180406 日報と外付けHD <陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制>などを読みながら
今朝も田中陽希さんのグレートラバース、大台ヶ原、伊吹山、荒島岳を見ました。彼は行動計画をしっかりと立てながらも、好奇心旺盛な若者らしく彦根城を訪ねたり、小谷城跡に立ち寄ったりと見ているフォロアーを楽しませてくれます。アクシデントもリアルです。舗装道路を長距離で走り歩いて、ついに足に痛みが走り動けなくなったときも、道路脇に座り込みマッサージしたりして、痛みの緩和をはかります。彼一人ではありません。助け人が現れます。彼の計画を知った地元の人がフルーツを持ってきて、苦しんでいる彼に話しかけフルーツを食べさせます。そういったことの一端もまた、彼は日誌に書き込むのでしょう。
世界で最も熾烈で厳しいレースといってもよい、アドベンチャーレースに参加する田中さんは、そういった経験を日誌に残すことにより、自然の変化、自分の能力や事故対応などを書いて、今後の参考にしているのではないでしょうか。
日誌なり、日報は、危険に対峙するとききわめて大切です。いや、日常業務においても必須でしょう。少し飛びますが、維新後日本で生まれたさまざまな企業があっという間に世界水準に到達できたのは、その要因の一つとして、江戸時代に活躍した商人の商業帳簿ではなかったかと思うのです。これはむろん手書きですが、克明に日々の業務内容、仕入れ、販売、保管などを記載してきたのだと思います。訂正するときもその訂正後が残るようにしてきたのだと思います。
この商業帳簿の証明力は、現在の裁判においても高い信憑性を持っています。それが渋沢栄一が常に大事にした、商いは信用を基本にするという、基盤になるものでしょう。それがなければ言葉だけです。日々の行いを克明に記録に残す、後から振り返って、その良し悪しを検討できますし、判断した責任の所在も明確になるでしょう。近代合理主義は、江戸時代にすでに芽生えていたか、ほぼ確立していたかもしれません。
武士社会においても、現在も残る日誌は、それに匹敵するものといえるでしょうし、農業社会における多くの農書に書かれた内容もまた、記録を残して、未来の世代の参考に供することを大事にしていました。
さて翻って、戦前の軍部が統帥権を標榜して、上層部の机上の空論にたって、それに反するような真正な日報を兵隊に書かさず、虚構の事実を報道させてきた事実は、文民統制の徹底をはかった日本国憲法下で、どの程度実現しているのか、最近の状況は懸念することばかりです。
事実の詳細は、新聞やTV放送、あるいはネット情報で、フォローすれば、私が適当なニュースのピックアップをするより、有効でしょう。
ただ、私がそういったニュースを見ていて気になったのは、指示系統の曖昧さと外付けハードディスクのことです。
<クローズアップ2018陸自イラク日報隠蔽 危うい文民統制 緩い指示、緩い調査>では、前者については指摘されているかと思います。
<陸上自衛隊のイラク派遣時の日報が、防衛相が捜すよう指示したにもかかわらず、発見から1年以上も報告されていなかった問題で、防衛省・自衛隊は5日も厳しい批判にさらされた。陸上自衛隊研究本部(現在の教育訓練研究本部)で見つかった日報の存在が、なぜ報告されなかったのか疑惑は深まるばかり。>
国会答弁とその後の指示について、防衛省・陸自内の受け止め方に大きな齟齬が感じられます。
<防衛省にイラクの日報について最初の問い合わせがあったのは昨年2月16日。「廃棄した」はずの南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報が統合幕僚監部で見つかった問題が国会で取り上げられる中、野党議員からイラク派遣時の日報についての資料請求があった。回答期限は「当日中」で、部隊運用に関する国会答弁を担当する背広組の統幕参事官が陸上幕僚監部などの運用担当課に照会した。各課ですぐに見つからず、「不存在」と回答した。稲田氏も同20日の衆院予算委で「残っていないことを確認した」と答弁した。>
回答期限を当日中に求めたこと自体、どのような意図だったか疑問を感じます。むろん答弁側も、当日中の調査でわかるものが限られていることは明瞭であり、それに応じた回答をすべきなのに、断言したのはきわめて疑問です。
その後に再び稲田大臣の指示がありますが、不明確な内容であり、これでは全体を統率する内容になっていません。
で。こういった大臣指示の内容、背広組と制服組の意識の齟齬、さらには末端までの指揮系統がおざなりになっている点は、大いに検証して、再発防止を図ってもらいたいと思うのです。
で、長々と前置きを書きましたが、私が取り上げたいのは日報そのもののあり方と外付けハードディスクの問題です。
わたしが外付けHDを使うようになったのは20年以上前で、たしか1ギガバイトくらいしかなかったと思います。それを2個とか3個連結して使っていましたか。それでもせいぜい3ギガバイトですね。当時はそれでも大変な容量と思っていました。
でも現在は外付けHDでも2テラバイトとか3テラバイトで、しかも当時の大きさの3分の1とか、それに重さを感じない軽さですね。とても便利です。でもこれが問題ではにですね。
要は、日報をはじめ原票、原資料は大切ですから、万が一に備えて、スキャナーなり、あるいはタイピングないし音声入力で、PCのハードディスクに保存するか、直ちに中央本部にデータ送信されるのではないかと思います。そして同時に、安全のために外付けHDなり、外部にもデータが何重にも保存されているのが本来ではないでしょうか。
他方で、この外付けHDが直ちに明らかにされなかった点に問題があるように思うのです。だれがどのような場合に作成しだれが保管し、それをどのような場合に利用できるかが適切にルール化されていない印象を受けるのです。そんなことでは情報管理がずさんと言われても仕方がないと思うのです。
さて、日報の存在を確認すると言うことは、最低限、そこまで調べることがなされないと意味がないと思うのです。それは大臣たるものそのようなチェックを徹底していたのか気になります。もし日報の存在を明らかにしたくないという潜在的な意識が大臣、内閣の中で、隠れた意図として存在していたとすると、大臣以下の担当者の中にそのような忖度が働いてもおかしくはないように思うのです。限定解釈といったことがまかり通るということです。それは大臣自身がそのような徹底指示をしていなかったことの結果でもあるでしょう。
では日報は、早期に廃棄されないといけないものでしょうか。先に商業帳簿を含め業務日誌は克明に記録して長期にわたって保存すべきと書きましたが、まさに日報もそのような重要な意味をもっていると思うのです。
それは隊員一人一人、あるいはその部隊全員の活動に関係するわけですから、今後の活動にもさまざまな検証対象となるわけで、それを簡単に廃棄するようなことがあっていいはずがないと思います。
また、あまり日報の記載内容について言及したものを見たことがないので、的確なことをいえるわけではありませんが、日報の記載内容もまた、多くの検証にさらされるだけの必要な記載事項とし、またデータ化が容易なように、工夫改善されるべきでしょう。
いま隠蔽云々が問題になっていますが、それは誰から誰への指示、それをどう受け止めたかをきちんと明確にして解明してもらいたいと思います。他方で、今述べた日報のあり方と外付けHDのあり方もこんごの取り扱いとして検討してもらいたいものです。