あせって悩む世の中で、
落ち着きを保って楽しく生きよう。
あせって悩む人々の中で、
落ち着いた人間として生きてゆこう。(199)
>人間は自分たちが忙しいということにいろいろな言い訳をしていますが、たいそうな理由はどこにもありません。・・・・・「忙しい」という気持ちは、ものすごい苦しみであり、強烈なストレスです。それは精神的な空白感ー空しさを感じて生きることを意味します。・・・本当は精神的なあせりを「忙しい」という言葉で隠しているだけなのです。
>「あなた方はとても忙しいですね。では何か大事なことでもやっているのですか」
もちろん、私たちは何もやっていません。それなのに忙しいのはなぜか。五欲を満たすために必死になっているからです。五欲というのは①見るものを探す②聞くものを探す③味わうものを探す④かぐものを探す⑤体で触れるものを探す、というだけのことで、そのために忙しいのです。
>自分が死んだらすべてを手放して、自分も土に戻らないといけない。・・・何になるのかと言えば、何にもなりません。ただ忙しいだけなのです。そうやって限りなく忙しく生きて、極端にストレスをためて、こころの空白感を抱え込んでしまう。すべての生命は、その空白感に悩まされて生きているのです。
>ブッダは「その中にあって、なんの忙しさも感じないで穏やかにいようではないか、満たされた気分でいようではないか」と提案されています。食事をするときは、体を維持するために必要なものだけを食べれば気楽なものです。グルメに生きようとしたら一生、苦しいのです。
>必死になって五欲を追って探し求める必要はどこにもないのです。そのことを理解して、いのちを支えるために必要なものを適当にそろえて生きればいい。五欲を追う忙しさから離れ、落ち着いて、清らかなこころを育てようと励むならば、私たちは初めて「忙しい」という呪縛から逃れることができるのです。(『原訳「法句経ダンマパダ」一日一悟』A.スマナサーラ著より)
自分の”欲”を満たすために必死になっているから(不満だから)悩むので、”欲”を満たすことに必死にならなければ(満足すれば)悩むことはない。なぜ悩む。悩む必要が本当にある?無駄に悩んでない?快楽を求めれば求めるほど悩みは増える・・・。
向上心とは心を磨くこと。
落ち着いて、ひとつひとつ。あわてない。
気楽に、気楽に。
私はもうあせる必要はないのに、あせりがちです。
例えば、食事するときにてきめんに現れます。(苦笑)
急いで食べます。
誰も急かしてはいないのに。
自転車で道路を横切ろうとする時も急ぐ必要はないのに、車が近くまで来ているのに横切ります。
なぜでしょう?
修行が足りないでしょうね。(苦笑)
>落ち着いて、ひとつひとつ。あわてない。
気楽に、気楽に。
このような心持ちでいたいです。
何でもゆっくりていねいに、よく気をつけてした方がいいですね。
誤飲してむせたりすることもあります。危ない危ない^^;
交通事故も、慌ててるときによく起こりますね。最近は信号無視する車(運転手)が増えてます。
信号だけでなく、車が停まったのを確かめてからでないと渡れません。
ていねいにていねいに、と時々声だし確認してます。
お互いに、気をつけましょうね^^
満足しなければ悩みが増える。
どうやって生きていこう^^
したっけ。
五欲に”執着”しなければいいだけですよ。五欲はほどほどで満足する。快楽を求めるのではなく、心を磨く。
心を磨くことはあきらめない。
心を磨けば磨くほど、自然と進歩しますよ。精進すればするほど心は明るく、喜びが増えていきます。
つまり、欲ではなく、心の向上心をもつことです。執着をなくすこと。欲(や怒り)で行動しない。
欲をなくし満足する、ということが進歩なんです。
執着がなくなれば理性的になり、能力も上がるし、明るく、喜びも増えるし、失敗もなくなってくるし、大進歩です。^^