一般にはあまり知られていないことですが、満洲国軍にも康徳帝から下賜された勅語、つまり「軍人勅諭」が存在しました。
これは1934(康徳元)年の3月5日に満洲国軍の将兵に下賜されたものです。
原文は漢文なのですが、この度当時の雑誌『満蒙』に掲載された日本語訳が見つかりましたので以下にご紹介を。
日本の軍人勅諭に比べると、大分短い感じがしますね。原文は漢文なので更に短くなります。
内容としては日本の「朕は汝等軍人の大元帥なるそ」に該当すると思われる「朕は即ち爾の大元帥たり」などの文言があるなど、ある程度日本の軍人勅諭を参考にしたと思われる部分もあるには有りますが、どちらかといえば独自色がかなり強い文章になっていると思います。特に「夫れ一国は…」から始まる第二段は、日本軍と提携して国家防衛の任に当たる事の重要性を強調したもので、満洲国軍の性格を強く規定しているものであるとも言えるでしょう。
これは1934(康徳元)年の3月5日に満洲国軍の将兵に下賜されたものです。
原文は漢文なのですが、この度当時の雑誌『満蒙』に掲載された日本語訳が見つかりましたので以下にご紹介を。
朕夙に順天安民を以て心と為し盟邦と協力して群黎の福利を図り内は匪害を勦絶して以て境土を綏め外は邊患を攘除して以て四疆を靖む、建国二載庶績咸熙き国運愈隆く国基盛固まる、玆に上天の宓命を承け満洲国皇帝の位に即く 惟ふに爾将士建国の始搶攘未だ定まらざる時に當り、克く順逆を辨へ大義を洞明し力を戒行に致して其の身を顧みす濯征是れ勗め以て堅寇を鋤し以て弗庭を服す、功の社稷に在るや洵に鮮からすと爲す朕深く之を嘉す
夫れ一国を統治するには必す大中正至堅忍不抜の軍隊有りて方に拱衛に資するに足ること古今理を一にし東西軌を同くす、今我か新帝国亦将た此に国基を確定して之を悠久に擁護せんとす、爾将士に望む所のもの寔に多し、朕と盟邦とは関係緊密にして将に無窮に相信し相倚り以て東亜の和平を確定し億兆の安康を保障せんとし、前に盟邦と議定書を交換し国家の防衛は必す両国共同して以て其の任を完うすへきことを戴明せり、爾将士宜く此の旨を體し盟邦諸士と親善提携すること渾然一の如し、中正にして純厳明にして公以て国祚を擁護し永久替ること無かるへし朕深く之を望む
我か新帝国は建国より以来大中至正を以て本と爲す、其の諸朋黨比周の軋を傾け事を生し専閫独裁して飛揚跋扈するは必す禁する所に在り、爾将士は国の干城たり、朕は即ち爾の大元帥たり
原同気一體に属す、各級の指揮には各職掌有り或は時に因り宜きを制し、特に規範を定むと雖も而も統帥の大権は攬りて朕が躬に在り、爾将士は総て宜く全軍一心朕を奉戴して元首と爲し、其の股肱の力を竭し、以て匪躬の節を致すへし、朕深く之にる
今や凡百の施設蒸々として日に上り初有らさる靡く要は終有るに在り、爾将士の任大にして責重し凡そ民の安居楽業は胥に惟れ爾に是れる、務めて宜く故習を湔除し、軍心を一新し夙夜懈らす宣誓の條文を恪守して厥の職事に供へ敢て怠荒すること勿かるへし
玆に御極の始に當り、天地照鑒の下特に諭旨を爾将士に頒つ、尚くは其れ朕か命を廃する勿らんことを厚く望むところ有り此を欽む
御名御璽
夫れ一国を統治するには必す大中正至堅忍不抜の軍隊有りて方に拱衛に資するに足ること古今理を一にし東西軌を同くす、今我か新帝国亦将た此に国基を確定して之を悠久に擁護せんとす、爾将士に望む所のもの寔に多し、朕と盟邦とは関係緊密にして将に無窮に相信し相倚り以て東亜の和平を確定し億兆の安康を保障せんとし、前に盟邦と議定書を交換し国家の防衛は必す両国共同して以て其の任を完うすへきことを戴明せり、爾将士宜く此の旨を體し盟邦諸士と親善提携すること渾然一の如し、中正にして純厳明にして公以て国祚を擁護し永久替ること無かるへし朕深く之を望む
我か新帝国は建国より以来大中至正を以て本と爲す、其の諸朋黨比周の軋を傾け事を生し専閫独裁して飛揚跋扈するは必す禁する所に在り、爾将士は国の干城たり、朕は即ち爾の大元帥たり
原同気一體に属す、各級の指揮には各職掌有り或は時に因り宜きを制し、特に規範を定むと雖も而も統帥の大権は攬りて朕が躬に在り、爾将士は総て宜く全軍一心朕を奉戴して元首と爲し、其の股肱の力を竭し、以て匪躬の節を致すへし、朕深く之にる
今や凡百の施設蒸々として日に上り初有らさる靡く要は終有るに在り、爾将士の任大にして責重し凡そ民の安居楽業は胥に惟れ爾に是れる、務めて宜く故習を湔除し、軍心を一新し夙夜懈らす宣誓の條文を恪守して厥の職事に供へ敢て怠荒すること勿かるへし
玆に御極の始に當り、天地照鑒の下特に諭旨を爾将士に頒つ、尚くは其れ朕か命を廃する勿らんことを厚く望むところ有り此を欽む
御名御璽
日本の軍人勅諭に比べると、大分短い感じがしますね。原文は漢文なので更に短くなります。
内容としては日本の「朕は汝等軍人の大元帥なるそ」に該当すると思われる「朕は即ち爾の大元帥たり」などの文言があるなど、ある程度日本の軍人勅諭を参考にしたと思われる部分もあるには有りますが、どちらかといえば独自色がかなり強い文章になっていると思います。特に「夫れ一国は…」から始まる第二段は、日本軍と提携して国家防衛の任に当たる事の重要性を強調したもので、満洲国軍の性格を強く規定しているものであるとも言えるでしょう。
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