たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

年末とインフル <医師も実践、インフル対策>を読みながら

2018-12-28 | 健康に生きるとは

181228 年末とインフル <医師も実践、インフル対策>を読みながら

 

今朝目覚めが早すぎました。最初が3時前、次は4時過ぎ、そして起き上がったのが6時前でした。なんで目覚めが早かったのかと思ったのですが、寒さが影響したのかもしれません。寒いはずです。外気は1度前後でしょう。明るくなって外を見ると、雪がちらほら。おお初雪だと喜んでいたら、もの凄い勢いで降り出しました。降雪も風情があっていいものです。雪国で暮らすとそうはいかないでしょうけど。

 

カルガリーで滞在していたころ、半年近く雪の生活だったように思います。といっても降雪量はさほどでもないので、日本の雪国のように積雪●mといった具合に、雪かきの心配はありません。ただ、マイナス20度、ときに30度になる厳しさは耐えるのは結構きつかったですね。もう一昔以上の前の話です。

 

このすてきな雪景色を見ながら、ふと冬タイヤに替えていなかったことを思いして、しまったと思いました。実はもう少し前に替える予定でしたが、暖かかったのと、仕事が忙しかったのとで、ついついそのままで過ごしたのです。この雪で大勢がタイヤ交換を依頼して、タイヤ屋さんは根絶しているなと不安がよぎりました。私は冬タイヤを預けているので、手元にあればどこか空いているタイヤ屋さんを見つければいいのですが、いつものタイヤ屋さんに連絡したら、案の定混んでいるとのこと、しかも倉庫からもってこないといけないので、明日になり、予約もきかないとのことでした。

 

まあ今日で仕事納めですので、明日のんびり待つかと観念しました。今日も何人か来客と、会議をすまして今事務所に戻ったところです。新聞を広げてもあまり関心を呼ばないニュースばかりでしたので、ふとこの寒さから本日のテーマを選ぶことにしました。

 

だいたい、毎日朝刊記事<くらしナビ・ライフスタイル医師も実践、インフル対策>という見出しで、なんだろうと興味を呼びました。

 

冒頭、<インフルエンザが流行期に入っている。予防に有効なワクチン接種のほかに、どんな対策を取ればいいのか。>とインフルを心配する多くの人にはこの急変した寒さでちょうどよい情報ではないでしょうか。

 

しかも<「池袋大谷クリニック」(東京都豊島区)の院長として1日約70人の患者を診察し、呼吸器内科が専門の大谷義夫医師(55)が勧める実践法とは。>というのですから、プロ中のプロの話ですからね。

 

<最も有効なのが、ワクチンの接種>というのは誰もが知っていることですね。ただ、<65歳以上で34~55%の発病を阻み、82%の死亡を防ぐ効果がある>という研究結果は驚きです。私も対象ですので、対処しないといけないのですが、やっていないので、悪いサンプル結果の一例に挙げられるかもしれません。

 

なぜインフルになるかは感染経路を知る必要があるでしょう。<主な感染経路は、くしゃみやせきを浴びる「飛沫(ひまつ)感染」と、ウイルスが付着したものに触れた手指が口や鼻に運ばれる「接触感染」に大別される。>ということもおおよそ皆さん周知の事実でしょうか。

 

しかも<飛沫感染を防ぐにはマスクが有効だ。>ということも常識でしょうね。しかし、マスクの使い方になると、私たち世代(と一緒くたすると失礼でしょうけど)はまったくお手上げかもしれません。私の子どもはおそらくしっかりこの医師のいうようなことに近いことをやっていたように思いますが、わたしはもったいないという感覚で、悪い誤った使い方の典型例をずっと実践していたようです。

 

エーザイの解説では<▽鼻、口、顎(あご)を覆う▽鼻の部分を押さえてフィットさせ、隙間(すきま)をなくす▽口周りを覆うフィルター部分に触らない▽外す際はフィルター部分の表面に触れないようゴムひもを持つ▽外した後は手を洗う--が正解だ。>ということです。最初の方はおおむね遵守していたかもしれません。しかし、最後の点はやっていなかったですね。ましてや取り換え頻度は最悪レベルですね。大谷医師の場合は職業柄必要性があるのでしょうけど、<クリニックでは1日約20枚を交換し、休日も外出のたびに取り換えている。>というのはちょっと・・・という感じです。それが本当は正しいのかもしれませんが。

 

まだマスクは交換頻度を除き理解できるのですが、接触感染防止策になると、これはあきまへんですね。

 

<接触感染を防ぐには手洗いが基本だ。手のひら、手の甲、指の間から爪の先、手首まで、30秒以上かけてしっかりと。腕時計は外す。>子どもたちはしっかりやっていたと思いますが、私は見事に見本にならない大人でした。

 

ウイルスの持続力を考えることも大事ですね。<衣服や紙、繊維では8時間以内しか生存できないウイルスは、表面が平らな金属やプラスチックでは24~48時間生存する。ウイルス活性は衣服や繊維が15分程度、金属は実に24時間持続する。>しぶとい相手に対処するには、私のようなダメな大人はアウトでしょうね。

 

対策はというと、<大谷さんは、ドアノブや電気のスイッチを可能な限り指で触らず、手首を使うことにしている。スマートフォン、パソコン、電車の手すりやつり革、そして硬貨……。感染ポイントは会社や学校、公共施設をはじめ、どこにでもあふれている。>

 

これはまさに無理難題?!です。ウイルスに強い体力・免疫力を培うことではいけないのですかね(それができているとは思いませんが)。

 

さらに凄いことが求められています。<そして手洗い後に手を拭くのは、できればペーパータオルで。家族間での感染を避けるため、洗面所やトイレのタオルの共有は避けるのが無難だ。>トイレのタオルなんて使えないことになりそうですね。

 

でも次は私でもできますし、やっています(無意識に)。

外出後はうがいが常識でしたが、どうやら変わってきているようです。<インフルエンザ対策について厚生労働省は現在、うがいを推奨していない。>と手洗いはいいけど、うがいは有効ではないようです。他方で、<緑茶を頻繁に飲んでいる。含まれるカテキンに殺菌作用があるからだ。>というのです。大谷医師のように<診察時、7~10分おきに一口飲む。>ほどではないですが、一時間に一杯以上は飲んでいるかもしれません。

 

キノコ類はいいようですが、とりわけマイタケが効果抜群のようです。

 

と書いてきましたが、幸い私は電車に乗る機会も、人混みの中に入ることも最近はほとんどないので、そのこと事態がウイルス感染予防策かなと思っています。そういえば今年は風邪もひかずに過ごすことができました。高齢者となり、それなりに健康維持に気をつけ、加山雄三さんのように80代になっても元気でいられるよう、日々少しの努力くらいはしようかと思っています。

 

まじめなインフル対策実践者ではありませんが、まあほどほどに対応しないと、世の中息苦しくなるかもしれません。

 

さて、今年は仕事納めで、明日から正月休暇ですので、このブログもしばらく休む予定です。もし時間があれば休暇中も書くかもしれませんが、千日ブログを断念しましたので、あえて書き続ける意義もなくなりましたから、いい休暇をとろうかと思っています。

 

ではまた来年まで。


捕鯨を考えてみる <日本、調査捕鯨は中止 IWC脱退表明>などを読んで

2018-12-27 | 海・魚介類・漁業

181227 捕鯨を考えてみる <日本、調査捕鯨は中止 IWC脱退表明>などを読んで

 

株式市況などどう動こうが関係がないのに、トランプ政権やそれを支持する層への疑問もあって、今回の大幅下落について書いたら、予想外の市況の反転があったようです。素人があれこれいうものではないですね。でも今後もわかりません、という程度にしときます。

 

さて年末仕事納めというのに、あれこれと仕事が多く、なかなか時間がとれなくなっています。能率が悪い、かもしれませんね。ただ、12月に入って突然、新件が急増し、珍しく2件も断ったのですから、私としてはのんびり12月中旬以降を過ごす予定が狂ってしまいました。明日も安請け合いした説明会での解説があり、その準備もままならない状況です。

 

そんな愚痴をいつまでも言っていては始まりません。夕方から会議があるので、早めにブログを書き上げて、事務所をでないといけません。

 

とくに話題はないのですが、今朝の毎日記事<日本、調査捕鯨は中止 IWC脱退表明 商業捕鯨再開へ>などを見て、IWC脱退、ついにやったかという感じで、特別の感想はないのですが、書きながら考えてみようかと思います。

 

日本の捕鯨問題は80年代後半ころから国際的に問題になったように思います。私自身、90年代初頭、専門家の一人から当時の調査捕鯨の状況や鯨の種類とその生息数のグラフを示されて解説を受けたことがあります。そのときどんな議論したかは、もう記憶の彼方ですので、当時と今でどう違うか、私自身も国際環境や日本の置かれた位置も、よく分かりません。

 

それだけ私にとっては捕鯨問題は関心がなかった証左かもしれません。グリーンピースのような考え方と行動には賛同できないとしても、国の内外ではそれを支持する人がこの間相当増えている印象を感じます。

 

科学的調査を踏まえた適切な資源管理が必要と言うことは、漁業の世界ではなかなか有効に働いていない印象を抱いています。そんな中、捕鯨については割合、先進的に行われてきて、その後のマグロやサンマの紛争にも解決の糸口というか、一つの舞台を提供できる先駆けとなったのではと思っています。

 

30年近くIWCでどのような議論をしてきたか、私は知りませんが、結局、わが国の主張は国際社会でも、国内でも、あまり賛同が広がらなかったような印象をもっています。それはなぜか、捕鯨維持を主張する関係団体に問題があったとまでは思いません。

 

捕鯨の伝統的文化自体が、容易に理解されなくなったのでしょうか。いまそういった400年の歴史を訴えてその保存を主張するようですが、実際の捕鯨方法は、400年前はもちろん、昭和初期とも大きく様変わりして、伝統的な漁法とは異質のものではないかと思うのです。

 

食べる文化はどうでしょう。私は小学生時代、肉と言えば、鯨肉が給食に出ていた記憶です。決して美味しいというようなうれしい記憶ではありません。肉が乏しいとき、それに代わるものとして代替品として提供されていた印象でした。

 

最近はほとんど食べる機会がありませんが、いつだったか食べたとき、柔らかくて美味しいなと思いましたが、あえて鯨肉を求める程のグルメ嗜好は私にはないので、そのとき限りでした。

 

私より若い人の中には鯨肉を食べたこともないという人も少なくないのではと思うのです。鯨肉も結構美味しいので、食材として普通に提供されれば食べるでしょうけど、現状では将来的に安価に入手することは期待しずらいとなれば、他の魚肉類の低廉化の傾向から見て、価格競争力で競うことは厳しいと思われます。

 

調査捕鯨に限定されたことから、市場に出回らなくなったことで、鯨肉の市場性が極端に落ちてしまったことは気の毒ですが、それは国民からも必ずしも支持されていないことの反映かもしれません。

 

現在の国際的競争社会で、鯨肉の食文化を維持することは、希少性から支持されるとしても、それは一般的に流通したり、食文化として普及するには厳しい状況にあると思うのです。

 

20代、30代未満の世代は生態系に対する意識が以前以上に高まっていて、鯨の生態系における価値も、尊重されてきているように思えます。

 

IWCを脱退して公海での調査捕鯨を断念し、EEZなど近海での商業捕鯨に転換したわが国の立場は、国際社会で支持されないことは確かでしょう。これによって失う国際的な信用よりも捕鯨文化、社会の維持に軸足を置いたことも現政権ではやむを得ない選択だったのでしょう。

 

だからといって、調査捕鯨で築きあげた科学的調査方法による資源管理システムを、これからもしっかりやっていって欲しいと思うのです。捕鯨の種類、頭数、捕鯨のあり方、その使用方法など、調査捕鯨で問題になったようなお粗末な事態にはならないよう、くれぐれも気をつけてもらいたいものです。

 

参考に、専門家の対立する議論として<ミニ論点IWC日本脱退 東海大海洋学部准教授(海洋政策論)大久保彩子氏/日本小型捕鯨協会会長・貝良文氏>があります。

 

また、<クローズアップ2018IWC脱退表明 捕鯨存続、苦肉の策 空白30年、消費は低迷>も、現状と将来を少し憂う内容でしょうか。

 

30分強で書き上げました。今日はこれにておしまい。また明日。


森林経営管理法(その9) <新制度に対する批判について>

2018-12-26 | 農林業のあり方

181226 森林経営管理法(その9) <新制度に対する批判について>

 

NY株式市場はまた下がりましたね。ところが東京市場は下げ圧力に抗して少し反発したようです。でも昨夜BS日経などではこれまで結構景気のいい話をしていた専門家もいつの間にか2万円台への反転は来春以降になったようです。そんなに簡単に底をつくのかと思うのですが、まあ株式や金融商品の話は話半分に聞いていてよいと私なんぞは思っています。

 

ゴーン氏の特別背任の件も少し具体的な情報が明らかになってきたようです。やはり「付け替え」時点で既遂という判断を特捜はしているようです。だいたい膨大な損失含みの権利なんて、価値があるはずがないでしょう。

 

そういえば何年か前、高野山金剛峯寺は金融商品取引で●億円(額を失念)の損失出したということで、専門家調査とか第三者印快調さと銘打って調査させた結果があいまいだったため、当時に主務総長が退陣しました。

 

それが法人なりの経営管理でしょうから、代表者のそれを引き取るなんてことはありえない話でしょう。取締役会ではゴーン氏は利害相反するので、決議に参加できないはずですが、新聞報道では決議内容をごまかしていたようです。なんともすごい御仁ですね。こういう人が世界に冠たるグループ企業を牛耳っていたのですから、会社制度とか会計制度は資本の論理に勝てない、いや「カリスマ」リーダーに勝てないのでしょう。

 

また余分の話をしてしまいました。今日は森林計管理法を再び取り上げようかと思ったのです。というのはあの連載ブログを終えた後久しぶりに林野庁のホームページを見たら、1221日付けで、最新版に代わっていました。おそらく政省令ができたのでしょうか、それを肉付けした手引きや解説が合計で200頁くらいの分量でアップされています。

 

といいながら、今日はこの内容を読んでいませんので、来年でもこれは取り上げたいと思います。たまたま新制度に反対の立場で書かれた意見を2件発見しましたので、こちらの批判的な視点に立って、新制度を見てみようかと思います。

 

まず基本的な論陣を張る方を取り上げます。農文協論説委員会の<森林経営管理法・森林環境税で日本の森林を破壊するな>というものです。

 

農文協の多数の書籍は素人にはわかりやすく、時折読んできました。さてこの反対論は、いくつかの論点を提供しています。まず、私も取り上げた森林盗伐事件の経緯を引用しながら、現行森林法の届出制の運用に問題があるとするかのようで、乱伐と自然災害もとりあげ、その趣旨があまり判然としません。

 

次には<原木の安価な大量安定供給が目的!?>と新制度を正面から批判しています。基本的には<泉英二・愛媛大学農学部名誉教授(森林学/森林・林業政策)>の見解を引用して、<川下の大型化した木材産業およびバイオマス発電施設への原木の安価な大量安定供給が目的>という見方で疑問を呈しているようです。他方で沖林野庁長官の発言や日刊工業新聞記事を引用して、51年生以上の人工林について小規模所有者に放置されているため、新制度の目的はその主伐であると言うとらえ方をしているように見えます。だからどうなんだということがはっきりしません。

 

さらなる問題点として、これまた泉氏の<「違憲」の疑い>を引用するものです。<制度の形式的な手続を引用しつつ、<非常に強権的な内容で、憲法が保障する財産権を侵害している可能性が高い>と断定していますが、法律論としてはどうかと思います。

 

農文協は自らも、所有者不明森林についての公告による同意制度や、「災害等防止措置命令」の制度を取り上げ、<他の法律には見られない強大な権限を地方自治体に持たせる法案であり、違憲の可能性も高いのだ。>と強調しています。

 

いずれもたしかに形式的な手続を見れば、その所有者の意思や財産権を侵害するおそれを懸念するのはごもっともということができ、制度運用に当たっては慎重にも慎重を期す必要があるという点では私も同感です。しかし、わが国の森林や、所有者意識の実態はどうでしょう、私が身近で体験し、感じるのは、このまま放置してよいかという点です。

 

それは宅地で言えば空き家・空き地問題、農地で言えば耕作放棄地問題、林地でいえば荒廃した森林ではないでしょうか。地先漁場も同じような問題を抱えていると思います。

 

安易に財産権侵害論を強調すると、ますます放置され荒廃する森林が増える一方になり、災害時はもちろん、地球環境問題にも対処できないことを見過ごしてしまうことになりかねません。私はそちらの方が心配です。30年くらい前にそういう意識をもったあと、紆余曲折しながら、少しずつ森林問題に直接取り組む段階になりました。

 

最期の論点は大事です。新制度がもっぱら対象としている、小規模森林所有者のことです。

 

農文協が指摘しているように、<小規模森林所有者は「意欲がない」のか>と新制度が断定しているのであれば、それは明らかに間違いでしょう。引用している<「宮崎県盗伐被害者の会」の人びと>、<NPO法人自伐型林業推進協会(自伐協)>など、各地で自主独立でがんばっている人たちが少なくないことは確かです。

 

実際、私も何年か前(10年前ではないと思います)、自伐協の代表、中嶋健造氏の話を伺い、感銘しました。やればできる、しかし創意工夫がしっかりしているなと思いました。この点、新制度も、そういったやる気のある、森林所有者が経営管理しているのを邪魔しようなんて考えておらず、そういう意思のある方がいない森林を対象としているのですから、批判は的外れになるでしょう。むろん現実の運用がこういった自主的な森林経営管理を行っている森をも対象にするようなことがあってはいけないわけで、そこは制度的には担保されていると考えます。

 

他方で、新制度が担い手としている<「意欲と能力のある林業経営者」>の選定が適切に行われなければ、<盗伐・誤伐の疑いをかけられている二つの経営体が含まれているという>悪貨が良貨を駆逐することを許すことになりかねませんね。それこそ、ここはこれからの制度運用のあり方が問われるものでしょう。

 

また、<「小さい林業」の「意欲と能力」こそ評価せよ>というのはごもっともな意見だと思います。新制度にこういったまっとうな林業を排斥するような要素があればそれこそ、批判されてよいと思います。

 

<昨年末、この「森林経営管理法案」とセットになる「税制改革大綱」が閣議決定された。>ことを踏まえて、後者の場合、すでに各地の自治体で導入されている「森づくり県民税」などにより定着している小さい林業を、主伐と経営規模の拡大により、壊してしまうのではないかといった批判です。

 

このような懸念は、たしかに考慮されるべきと思います。ただ、県単位での税制では限界がありますね。国民の支持が受けられていないともいえます。いま森林の荒廃でその機能が阻害されつつあることを、国民全員で共有する必要があるという新制度の背景は評価されてよいと思います。といっても主伐中心となったり、不相当に皆伐面積が拡大したりしたのでは、それこそ森林破壊となりかねないのですから、計画づくり、実施・監督においてそれこそ市町村の役割が期待されるものと思います。それこそこのような手続のオープン化、透明化をより進めてもらいたいものです。

 

少し冗長に長くなりすぎ、次の中嶋氏の意見にたどり着けませんでした。これは別の機会に。

 

今日はこの程度でおしまい。また明日。


電源をどうする <再生エネ・主力電源への難路 /番外編 二人の専門家の提言>を読みながら

2018-12-25 | 原子力・エネルギー・地球環境

181225 電源をどうする <再生エネ・主力電源への難路 /番外編 二人の専門家の提言>を読みながら

 

昨夜の満月(欠けていましたが)、オレンジ色に大きく輝き、とてもすてきでした。ちょうど地平線の上方10度くらい?の低い位置でしたか、とても大きかったですね。こんなすばらしい月を見て一句ひねろうかと思っても、それは無理でした。

 

すがすがしい夜の闇は朝方とても澄んだ空気をもたらしてくれたように思います。野鳥もいつものように楽しそうに飛び交い声高に鳴いています。でも地面を見ると霜が降り、冷え冷えとしています。凍結した柿畑の枝条や下草も朝日に映えて美しいものです。

 

そんな自然の移ろいとは関係なく、昨日のNY市場が大幅下落した影響をまともに受けた東京市場は1000円安と、一気に2万円の大台を突き抜けました。安倍政権はいつものように日本経済のその指標全般がよろしいとのことで、一喜一憂しない姿勢を示しています。

 

私自身、以前にも書きましたが、この間の株式高騰はアメリカ市況の影響が主流で、経済指標も当てにならないと思っています。そのアメリカ自体怪しい不動産・株式バブルの中にあるとしかいえないように映りますから、こういった状況は当然と思っていました。いや、こんなものではすまないとさえ思っています。私が保有しているわずかな株式も風前の灯火ですが、そんなことは関係なく、適切な経済政策をとらないでいる各国政府の問題かと思っています。

 

さて素人の株式の話はこの程度で十分ですね。今日も話題を見つけがたく、つい毎日朝刊記事<再生エネ・主力電源への難路/番外編 東京大学特任教授・荻本和彦氏、環境エネルギー政策研究所所長・飯田哲也氏に聞く>の紹介で、短時間に終わらせようかと思います。

 

この連載記事<<再生エネ・主力電源への難路>は<今秋の北海道地震時に発生した大規模停電(ブラックアウト)などを機に、日本のエネルギー政策のあり方が問われている。>ことを受けて特集されていました。そして今回はその番外編として、<専門家2人による日本のエネルギー戦略に対する大胆な政策提言を紹介する。【聞き手・袴田貴行】>というものです。

 

荻本和彦氏は消費者の立場に、飯田哲也氏は供給サイドの立場に重点を置き、それぞれ議論しています。むろん、両氏とも総合的な対策を十分検討されているわけですが、紙面の関係でそこに重点を置いた意見を述べたのでしょう。

 

<二酸化炭素(CO2)を排出する化石燃料を使わない「脱炭素化」の世界的な流れが強まっている。>ということは前提にしつつも、何がより効果的な手法かということを荻本氏は、EVを例にとって指摘しています。

 

EVといえば環境にやさしいと一般に思われている節があります。しかし、<電気自動車(EV)も化石燃料で発電した電気で動かせば、結果的にガソリン車とCO2排出量は大きく変わらない。>というのはライフサイクルを考えたとき、現段階では容易に想定できることでしょうね。

 

そして上記の脱炭素化の目標に向かう手法として、供給サイドより、<私はEV普及をはじめ社会全体の電化推進という需要側の取り組みを先行した方がいいと考える。>というのです。

 

そして蓄電技術の革新・普及を狙うのです。<EV普及など社会の電化が進めば、蓄電池の技術革新が進んで、再生エネ活用の余地も広がる。電源構成に占める比率もおのずと上昇し、地球はどんどんクリーンになる。>

 

直ちに石炭火力の発電設備の廃止(新設は?)するのではなく、現実策として、消費サイドでの蓄電活用を勧めるのです。

 

<家庭用蓄電池の代わりになるEVは、災害時には非常用電源として使える。災害でブラックアウトが起きても、家庭は節電しながらEVの電池から電気を引くことで、数日間は生活をしのげる。>

 

そして現在風当たりの強い火力発電擁護論に言及し、<石炭火力発電などの設備は慌てて廃止せず、天然ガス高騰などに備えて、(再生エネが主力電源化される)ぎりぎりまで温存するのが賢明ではないか。>と指摘します。

 

なるほどと思いつつ、投資の優先順位だけでなく、どの程度にするか、廃止は少し遅らすとしても、新設はダメでよいのかは、この論からははっきりしません。それとどの程度消費サイドにこの意見が受け入れられるかも気になるところです。EVの普及はわが国ではまだまだですね。政府の推進策もいまいち効果的とは思えません。このあたり蓄電池開発も含めどの具体策を講じるかそこがポイントのように思うのですが、これはどこかで述べられているのでしょうね。

 

他方で、飯田氏は、<集中型電源の危うさ>を指摘し、<分散型の電源配置をしていれば、どこか1カ所がダメージを受けても全域で電気が使えなくなるような事態は起きない。>と結論し、その手法のありようについて議論を展開しています。

 

それはデンマークが先進例というのです。<地域熱供給システム>です。これは大都市でも<住宅などを含む全ての建物に対するカバー率は約6割に達する。温水が導管を通じて各家庭などに送られ、バルブをひねれば暖房や給湯ができる。建物ごとに灯油やガス、電気など別々の燃料でストーブや給湯器、エアコンなどを使う日本などに比べて、エネルギーの利用効率が高い。>

 

こういった地域熱供給システムは、別にデンマークだけでなく、ヨーロッパでは割合普及していると思いますが、大都市となるとデンマークが先進的でしょうか?カナダでも相当な都市で普及していたように思うのですが、そこはしっかりしたデータが手元にないので、・・です。

 

ともかく飯田氏が指摘するように、<地域熱供給システムを支えるのは、デンマーク全体で約1000カ所に分散されたコージェネレーション(熱電併給)だ。コージェネは、総発電量の約4割を占める風力発電の出力制御にも力を発揮している。政府はコージェネの燃料を天然ガスからバイオマスや太陽熱などの再生エネに移行し、電気、熱利用とも二酸化炭素(CO2)を排出しない環境に変えていく方針だ。>

 

これまでの住宅政策、住宅関連企業、電力・ガス会社などのあり方が一変する内容ですので、考え方に共感できても、いかにその方向に制度のパラダイムシフトをするかの道筋を示さないと、絵に描いた餅になりかねません。おそらく飯田氏は相当具体的な策をすでにお持ちだと思いますが、一度勉強したいものです。

 

<デンマークを参考に北海道で再生エネと分散型電源、地域熱供給を組み合わせた電力と熱のネットワークを構築してみてはどうか。政府が再生エネの主力電源化を本気で目指すなら、それくらいの大胆なトータルデザインが必要だ。>というグランドデザインは期待大ですが、これまた消費者・一人ひとりがついて行けるかも大きな課題でしょう。

 

と簡単に30分で切り上げることにしました。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


辺野古と報道と天皇 <在日米軍再編 辺野古土砂投入の各紙報道>と<社説 平成最後の天皇誕生日>を読みながら

2018-12-24 | 戦争・安全保障・人と国家

181224 辺野古と報道と天皇 <在日米軍再編 辺野古土砂投入の各紙報道>と<社説 平成最後の天皇誕生日>を読みながら

 

今日はブログをパスしようかと一旦思いました。踏ん切りがつかない中、辺野古の記事に触発され、また天皇のお言葉も感慨深いものでしたので、少しだけ書いてみようかと思います。

 

本題に入る前に、ゴーン氏の特別背任容疑での逮捕に関する記事<日産ゴーン容疑者 投資損失、日産に払わす 数千万円>を少し取り上げたいと思います。ここでは、付け替えの期間の損失を一旦日産に払わしたことを取り上げています。そのこと自体より、気になっているのは、「付け替え」という用語です。

 

私などが経験したこのことばは、道路の付け替えといった用法で使われてきた感覚です。つまり、元あった道路が何らかの理由で廃道、不便になったなどから、別の代替用の道路が新設されるという場合に使われていました。むろん金融商品としては別の使われ方もありうると思うのですが、ウェブ検索で少し調べてみても、このゴーン事件以外で見つかりませんでした。むろん金融商品取引法にそのような行為形態を予定した規定はないと思います。

 

金融商品取引では実務上使われる方法のようですが、どこまで概念が明確なのでしょうか。だいたい、ゴーン氏の資産管理会社がスワップという金融派生商品取引で発生した損失を日産に負担させるといった、いわば債務引き受けに類似する行為が当然にできるとは思えません。債権者の金融機関が日産の取締役会決議を求めたとの報道があったと思いますが、それで有効な取引になるのかも判然としません。付け替えという行為がどのような要件があれば成立するのか、その場合その時点で、特別背任が成立するのかも判然としません。

 

その意味で、今回の記事が指摘するようなその後の損失の支払は損失自体が現実化したといえますが、「付け替え」自体の問題がどう評価されるのかがあきらかでないですね。

 

仮に「付け替え」時点で犯罪が成立するのであれば(その可能性が高いと思いますが)、その後に、また元に戻したり、知人に多額の送金を日産にさせたりしても、その犯罪成立には影響しないように思えるのですが、どうも報道では後者を含めてはじめて成立するような取扱にみえます。どうも付け替え行為自体が法的にどう評価されるのか明確な議論を欠いたままであることがこの事件の行方を不透明にしている印象です。とはいえ、ゴーン氏については、犯罪の成否はともかく、この一連の行為は非常なコストカッターとして日産リバイバルを果たしたとしても、その評価は地に落ちたと思います。

 

と関係のない議論を長々としてしまいました。書くつもりがなかったのに、タイピングをしだすと止まらない悪い癖ですね。さて本題に入ります。

 

毎日朝刊記事<在日米軍再編辺野古土砂投入の各紙報道 本土側の無関心、責任問う視点も>は、沖縄と辺野古問題について報道のあり方を整理して、しかもその変化を取り上げていて、なかなか興味深いものでした。

 

沖縄を訪れると地元紙は本土の紙面と大きく違います。

<14日に始まった土砂投入は沖縄の本土復帰後初めての大型米軍基地建設の本格化を意味する。沖縄県の琉球新報と沖縄タイムスは15日朝刊でいずれも1面に大見出しを掲げ、小型無人機で接近した現場を撮影した写真を、赤土が青い海を埋める構図で載せた。>

 

他方で、全国紙も思ったより取り上げていました。しかも朝日・毎日だけでなく、日経も、本土の国民の責任に言及するものでした。

<量的には地元と本土との温度差がはっきりしていたが、本土側から自分たちの責任に言及するところがあった。朝日は1面に那覇支局長の「視点」を置き「想像してほしい。これが自分の街なら」と書いた。毎日の社説は「本土側の無関心も問われなければならない」と指摘。日経の16日社説も「責任は本土の国民にもある」とした上で、「借地料をもらっておいて文句をいうなという人がいる」という現状について「歴史を知れば、そんな悪口は出ないはずだ」と書いた。>

 

埋立の評価をめぐっては、強行と批判的な記事が朝日・毎日の全国紙だけでなく、地方紙も相当数がその立場で政府を批判しています。他方で、普天間飛行場の危険な状況を回避するためにはやむを得ないという、読売・産経の姿勢は政府よりの立場ですから、当然でしょうか。

 

ところで、報道がどれだけ紙面を賑わしても、やはり本土の国民の意識は高まっていない印象です。それを憂うのは誰でしょう。国民の「象徴としての立場を受け入れ」てその「旅を続けてきた今上天皇でしょうか。

 

天皇陛下おことば全文>は全文どころか、わずかな一部のみ引用しているだけですので、参考になりません。<社説平成最後の天皇誕生日 平和な時代への深い思い>で、私が少なからずやはりと思い心振るわせる気持ちになった感情を、適切に表現しているように思えました。

 

<日本で唯一の地上戦を経験した沖縄に寄せる思いは深い。皇太子時代を含め、訪問は11回に及ぶ。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べ、退位後も沖縄に寄り添うお気持ちを示した。>沖縄に初めて来島したとき、火炎瓶を投げつけられたほど、沖縄島民の気持ちは複雑なものだったと思います。その中で今上天皇はひたすら沖縄を訪れ、祈りを捧げていました。

 

むろん沖縄に対してだけその祈りを続けてきたわけではありません。しかし沖縄が受けた長い長い苦難と悲惨な状態、それに耐え続けてきた人たちへの思いは、国民の象徴としての立場を受け入れたとき、覚悟していたのではないかと思うのです。私は人として尊敬したいと思うのです。

 

もし天皇を象徴として尊崇するのであれば、沖縄の現状を無視できないと思うのです。辺野古基地新設は許してはいけないと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。