ルソーの「エミール」を頑張って読んでたんですが、かなり納得してたんですが、後半でルソーの結婚相手ソフィの、女子教育論になってちょい???
”エミール”の教育は男子限定だったのか・・・
まあ、250年も前に書かれた作品だしね。(、、、と思ったのですが、、、)
男子教育と女子教育ははっきりと違わなければ(正反対なんだと)いけないそうな。”良妻賢母教育”ですか。女性は男性のためにあるみたいな”書き方”が、違和感ありあり
(、、、だったのですが、、、)
えっと、、、女子は世間に受け入れられること、評判のよい女子であることが大事なんだって。人間の最初の教養は肉体についてというのは共通だけど、男子の目的は体力を発達させることだけど、女子は”魅力”を育てることなんだそうです。…肉体的魅力?
>女性はなにをするにしても優美に見えるように十分の力を必要とする。男性はなにをするにしてもやすやすとできるように十分の器用さを必要とする。
>女性の教育はすべて男性に関連させて考えられなければならない。男性の気に入り、役に立ち、男性から愛され、尊敬され、男性が幼いときは育て、大きくなれば世話をやき、助言をあたえ、なぐさめ、生活を楽しく快いものにしてやる、こういうことがあらゆる時代における女性の義務であり、女性に子どものときから教えなければならないことだ。
女性の義務??じゃなくて、慈悲だね。賢い女性にしかできない。(ん?・・・賢い女性になろう、ということか・・・)
男女関係なく、すべての人はお互いに慈しみの心で接すればいいんじゃないの?(けれど、男性より女性の方が慈しみの心がより必要だということか?・・・)
互いに依存(助け合いだと思うんだけど)し合い、補い合う関係だけど、生まれつき量的質的にもかなり不平等になっているんだ、ということなのでしょうね。だから女性はいつも不満が大きい?
これじゃ一方的に、男性を甘やかしすぎじゃね?男性を自立できない、不幸な生き物にしてしまいそうですが、仕方ないことなんでしょうかねえ。(エミールのように育った人なら大丈夫なのかな?)
>女性は多くのことを学ばなければならない。しかし、女性にふさわしい知識だけを学ぶべきだ。
>女性の基本的な、そしてもっともたいせつな美点は、やさしくするということだ。男性という不完全な存在、しばしば多くの不徳をもち、いつも欠点だらけの存在に服従するように生まれついている女性は、正しくないことにさえがまんをし、夫が悪いときでも不平を言わずに耐え忍ぶことをはやくから学ばなければならない。
男女関係なく必要のない知識、かえって判断を誤らせる知識というものはある。必要な知識も違いがある。女性にふさわしい知識とは?
やさしくするということも男女関係ない。どうしようもない愚かな男性(人間)とは離れた方がいい、、、女性は男性に”服従する”ように生まれついてはいないよね。服従して耐え忍ぶのは愚か、理性的にうまくやって円満に解決しなきゃ。服従や我慢ではなく、賢くということでは?
>女の名誉は素行だけで決まるものではなく、評判できまるもので、恥しらずな女といわれて平気でいられるような者がりっぱな女とされるようなことはまずありえないことだ。・・・他人が自分をどう考えるかということも、じっさいに自分がどういう者であるかということにおとらずだいじなことなのだ。
恥知らずな女も男もどうかと思います。でも、世間の評判というものは絶対的なものではないし、男女関係ない。
「義務」とか、「~べき」とか言われると、押しつけられてる感じがして、誰がそんなこと決めたのか?て思うけど、
でも、男女関係なく必要な知識はあるし、人にやさしくすることは大事だし、恥知らずといわれるような行動をとればいいことにはならない。男性と女性の現実的な自然な(本来の)違いととらえると、違いはあっても仕方がないし当たり前かも。多様性をありのまま受け入れて、それぞれの個性にあった教育が必要だということはその通りでしょう。
つまり、「自然」をありのまま受け入れると・・・、ということなのでしょうか。
女性差別なのか?と思ったのですが、そうではないみたいです。
ルソーの考える理想の男性、理想の女性の育て方なんでしょう。
まあ、現代では「家事は女性がするべき」と決めてしまわなくても、得意な人、できる人が家事を受け持てばいいんじゃないかな?と思います。男か女かも個性の一つでしかない。男女の役割の違いが少なくなってきた。男女関係なくできることが増えた。ということは、女性の役割が多くなってしまったということです。どうみても不公平です。
それぞれの個性に応じて役割分担ができて、互いに協力し合える社会がいいです。あくまで、自然に。人間として。
男女関係なくひとりひとりが”賢く”なることが大事だと思います。
単純に男子教育と女子教育に分けるんじゃなくて、”人間教育”が必要だよね。
ん~、むずかしい
フランスという国で生まれたルソーもこのような考え方をされていたんですね。
250年前だから仕方ないか!
男女別々の教育って、ありえないのでは?
人間としてどうあるべきかの教育だと思うのですが。
『男女関係なくひとりひとりが”賢く”なることが大事だと思います。』
まるちゃんが書かれた、これに尽きると思います。(笑)
(私はこの本を読んでいないので拝見した文章からしての推測の独り言です。)
そうですね。もちろん、時代背景が大きいと思います。
ただ、差別とかではなくて、「男女の質の差」を顧みて、その「各々の良さを引き出す」という観点ではないでしょうか。
何故「男女という性の差」を持ってして生まれるのか?という根柢を考え、学ぶことが大切だと思います。
男は男性として女性を愛し、女は女性として男性を愛す。
その愛し方は同じでないと思います。それを各々が理解し、敬う。その方法論ではないでしょうか。(その時代の)
「男女は平等である」考えは今の時代背景による思想でしかありません。これはうつろうものだと思います。
根本にある「男女の性の違いの意味」の理解なしに両者の本当の幸福はあり得ないと私は思います。
そうではなく、
男女の差に応じて(現代なら一人一人の個性に応じてということになるかな)教育する必要がある、ということなんだと思いました。
男女の差というものがある、という自然状態を前提として、自然に逆らわないように教育すると、、、ということなのだと思います。
現代社会では反発されそうですが、男女をいっしょくたにしすぎて、(特に共働き)女性が(男性の無理解のために)大変な思いをしている場合もよくありますから、現代でも考えさせられる教育論だと思いました。
基本は、お互いの理解、助け合い、慈しみの心かと思います。多様性を認める社会になってほしいですね。
>ただ、差別とかではなくて、「男女の質の差」を顧みて、その「各々の良さを引き出す」という観点ではないでしょうか。
私もそう思います。現代社会に慣れてるので、初めは男尊女卑か?と思ってしまいました。
>「男女は平等である」考えは今の時代背景による思想でしかありません。これはうつろうものだと思います。
すべての生物は生命として平等だと思ってます。みんな幸せに生きる権利をもっている。けれど、現実は、時代や社会によってそうではない。人間社会は自然社会ではない(人工的ですから)。
ルソーは人間が社会をつくってから平等ではなくなったと言っていたと思います。
生命はすべて平等である。もちろん男女も平等。ただ、違いがあるだけなんだと思います。
まあ、その違いが、けっこう社会的に見れば不平等に見えるんですが。生物としての役割(繁殖、育てる)は、女性の役割の方が圧倒的に大きい。^^;
だから、男性もそこのところを理解して、協力するのが幸せに生活するためには必要なんだと思います。
>男は男性として女性を愛し、女は女性として男性を愛す。
みんな平等なんだと理解して、お互いに慈しみ合うことが大事でしょうね。
男と女は同じではありませんから、スタート時点で平等ではありません。
それぞれを尊重して生きることが平等だと思うのですが^^
したっけ。
個性や違いを認めること、差別・偏見がないこと、存在自体に優劣がないことが平等だと思います。
男女は優劣はないけど同等ではない。(比べること自体が慢心だったりする)
男女は平等で違いがある。だから助け合う必要がある、と思います。
まあ、男女だけでなく、すべての生命がそうだと思いますが。
それぞれ色々違いがあるだけ、というのが一番わかりやすいかな??幸せに生きる権利はみんなまったく同じ。
要は、「みんなちがってみんないい」ということですね^^
>それぞれを尊重して生きることが平等だと思うのですが
その通りですね!^^
言葉はむずかしい。わけがわからなくなりそう^^;
まるさんのいう「平等」の意味は「一つの命として平等」ということですかね。それはもちろんそうですね。たとえ1寸に満たない虫にも同じ命が宿っていますからね。
しかし、今の世の中(人間社会)は「平等」という言葉だけが独り歩きして「平等」という名の「不平等」になっている面があります。
「性の同一視」「親子関係」「上下関係」などにみられるある種の「均一化」に危険な思想を感じます。
その具現化が今の日本社会に反映されていると私は思います。
まるさんの思うように、この世に生まれたすべての命(存在)同士が慈しみあい敬いながら、お互いの違いを理解しあい助け合って生きていくのが本当の生き方であると私も思います。
「均一化」「固定化」、これは自然に反しますね。しちゃいけない。
すべては変化していくものなので、柔軟によりよい変化を目指すこと、と多様性を認めることが大事でしょうね。
>「平等」という名の「不平等」
そうですね。
本当の平等、本来の平等を実現したいです。まず生命としての「平等」が一番な気がします。(人間の社会は、どうやっても不平等をつくってしまいますね^^;)
きっと、ルソーは本来の平等をめざしていたのでしょうね。