170331 自分の言葉とは <なかにし礼さんに聞く 自分の言葉、取り戻そう 「二重思考」から抜け出せ・・・>を読んで
今朝は暖かく、気持ちがよく、体調もだいぶよくなりました。ところが仕事がはかどらず、会議も延々と続いたこともあり、いつの間にかもう仕事終了時間に近づいています。首都圏にいるときは夜遅くまで仕事をして、終電とか終電に遅れてタクシー帰宅といった不摂生な生活をしていことを考えると、いまはできるだけはたらくことは、ハタが楽になること、自分も安楽を感じることとなればと思いながら、作業をしています。
さて今日もまだタイピングの指にしびれ感があるため、600字を目標に(といいながらいつも優に超えていますが)書いていこうかと思います。もうすぐ6時で終わりというのにテーマを考えようと、毎日新聞ウェブサイトの記事を見ていたら、見出しの記事が目にとまりました。
私は出来るだけ自分の考えを書くことにより、自我が存在しないことを証明しようと思っているのですが、なかにし礼さんは「自分の言葉を取り戻そう」と深い思いを込めて話されています。聞き手はなかなかのインタビューアーである小国綾子記者。両者のいい感じがでています。
たしかにいま、世論調査とか、アンケートとかで、政権の評価を求めたりしますが、その質問形式に無意識的ないしは意識的に作為が施されていて、その選択肢に当てはまらない人の考えが場合によって「二重思考」という枠組みに入ることも少なくないかもしれません。
私は司法試験の択一試験が苦手で、正解が決まっていて、その中から選ばなければならないということなんですが、どうもいつもその結論でいいのかといった思い、悩むのです。そのため弁護士という職業を選んでも、長い間無理と思いつつ、果敢に従来の裁判例の解釈に挑んで訴訟を提起してきました。ある意味一般的な訴訟は苦手意識というか、避けてきました。
もっと高い意識レベルで、なかにし礼さんは、私も若い頃口すさんだ「恋のハレルヤ」について、その思いを話しています。
<67年に黛(まゆずみ)ジュンさんが歌ってヒットした「恋のハレルヤ」は、中国・葫蘆島(ころとう)の丘から海に浮かぶ引き揚げ船を見下ろし、「あれで日本に帰るんだ!」と歓喜した記憶が下敷きになっている。<愛されたくて 愛したんじゃない>の歌詞の愛の相手は、生まれ故郷満州であり、祖国日本である。政府に棄民にされた少年の故郷を思う恋慕が、恋の歌となったのだ。>
そうだったのかと思うと、言葉の奥に隠れた思いの深さ、体験の重さを感じてしまいます。
そしてなかにし礼さんは、死というものと身近に意識し、覚悟するようになって、戦争のもつ重い意味合いを体験の中で述べるようになったようです。
< なかにしさんらは、軍用列車で満州の牡丹江から脱出する途中、日本刀を振り上げた将校に命じられ、列車にしがみつき「乗せてくれ」と懇願する開拓団員たちの指を一本一本はがしていった。「中国人や韓国人に対する加害者だった、というだけじゃない。僕らは同胞をすら見殺しにしたんです」。小説には、<誰一人、正しさだけでここまで生き抜いた人間などいない>とつづった。>
被害者としての姿は、ある意味で訴えやすい場合が多いかもしれません。むろん被害を受けて傷ついた自分の精神を再び苛むことになり、それも簡単ではないでしょう。他方で、加害者の自分を冷静に語ることは、自分の何かと戦い、それを傷付け、存立するものも脅かすこともあるでしょう。自分を自分自身の言葉で語るとは、それこそ生きるという真の意味かもしれませんし、死と対面する自分を自覚することかもしれません。それができれば死も怖くないように思うのです。
不思議なことですが、私自身、死に直面したことがないためか、死を怖れたこともないように思います。といって、これまで遺言書を何回か書いてきましたので、その都度、そのときは死を覚悟していました。痛烈な痛みの苦しみが続いたとき、ガンを疑い、死をも覚悟しました。でも怖れ自体までには到りませんでした。
ほんとうの死に直面していないからかもしれません。がん患者の遺言書作成に立ち会ったことも2度ありますが、その方たちは死への恐怖を感じているようには思いませんでした。遺言書作成直後に亡くなられましたが、清い死に方であり、生き方であったように思います。
私自身は、空海流の死に方を希望していますが、その意味で、このブログは繰り返し述べているように、私流のエンディングノートです。最近はやりのそれとは違いますが、死はいつやってくるか誰も分かりません。いつ死んでもよい覚悟で、自分の言葉というか、いまの思いを語ることは生きる証でもあり、死に行く旅人の自分へのはなむけでもあると思っています。
なかにし礼さんの貴重な話しとはそぐわない内容になってしまいましたが、それでも私はなかにし礼さんを尊敬していますし、その気持ちを自分なりに表現しています。自分の言葉は、自分へのチャレンジであり、簡単に言葉化出来ないものだと思うのです。自分とは何か、私自身、こう書くことにより、もしかしたらこれが自分かもしれないと思いつつ、言葉を表しています。表すことにより、自分の心の中と異なる意味合いが分かることもあるでしょう。むろん、認識していた事実自体が誤解であることもあったり、評価を誤ったりすることもあり、表現として表すときに間違うこともあるでしょう。
でもなかにし礼さんが指摘する、自分の言葉を取り戻そうということの重さは、これまでも、これからも死の直前までしっかり受け止めて生きたいと思います。そして生き方そのものもその挑戦だと思っています。
今日も中途半端な終わり方になりましたが、そろそろ痺れがでてきて、肩甲骨の方まで響いてきましたので、終わりにします。