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「私にとって神とは」 遠藤周作

2016年06月06日 | 読書

ブックオフに不用になった本を20冊あまり売りに行って、500円近くで売れたので108円の本を3冊買いました。「キリストの誕生」「深い河」「私にとって神とは」の3冊。遠藤さんは何故キリスト教徒なのか、遠藤さんにとってキリスト教とは何なのか、ちょっと興味を引かれたのです。

「キリストの誕生」は「イエスの生涯」の続編。イエスが亡くなった後、どのようにしてキリスト教ができたのかということが(遠藤さんの解釈ですが)わかります。小説とは違って硬くてちょっと読みにくかったので、半分読んで先にのこり2冊を読みました。忘れないうちに記録。

【「いったい神なんか本気で信じているのか」とか「あんたにとって神とは何か」とか、数々のご質問を私が整理して、それに私なりの考えを、できるだけわかりやすく話して、それを文章にしたのが、この本である。】

何でクリスチャン?

日本人が生まれたときから(意識してなくても家がそうなので一応)仏教徒だったり神道だったりするのと同じように、母親の影響で11歳のとき何となく洗礼を受けたそうです。

神を信じているのか?

神の存在は”対象”ではなく、”働き”であると言われます。何か選択するときなど、何か分からないが自分を後ろからそっと後押ししてくれるようなもの。自分の意思+XのXが働いているというのです。で、それはそれぞれの人の心の中にある。
、、、日本的なとらえ方だと思う。西洋のキリスト教の考え方とはちょっと違うのかな。人によって色々な神があっていいんじゃないか、という感じに捉えられてるようです。一神教のユダヤ教の人は多分、(見えないけど)唯一の絶対的存在を信じてたりするのかな。

お釈迦様の教えでは、因果法則とか心の法則みたいなもの(働き?)になるのかな?それとも、業?

日本仏教(浄土宗とか)は、”仏様”という対象にすがる(他力本願)らしいから、それとはちょっと違うような。
お釈迦様は自灯明、法灯明といって、学んで修行して自分を高めていきましょう(自力本願?)と言われてるので、こっちに近い?(そもそも救ってくれる絶対神も仏様もあり得ないし、自分の人生とは関係ないし、もしいても人間も神も色々です、と言われてる)

遠藤さんは、仏教は自分の問題だけに集中して他人に無関心だと思われているようです(だから、仏教よりもキリスト教の方が馴染むそうです)が、これは誤解されてますね。日本仏教を見て言われてるようですが、日本仏教はよくわかりませんが、お釈迦様の教えは、すべての生命への慈しみの心が大事である、すべての生命は助け合うことで成り立っているということですから、キリストの愛よりさらに広いんじゃないかな。(ただ、キリストの愛は深いね、で悲しい)

それと、キリスト教は煩悩の中に神がいる、仏教のように煩悩を捨てろと言われないからいい、と言われてます。お釈迦様の教えは苦しみの心を治療することで楽にするものだけど、キリスト教は患部はそのままに慰めるものなのかな?

仏教(お釈迦様の教え)については、日本仏教との違いが大きいのでけっこう誤解されてるみたいですが、印象としては、遠藤さんの考える日本のキリスト教の考え方はお釈迦様の慈しみの心の部分と似ていると思いました。

ただ、お釈迦様はキリスト様のような自己犠牲ではなく、自他共に幸せになる道を説かれました。自我は錯覚で、実際は”無我”であり、自我に対する執着をなくす(弱くする)ことで苦から解放される。自分が不幸になるなら、自己犠牲は愚か(智慧が足りない)と否定されてます。自己犠牲は偽善につながりやすいので、遠藤さんも問題だとされてます。(キリスト教の問題を色々指摘して悩まれてる)

 

遠藤さんが考える日本式キリスト教は、お釈迦様の教えと共通するところがあることがわかりました。神は”働き”だとすると、日本人にもわかりやすい。(ちょっと曖昧だけど)

お釈迦様の教え(上座仏教)を学べば、遠藤さんもかなり納得されるんじゃないかと思いました。信仰ではなく心の科学だけど、けっこう近いものがある。遠藤さん、仏教は明るいよ~

 

星4つ 

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2 コメント

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宗教 (都月満夫)
2016-06-07 15:28:02
誰がどんな宗教を信じようと、それは自由です。
しかし、人の信じている宗教を誹謗中傷するのは間違いです。
とは言っても、宗教の範囲はとても広い。
例えば、オウム真理教。これも宗教と言えるが、目的のために手段を選ばないということは許されない。
宗教とは、すべてを許すことなんじゃないのか?
縛られるもんじゃないような気がする。
いずれにしても、宗教を本気で信じていない者にはわからない^^
したっけ。
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都月さん、こんばんは。 (まる)
2016-06-07 18:54:46
他を害さない限り、個人の信条は尊重されるべきですね。宗教の自由も。
それぞれの違いを尊重し認めるために、もうちょっときちんと”理解”したいなあと思ったわけです。

世界のそれぞれの地域に合った色々な宗教が生まれています。それは社会、民族の歴史などによって違います。宗教って文化みたいなものなんじゃないかと思います。だから、それは当然認められるべき。他を害さない範囲でね。
それぞれの違いを知って、なるほどねえ、と認め合って、共通点があればそこでまた仲良くなる。
そういうものであればいいですね。
みんなちがってみんないい、ですね。

宗教が排他的な組織になったり、派閥が出来たりするのは、それをつくっているのが”自我の錯覚”をもつ人間だから(仕方ないねえ)…でも、ほんとは”無我”なんですよ、とお釈迦様は教えてくださってます。
遠藤さんの考えるキリスト教は、すべてを許し包み込む広い愛で、これはお釈迦様いう”無量の”慈しみの心と似てます。
無我なので、許すも許さないもないのですが。^^
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