170105 日本人の心と拠り所 ある政教分離原則違反訴訟を顧みて
結局、年末年始は予定通り12月30日から1月4日までとなり、このブログも更新しないまま過ごしました。
なぜこのブログを毎日書き続けるか、これはいまなお分かりません。とりあえずリハビリ目的であることは確かです。ただ人の言動は当てにならないですね。多様な意図・意識の中で行われるのが自然で、無理矢理こうだと決めつけるとその正体が逃げていくかもしれません。ただ、この休み中、また再開するかを少し考えているとき、なぜ書くのか、なにを書くのか、など少々頭の中をいろんな考えが徘徊していました。その中で、一つ、二つ、これもあるのかななどと取って付けた感覚でふわりと浮かびました。
一つは、千日回峰行です。以前、このブログでも取り上げた酒井大阿闍梨や塩沼大阿闍梨などが成し遂げた難行です。私自身、道なき道を歩いたり登ったり降りたりは好きですが、これはまったく異次元の世界ですね。比較するのも失礼な話です。ただ、毎日書くと言うことも少々苦行です。その日の情報に特に興味をそそられるものがない場合もあります。それでもなんとか理屈を付け?三段論法どころか、超飛躍論法で、適当に書きつなぐのも、知恵の回らない愚人には難行と言えば難行です。そんなとき千日回峰行を続けているときの大阿闍梨の心持ちを考えれば、私の場合楽な話かなと勝手に忖度して、朝の一歩のように、キーボードをたたくと、知らぬ間に文字になってしまっていることもあります。大いなる救いかもしれません。
もう一つは、松岡正剛氏の「千夜千冊」です。彼のブログを知ったのはそれを成し遂げたずっと後です。その後も書き続けているので、大変な日々、量になっていますね。これまた比較外ですし、彼のあらゆるジャンルへの深い思索と情熱は到底太刀打ちできるものではありませんし、目標にもなりません。ただ、松岡氏も仏教思想への造詣からこの千夜は千日回峰行のそれと関係するのではと勝手な推測をめぐらし、未熟な人間でも千日何かを続ければ少しはましになるかもと思ったりしています。
ということはこのブログ更新は千回くらいは継続してやってみる必要があるのではとどんどんエスカレートしていき、休みが休みでなくなりそうな気分でした。休みは年末年始といえどもダメかもしれません。が、この休み、実は老老介護の助っ人で、認知症の親の面倒を年に一度はするという、私の身勝手な対応ですから、この程度は最低限続ける必要があるかなと思っています。そういうわけで、やはり連続千回は断念して、それ以外は継続してみようかと思っています。
といつものように前置きが長々と続き、ようやく本論に入ってみようかと思います。
見出しは、その松岡正剛氏が訴訟事件を演出したというか、きっかけとなったのです。平成7年3月、彼が愛媛県新宮村(現四国中央市新宮町)から業務委託を受けて、村の活性化第一次基本構想を立案しました。その後「これからの村づくりの一手法 新宮村の新しい物語つくり」と題して講演し、それを基に村が「日本人の心のふるさと新宮村観音郷・・」という冊子を作り、村の観光施設整備として観音郷と銘打ってその第一弾に観音像建立を行い、公金支出したのです。それが憲法の政教分離原則違反として住民(元村長)から住民訴訟を提起され、それが認容された事件です(松山地判平成13年4月27日・判タ1058-290)。
この訴訟の争点は、①村が観音像を設置するために公金を支出したことが政教分離原則を定める憲法20条3項違反か否か、②請負金額が1500万円を超える随意契約につき、工事又は製造の請負額が130万円を超えないものは随意契約によることができるとする財務規則に違反するか否か(禁止された一括下請けやその下請け額が半分以下の680万円だったこと)などでしたが、①を違憲としたので、②については判断していません。
いまでは宗教的活動を国や地方自治体などが行えば、憲法に抵触することはだれでもが当然と考えるのに、なぜこのような事態が生じたか、これが不思議でした。村議会とはいえ、議会でも審議されているのに、なにゆえ誰もが容認したのか、そこに日本人のいわゆる宗教観、心というものが背景にあるように感じるのです。
たしかに最高裁も繰り返し禁止される宗教的活動について、宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すのではない・・・としたうえ、「ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない」(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決ほか)と一定の基準を提示しています。とはいえ、簡潔明瞭といえるかといえば、日本人の心に抱く宗教心というか、思想的な意識に鑑みると、この基準で間違いなく判断できるかは微妙かもしれません。
判決によると、公金支出は、三次にわたって行われ、三次になって違憲問題が議会で指摘され、次の行政解釈を基に、当該観音像はあくまで観光観音であり、違憲ではないとして支出したのです。
「昭和三二年一二月二三日自丁行発第二二五号 長野県総務部長宛 行政課長回答
観音像建立について、これが憲法第二○条三項、第八九条および、旧地方自治法第二三○条の規定に違反するかどうかと言う問い合わせに対し
『回答』観光施設として、観音像を建立し宗教行事が伴わない限り抵触しないものと解すると言う行政解釈がある。」稲荷社の建立に関する行政解釈が同様の趣旨で一件指摘されています。
たしかに観光観音像ともいうべき像は、全国各地にありますね。その観音像に宗教性や信仰性を感じる日本人はあまりいないと思うのです。しかし、そう単純に考えてよいか、松山地裁は、日本人と観音思想の源流、歴史をるる指摘しています。そして観音信仰について、村が松岡氏の講演内容を基礎に作った冊子を引用して次のように述べています。
「 まず「観音」とは、何かというところから説明しますと、普通我々が“観音さま”とか“観音菩薩”と呼んでいる信仰対象の名は“観世音菩薩”が正式名称なのです。「観世音」という漢字を読み下せば「世の音を観る」となります。「音なら聞くのであって観るのはおかしい」と疑問に思うかも知れません。人間は音や声を耳で、ただ聞くことを「聞く」と言うのですが、人間の言葉を耳ではなく、心でじっと観察し、受けとめることを「音を観る」と言う訳です。
正しく、清らかで、おおらかな知恵に満ち、憐れみ深く、美しい目の持ち主が観音さまということで、われわれ人間の理想像をさしているのです。そして天地大宇宙は、はじめなき過去から終わりなき未来へかけ、われわれ人間を含めて運行していますが、その宇宙全体を流れている永遠のいのち、すべてのものの中にある生命を包みこんだ大いなるいのち、それが観音さまなのです。
観音さまは、日本人にたいへん好かれてきました。といいますのも、観音さまは、人々のあらゆる苦しみを取り除き、願いをかなえてくれる強大パワーをもっていることになっているからです。
さらに、観音菩薩は救いを求める世の中の無数の人々の願いに応じて千変万化するといわれています。日本に現存する信仰対象としての仏・菩薩像は、無数といっても過言ではないほど数多くありますが、その中でも古くから日本人の間で、もっとも広く普及していたものは、地蔵菩薩と観音菩薩であります。この両菩薩は、日本全体のどんな辺都な田舎に行っても、必ずといってもよい程、何体もまつられ、一般大衆の間に根強い人気を持っているし、現在でも数多くの新しい像が造られて、幅広い層の信仰対象となっています。
特に、観音信仰は、仏教伝来とともに、長い歴史をもっており、三三ケ所観音霊場めぐりを通じて民衆化されてからでも、五○○年以上にもなっています。そのうち、庶民信仰としての観音信仰が最も盛んであったのは、江戸時代とくに江戸中期でありました。観音霊場についてみても、従来からの西国、坂東・秩父の三三ケ所霊場のほかに各地に三三ケ所札所が形成され、その数は七○ケ所におよんでいます。
さらに、身近なところでは、四国八十八ケ所霊場がありますが、この四国霊場の多くが、その実、観音霊場であることの意味合をもっています。」
さすがは松岡氏、明快なコンセプトの立論です。このような視点で、観音像を中心に観音浄土の世界として新たなコンセプトによる村づくりを行おうとしたのでしょう。それも日本人の心のふるさとという視点でしょうか。
しかし、観音像がほんとうに心のふるさとになり得るのでしょうか。観音像を中心とする施設づくりで、はたして観音浄土の世界を生み出せるのでしょうか。それは心の問題として違う形で実現されてしかるべきではないでしょうか。
その点、松山地裁が指摘するのはある意味法律解釈に過ぎませんが、新宮村にとっては観音信仰は村の歴史故事と関係するわけでなく、取って付けたような観光観音であって、それでも仏像であることに違いがなく、宗教的活動と指摘されてもやむを得ないと思います。判決についての考えはこの程度終わりにします。
私は以前からこの新宮町馬立(うまたて)にある観音像や周辺施設を見たいと思いながら、ようやく年末、母親を連れて行くことができました。施設は「霧の森」園という名称で、馬立川という銅山川(別子銅山を流れ、吉野川に流入する支流)の支流の谷間に位置する馬立という狭隘な斜面地でした。その流れは、エメラルドグリーンのごとく澄み切っていて、川底の砂利や小石がとても美しいのです。「観音橋」という赤塗りの大きな橋は谷間を渡し、眼下に清流を見渡せます。
周囲は木々に囲まれ、ほんのわずかな一画に施設がようやく立地できるほどでした。施設は、断崖のような位置から見下ろせるレストラン、その横に菓子工房と茶店、レストランの前には各種情報を提供する施設、その裏側には野外広場、隣に温泉館、ちょっと離れた位置にコテージも。で、肝心の観音像は、園内のマップには掲載されておらず、野外広場にある階段席の上、少し離れ山裾にひっそりと立地していました。しかも頭上には高速道路の橋桁が大きく被さっていて、日陰者のようなイメージでした。
母親が認知症のため見張り番に子どもを付けて、わずかの間に、周辺を見て回り、この観音像も対面し、そしてその横にしっかりと建てられた顕彰碑も胸に刻んできました。この観音像建立に公益の高い意思を抱いた気持ちが念じられていることが伝わります。
たしかに霧の森園の施設は、美しい清流と奥山に近い木々の佇まいを自然景観としつつ、それぞれきれいにできていました。とはいえ、ある意味、どこにでもある施設といえなくもないと感じるのは私だけではないように思います。それは贅沢かもしれません。しかし、松岡氏がこのような施設が各地で乱立している状況で、なにか足りないものを感じ取ったとしても不思議ではない気がします。この村、町ならではのコンセプトが欠けているのではないかと。そのような発想自体は賛成します。しかし、松岡氏がほんとうに現地で建立し残された観音像やその後に作られるさまざまな施設により観音郷が生まれ、日本人の心のふるさととして、人々から親しまれるところになると考えていたのか、気になりました。
というのは、判決が下された平成13年4月に遡る約1年前、まだ審理が行われていた平成12年2月に「千夜千冊」の執筆を開始しています。その大行事は、まさに心の苦行ともいうべき難行ではなかったかと思うのですが、彼は自分が構想した観音像を中心とする観音郷という人工的な形あるものでは人の共感を呼ぶことができないことを自身としては十分に理解していたか、この事件を通じて痛感したのかもしれないと愚考する次第です。
とはいえ、日本人の心を形作る大きな要因の一つは観音信仰である可能性を見開いてくれたと感じるのは私一人ではないように思うのです。彼の空海論も特筆すべき内容ですが、いつか触れたいと思います。
愛媛県四国中央市にある紙のまち図書館では、地元を大切にする図書館、郷土資料館を目指し、学芸員と司書が協力し合い、創意工夫を凝らし、地域の文化共創の拠点として、新たな魅力を発信しております。 インターネット検索では決して得ることが出来ない、思わぬ書籍や資料との出会いがあります。 あなたの御来館、御利用をお待ちしております。
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