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『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである 他人に支配されず、自由に生きる技術』(安冨歩著)

2019年12月21日 | 読書

【なぜ、しんどいのか。なぜ、うまくいかないのか。気鋭の東大教授が導く、「見えない呪縛」から抜け出す道。

自己嫌悪は「結果」ではなく、「原因」である―何かをした結果、感じてしまうものではない。もともと自己嫌悪があるから、自己嫌悪を感じるのだ。考えれば考えるほど楽になる!人生を変える「本物の思考」。】

誰でも、うまくいかなくて自分の能力のなさにがっかりしたり、失敗して落ち込んだりすることは、一度や二度じゃないと思う。

そういうことが続けば、自分のことが嫌いになってしまうこともあるでしょう。

毎日がなんか苦しい、うまくいかない、生きづらい、、、自分の欠点ばかり目に付く、元気が出ない、また失敗する、、、。他人と比べればさらに自分の劣っているところが嫌になる。劣等感。

(超エリートの人にも劣等感があります。安冨さんもいっぱいあったそうです。劣等感があるから人より秀でた?所を持とうと必死に努力し、誇示したりして自分を慰めようとする)

なぜ自分を嫌うのか。
安冨さんは、もともと自己嫌悪があるから自己嫌悪を感じてしまうのだと言われます。
自分が劣っているから感じるのではないのです(その通り!)

私は、自己嫌悪とは、”自分は何でもうまくできるはず、できなければいけない”という「思い込み」だと思います。
自分が希望する、理想の、より完璧に近い自分と、現実の自分とを比べる。今ある自分を「完璧な自分」「よりよい自分」と比べてしまうことが自己嫌悪のもとだと思う。完璧な、、、完成された、、、変わらぬ「自分」という”幻想”を見てしまっている。

「完璧な人間」なんてあろうはずもないのに。
過去の自分はもう存在しないし、今いる自分が本当の自分であり、
今よりよい自分はまだ存在しない。
(自分も他人も)

自分を嫌う理由なんてどこにもない。

比較する「自分」も、比較する「他人」も”幻想”(頭の中で勝手につくったもの)
幻想なんだから比較できないし、「自分」を嫌ったり(卑下したり)、「他人」を羨ましく思ったり、妬んだりする理由がない。(他人のすべてを知っているわけじゃない)

ではなぜ、そんな思考パターン(自己嫌悪の罠)に陥るのか。
なぜ、自分は自分だ(他人じゃない)と思えない(自己肯定感がもてない)のか。

生まれたばかりの赤ちゃんに自己嫌悪などありません。「自分」が嫌で泣くのではなく、ただ不快で、でも思い通りにならなくて泣くのです。赤ちゃんは生まれ落ちたときから誰か(母親)に依存しなければ生きていけません。これが支配の始まりだと思います。そして支配はずっと続きます。(支配ではなく慈悲喜捨であればいいのです)

自己嫌悪は、大人や社会の「こうあらなければいけない(あってほしい)」という価値観の刷り込み(しつけ)で強化されてしまいます。”しつけ””教育”は、いくら「よかれ」「この子のため」という善意からだとしても、個性への一種の暴力となりうる。それはどうやったって”親や大人や社会の”価値観でしかないのです。大人のつくった現実の社会が天国のような社会なら、それでもいいかもしれない。
でも、実際その価値観は普遍的な真理ではないし、幸福への道であると胸を張って言えるものでもない。

人はだれでも、自分の道を歩きたいのです。

安心して自分の道を歩きたい。でも、大人や社会が許さない。

子どもの時に無意識のうちに刷り込まれた「こうあらねばならない」という「社会(世間)の道」や「自分像」と、「現実(ありのままの自分)」とのギャップ劣等感を感じながら生きている人は、大人になっても息苦しさはなかなか消えません。

大人や社会の要請する人間像の鋳型に自分を無理に押し込めようとすれば苦しいに決まってます。


安冨さんは「憧れる」のは危険だと言われます。

自分に欠けている部分を相手に求める代償行為だと。
それは相手の本当の姿ではなく、自分が求めるものを相手に投影している、幻想を見ているというのです。

自分を嫌う人は、自分を満足させたいので「憧れ」の対象に向かって「努力」する。
この状態は「幸せ」とは言えませんね。自分に満足できていないのだから。 

 

うまくいかなくても当たり前のこと。(そりゃそうだ、、、です)
「過去の自分」を嫌うのではなく、

なぜうまくいかなかったのかを今から分析して
次はよりよくやれるよう工夫すればいい。

それは失敗ではなく、自分の道を一歩進めるということ。失敗ではなく経験。

自分の道、自分の人生を歩くのは自分しかいないのだし、みんなそれぞれ違っていて当たり前。
自分の道は幸せへの道であって、苦しみへの道ではない。
幸せの道から外れたと思ったら、また戻ってくればいいだけ。何度でも。

幸せに生きるためには、他人に支配される必要はないし、自分を嫌う必要も理由もない。
学習し続ければいい。

学習は喜びですから。

まあ、人間である限り満足することはないでしょう。
けれど、自分を嫌わないで生きることはできると思います。
そうすれば、生きるのはうんと楽になるんじゃないでしょうか。

、、、て、全然本のまとめになってないなあ。ほぼ私の見解ですな(しかも長い)。

Q&Aで、とてもわかりやすく書かれた読みやすい本です。
自己嫌悪しなくていいんだ、自分を卑下しちゃいけないんだとわかって、心が楽になれるんじゃないかな。とてもいい本だと思います

どうすればいいか、自由に生きる技術については、次回にします。

 

星5つ 

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