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『「居場所がない」人たち 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論』荒川和久 「所属」しなくてもいい

2023年09月04日 | 読書
暑さが落ち着いてきて、やっと微かに秋の気配を感じるようになってきた
さあ、秋冬野菜の農作業が始まるぞ

と言っても、畝や支柱のお直しと残渣処理くらい
耕さないし、新たに畝立てもしない
肥料を使わないので、耕すと土が壊れて痩せるのです

種まきや苗の定植計画を立てて準備をしていきます
(いつもスタートが遅くなるのよね)

これからちょっと忙しくなりそうなので、読書記録をしておく



未婚化、少母化、高齢者の多死化
という3つの要素によって「ソロ社会」は不可避な現実となる。

少子化ではなく少母化である
一人の母親が産む子どもの比率は変わっていない
第二次ベビーブームが来なかったので「母親になれる年齢の女性」の数が減っている
少子化を解消するには一人が5人も6人も産む必要がある(経済的にも現実的ではない)
出生数は今後増えることはない

晩婚化したのではなく、若者が若者のうちに結婚できなくなってる
未婚化や少子化の要因というものは決して「個人の価値観の問題」などではない
経済環境や職場環境含めた社会構造上の環境問題である
価値観はその環境に適応したにすぎない
(未婚のおじさんを叩くな、それは「魔女狩り」だ)

独身は不幸なのか?結婚すればしあわせなのか?
結婚すれば幸せになれると思っている人は、結婚もできないし、しあわせにもなれない
ただ「幸福な人が結婚している」のだ
(私は独身だが全然不幸じゃないっすよ)

「孤独は悪」と言いたがる人たちがいるが、、
孤独とは主観的な感情
(孤立は物理的な状態)

友達(知り合いではない)がいないことは絶対悪ではない
一人の人間の中にも多様性があり、孤独がいい時もある
孤独を感じることと、孤独を“苦しい”と感じることは別である

孤独とは生きていれば誰にでもある空気みたいなもの
孤独を楽しむこともできるし、孤独がなければ何も創造できない

コロナ騒ぎで大学に入学しても学校に行けず、孤独を感じて苦しむ人が多くいた。
これは「若者が孤独を抱えている」という問題ではなく
「若者の交流の機会をことごとく剥奪した政府及び大学の処置のまずさ」であり
「若者の置かれた環境」の問題
お金の問題でもある 貧しいから孤独を感じてしまう

所属ではなく「接続」へ 居場所から「出場所」へ

人の行動のほとんどは無意識化によって制御されてて、意志より先に行動している
遺伝子情報そのものは親から受け継がれ、変わらないが、
オン、オフのスイッチはその後の様々な環境によって変わる
どんな時代に、どんな場所で、誰と何を行動したのかによって劇的に変わる

「所属するコミュニティ」だけに依存することなく、もうひとつのコミュニティの視点として
「接続するコミュニティ」を用意すること

必要に応じて、場面に応じてつながり、自分のできる範囲で助け合える
時と場に応じて柔軟に接続するニューロンネットワークにおけるシナプスのようなコミュニティ
単発の関わりでもいい、たくさんの接点を持つ

受け身の居場所ではなく、行動すること、行動そのものが「出場所」
やる気がないから行動しないのではない、行動しないからやる気が出ない
散歩する、本を読む、映画を観る、コンサートやライブ、寄席などに行くなどなんでもいい
そしてその事を書いたり誰かに話したりする(ブログもいいよね)

本人が理解している自分なんて所詮
「あなたという個人が主観で、見たいものしか見ないようにして作り上げた虚像」にすぎない
一人一色ではない、一人の中に多くの色を内包しているのである

何かに所属することで安心できる面はあるだろうが、
私は所属することで自由や多様性が制約されることの息苦しさの方を感じることが多い
必要なのは誰か(互いを尊重し合える仲間のような人)と、個人的に柔軟にゆるくつながっていること
だと思っている。
命のネットワークの中にいること(縁)
それは所属ではない はっきり言って所属はしたくない
けれど、つながりはもっていたい

子育て支援は当然だけど、
結婚できない若者に経済的支援をすることや、
自由で多様な出場所を用意する政策が必要だと思う

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