そんな訳で久々の軍歌ネタ。今回は雑誌『満蒙知識』に掲載された「蒙古行進曲」です。
作詞者の下永憲次は軍人で、東京外国語学校でモンゴル語、中国語を学んだ後北京駐屯歩兵隊副官や蒙古軍顧問、満洲国軍政部広報部長を歴任しています。いわば蒙古通の人物で、だからこそこんな歌を作詞したのでしょう。メロディは「昔恋しい銀座の柳…」で始まる「東京行進曲」を流用しています。
蒙古行進曲
東京行進曲之調
下永憲次氏作詞
一 スウテイ・アラヒのウヌルも高く
集ふモンゴル・ジャラグスが
民族自決の誇りぞ深し
還せ成吉斯汗(じんぎすかん)の代(よ)に
二 恋を語るも彼(あ)のモリとモリ
泣いてすがるもモリとモリ
モリの蒙古か蒙古のモリか
還せ成吉斯汗の代に
三 ネヘイ・デベルの馬上の勇士
帰り待つ間のサイン・ゴワ
ホオニの群れのあの中に立つ
還せ成吉斯汗の代に
四 千里のタラーは蒙古のガジャル
蒙古の宝はマル・アトウ
偲べ元朝その雄大を
還せ成吉斯汗の代に
歌詞中のカタカナはモンゴル語で、意味はそれぞれ
スウテイ・アラヒ…乳酒
ウヌル…香り
モンゴル・ジャグラス…蒙古青年
モリ…馬
ネヘイ・デベル…毛皮の着物
サイン・ゴワ…美人
ホオニ…羊
タラー…野原
ガジャル…土地
マル・アトウ…家畜
となります。
歌詞自体を見ると、どうにも最後の「還せ成吉斯汗の代に」が浮いている感じ。
特に二番なんか馬のことしか歌ってないのにいきなり成吉斯汗の話に飛んでます。どういうことですか一体。
しかもこれを「東京行進曲」の曲で歌うとあってはミスマッチな感じはますます広がります。
…うーん。下永氏、あまりこっち方面の才能なかったんでしょうか。
作詞者の下永憲次は軍人で、東京外国語学校でモンゴル語、中国語を学んだ後北京駐屯歩兵隊副官や蒙古軍顧問、満洲国軍政部広報部長を歴任しています。いわば蒙古通の人物で、だからこそこんな歌を作詞したのでしょう。メロディは「昔恋しい銀座の柳…」で始まる「東京行進曲」を流用しています。
蒙古行進曲
東京行進曲之調
下永憲次氏作詞
一 スウテイ・アラヒのウヌルも高く
集ふモンゴル・ジャラグスが
民族自決の誇りぞ深し
還せ成吉斯汗(じんぎすかん)の代(よ)に
二 恋を語るも彼(あ)のモリとモリ
泣いてすがるもモリとモリ
モリの蒙古か蒙古のモリか
還せ成吉斯汗の代に
三 ネヘイ・デベルの馬上の勇士
帰り待つ間のサイン・ゴワ
ホオニの群れのあの中に立つ
還せ成吉斯汗の代に
四 千里のタラーは蒙古のガジャル
蒙古の宝はマル・アトウ
偲べ元朝その雄大を
還せ成吉斯汗の代に
歌詞中のカタカナはモンゴル語で、意味はそれぞれ
スウテイ・アラヒ…乳酒
ウヌル…香り
モンゴル・ジャグラス…蒙古青年
モリ…馬
ネヘイ・デベル…毛皮の着物
サイン・ゴワ…美人
ホオニ…羊
タラー…野原
ガジャル…土地
マル・アトウ…家畜
となります。
歌詞自体を見ると、どうにも最後の「還せ成吉斯汗の代に」が浮いている感じ。
特に二番なんか馬のことしか歌ってないのにいきなり成吉斯汗の話に飛んでます。どういうことですか一体。
しかもこれを「東京行進曲」の曲で歌うとあってはミスマッチな感じはますます広がります。
…うーん。下永氏、あまりこっち方面の才能なかったんでしょうか。