起点を「改札」にしたことで、そこを通過する人たちが、それぞれ背負う来歴が思われますね。

 

バス停の椅子は切株雁渡し        信 子

 自然豊かな地方の景が目に浮かびます。下五の「雁渡し」の季語もいいですね。

 

満天星紅葉「ボンジーヤ」と受講生    光 友

 「満天星紅葉(どうだんもみじ)」は初秋の季語で、「ドウダン」は灯台の転訛で枝の分かれ方が灯台の脚に似ていることに由来します。この灯台のイメージと、「ボンジーヤ」(Bom dia:おはよう)というポルトガル語を取り合せて、異国からの受験生を見守る灯のような視座を表現していますね。

 

聖歌和すそれぞれ違ふ祖国の名      みどり

 民族純潔主義という閉鎖的な国家観を暗喩的に批判する思いを受け取りました。

 

風花せし十二月八日尋ね人        一燈子

 「風花」は晴天に花びらが舞うようにちらつく雪で、「十二月八日」は日本海軍が真珠湾攻撃をし、日本が米英に宣戦布告した日ですね。そして「尋ね人」。どれも当事者ではない者にとって降って沸いたような出来事の印象があることばですね。それを巧みに一句に取り込んで詠みましたね。最後の「尋ね人」にどんなドラマを想起するかは読者に委ねられています。

 

声のみの記憶なりけり十三夜       芙美子

 「十三夜」は旧暦の九月十三日~十四日の夜をいいます。十五夜が中国伝来の風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった風習。十五夜では月の神様に豊作を願いますが、十三夜は稲作の収穫を終え、秋の収穫に感謝しながら美しい月を愛でる夜です。月はまだまん丸の満月ではありません。そのまだ満ちきっていない心象と、上五の「声のみの記憶」という措辞にドラマ性があって、いろいろ想像させる句ですね。 

 

夕づきて芒ゆらゆら花浄土        市 子

 奈良の長谷寺の紫陽花のことを想起する句ですね。長谷寺の紫陽花は二万株もあって花浄土と呼ばれています。この句は光の原のような芒の姿を、その「花浄土」のようだと詠んだ句ですね。

 

独り居の掛軸替える初秋かな       チヨ子

 茶室か、そうでなければ床の間がある和室を想起する句ですね。「独り居」の内容は読者がそれぞれ想像するところですが、掛軸の交換で夏から秋への季節の移ろいを、自分の境涯に引き付けた表現になっていますね。

 

爽やかや狛犬深く生きを吸ふ       初 子

 境内の「狛犬」の軽く口を閉じたさまを、さわやかな秋の空気を吸い込んで深呼吸しているように感じたという涼やかな句ですね。

 

柿たわわ錆を浮かべて猫車        忠 男

 柿の木の下に置かれている「猫車」。永年使い込まれていることが、「錆を浮かべて」で解りますね。伝統ある農家のワンショット。空気感も伝わりますね。

 

三山を地に置く大和秋深し        かづひろ

 中七の「地に置く大和」が荘厳でいいですね。三山とは大和三山のこと。飛鳥時代の持統天皇の頃に三山に囲まれた中心部に大極殿などの宮城が置かれていました。 
 天香久山あまのかぐやま一五二m)、畝傍山(うねびやま一九九m)耳成山(みみなしやま一四〇m)の三角形の真中に宮城があるのです。

 

炬燵にも父の座あり空けて置く      糸 子

 この句の父はもう他界されているように感じますね。こう詠むことで敬愛の情が伝わりますね。存命の父であっても同じです。

 

草ぐさの中に白花曼珠沙華        のりこ

 白い曼珠沙華はたまに見かけますが、赤いものより清楚で何か神秘性を感じますね。それを「草ぐさの中に」置いたのが効果的ですね。

 

古民家の縁先胡麻のはぜる音       晶 子

 この句でその景がピンときた人は、胡麻の収穫方法を知っている人ですね。鞘に実の入ったままの枝を天日干しにし、鞘が弾けてから実を収穫します。この句はその弾ける音に焦点をしぼって、秋を感じさせますね。

 

墓碑銘に「根性」とあり冬麗       典 子

 どういう方の墓碑銘でしょうか。現代はその言葉の持つ古風な精神論が厭がられる時代になって、時代の移ろいを感じさせる表現ですね。

 

風一陣木の葉しぐれに舞ふわらべ     游 子

 中七の「木の葉しぐれに」が素敵な表現ですね。その中で舞うように遊ぶ無邪気な子供達の姿が目に浮かびます。

 

撥を打つ津軽三味線黍嵐          尚

 「撥」の音で切れのあるリズムを生み出す津軽三味線の演奏は、厳しい風雪の景が浮かびます。この句は雪ではなく、手前の季節の「黍嵐」と取合せた表現ですね。風が強まってきて、倒れんばかりになびく黍の穂や葉先のふれ合うざわざわとした音も重なって嵐めいてくることを表わす秋の季語ですね。澄んだ秋の空気感が伝わります。

 

億年の地層あらはに水澄めり       安 代

 壮大な崖の断層の景が浮かびます。悠久の時間の推移を閉じこめた景でもあるのですね。下五に「水澄めり」を置いたのが効果的ですね。

 

満天の冬の星座や友の通夜        照 夫

 親しい友人を失くした通夜の帰り見た満天の星座が忘れられないのでしょうか。友の記憶とその星座の記憶が悠久の時に中に刻まれてゆくような、哀しみを託した表現ですね。

 

挨拶状に天寿とありぬ冬ぬくし       健

「天寿」は天から授かった寿命、自然の寿命のことで、「天寿を全うする」というように、亡くなったことを表現するときに使う言葉ですね。親しい方の逝去の書状でしょうか。下五の「冬ぬくし」の季語で、哀しみを越えた、祝福するような思いが込められているように感じる句ですね。

 

駆け込み寺白侘助の一花かな       玲 子

 近世、女房が夫から離別するために駆け込む尼寺や縁切り寺が各地にありました。そんな女性の苦難の歴史を背景に詠みこんで一輪の「白侘助」を添えた句ですね。椿より小ぶりの一重咲きの花で、半ばまでしか開かない「筒咲き」であること、また、
おしべが退化して花粉がなく、結実しないというきわだった特徴もある花で、その心象も背景に詠み込んだ表現ですね。 

 

お仕舞ひは刈田の隅を手で刈りて     悦 子

 「田仕舞」という稲作の収穫祭に繋がる直前の景を切り取って風情がありますね。中七、下五の表現に丁寧な仕事ぶりまで見えます。

 

赤とんぼ風になるまで流されて      美千子

 中七の「風になるまで」が独創的な表現の句ですね。透き折った蜻蛉の翅の軽やかな飛翔が目に浮かびます。

 

 「あすか集」感銘秀句

 

星飛びぬぶつかる音のなき孤独      たか子

 茫漠とした孤独感を、宇宙的なスケールの比喩表現で詠んだ句ですね。

 

手作りの二十個ほどの柿すだれ      喜代子

 専業農家の仕事ではなく「我が家の」という手作り感がいいですね、

 

穂紫蘇しごく水の流れにのるように    き よ

 爽やかな比喩表現が効果的ですね。穂紫蘇の香りも届きます。

 

煤払ひ古き写真に手を休め        英 子

 煤払いは他の掃除と違ってあまり頻繁にはしませんね。どこか特別感がある掃除ですね。その仕草の途中で「古き写真」に目を止めて立ち止ってしまったというストップモーションのような表現が効果的ですね。特別な記憶を呼び覚ましているようです。

地下鉄の路線図のごと柿落葉        勲

 大胆で風変りな比喩が効果的ですね。色とりどりの柿落葉の散乱するさまを、地下鉄路線図の、各線の色が違っているカラフルな路線図に喩えたのが独創的ですね。

 

冬の山太古の貝の深ねむり        美代子

 冬山を眠っているようだと詠むのは常套的ですが、それをまるで貝塚でも内蔵しているかのように「太古の貝の」としたのが、悠久の時間も取り込んで独創的ですね。

 

軒先に軍手地下足袋破芭蕉        一 青

 田畑か山仕事のような肉体労働の終りを想起させる表現ですね。下五の「破芭蕉」の季語で疲労感まで伝わる句ですね。

 

病む夫と俳句を糧に冬に入る       ヒサ子

病む夫と、それをやさしく介護する妻の親密な一コマが目に浮かびます。共通の趣味が俳句を詠むことで、俳句仲間の共感を誘う句ですね。

 

老ふたり半分こして食う蜜柑        稔

 年老いて食が細くなったという生理的な理由よりも、その仲の良さが心に残る句ですね。

 

初冬やほうとう幟立ちし甲斐       ハルエ

 山梨の方面を車で通過したとき、白地に朱か、朱の地に白抜きのひらがな文字で「ほうとう」と染め抜いた幟がはためいていたのを思い出しました。まさに「甲斐」の風景というべき幟だったのですね。

 

文化祭かがんで愛でる松盆栽       静 子

 中七の「かがんで愛でる」に、盆栽とそれを丹精こめて育てた生徒たちへの優しいまなざしが感じられる句ですね。「盆栽部」という部活があるのでしょうか。

 

渋柿やひよいと猿蟹合戦を        幹 一

 干柿作りをするのに、木の上から渋柿を捥いで下で待ち受ける人に抛っているとき、あの昔ばなしを思い出したのでしょうか。ユーモラスな句ですね。

 

朝寒やスープに添える木のスプーン    真須美

 木のスプーンが持つ温かな質感で、寒い朝の食卓にぬくもりを添えた、心も温まる句ですね。

 

小盆栽のけやきも黄葉水を打つ       楓

 なにもかもミニマルな世界の、可愛らしく美しい世界ですね。

 

六園児散歩車で秋惜しむ          杏

 四角い枠のある手押しの四輪車で、中に可愛い園児が載って、町中を「散歩」している景を見掛けます。「六園児の散歩車や」で切れて「秋惜しむ」なら秋を惜しんでいるのは第三者ですが、この句では園児たちがまるで過行く秋を惜しんでいるような表現にしたのがいいですね。

 

鍋奉行煮えた食べよと十歳児     林 和 子

 鍋奉行というと、おせっかいな大人を思い浮かべますが、この句の「鍋奉行」はなんと十歳児なのですね。ユーモラスで可愛い句ですね。

 

凩を追ひ抜いて行く救急車        信 士

 「凩を追ひ抜いて行く」が切迫感のある表現ですね。

 

すいと来て暫し影置く赤とんぼ      初 生

 中七の「暫し影置く」というひととき感がいいですね。上五の「すいと来て」という動的な表現も効果的ですね。

 

寒柝の二時間早まる皆老いて       涼 代

 「寒柝(かんたく)」は冬の夜に打ち鳴らす夜回りの拍子木、またはその音のことですね。火の用心と防犯対策の見回りで、地域コミュニティがしっかり機能している町のようです。でも町民が皆老いて、その夜回りの時間が二時間早まったという、切実さをどこかユーモラスに詠んだ句ですね。

 

北鎌倉のホームは長し秋日和     緑川みどり

 そこに永く暮らしている人でないと詠めない発見と慈しみがある句ですね。

 

冬の朝スマホに友の涙声        宮崎和子

 どんなことが親友の身の上に起きたのか想像されます。それを「スマホ」で聞いているというのに時代を感じます。

 

度だけ父の涙を冬の虹         ひとみ

 父の男泣きを見てしまった娘の心情。ひとことでは言えない哀しみを抱えているらしい父の、知らなかった側面を初めて知った娘。そこに心を動かされたのは、娘自身の成長の証でもあるでしょう。下五に「冬の虹」を置いて、美しく表現した句ですね。

 

十三夜やさしき俳句に出会ふ旅      都 子

 「十三夜」の月の、まだ満ちきっていない心象と、これから出会うだろう「やさしき俳句」表現への想いを取合せた表現ですね。

 

短日の影を濃くして転害門         栄

 「転害門」とは源頼朝を刺し殺そうとして平景清が潜んでいたという伝説のある門で、景清門ともいわれていますね。三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構です。「短日の影を濃くして」という表現が歴史的な何かを刻んでいる趣のある表現ですね。

 

青龍の元旦襲う能登地震          椿

 自然災害禍を詠むのは難しいですが、上五に「青龍」という趣のある言葉を置いたのがいいですね。中国の伝説上の神獣で、東西南北を守護する四神の一つで、東方を守護し、蒼竜とも呼ばれ古来瑞兆とされています。幸運の天之四霊とは蒼竜、朱雀、玄武、白虎のことで、青龍は春を司ります。この句はこの言葉と取り合わせることで、「こんな吉兆の年だというのに」という作者の想いが間接的に伝わります。

 

灯を消せば闇の重さよちちろ鳴く     けい子

 秋の灯が俳句で詠まれるとき、灯っている景が多いのですが、秋の「闇」の方を詠んだ視点が独創的ですね。下五を「ちちろ鳴く」にしたのが秋の空気感を呼び込んで、いいですね。「ちちろ」はその澄んだ鳴き声からの蟋蟀の別称ですね。

 

アフリカの国名諳ず日向ぼこ       邦 彦

 お孫さんかご本人が日向ぽこをしながらアフリカの国名を暗記しようとしている景でしょうか。ヨーロッパの人権無視の支配から解放されたアフリカは、泥沼のような内戦を経て、独立した国が多いですね。わたしたちの年代が覚えたころのアフリカとは、もう様子が違います。ご本人が暗誦しているのなら、その記憶の刷新のご意志に敬意を表します。

 

開拓地住む人はなし尾花満ち        巌

 国策による強引な開拓の結果の空しさを感じる句ですね。人の替わりに尾花だけが地に満ちているという表現にアイロニーを感じます。

 

みちのくの伊達の五十沢柿すだれ     久 子
「硫黄燻蒸 五十澤あんぽ柿」を名産とする「五十沢」地区ですが、原発事故の放射性物質禍に遭った地区ですね。美しい飴色の干し柿を完成されるまでの苦難の歴史の上に、文明禍の放射線被害があったことを思うと、胸に沁みます。

 

「あすか集」佳句

 

毛糸編む幸せの目を繰りながら      たか子

りんご煮るりんごに酔が回るまで     たか子

縄跳びの風にぽとりと実千両       民 枝

星満つる笑みてさざめく枯木立      照 子

アイドルは並べて丸顔秋うらら      妙 子

茅乃舎のだし巻玉子大晦日        よね子

一切経山初がすみして羽衣めく      英 子

鳥渡る別れし人の笑ふ顔         保 子

病む母に雪見障子を途中まで       美代子

煮こぼれの五徳を洗ふ小六月       ヒサ子

野仏の前垂れほつれしぐれけり       稔

茶のマフラー妻と購ふクリスマス      稔 

菰卷やおくになまりの警備員       ハルエ

秋の虹入日に溶けて登り窯        満喜枝

初霜や駆け足に鳴るランドセル      静 子

稲架掛の束を下ろして静かなる      富佐子

一人居の記憶とけだす鏡餅        キ ミ

木の実置きまずは夕餉の仕度する     アヤメ

秋さぶや少し下りし骨密度        久美子

木枯や列の乱るる登校児         さち子

裏木戸を通ればそこは石蕗明り      眞 啓

張り替えし唐紙軋む六畳間        眞 啓

背の高い御巡りさんの案山子かな     しず子

奥津城の開かずの門や冬紅葉       新 二

くつきりと板碑の梵字冬うらら      トシ子

閉店と開店の街年の暮          信 士

冬うららシャンプーの底叩くなり     信 士

浜つ子の聖歌「いいじゃん」二つ買ふ   信 士

撒き餌にボスがいるらし冬の鳩      涼 代

収穫し火の消えしごとみかんの木     綾 子

瞬にしてふるさと浮ぶ焚火の香      礼 子

センサーでともる門灯秋の暮       けい子

暮早し断り辛き長電話          邦 彦

くぬぎ道綿虫百匹連れ歩く        久 子

 

 

 

 

 

 

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