鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

貴方は「凌陞」を知っていますか?

2012-09-11 21:03:32 | 歴史
貴方は「凌陞」という人物を知っているでしょうか。
まあ、普通は知らないでしょう。満洲国の政治家の一人です。

満洲国参議などを務めた元勲の一人である貴福を父に持ち、中華民国時代にはホロンバイル副都統公署左右両庁会弁、東三省保安総司令部・蒙古宣撫使顧問、ホロンバイル副都統公署左庁庁長、立法院立法委員を歴任。満洲国建国に際しては東北行政委員会委員に列せられ、建国直後には興安北分省(後に改組され興安北省)省長となっています。
しかし、彼の名はこうした経歴よりも、むしろ「凌陞事件」と呼ばれる事件によって有名になっています。

この事件は、関東軍の発表によれば、満洲国とモンゴルとの間での国境問題を話し合う第一次満洲里会議において、満洲国側の首席代表となった凌陞がそれを「好機とし、外蒙代表らと連絡し(蒙古独立運動の)実行運動の協定をなすに至」ったとされるもので、逮捕された十二人のうち凌陞を含む六名が軍法会議で死刑となったものです。
この事件は満洲国内の蒙古人にかなりの衝撃を与え、それまで満洲国当局に協力的であった蒙古人一般の意識はここから徐々に変化していった…とも言われていますが、まあそれはさておき。

この凌陞、なかなか写真が見当たらないんですよね。元々満洲国の政治家は「漢奸」扱いで大分写真などが少ないんですが、この人に関してはその満洲国を裏切って処刑されてるわけで、言ってしまえば二重苦。立場的にもわりと地味な人ですし、あまり写真は出回ってません。

そこで今回、私が海外のサイトで見つけた凌陞の写真をば。


(写真はクリックで拡大します)



こちらは第一次満洲里会議の記念写真。前列、左から三人目が凌陞です。

という訳で、今回は見つけた写真を載せることが主眼の記事でした。うわあ、尻すぼみ。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凌陞の写真が家にあります (阪口隆宏)
2015-10-13 19:38:29
初めまして。阪口と申します。「凌陞事件」について調べていてこちらのサイトを見つけました。私の祖父は。「凌陞事件」のあった1936年にモンゴルで催された祝宴で食中毒で亡くなっています。祖父は西本願寺の僧侶でしたがハイラルの出張所の初代駐在員として派遣され1935年まで駐在していました。駐在期間が終わった後も京都には戻らずハイラルに留まりました。「大谷光瑞の懐刀」と呼ばれた祖父は大連にいた光瑞師の秘書として関東軍上層部と緊密な関係にあったようです。

亡くなったのが1936年、場所がモンゴル。当時の状況からすると、満蒙国境を越えることも大変なことだったと思いますので、何故モンゴル側に行ったのか、
誰と一緒だったのかなど、色々な事を想像しています。

このページにたどり着いて凌陞の写真を見て驚きました。祖父のアルバムの中にこの人と関東軍将校達が一緒に写っている写真があったからです。満州国建国の時の写真などもあります。(写真が添付出来れば良いのですが)

あと集合写真のメガネの男性が祖父にそっくりです。もし大きい写真があれば送っていただきたいのですが無理でしょうか。

祖父の事ここに詳しいことが書かれています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E5%B2%B1%E5%9F%8E

祖父の事をずっと調べている者です。ご返信いただけると幸いです。
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