170430 登山の魅力とリスク <NHK 親子でHAPPY!百名山・・・>を見て
今朝も暗いうちから目覚めてしまいました。少しうつらうつらしている日の出の気配がししたので、耳を澄ますと、野鳥の朗らかな声が聞こえてきます。時折、鶏かな、甲高い声も混じって聞こえてきます。当地は地鶏がおいしいと銘打っていますし、実際、看板を上げている店で食べるとやすくて美味なのです。
高野の山々も濃い緑と淡い黄緑が混じって谷筋に走る稜線もくっきり見えてきます。鎌倉仏教の立役者、栄西、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍は比叡山で修行し、いずれも変革を訴え、新しい宗祖となっています。そのいずれもが高野山にも訪れていると記憶しています。高野山には空海が残した深いものがあるのではと思ったりしながら、眺めています。
比叡山といい、高野山といい、僧侶にとっては修行の場となる何かがあるのでしょうか。人里離れた山には、何か人が悩んだとき、苦しくなったとき、そこを歩くだけでも、あるいは一夜を過ごすだけでも、救いが得られるという気持ちになるのかもしれません。
いやいや、そこに山があるから登るのだというのが、多くの登山家の心境でしょうか。それに加えて花々、荘厳な滝、急峻な崖、頭上高くそびえ立つ針葉樹に木々、そういった山地景観や風景が人の心を誘うのかもしれません。
さて、本日のお題は、昨夜見たNHK番組<親子でHAPPY!百名山 ~高尾山・屋久島・大菩薩~ BY 水野・浅井・荒井>を楽しみながら、いろいろな思い出に浸りました。
高尾山は何度登ったでしょうか。数え切れないほどということはありませんが、それでも40年近く前から結構登りました。当初はバードウォッチング目的であったり、初日の出をみるためであったりでしたが、四半世紀前に一度東京都の環境アセスメントを調査する中で、高尾山にトンネルと通すという圏央道高尾山ルーツの問題に関わるようになり、ついには「天狗裁判」という名称で長い裁判闘争をしていく中で、高尾山を愛する大勢の人たちと知り合うようになり、その魅力にずいぶん魅了されました。
番組でもガイドの女性が裏高尾ルートから入り、多くの花を次々と取り上げて、同行した姉妹は最初きょとんとしていましたが、それぞれの花の魅力、多様性に魅了されて、どんどんはまっていったように思います。
番組では高尾山だけで植物種が1600種でしたか、とても多いことを指摘していましたが、標高600mしかない山なのに、イギリス全体よりも多いという記憶です(裁判で取り上げましたがいつの間にか記憶がおぼろげになっています)。種類が多いということだけでなく、固有種が多いのです。そしてブナ種としては南限に近いところに巨木のブナが風雪に耐えた姿を見せています。
その表面的な植生の多様性は、まさに日本列島の成り立ちとも関係するとうかがった記憶です。たしか小泉武栄東京学芸大学名誉教授に当時、いろいろお伺いし、証人として証言していただいたのですが、いつの間にかおぼろげな記憶しか残っていません。小泉氏はわが国の地形・地質のレッドデータを収集出版したりされていて、各地の特徴的な地形をも研究されていました。
で、高尾山や近くの八王子城跡のある山などは、造山運動で隆起し、地層が縦になっていて、脆い状態になっているそうです。その脆い地層・地形が植物の多様性を育み、昆虫や動物も極めて多く棲息しているといった話しだったように記憶しています。15年以上前にうかがった話しのため、どうもいけません。
いずれにしてもこの植生を中心とする生物多様性の豊かさは、現代の首都圏で生活し働く人にとっては、心の救いの場所になっているといってもいいほどです。職場や学校での精神的に追い込まれた日々の中で、高尾山を散策することで癒やされるという人がとても多いのです。都市圏で年間300万人が訪れる山は世界中探してもないと思います。ミシェランの3つ星でしたかランクインしていますね。
親子で登るのにも、たくさんの散策ルートを用意していますので、それぞれの運動能力や体調に合わして登ることができます。疲れればケーブルカーやリフトがあるので、これを利用すれば楽ちんです。
ただ、私自身は親子登山と言うことでは、この番組で親子登山をガイドされている登山家のアドバイスと真逆のことをしてしまいました。たしかまだ2,3歳くらいのとき上の子を連れて高野山を登り降りしました。さすがに疲れ果て途中からは私が負ぶって下りました。それ以降、私と一緒に登山をしようとは言いません。その前には、1歳未満くらいで沖縄に連れて行ったときプールで一人泳がせようとしたら、溺れそうになり、それ以降しばらくプールを嫌がっていました。親としては失敗の連続です。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」とか、アメリカのレポートで赤ん坊は胎内から泳げる能力を持つなんてのを、実際やる親はいませんね。
次の屋久島はなかなか行くことが出来ない場所ですが、四半世紀前に一度、日弁連調査で訪問しました。縄文杉は林野庁の所長の案内で訪れ、まだ世界遺産登録もしていないときでしたので、ウッドデッキもなく、まさに直接触れてその鼓動を感じ、大きさを体感しました。ずっと所長の話を伺いながら歩いたので、ウィルソン株とか夫婦スギとかは別にして、あまり風景を楽しまなかったのは残念でした。当時、訪問者が多くなり、登山道の土が削れてなくなっていくというので、地元の小学生とかが土を担いで持ち上げていたという話しを伺った記憶です。その点、番組では小学1年生の子が登っていましたが、ただ登るだけなら、縄文杉まではさほどきつくないですし、とくに保護のために木の根を痛めないように、登山道が木道になっているようですので、安全な登山ができるでしょう。
しかし、ウィルソン株の頭上を見上げると、ハート型に開いているというのは、驚きです。忘れてしまったのか、当時気づかなかったのかは覚えていませんが、それよりも株自体に荘厳さを感じて、おそらくそのような形状にあまり関心がなかったかもしれません。
屋久杉もたくさん切られてしまっています。固有の価値を的確に評価していなければ、その後も切られ続けたのでしょう。さまざまな保護政策、林野庁は保護林制度を発展させ、森林生態系保護地域に、環境省(当時の環境庁)は原生自然環境保全地域などに指定して、制度的には一定の保護が確立してきたと思います。入山制限や保護施策、ガイドツアーなどを徹底しつつあるかと思います。
とはいえ、カナダの国立公園や州立公園などで、屋久島同様の、原生自然のごとき苔むした針葉樹林帯を歩くとき、必ずレインジャーの案内で、一定のルートしか進めない制度と比べると、まだまだの感はあります。
とはいえ、目標地点だった、宮之浦岳への登頂は、季節外れの積雪を受け、中止した判断は適切でした。幼い子を連れて、さほどではないとしても積雪の宮之浦岳を登ることはリスクが大きすぎます。まして雪上登山の経験もないでしょうから、適切な判断でした。
最後の大菩薩嶺は登山口から深い積雪でしたが、小学1年生でしたか、都会の子どもは雪を見る経験があまりないので、はしゃいでいました。わが子も北海道に連れて行ったとき、初めて1m近くの積雪を見たとき、兄弟が雪の中で我を忘れたように遊んでいました。子どもは、良寛さんの前でも無邪気に遊ぶように、雪は楽しいものなんでしょう。
このときも、天候が悪く、登頂を断念していますが、登山は頂に立つことだけが目的ではないですし、リスクを少しでも感じたら、回避するのが適切な判断でしょう。それは一番弱い人の体力・体調を見て、判断することでしょう。
その代わり、父親の薪割りを見る機会を得たのは子にとって特上の経験ではなかったでしょうか。元世界チャンピオンボクサー、内藤大助氏が斧を振り上げたときは驚きました。すぱっと丸太を割る姿、腰の据わり方、それはTVの時代劇や映画などで薪割りを見ていて、演出家の不徹底を感じてしまう私にとっては、美しさを感じた瞬間です。
私も、昔、薪割りをして風呂を沸かしていたことがあります。だから、斧で薪を割ることは緊張しつつ、すぱっと割れた瞬間は気持ちのよいものだということを体が覚えています。そして日本人は、維新時に異邦人によって撮影されたその体躯は見事に腰の据わった姿であり、体全体を使って働き生活してきた民族であることを示していました。
いま薪割りをするような機会はあまりないでしょう。いや腰を使って体全体で作業をするということも少なくなったでしょう。私もその一人です。腰痛に悩まされ、歩く姿勢、普段の姿勢もとても魅力的とはいえないと思います。
内藤さんは、がに股ですが、あの薪割りの姿はとても美しく、見事でした。そういう日本人が長い間かけて培ってきた所作の多くは失われつつあるようです。
登山という行為は、登り方、降り方で、腰の使い方、膝の使い方が異なると思います。平坦な道を歩くウォーキングでは得られない、体全体の機能を見直す機会かもしれません。そして自然という多くの危険をはらんだ対象と向かい合い、リスクの評価と回避をしっかり判断する、そういう能力を子どもたちも少しずつ身につけていけるのではないかと期待したいです。
今日はこの辺で終わりとします。