180731 共同漁業権の性質とは <諫早湾干拓事業 開門命令「無効」「漁業権は消滅」福岡高裁>などを読みながら
今日は酷暑を感じる一日になりました。久しぶりに和歌山地裁まで行ったのはいいのですが、高速道路(まだ正式ではない)に乗った途端に、交通事故トラブルで渋滞に出くわし、仕方なく地道を走ったのですが、余裕を持っていったのに30分の遅刻となりました。
普段いつも和歌山地裁に行くときは余裕をもっていき、裁判所で一休みするのですが、高速で渋滞に出くわすと、遅れは10分、20分でききませんね。今回の裁判は裁判所に近い事務所の代理人とかでしたので、事前連絡して待機してもらえ、大きな迷惑をかけずに済みました。しかしそうとばかり限りません。遅刻は厳禁ですし、とくに刑事法廷では絶対ですね。今後はさらに余裕を見ておく必要がありそうです。
往復のドライブも熱くて疲れまして、事務所に帰ると着かれてぼっとしていました。すると別の会議を失念していて、連絡が来ました。そしてようやく帰るともう7時です。今日の話題はというと、いろいろありそうですが、やはり諫早干拓事業の裁判でしょうか。一体全体、毎日はいくら紙面を割いていたでしょう。それだけ大きい事件かとふと思いつつ、当事者にとっては当然ですし、漁業者が訴えた裁判とその後に営農者が訴えた裁判ではまったく異なる判断がでていたのですから、司法判断としても異様でした。
私自身、日弁連の調査で諫早には一度行ったことがあり、仲間の堀さんが弁護団で頑張っているので、注目してきました。堀さんは同期で、彼とは日弁連の湿地シンポジウムで一緒に各地の湿地に出かけていき、とりわけ彼の本拠地、和白干潟などを案内してもらったときなど、クロツラヘラサギやさまざまな水鳥の生態を解説するときは、ほんとに惚れているんだなと思うほどでした。
私が湿地問題に関わるようになったのが90年代初頭でしたが、彼はすでに知られた存在だったように思います。この漁業者側の弁護団は優秀な人材を集め、精力的に訴訟を展開し、02年の提訴以来画期的な判決を勝ち取ってきたと思います。他方で、営農者側も負けずに真逆の裁判を勝ち得てきましたね。
ところで、本日の毎日記事の多数をすべて取り上げることができませんが、一面記事<諫早湾干拓事業開門命令「無効」 「漁業権は消滅」 国が逆転勝訴 福岡高裁>では<国営諫早湾干拓事業(長崎県、諫干)を巡り、潮受け堤防排水門の開門を強制しないよう国が漁業者に求めた請求異議訴訟の控訴審で、福岡高裁(西井和徒裁判長)は30日、国の請求を退けた1審・佐賀地裁判決(2014年12月)を取り消し、国に開門を命じた福岡高裁判決(10年確定)を事実上無効化する逆転判決を言い渡した。>というわけですね。
西井裁判長の履歴を見ると、昨年裁判長になったのですが、高裁裁判長としては早い抜擢ではないかと思うのです。優秀なのかもしれませんが、他方で国寄りの判断をする出世街道を進んできた人なのかもしれません。それは偏見といわれるかもしれませんが、おそらく彼の期では早い就任ではないかと思うのです。それは本来、判決の内容と関係ないですけど、どうもこの判決、気になります。
三面にも大きく<クローズアップ2018諫早湾 開門命令無効 国のごね得、司法追認>とあり、<主要争点 判断せず>と指摘しています。それは当然ですね、原告である漁業者の訴えの基礎となる共同漁業権を消滅したと否定したわけですから、これまで長い間大変な主張立証を重ねてきた論点に答えなくていいわけで、簡潔明瞭な判断となりますね。
この点<漁業者側弁護団の堀良一弁護士は「有明海荒廃の原因などの論点を判断せず、これ以上の肩すかし判決はない。裁判所が司法の役割を放棄した」と強く抗議した。>というのは当然でしょう。
ただ、福岡高裁としては、これまで開門しないことを前提に和解を推し進めてきたようですので、この和解の中で、判決の結論は暗黙に示していたのかもしれません。
<「堤防閉め切りから21年の間に開門を前提としない周辺者の生活が営まれ、開門すれば多大な影響を与える」。福岡高裁が3月に示した和解勧告には、国が開門に応じない現状を追認する姿勢が垣間見えていた。
背景には諫干を取り巻く状況変化がある。国は開門の代わりに100億円の漁業振興基金創設を提案したが、運営を担う有明海沿岸4県のうち最後まで開門を求めた佐賀県の漁業団体が今年3月、非開門受け入れに転じた。漁業者側弁護団は「国は100億円をちらつかせて切り崩しを図った」と批判するが、福岡高裁は5月、漁業団体の非開門受け入れを評価し「重い決断に考慮を」と漁業者側に基金案受け入れを迫った。>
西井裁判長は、100億円の基金を前提に和解を迫ったのに、拒否され、安直な?共同漁業権消滅という冷徹な刀でばさっと切り捨てた印象です。見事という評価は国や営農者にはされるかもしれないけれど、これまでなんのために闘ってきたのか、その是非をしっかり判断しないこのような判断は正義なのかと問われそうです。
<漁業者側弁護団の馬奈木昭雄団長は「誰ひとりとして『有明海再生の道が見えた』とは思えない」として、最高裁で争う姿勢を示した。諫干を巡る問題は、解決に向かうどころか、混迷を深めている。>というのが実態ではないでしょうか。
では西井裁判長の判断根拠はなんだったのでしょう。
<開門命令無効 異議訴訟、国が逆転勝訴 控訴審判決 要旨>によれば、<現行法の内容や趣旨を総合考慮すれば、漁業協同組合などに許された共同漁業権は、法定存続期間の経過により消滅すると解すべきだ。>
共同漁業権の存続期間が過ぎれば消滅し、新たに認められたものは別の新しい権利だというのです。その解釈は漁業法を次のように解釈するからです。
<現行漁業法は、共同漁業権について10年を存続期間と定め、延長を認めていない。これは漁業権の主体や内容の固定化を防ぐために、都道府県知事が一定期間ごとに漁業権の内容と主体を再検討する機会を設けたものと解される。これにより水面を総合的に利用し、漁業生産力を発展させることを図ったと解される。>
たしかに免許制で、存続期間を定めつつ、免許の更新規定はありませんので、西井裁判長の漁業法の文理解釈は間違っていません。しかし、それが実態に適合するのでしょうか。共同漁業権が10年の存続期間で、それが過ぎると消滅するといったことが、漁業者、漁業組合の意識とマッチするのでしょうか。
私にはそのような理解は実態を反映しているとは思えない、机上の議論に思えるのです。ただ、そのような漁業法の運用が行われ、それも民主的公開性をもって免許がされるならばという立場です。それは漁業組合といくつかの事件で争った立場としては、既得権を必要以上に主張する場合が少なくないと思うからです。
それは本件に当てはまるとは思えません。漁業法の勉強は久しくしていないので、知り合いの熊本一規さんに教えを請うた方がいいかもしれません。彼から著作の『海は誰のものか』などを頂いているのですが、なかなか読めないままでいるので、こういう機会にしっかり読んでおくことを考えたいです・・・
そろそろ1時間となりました。また明日。