あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 62  《野木メソッド》による鑑賞・批評

2024-06-18 15:21:15 | あすか塾 2024年

 

  あすか塾 62  《野木メソッド》による鑑賞・批評

 

         野木メソッド

        「ドッキリ(感性)」=感動の中心

        「ハッキリ(知性)」=独自の視点

        「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ

       

野木桃花主宰六月号「小判草」から

童心に返るひと時蝌蚪に足

 おたまじゃくしに手足が生えはじめる季節、成長の季節。飽かず水中を見つめていた頃の記憶が蘇りますね。

美術館出て黄塵の街ゆがむ

 鮮やかな美術品の鑑賞をして来たばかりの眼に、黄砂に曇る街の景が、歪んで見えたのですね。フレームに収まる鮮やかな絵画の世界と、フレームなしの単色の街の対比が効いている表現ですね。

音もなく風の意のまま小判草

 小判草は、最初は緑色ですが、次第に金色の小さな小判色へと変わりますね。風が吹くと鈴のように揺れますが、音はしません。その小判草の可愛らしさを捉えた表現ですね。

涅槃西風言葉ひかへてゐる夕べ

「前田幸久様を悼む」の前書きの句。

山桜福島弁の友召され

「丹治キミ様を悼む」の前書きの句。

  二句とも哀悼句ですね。永年の俳句仲間のご逝去を悼み、それぞれに、その人に相応しい季語とことばによる表現がされていることと思います。わたしはお二人を存知あげないので、そのことについて解説はできませんが、一句目は涅槃西風の「涅槃」、「言葉控えて」に黙禱の思いが込められていて、二句目は山桜の花の下と、その方の顔と語調をありありと思い浮かべて、忍んでいる表現のように感じました。

 

 「風韻集」六月号から 感銘秀句

 

代掻や漂うひかり追いかけて      服部一燈子

 代掻きは淡々と規則的に行われる作業ですが、それを「漂うひかり追いかけて」と表現して、遊戯的な楽しさを感じる表現にしたのがいいですね。 

旅仕度ととのへ向かふ雪の果      丸笠芙美子

「雪の果」は冬が終わり春になる時期に「最後の雪」として降る雪を指す季語ですね。降り納めの雪の名残惜しい気持ちと、来る春への希望の混じる繊細な言葉です。旧暦の二月十五日前後にこの「雪の果」となることが多いので、「涅槃雪」ともいいます。この句は新たな旅立ちの表現として詠んだのですね。

冬籠古びてなじむ夫婦箸        宮坂市子

 永年、使い込んで手になじんだ箸という具象で、夫婦仲を表現し、上五に「冬籠」を置いた巧みな句ですね。 

蒼天の海辺に太る野水仙        村上チヨ子
 
潮風にも負けず、浜辺にすっくと立って咲いている野水仙の逞しさをその茎の勁(つよ)さの表現「太る」にしたのが独創的ですね。 

秒針の鈍き動きや春隣         柳沢初子

 壊れかけていたりしない限り、時計の針はどんなときも等しい動きをしているはずですが、それを「鈍い動き」に感じるという心象表現で余寒の厳しさを表現したのがいいですね。 

春愁石の枕に針ねずみ         矢野忠男

 「石の枕」というと、古墳時代の副葬品で、石棺内に埋葬者を安置する際、頭部を固定するために用いられた枕状の石製品を想起します。そして全身が棘に覆われた「針ねずみ」。その二つで「春愁」を表現した独創性に瞠目します。 

野梅咲くあっぱれ連呼村境       山尾かづひろ

「あっぱれ」は、平安貴族の「もののあはれ」の「あはれ」という言葉が、武士の時代になって、勇敢で健気である意味に変化して、漢字で「天晴」などと表現するようになった言葉ですね。この句の村人には、そんな武家気質を感じますね。 

祖母と居て陽射し追い掛け日向ぼこ   吉野糸子 

 自分がまだ幼い「孫」だった頃の回想句でしょうか。祖母と縁側で陽射しの移動に合わせて座る位置を少しずつ変えているという微笑ましい景ですね。 

片隅に柊挿してのぼり窯        磯部のりこ

 柊挿しは、節分の夜に、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺したものを戸口に挿して、鬼や邪気が家に紛れ込むのを防ぐまじないですね。のぼり釜も神聖な場所として、家と同じようなことをしているのでしょうか。 

春一日平和の使者てふ白鳩と      稲葉晶子

 鳩が平和の象徴にされるようになったのは、旧約聖書の「ノアの箱舟」で、鳩が洪水で沈められた世界に平和が戻ったことを知らせたことに由来します。そしてパブロ・ピカソが平和に関する国際会議のポスターに鳩を描いたことで世界的に定着しました。この句は暖かい春の陽射しの中で、公園か庭先で見かけた鳩で、平和を噛みしめているのですね。

三月や初めて使ふ万年筆        大木典子
 
自分の体験の記憶か、または自分の子供か孫に進学・進級の祝いに贈った万年筆をめぐる記憶を詠んだのでしょうか。高価な万年筆を貰ったときのうれしさはひとしおでしたね。

畦道の蒼き点描犬ふぐり        大澤游子

 畦道に咲く犬ふぐりの小さく可憐な花を、新印象派のフランスの画家、スーラの点描画のようだと感じたという句ですね。色を原色の点に分解して描く方法の、その「蒼」の鮮やかさが見えたのでしょう。

青き踏む歩ける今を歩きけり             大本 尚

歩くところを、場所ではなく、今という「時」にした表現が独創的ですね。今という、返らぬこの一瞬一瞬を噛みしめているような、実存的な実感が胸に迫ります。

せせらぎに言葉を託し春野かな     奥村安代

 小川のせせらぎの音は人間のおしゃべりの声にどこか似ています。この句はその感覚をもとに、自分は聞き役にまわって、春の野散策を楽しんでいるのですね。 

路地裏の戸毎に誇る梅花かな      風見照夫

 家々が軒を寄せ合って建っている路地で、家ごとに玄関先に梅の木を植えているようです。そのいっせいの開花のさまを「戸毎に誇る」としたのが独創的ですね。 

異人墓地置かれたやうに落椿               加藤 健

 異人墓地ですから、墓参に来る人のいない、どこか寂し気な場所ですね。そこに椿の花がまるで、だれかが祈りを捧げた後のように「置かれて」いたという表現に詩情がありますね。


揺りかごの小さきまどろみ花菜風    金井玲子

 野外の木蔭の揺り籠の中で、すやすや眠っている赤ちゃんの姿が浮かびますね。それを「小さきまどろみ」と表現して詩情がありますね。
芹とんとん「春の小川」を口遊む    近藤悦子

「春の小川 」は文部省唱歌 で、 作詞は 高野辰之 、作曲は岡野貞一。誰でも口遊める歌でした。それを「芹とんとん」と台所に居るときの歌にしたのが効果的で詩情がありますね。

橋の名の江戸絵図のまま水温む     坂本美千子 

 東京の古い橋の名前は江戸時代に架けられたときのままの歴史遺産ですね。下五の季語が効いています。

物思う少女となりて卒業す       鴫原さき子

 物思う時期というのは、思春期の自我の目覚めに起源がありますね。ことばをたくさん覚える時期でもあります。「卒業す」が効いていますね。 

盆栽の梅に綻ぶ底ぢから        摂待信子

 盆栽というものは、何かそこだけ時間が止まっているような静的な雰囲気があります。この句はそこに動的な「綻ぶ力」を感じとったのですね。 

アパートにベトナム正月テト飾り    高橋光友

ベトナムの旧正月のことを「テト」といいます。漢字では「節」と書きます。桃の花や、金柑の木を飾ります。その飾りが日本のアパートに。留学か仕事で来日して異国で正月を迎えているのでしょう。作者は留学生の指導をしている方のようです。

妣の髪梳きたし桃を吸はせたし     高橋みどり

 作者の亡母にたいする尽きせぬ愛情を感じる句ですね。このように句で詠まれると切ないまでの哀悼感が立ち上ってきますね。
 

 「あすか集」六月号から 感銘好句

 

梅薫る旅館の揺り椅子飴色に      金子きよ

 揺り椅子というのは素材が籐で出来ていて、接地部分が弓なりになっていて、背を預けて揺らす造りになっています。使い込むほど光沢のある飴色になります。老舗の旅館の風格を感じますね。 

光り合ふ小石ごろごろ春の川      木佐美照子

 擬態語のところは、上五の流れでいうと「ぴかぴか」としてしまいがちですが、「ごろごろ」という小石の質感を感じさせる表現にしたのが効果的ですね。 

隊形は臨機応変鳥帰る         城戸妙子

 鳥の編隊飛行はほんとうに、さまざまな形に変化しますね。彼方の空に見えなくなるまで見送っている作者の視線を感じる句ですね。 

つばくらめ巣に戻り来るアーケード  久住よね子

 アーケードの下を行き交う人たちが、自分たちに危害を及ぼさない、という安心感のあるところでないと、燕たちは営巣しません。そんな町の人たちのことまで想像させる句ですね。 

千年の落花懐紙に野点果        紺野英子

 屋外で行われる茶会の景ですが、そこに散りかかる桜を「千年の落花」と表現して、格調がありますね。手元の懐紙に包まれた和菓子が想像されます。

北国へ三羽並んで雁帰る        斉藤 勲

 帰雁の景はふつうたくさんの雁の編隊が詠まれることが多いのですが、この句は「三羽並んで」。作者が感情移入している親しみを感じますね。

金縷梅やリボンほつれるやうに咲き   齋藤保子

 金縷梅(マンサク)はまだ寒い中に黄色の花を咲かせます。縮れたような花弁に特徴がありますね。それを「リボンほつれるやうに」とした直喩が効いていますね。

春風や三半規管狂いだす        須賀美代子
 
耳の三半規管は人間の平衡感覚のために大切な器官です。陽気のせいで少し眩暈を感じていることを、医学用語で詠んだのが、ユーモラスですね。

新聞に新語続々春燈し         須貝一青

最新の新語大賞に「地球沸騰化」がありました。他には闇バイト、蛙化現象、グローバルサウス、生成AIなども選ばれています。あなたは、時代に着いて来れていますかと問われている気分になりますね。

磨ぎ水に明日への力もらひけり     鈴木ヒサ子

 この「磨ぐ」は米磨ぎのことですね。棄て水が澄むまで数回稀返します。その水に「明日への力をもらひけり」として、詩情がありますね。 

鳥の声老木はいま花ざかり       鈴木 稔

 幹の皮が古びて弱っているように見える老木ですが、花は変ることなく咲き誇っているのでしょう。老境の自分を励ましているような句ですね。

囀や話上手になりたくて        砂川ハルエ

 対人の話術に困難を感じているようですね。鳥の囀りは屈託がなく感じられて、あんなふうに自由に話せたらな、という想いを詠んだ句ですね。

囀や鍵を預かる公民館         関澤満喜枝

 これは公民館の職員側ではなく、その一室を借りて何かをしている側の句ですね。すぐ思い浮かぶのが句会。上五の「囀や」で楽しい句会が予想されます。

彼岸会や煩悩を説く若き僧       高野静子
 お坊さん、警察官、学校の先生などを「若いなー」と思うのは、自分が大人になった証拠だといいます。特に説経されたりすると、その違和感が・・・。

甘党の亡夫待つ彼岸参りかな      高橋富佐子

 もう亡くなっている夫への、作者の思慕の深さが胸に沁みる句ですね。

忘れ物か去り難きかや寒戻る      滝浦幹一

 「寒」自身を人格化して、擬人的に「忘れ物」をしたり、後ろ髪を引かれているかのように表現したのが独創的でユーモラスですね。

家族と会う約束反故の彼岸かな     忠内真須美

 お彼岸に家族で集まる約束になっていたのでしょうか。子どもたちが成人すると、それぞれ多忙になり事情が生じて、こういうことがよくありますね。 

揚雲雀鳥瞰さるるわたしたち      立澤 楓

 見上げる私たちの視点を逆転させて、雲雀からの「鳥瞰」の表現にしたのが効果的ですね。雲雀野の広さまで一気に視野が開けます。

夫の忌や山茶花の紅慎ましき      丹治キミ

 亡き夫の、花のある風情の中の、慎ましい風情をこよなく愛していらっしゃったことが伝わる句ですね。 

白木蓮未来へ心ふるわせる      千田アヤメ

 白木蓮の広い花弁には縮緬皺がありますね。それが自分の心の繊細な震えと共振しているような表現ですね。


スーパーのクーポン交換二月尽    坪井久美子

 スーパーで貰ったクーポン券が思わぬほど溜っていたことに気が付いたのでしょう。交換の期限付きだったのかも知れません。日数の短い「二月尽」の季語が効いていまね。

春の空大縄とびの弧を描く      中坪さち子

 大勢でいっせいに飛ぶ、壮観な大縄跳びをしている景でしょうか。それが大空まで巻き込んでいるように見えたという感慨の句ですね。

早今年鉄塔の森に初音聴く      成田眞啓


 初音が自然の森ではなく、空を突きさすように林立する鉄塔の高みから聞こえたという表現で、自然と人工建造物の取り合わせに独得の詩情があります。

幼児大の市松人形雛の間に      西島しず子

 幼児の大きさとは小さいものと普通は感じますが、それが市松人形だとすると大きく感じますよね。他の小さな雛人形に混じっていると、いっそう存在感が増します。市松人形は着せ替え人形で、木屑を練り固めて作った頭と手足に胡粉を塗り、布でできた胴につなげた人形で、手足が動かせます。ふつうは裸の状態で売られ、衣装は買った人が自作します。この句の市松人形も作者のお手製のものを纏っているのでしょう。贈りものでしょうか。

花の蕊朝な夕なの三千歩        沼倉新二

 朝夕で合計六千歩の散歩を日課にされているのでしょうか。脚からの老齢化予防のためでしょうね。上五の「花」といえば桜で晩春の季語。しかし、花と桜は同じ言葉ではなく、桜といえば植物であることに重きがおかれますが、花といえば心に映るその華やかな姿に重心があることばですね。肉眼で見たのが桜、心の目に映るのが花。その「蕊」、この句で「桜蘂」といわず、「花の蕊」と表現しているのは、その心の目でとらえた「花」の芯、つまり作者の心の投影なのでしょう。 

佐保姫の裳裾引くごと雲流る      乗松トシ子

 佐保姫は春をつかさどる女神。その裳裾を引くようにという比喩表現で、春の雲の軽やかな流れを表現して効果的ですね。

春の駅聞き覚えある着メロ音      浜野 杏

 駅の電車の発着のご当地メロディではなく、電車を待つ人たちの携帯電話から、作者が聞き覚えのある着メロが聞こえたという場面でしょうか。ふと心が和んだのかもしれませんね。 

花万朶園児の声の宙に舞う       林 和子

 上五の「花万朶」という言葉の「万朶」の「朶」は垂れ下がった枝のことで、「花万朶」は多くの花の枝と多くの花の意になります。「花万朶」という季語はなく、ここは桜という意味の「花」が季語ですね。その、たくさんの、という語感が、下の「園児」たちの大勢の声と響きあって、華やぎますね。

陶器屋も金物屋も消え桜散る      平野信士

 町の商店街が栄えていたころは、「陶器屋」「金物屋」などたくさんの商いの店が立ち並んでいて賑わっていましたね。それが消えてしまい町も寂れて淋しい景に変わっているのでしょう。そこに桜並木の花だけが変らず散っている、と表現して哀感のある詩情が立ち上りますね。 

春暖炉みがき込まれし喫茶店      曲尾初生

 冬の寒さが厳しい地方の、古い暖炉がある、歴史的な味わいのある喫茶店の景が浮かびますね。調度も古いのに美しく手入れされている、店主の姿勢まで感じられる句ですね。 

寒九郎雲掃き寒さ置き忘れ       幕田涼代

 「寒九郎」という言葉は俗語で、季語で使われる「寒九」は「寒の内」という晩冬の季語の子季語で、「寒中、寒、寒四郎、寒九」の一つですね。「寒四郎」があるので、「寒九郎」もあるだろうということで生まれた俗語ですね。「寒の内」は元々、寒の入(小寒の日)から、立春の前日までのことで、太平洋側はからりと晴れ、日本海側は鉛色の雪雲に覆われている時期です。「九郎」は遅い順番を表わしますから、寒気が緩んできている時期を指すのでしょう。この句で「寒さ起き忘れ」と表現されているのは、もう暖かくなってもいいのに、寒気がまだ居座っている、という感慨を表現しているのでしょう。

梅詠みて一夜寝かせば愚作なり     増田綾子

 
作句時から時間を置いて、自句の至らなさに気が付く。それが上達の第一歩ですね。特に、探梅、観梅などの句は類想句に陥りやすいので、推敲しているのですね。

知恵の輪がはずれたよママ春障子    水村礼子

 口語体の子供の声をそのまま書き写したような臨場感のある表現で、家庭内の空気感も伝わる句ですね。 

ジャスミンや廃屋飾る白き花      緑川みどり

 香水や茉莉花茶(ジャスミン茶)の原料として使用される香りの高い、真っ白の花と、永年、無人のままの廃屋とを取合せて、哀感がありますね。 

サザエさんの像のある町あたたかし   村田ひとみ

 東京都世田谷区の桜新町は、マンガ、サザエさんの作家である長谷川町子が美術館を創設したことによって、「サザエさんの町」として知られるようになりました。その像の、ほのぼのとした雰囲気と季語の「あたたかし」がマッチしていますね。

いぬふぐり踏まれしままに地を飾る   望月都子

 この「いぬふぐり」はきっと、近縁種の帰化植物である「オオイヌノフグリ」(色はコバルトブルー)の方ですね。在来種の「いぬふぐり」は色が淡いピンクで、「ふぐり」形の実をつけますが、「オオイヌフグリ」の実はハート型です。別名「星の瞳」と呼ばれるのもこちらの方です。この句で踏まれているのはこの星の瞳の方でしょう。けなげですね。

寒明くる遠く青磁の夜明富士     安蔵けい子

 夜明けの蒼くそびえる富士を「青磁」色に喩えて、何か硬質の輝きを思わせる表現がいいですね。 

鯉幟私の生れは農繁期         内城邦彦

 農繁期とは田植えや稲刈りの時期だけでなく、田植え前の育苗や荒起こし、稲刈りの際の乾燥や籾摺りの時期のことですね。赤ちゃんは「いじこ」という桶や籠に入れられて、親が農作業をする際に近くに寝かされていたそうです。この句の作者にはそんな記憶があるのかもしれません。上五の「鯉幟」が効いています。「いじこ」は地域によりイジコ・エンズコ(エンヅコ)・エヅメ・エジメ・イズミ(イヅミ、飯詰)・イヅミキ・コシキ・イブミ・ツブラ・ツグラ・チグラ・フゴ(畚)・ヨサフゴともよばれ、地方色豊かですね。

閉鎖せし児童公園木の根明く      大谷 巌

 「木の根明く」は仲春の季語で、樹木の根元の雪が他と比べて早く溶けること。溶けたところは丸い形になり、春の草などが芽吹きます。だが、この句の児童公園は閉鎖されていて、それを見る人はいなのですね。騒音防止とか少子化の行政の都合でしょうか。 

余寒なほ家居にありてジャムを煮る   大竹久子

 家居は「かきょ」とも、「いえい」とも読みます。「かきょ」は家に引きこもっていることで、「いえい」は家にいることの意味で使われる言葉ですね。この句はそのどちらにとっても良さそうですが、「ジャムを煮る」と、無為の時間にしていないところがいいですね。

日の嵩を添へて摘みたり芹の籠    小川たか子


 
太陽の光に質量的な「嵩」という厚みを感じている表現が個性的で、いいですね。春の陽をいっばい浴びて、瑞々しい芹の色と香りが伝わります。 

吾の息あんなに高くしゃぼん玉     小澤民枝

 しゃぼん玉が空高く舞い上がるのを見ていて、「ああ、わたしの吐いた息が空へ昇っていく」という感慨を抱く人はあまりいないでしょう。その自然との一体感のある表現が素晴らしいですね。

クローバー花冠を子に渡す      柏木喜代子

 今はあまりしなくなっていると思いますが、クローバーの花と茎を編んで花冠にする野辺の遊びがありましたね。その伝承ごと子供に手渡している句ですね。 

 

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