たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

児童虐待とヒアリング手法 <司法面接 試行錯誤 虐待判断、分かれる現場>などを読みながら

2018-02-04 | 家族・親子

180204 児童虐待とヒアリング手法 <司法面接 試行錯誤 虐待判断、分かれる現場>などを読みながら

 

虐待という言葉が紙面を賑わさない日がないような錯覚すら覚えるこの頃です。児童虐待は古くから問題にされてきたかと思います。最近は、困窮者、高齢者、障がい者に対する虐待と対象も広がりつつあるというか、報道で取りあげられる機会が増えたといった方が正確かもしれません。少し異なる局面かもしれませんが、夫婦間のDVも多様で人間の本性の一端かと思ってしまうこともあります。

 

それぞれの虐待について、その定義内容が実体に即したものになり、確立してきたかように思いますが、他方で、その事実を確認する、それにどのように対応するかは、被害を受ける人の類型によって異なる、法令やガイドラインがあります。私自身、それぞれを比較検討したことがありませんが、多くは共通する点があるとは思いつつ、現実の対応は相当違うのかなと考えています。

 

先日、高齢者虐待の研修を受けましたが、そのときに感じたのはこの分野では警察の対応がまだ全国的に確立しているとは言いがたい、地域によって千差万別に近い状態で、行政側は高齢者の立場で割合積極的に動き出したのかなという印象です。

 

家庭内の出来事として隠れていた虐待という問題が法的に違法の烙印を押されたことで、定義も明確になったことから行政側としては動きやすくなってきたのかもしれません。ただ、私のつたない経験では虐待を受けたという高齢者の発言は、成人とはいえ、身体への加害などで客観的な裏付けがあれば別ですが、そうでない虐待類型だと、慎重に対応しないと、家族間の軋轢の中で誤解を生じかねないと思っています。

 

ま、わかったようなわからないような前置きはこのくらいにして、本論の児童虐待に移ります。

 

毎日朝刊記事<司法面接試行錯誤 虐待判断、分かれる現場 児相・警察、男児証言を共に聞き>は、児童虐待に対して、重い腰をあげた警察とこれまで長い経験をもつ児童相談所との間で、新たな手続きをめぐって、齟齬が生じているようです。

 

<大阪市淀川区の自宅で男児(4)にけがをさせたとして義父(33)が傷害容疑で逮捕された事件で、市こども相談センター(児童相談所)や大阪府警が、一時保護された男児から一緒に話を聞いた「司法面接」を巡り、暴力の有無について両者の見解が食い違っている。センターは「あざができた経緯がはっきりしない」と判断、府警は「パパにやられた」との趣旨の証言を得たとしており、被害聴取や対応の難しさが浮き彫りになった。【山田毅、村田拓也】>

 

ある証言があれば、当然一つの事実が解明されると思うのは、人間の認識力というか、問題の状況、質問者・発言者・そして理解し評価する人の属性なりで、まったく見方が異なっても当然というのが普通のあり方ではないかと思います。毎日記事が<虐待判断 分かれる現場>と大きく取りあげていますが、それ自体は不思議なことでないわけです。むろん常にそうなるとは限りませんが、なるだけ一致した認識になるよう今後の検討・工夫・改善が必要であることは確かでしょう。

 

今回の司法面接では、児童相談所と捜査機関との間で、見事に判断が分かれたのですね。

<センターの虐待対応担当者は帰宅の判断について取材に「あざの経緯がはっきりせず、父親も関与を否定している。リスクが高い事案と認識していたが、総合的に判断した」と説明。府警とは面接の内容を別々に記録しているとした上で「虐待を受けていたという趣旨の発言をした記録はない。府警とは見解の相違がある」と話し、対応に問題がなかったとの認識を示している。>

 

ところで今回は「司法面接」という新しい手法が採用されています。

この定義について記事では

<検察、警察、児童相談所が、虐待を受けた児童から繰り返し話を聞くことで事件を再体験させる2次被害を防ぐ目的で、代表者が原則1回の面接で聞き取る方法。厚生労働省と警察庁、最高検が2015年10月に児相、警察、検察が連携を強化するよう通知を出し本格的に行われるようになっている。3機関を代表した1人が行う面接は「協同面接」と呼ばれる。関係者は別室モニターで観察でき通常録音・録画もされる。誘導的な質問は避け、自由に答えられるようにするなど子供の特性や気持ちに配慮することが求められる。記録の取り扱いなど具体的実施方法について明確な取り決めはない。>と解説されています。

 

私はこの制度の根拠や制度の内容自体を知りませんので、この説明が妥当なものか、コメントできません。ただ、3機関といても、検察、警察は捜査目的をもつ同種の機関で、児童福祉の観点を担うのは児童相談所のみですね、ちょっとバランスを欠いている印象をぬぐえません。

 

ついでにこの「司法面接」についての日弁連意見書<子どもの司法面接制度の導入を求める意見書>が2011年に発表されていますので、これを参考に少し問題点を言及してみたいと思います。

 

今回の面接者は検察官です。これが児童のために適切であったかは少し疑問があります。日弁連意見書では、導入を認めた「司法面接」について<一般に,いわゆる「司法面接」(英語でforensic interview)とは,専門的な訓練を受けた面接者が,誘導・暗示に陥りやすい子どもの特性に配慮し,児童虐待等の被害を受けた子ども等に対し,その供述結果を司法手続で利用することを想定して実施する事実確認のための面接をいう。>としています。

 

ま、こういった一般論は、国も承知して、ようやく導入したのでしょう。ただ、問題は司法面接の実施方法です。日弁連意見書では次のように第三者機関、それも児童心理を理解した専門家による面接手法を求めています。そのとおりでしょう。

 

<司法面接は,児童福祉に関する機関や捜査機関も含めたMDTチームが必ず連携してチームを組んで行うべきものである。具体的には,関係機関が虐待等の捜査・調査の端緒を得た場合,MDTチームとして,独立した第三者機関を実施場所として,専門的資格を有する面接者に司法面接の実施を委嘱することが考えられる。>と基本的な組織の確率を求めています。

 

そして重要な面接者については

<司法面接において行われる子どもからの聴取りは,誘導や暗示を排し,子どもの任意の発話を促すものでなければならず,そのための専門的技法を訓練し修得した面接者が行うべきである。

専門性の担保のため,新しい国家資格の創設及び研修の義務化等が検討されるべきであろう。また,司法面接技法のプロトコル(又はガイドライン)を作成するプログラミング等が行われる必要がある。>

 

そんな予算はないとか、児童の心理について通暁している、あるいは児童の捜査(被害者として)経験が豊富な検察官なりがいるから、それで十分と法務省は言うかもしれません。

 

しかし、いくら被害児童の立場を理解している検察官なり捜査官であっても、基本は犯罪摘発を主眼として面接するのに長けていても、その児童の家庭環境のあり方を含めその将来にわたる福祉的視点では捉えきれないでしょうし、児童心理自体についても十分とは言えないと思うのです。被害者の代理人となって支援する国選弁護人制度が導入された一因も被害者、そして児童自身の立場に立って見ることができる面接者が必要だと思うのです。

 

こういった日弁連の意見は今回の導入では採用されませんでしたが、司法面接が導入されたこと自体は、児童にとってプラスになると思います。そしてすでに動き出した司法面接制度、今回のケースを参考にして、よりよいあり方をそれぞれが模索していくことで、よりよい改善が見られるのではないかと期待したいと思います。

 

それには、折角司法面接で可視化して記録に残したわけですから、個人上保護を確保しながら、このDVDにより研修を積み重ねるなどして、面接者の質問のあり方、その評価の仕方などを関係者、それは今回の3機関にとどまらず、児童心理や家庭環境に詳しい専門家の関与を得て、研鑽を積んでもらいたいと思うのです。

 

たしか捜査の可視化を進めてきた英米?では、可視化されたDVDを通じて研修を重ねることなどにより、質問の改善など、捜査方法自体が効果的になったという話しを聞いたことがありますが、そのとおりだと思うのです。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。


子育てを知る <子育て知る機会を提供 慶応大大学院生で株式会社manma社長>を読んで

2018-01-18 | 家族・親子

180118 子育てを知る <子育て知る機会を提供 慶応大大学院生で株式会社manma社長>を読んで

 

子育ては人それぞれでしょうし、時代の変化、環境の変化によって大きく異なるでしょうから、これが王道というのはないでしょう。

 

私の場合は失敗ばかりを思い出します。アメリカで赤ん坊のうちからプールで泳がせるというのを知り、長い間わが国の学校教育で水の危険を過度に強調し、海や川から子どもたちを遠ざける教育を当然のように行われていたことに違和感を抱いていた私は、すぐさまある実践をしてしまいました。

 

プールの中に赤子の長男をどっと突っ込んだのです。ばたばたしてもがきました。むろんそばに私がいるので安全は確保していましたが、それからしばらくの間、長男は水に近づくことはありませんでした。これは被害経験のひとつです。その後小学生に上がる頃でしたか、近くのスイミング教室に行くようになり、ちゃんと泳げるようにはなったのですが、水への親しみという点では悪い記憶を残してしまったかもしれません。

 

ところで外国人の親子を見ていたり、映画などで、時折興味を引くことがあります。親子の年齢がかなり離れていることが割合、自然にうけとめられていることです。かなり老齢となったご夫婦がまだ小さい子というか、小学生くらいの子どもを育てているのを見て、一見、祖父母と孫の関係かと思うこともありますが、ちゃんと親子といったことが少なくないのです。

 

だいたい、欧米人は祖父母が孫を育てるというのは、むしろ特殊な事情がある場合で、祖父母は二人の関係を大事にし、子は祖父母の世話をしない代わりに子の面倒を見てもらわないような印象を受けます。統計的な数字や、実体はわかりませんが、そんな受け止め方でさほど間違いがないように思うのですが。

 

ところでそろそろ本題に入ります。今朝の毎日記事<若者フリーゾーン子育て知る機会を提供 慶応大大学院生で株式会社manma社長・新居日南恵さん(23)>は若者らしい、興味深い取り組みです。

 

<女性が就職し、働きながら子どもを育てる。学生のうちはなかなかイメージがわきません。>それが当たり前でしょうね。学生結婚は昔からありますが、ごく少数で、たいてい女性は大学を退学して子育てに励むでしょうから、そういった子育てを若者が知る機会が遠のく環境にあることは確かでしょう。高校生やその年代の若者の結婚もある程度ありますが、そういった若者と、大学に進学する男女との接点は多くないでしょう。

 

そういう接点の少なさと、社会の受け止め方の問題で、とりわけ女性が子育てを知らないまま就職すると、知らないことによる驚異というか、恐れ・不安も感じるかもしれません。それが結婚を躊躇する理由の一つになるかもしれません。

 

ここで登場する大学院生・新居さんはひと味違います。<子育て中の共働き家庭の日常に接し、女子大生が人生のモデルと出合うチャンスを作ることを思いつきました。子育ての実情を知るその機会を「家族留学」と名付け、知人に紹(しょう)(かい)された女子大生と結成した学生団体「manma」の活動として、首(しゅ)()(けん)で2015年に始めました。>

 

それは「家族留学」という制度を生み出したのです。

<受け入れ家庭の皆(みな)さんは、学生たちを次の世代と考え、経験を伝えたいと思ってくださっています。結(けっ)(こん)や出産を先送りし、燃()え尽()きた経験や、不()(にん)()(りょう)のつらさを話してくれて、子どもがほしいなら早くから考えておいた方がいいんだよ、と教えてくれました。キャリア志向だったが、産んでみたら子どもがかわいいという人もいて、現実の多様さを知ることが大事だと思います。>

 

そうか自分が育っていく中で本来は、家庭の中で自然に身につける子育てを知る機会がどんどん乏しくなっている実態が背景にあるのでしょうね。戦後初期までは村社会ですし、子どもも多く、両親も兄弟が多いわけですから、私の場合でもいとこはめちゃ多かったですね。

 

それは年齢差もあり、それぞれのいとこの生まれる時期も場合によって10年も20年も離れることがあったでしょう。その中で、自然に子どもの育て方を身近に知る機会が多かったように思います。ある意味の大家族構造でしょうか。いい悪いは別にして、子育ては自然に身についていたのかもしれません。

 

でもこの新居さんのご両親の時代くらいになると、ご両親自体も経験していないかもしれませんし、子どもも少ないので、ますます子育てを知る機会が遠のくのでしょう。

 

そういう意味では社会的な仕組みとして、容易に子育てを知る機会を提供することは有意義ではないかと思います。それによって子育ての楽しみを感じる人もいれば、大変さでますます結婚から遠ざかる人もいるかもしれません。でも大変さはどう社会が取り組めばその大変さを和らげることができるかの気づきにつながるわけですから、大事なことでしょう。

 

新居さんの取り組みは本格化しています。ニーズも相当あるのでしょう。期待したいですね。

<昨年、団体を株式会社にしました。収益を上げないと事業を続けていけないことが分かってきて、利益を出して継(けい)(ぞく)しようと考えました。「家族をひろげ、一人(ひとり)一人(ひとり)を幸せに」がコンセプト。大手企業と連(れん)(けい)し調査に力を入れ、大学院での研究にも生かしていく予定です。>

 

さらに彼女は政府委員にも抜擢されています。

<内閣府に続いて文部科学省への政策提言の委員をしていますが、どちらも20代の委員は私だけ。若者政策の意思決定の場にもっと若者を増やすべきではないでしょうか。若者の未熟さや違()()(かん)に目をつぶって、耳を傾(かたむ)けてくれる寛(かん)(よう)な大人(おとな)が増えないと、環(かん)(きょう)は変わっていかないと思います。>

 

いま求められているのは新たな社会意識改革ではないかと思うのです。維新政府や企業は、20代、30代の若者が率先して手綱を握り先駆けとなったのではないかと思います。むろん維新の実態について否定的な見解もあり、それは検討の余地があるものの、あの時代ほど若者が活躍したのは希有ではないでしょうか。

 

その意味では、国の方針を決めるさまざまな分野に20代、30代、場合によって10代の若者を抜擢する環境を整備することも必要ではないかと思うのです。

 

もう一ついえば、女性だけが子育ての中心ではない、あるいは女性にだけ子育てを担わせるのは不公正・不公平であることは、これからの基本方針ではないかと思うのです。そうだとすると、若い男性についても積極的な登用を検討してもらいたいですね。

 

それは子育てに限りませんが、将来の日本や世界のために、まず先ず隗より始めでしょうか。


家族共同体のあり方 <記者の目 育休取得で気付いたこと>などを読みながら

2018-01-12 | 家族・親子

180112 家族共同体のあり方 <記者の目 育休取得で気付いたこと>などを読みながら

 

今朝は布団の中で寒さを感じるほどでした。温度計を見ると零下です。雪は降ってなく、わずかに残っている程度です。ただ青空が広がる様子で、高野の薄く冠雪した景色はなかなかのもの。朝日が照り始めるのを待って寒風のベランダに出てシャッターを切りました。やはり安物のカメラでは鮮明さがでません。西方には紀ノ川に出っ張っている雨引山が南北方向に峰を向けているため、旭日を正面に受けて美しい。でも高野の峰は東西方向に連なっているため、早暁の輝きは峰の出っ張った部分のみ照らされて、肉眼ではきれいなのですが、写真ではなかなか反映しません。カメラの違いか腕の違いか・・・

 

今日はこれから病院に定期診察を受けに行くので、30分で仕上げる予定。すでに15分近く過ぎ、残り15分で書き上げようかと思います。

 

今朝の毎日記事、長岡平助記者夫婦の奮闘が<記者の目育休取得で気付いたこと 負担重い「名もなき家事」>という見出しで掲載されています。

 

男は仕事、女は家事はいつから定着したことわりでしょうか。維新後、つづいて戦後もとみに強調されてきたように思うのです。

 

しかし、イザベラ・バードをはじめ幕末・維新後に来訪した異国の人々は、夫婦が共同して子育てをしている様子を驚きの眼で書き綴っています。武士は別にして、家事も仕事も夫婦がそれぞれの役割を担い、共同作業だったのではないでしょうか。

 

ところが長岡記者が驚くように、家事について男性側がほとんど意識しない、理解できていない状態が長く続いているように思います。これは男性側の問題が大きいかもしれませんが、女性側にも問題があると思います。それぞれの意識改革、それを支える周りの、そして社会の意識改革が必要ではないかと思います。

 

それは長岡記者が「子育ては親育て」と指摘していることは当然として、子どもも家事から遠ざかる状態にあることに気づく必要があるように思います。

 

戦前、戦後もしばらくは普通の家庭ではおそらく子どもも家事の手伝いをすることが普通だったのではないかと思うのです。家族全体で家事を受け持つことが、妻とか母という立場の人に一方的に仕事を押しつけてしまう状態をなくすことにつながるのではと思うのです。

 

長岡記者が指摘する「名もなき家事」は、仕事の中にもそういう作業がありますが、どんどん担当者が決まり、見える化が行われてきたのだと思います。家庭の中でも、見える化をする必要があると思うのです。それぞれの役割分担を話し合いで決めることですね。むろん赤ん坊や幼子は別ですが、一定の年代になれば子どもも参画するのが大事ではないでしょうか。

 

そんなことをいうと、教育を受ける機会が減るとか、野球やサッカーなどなど特別の才能を活かす機会を減らすといった異議がでそうですが、それは家庭の中で決めることでしょう。ただ、どんな有能な選手にも家庭があり、家族があるわけで、自分は仕事、家事は妻といったいいわけは一方的で、家族の中での協議によってのみ成立すると考えるのがこれから必要とされる、家族のあり方、男女共生社会のあり方ではないかと思うのです。

 

早走りに書いてしまったので、なんともお粗末な内容になりましたが、自分がこれだけのことをいう経験を積んだかというと、そんな自信も、体験談もありません。でもそうあって欲しいと思うのです。

 

なお、<イベント目指せ、男の家事力UP 岐阜市が初開催、参加者募集 講師に食育指導士 /岐阜>などもいま少しずつ変わりつつあることを感じさせてくれます。

 


揺れる嫡出推定 <受精卵無断移植 父子関係を認定・・奈良家裁>を読んで

2017-12-16 | 家族・親子

171216 揺れる嫡出推定 <受精卵無断移植 父子関係を認定・・奈良家裁>を読んで

 

今朝の毎日記事では、来年度予算以外では、奈良家裁の判決が大きく取り上げられていました。たしかに最近の受精卵移植数の増加傾向を見ますと、この種の問題も増えてくるでしょうし、法整備が整わない中、家裁としても判断に悩むことかもしれません。

 

さて毎日朝刊は1面に<受精卵無断移植父子関係を認定 「同意必要」も指摘 奈良家裁>と、社会面に<受精卵無断移植訴訟 「父親だと思えない」 子見かけ揺れる男性>とかなり大きく取り上げています。

 

記事を引用しながら考えを会見ようかと思います。

 

<凍結保存していた受精卵を別居中の妻が無断で移植し、出産したとして、奈良県の外国籍の男性(46)が生まれた女児(2)と法律上の父子関係がないことの確認を求めた訴訟の判決で、奈良家裁は15日、訴えを却下したうえで父子関係を認める初判断を示した。>

 

そして<渡辺雅道裁判長は「移植には夫の同意が必要」と指摘する一方、同意がなくても、妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する民法の「嫡出推定」が適用されるとした。>

 

訴訟技術的には、嫡出推定が適用されれば、嫡出否認の訴えを提起すべきです。その推定が適用なければ、こんどは親子関係不存在の確認訴訟を提起できます。

 

ですから争点は、①受精卵移植に夫の同意が必要かどうか、②それを欠いた場合には嫡出推定が適用されないかどうかという点に集約されますね。

 

<男性側は「別居し、移植に同意していないため適用されない」と主張していた。>

 

で、判決は①について、<体外受精などの生殖補助医療で生まれた子と夫の父子関係が認められるには、夫の同意が必要と指摘。凍結受精卵は長期間保存できるため、「作製・保存に同意したとしても、移植に同意しないことがありうる」として、移植時の同意が必要とした。>というのです。

 

もっともかもしれません。受精卵の作製・保存に同意したからといって、具体化する移植の時点との間に時間的なスパンがありうることから、そのような判断は合理的ではないでしょうか。

 

さてもう一つの嫡出推定について、奈良家裁は<「法律上の親子関係を早期に安定させることが必要」として判決は嫡出推定を重視。男性が当時、妻と旅行をするなど交流があったため「夫婦の実態が失われているとはいえない」とした。>ということです。

 

判決の事実認定では<判決によると、男性は2004年に日本人女性(46)と結婚。不妊治療を受けるために奈良市のクリニックに通院した。10年に体外受精で複数の受精卵を凍結保存し、11年に一部の受精卵を使って長男を出産した。しかし、夫婦関係が悪化して13年に別居。女性は14年、男性に無断で残りの受精卵を移植し、15年4月に女児を出産した。男性は昨年10月に女性と離婚した。>と、別居は破綻状態でなかったとして、上記の判断に導いています。

 

さて嫡出推定はこれでよいのかについては、戦前の家制度の残滓といった批判などもあり、さらに最近の医学の発展、離婚の増加に加えて複雑な男女関係から、廃止を含めた改正への動きはなんどか出てきたかと思います。

 

無国籍問題もこの嫡出推定を前提にして生じている現象ともいえます。私自身もそういう相談を受けたことがあります。受精卵移植の相談を受けたことはありませんが、記事によるとすごい数に至っているのですから、今後同種の問題は起こりうることかと思います。

 

< 体外受精は、2005年には約12万5000件実施され、約1万9000人が生まれた。15年には3倍の約42万件で約5万1000人と過去最高を更新した。

 他にも、▽夫以外の精子を妻の子宮に注入する人工授精▽夫の精子や夫婦の受精卵を使い、妻以外の女性が出産する代理出産--など多様化。新たな課題も出ている。>

 

裁判例も出ていますね。

< 第三者の精子で生まれた子について大阪地裁は1998年、夫の同意がなかったとして夫との父子関係を否定、法律上の父がいない事態が生じた。

 夫の死後に夫の凍結精子を使って妻が出産したケースでは、最高裁は2006年、父子関係を認めず「立法で解決すべきだ」と指摘した。>

 

では現場の医療機関はどうなんでしょう。

<父子関係を認定 意思の把握難しい 久慈直昭・東京医科大教授(生殖医療)の話>では

<判決が、受精卵の移植時にも同意が必要と指摘したことは評価できる。一方で、移植のたびの同意は負担で、医療機関にとっても管理が課題になる。保存期間が過ぎても連絡がない場合があり、移植の意思があるか把握するのは難しい。期間を決め、連絡がない場合は廃棄するなどのルール作りが必要だ。>とのこと。

 

当然、受精卵の移植時に夫の同意を確認するでしょうけど、夫が用でこれないと、第三者が代筆して似たような筆跡で書けば、医療機関としても、筆跡の同一性まで求められるのは耐えられないかもしれません。

 

別居中の夫婦の場合に、離婚届を勝手に出されないように、役場に不受理申出をする扱いが一般ですが、それと同じような感じで、受精卵の保管医療機関に移植不同意の申出を受ける処理も必要かもしれませんね。

 

でもこういった小手先の解決でよいのかという問題でもあるでしょう。そもそも嫡出推定制度は、子どものためにあるといえるのでしょうか。嫡出と非嫡出子の相続分の差別的取り扱いを違憲とした最高裁大法廷決定があるものの、いまなお従来型の婚姻制度・嫡出制度は残存しています。

 

しかし同性婚や事実婚が増えて、程度の差はあれ社会的存在が確立しているともいえるかもしれません。他方で、離婚・婚姻・離婚といった身分関係の複雑さも増してきているようにも思えます。それは江戸時代から普通だったのではないかと思ったりしています。

 

嫡出推定により、子どもの身分関係が安定し子どものために有効といったことは一つの見方であっても、それが常に当てはまるとは思えないのです。

 

おそらく嫡出推定があることで、今後も無国籍の子がでてくるでしょう。それは例外的なこととして、子どもの成長に大きな影響がないといえるでしょうか。他方で、受精卵移植の普及から、受精卵の多様な移植形態が想起でき、従来通りの嫡出推定が働いてよいのか、疑念を起こるのではと思うのです。

 

この事件では04年婚姻時に46歳だった女性が15年に別居中、夫の同意を得ず、57歳で二人目の女児を出産していますが、夫としても別居中ということもあるでしょうけど、高齢化の手前でこれから2人の子を育てるというのはなかなか大変です。

 

夫婦の円満な関係が永遠であればいいのですが、無理矢理に嫡出推定という制度では、別離の危機が潜在するこの時代、子の幸せは、婚姻中の夫婦の子と決めつけるのは、そろそろ遣唐使直す時期に来ているかもしれません。

 

今日はあまり乗り気でないこともあり、簡潔に(少々長くなりましたが)終わらせます。また明日。

 


子の監護養育と司法強化 <法制審議会 離婚した夫婦間、子の引き渡し「間接強制」>を読んで

2017-09-09 | 家族・親子

170909 子の監護養育と司法強化 <法制審議会離婚した夫婦間、子の引き渡し「間接強制」>を読んで

 

山の成り立ちを藤岡換太郎著「山はどうしてできるのか」などを読みながら学んでいたら、海溝、海山に少々惹かれることになりました。そしてグーグル・アースを見ていると、最近は解像度がだいぶよくなったので海底も少しずつその形状が見えてきました。地上の山岳風景以上とも思える海底の様子はダイナミズムですね。

 

とくにグーグル・アースで、日本列島に4枚のプレートが衝突し合って、海溝やトラフに沈み込むという理論が、形状として理解できますね。わくわくするような、でもこのさきどうなるのだろうというのは誰もわからない、ま、人間の歴史程度の期間の範疇を超えているのでしょうから、それはそれでよいのでしょうか。

 

興味深いのはハワイから連なっている<天皇海山群>です。だれが命名したのでしょう。選ばれた天皇名も統一性があるとは思えないですね。神武とかないのに、皇后の神功があったり、ほとんど知られていない?孝光天皇があったり、大覚寺なんて(嵯峨天皇をイメージ?)天皇と関係ない名称があったり、また海山成立期の順序と天皇の即位順ともまったく関係ない、不思議な名付けです。ま、これはご愛敬なんでしょうか。

 

それにしても日本列島、離れたり、くっついたり、いろいろあって、ようやく現在の形になったようですが、それもプレートとプルームという地球の持続的な活動で、今後は離れる可能性もあるのでしょうか。

 

私たちがよって立つ、足下ですら、いつかはどうなるかわからないのが地球という自然の力なのでしょうか。人間の世界で、男女が夫婦となったり、別れたり、生まれた子どもをめぐって争うのも、自然が人間に精神という高度な能力を与えてくれたからなのでしょうか。

 

子どもをめぐるこういった紛争も噴火のように爆発的な事態になっても、いずれは沈静化し、安定し、それなりの状態で暮らしていくことが多くの親子ではないかと思うのです。

 

それでも、紛争が激化し、家族だけで解決できないとき、司法が解決策を提供することを求めるのが近代国家の基本ですね。そして戦後日本は西欧化が進み、離婚も、子をめぐる紛争もどんどん増えて、その裁判も増加傾向ではないかと思います。

 

ところがこれまで、司法は裁判で一定の解決策を提示できても、その審判なり、調停結果なりを実効する制度が十分ではなかったため、裁判と現実の乖離が残り、不正義状態が結構指摘されてきました。

 

子と同居している親と異なる親が親権を認められても、その子の引渡を求める執行手続きが適切に整備されていなかったため、同居親が拒んだとき、子の引渡を実現させることは容易でなかったと思います。

 

また、養育費や慰謝料などが審判等で認められても、支払い義務のある親が財産を隠したり、勤務先を変えてわからなくして、結局、審判等が絵に描いた餅になってしまい、泣き寝入りをしている親子もかなりの割合を占めてきたと思います。

 

見出しの毎日朝刊記事は、法制審議会でその解決策を中間試案として発表したというのです。これは民事執行法部会のもので、民事執行法の改正を提案するものです。

 

まず子の引渡については、従前規定がなく、動産の執行規定を類推していたのを、ハーグ条約の規定を受け子の心身への影響を配慮する制度化を提案しています。

 

<親権者に子を引き渡すまで同居の親に毎日一定の制裁金を科す「間接強制」が確定した日から2週間が経過し、原則として同居の親と子が自宅に一緒にいる場合に限って、裁判所の執行官による直接的な強制執行が可能になるとした。>

 

間接強制は引き渡さない場合の制裁金ですからわかりやすいですね。でも実際の引渡となると、私も不動産の引渡の経験はなんどもありますが、お子さんはありません。ではどうするか。法務省の<民事執行法の改正に関する中間試案のたたき台>という発表前のものですが(発表自体まだアップされていないようです)、あまり変わらないと思われますので、これを参考にします。

 

その執行の仕方については次のように規定しています。少し長いですが引用します。

 

1)執行官は,債務者による子の監護を解くために必要な行為として,債務者に対し説得を行うほか,債務者の住居その他債務者の占有する場所において,次に掲げる行為をすることができるものとする。

債務者の住居その他債務者の占有する場所に立ち入り,その場所において子を捜索すること。この場合において,必要があるときは,閉鎖した戸を開くため必要な処分をすること。

(省略)

執行官は,債務者の住居その他債務者の占有する場所以外の場所において,省略)⑴アからウまでに掲げる行為をすることができるものとする。

執行官は,⑴又は⑵の規定による子の監護を解くために必要な行為をするに際し抵抗を受けるときは,その抵抗を排除するために,威力を用い,又は警察上の援助を求めることができるものとする。

執行官は,⑶の規定にかかわらず,子に対して威力を用いることはできないものとする。子以外の者に対して威力を用いることが子の心身に有害な影響を及ぼすおそれがある場合においては,当該子以外の者についても,同様とするものとする。

(省略)

 

結構、執行官には権限が与えられていますが、基本は、不動産や動産執行の場合と同じでしょうか。ただ、子どもの心身への影響に配慮している点が異なるのですが、具体的な方法は今後さらに検討される必要があるでしょう。

 

養育費などの請求権の実効性確保手段が充実しています。これは養育費に限らずすべての債権に適用されますが、とりわけ養育費の支払いを受けられないで困っている、とくに母親には改正されれば大きな前進になり期待できると思います。

 

まず、財産開示制度をより実効性が高まるように、陳述期日の欠席や虚偽陳述などに罰則を強化するものです。

 

次の金融機関や税務署などに対する開示義務は相当効果があると思います。

 

<裁判所が、金融機関には預貯金口座の有無や残高を、税務署や自治体には債務者の勤務先の名前や所在地を照会できるようにする内容だ。>

 

たたき台ではこの点、つぎのように規定しています。

 

金融機関から,債務者の預貯金債権に関する情報を取得する制度を設けるものとする。この場合に取得すべき情報の範囲については,債務者が当該金融機関に対して有する預貯金債権の有無のほか,その預貯金債権に対する差押命令の申立てをするのに必要となる事項(取扱店舗,預貯金債権の種類及び額等)とするものとする。

一定の公的機関から,債務者の給与債権に関する情報(勤務先の名称及び所在地)を取得する制度を設けるものとする。

 

これらはいままでになかった新制度で、裁判を絵に描いた餅ではなく、黄門さんの印籠より?合理的かつ実践的な機能を果たすことになり得ると思います。

 

ただ、こういった第三者情報を取得するための要件が用意されていて、この内容をどう詰めるかによっては使いにくいものになるかもしれません。この部分は引用しませんが、関心のある方は上記の「たたき台」を見てください。

 

一時間が過ぎましたので、今日はこの辺で終わりとします。