180831 所有権って何? <所有者不明土地の増大とその利用をめぐる動き>を垣間見て
日弁連から毎月、月刊誌「自由と正義」と「日弁連委員会ニュース」が送られてきます。以前はほとんど読まなかったのですが、最近は置いてきぼりにされそうなので、時折ざっとは目を通すように、できるだけつとめています。
情報量が多岐に別れ、専門化してきたので、やはりなかなか読むのが億劫になるというのが本音でしょうか。専門的なのに、誌面の関係であまりに簡潔すぎて中身がよくわからないという感じも拭えません。その点、刑事弁護の分野は長い歴史があり、実践的でたいていの弁護士が関与しているので、やはり取っつきやすいでしょうね。
今回のニュースの中に、所有者不明土地問題等についてB4版2頁にわたって、政府の動きも含めて現状を担当者が解説しているので、ちょっと私も目を通してみました。
3つのテーマに分かれています。一つは、政府・法務省がたちあげた「登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究会」が6月に発表した「中間取りまとめ」の内容と今後です。
次に、6月6日成立の「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の概要説明です。最後に、昨年8月、自治体、事業者、専門家が参加する全国的組織「全国空き家問題対策推進協議会」が設立し、その活動の一部を紹介するものです。
私もこのブログで、なんどか所有者不明土地問題、とくに農地・山林について取り上げてきましたので、法的対応については多少関心を抱く一人です。
ところで、本日のタイトルにある「所有権って何?」はいつも思うのですが、答えはどうもはっきりしないように感じています。よく近代的所有権うんぬんが語られ、まるで確立した概念があるかのようないい方が当たり前のように使われているように感じますが、ほんとでしょうかね。
近代的という言葉があるのですから、中世的、あるいは古代的とか、いやいや本源的とか始原的な所有権があるのでしょうねとふと思ったりしますが、ネットの情報ではなかなかそういうものは得られません。
ちょっと気になったのでえいやっとタイムトラベルして、この方面の専門家とおぼしき木庭顕著『新版 ローマ法案内』(副題が「現代の法律家のために」となんとも魅力的なキャッチフレーズです)を手に取りました。残念ながら、まったく基礎知識のない私には手に負えませんでした。昔、少し学んだような記憶もあったのですが、これは万歳です。
本の目次を見る限り、現代の民法用語がずらりとならんでいて、なんとかなるかなと思ったら、なんともならなかったです。民主主義と法の関係はなにか現代におけるなにかを示唆するようにも思えました。
有名な占有概念と民事訴訟が成立する背景やその結びつきと、まだ所有権概念が必要とされなかったこともなにかを暗示しているようにも思えました。
で、本の中盤以降に位置づけられている、「所有権概念の登場とその帰結」は期待したものの、ざっと目を通した程度ではさっぱり分かりませんというのが本音です。
ただ、最初の段落は興味深い内容なので、そのまま引用します。
「そもそもコモン・ローにおいて、所有権概念は本来存在しない。19世紀以降大陸法の影響下に立つ制定法等によって導入されたとしても、依然基幹にとっては異質なままである。「契約」の概念もまたコモン・ローには存在しないに等しいが、これは要式ないし要物性が維持されているためで、「契約」以外の名においてbonafides(ボナフィーデス)の実質はいたるところに見られる。これに反して、所有権は完全に大陸法独自のものであり、そこでまさに、それはローマ法から来る、と言われる。その延長線上に「近代的所有権」なるものが位置づけられることがあり、何故ローマが近代なのか判然としないが、混然としたまま所有権というモンスターは概念というよりイデオロギー(「絶対的」「観念的」「使用・収益・処分の自由」等々)として19世紀以降荒れ狂った。」
コモンローの英米法では所有権概念が存在しない。ローマ法においてもそうなんでしょうか。大陸法は勝手にローマ法に起源があると権威づけて擬製したのでしょうか。
ともかくこの本を全部通読するほど元気がありませんので、かってな解釈として、所有権概念が近代に、近代国家として作られることにより、ローマ法制で確立していた占有を中心とする、民事訴訟はもちろん、債権法や身分法、さらには刑事訴訟法や信用も大きく変貌したとみているのではと思うのです(まだ読んでいませんが)。
ひるがえって江戸時代の所有概念に相当する、さまざまな所持形態が重層的に成立していたかと思います。それでも占有概念がキーポイントとして権利性をうらづけていたのではないかと私見では感じています。
ときにはそれはムラ社会共同体という大きな枠組みの中で、農地・山林の売買が成立しても、そのとき名主などの立ち会いの下でなければならず、村外の者に売り渡される危険があるときは、ムラの誰かが買い戻す形をとっていたのではないかと思うのです(なお、よく言われる幕府の永代土地売買禁止令なるものは必ずしも諸藩で実効性があったものではないと思います。実際の売買証書をいくつも見ています)。
所有権が民主主義社会の中でどう位置づけられるのか、あまり議論されてこなかったように思うのです。それをここで少し考えてみたかったのですが、どうも曖昧なままになりました。
そのはっきしない所有権概念で問題となる所有者不明土地問題について、日弁連ニュースを参考に、ウェブ情報を引用しながら、勝手な持論を少しだけ述べます。
まず、「登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究会 中間取りまとめ」ですが、第1の登記制度のあり方については、相続登記をやり玉に挙げています。たしかに未登記原因の大きな要因だと思います。しかし、その対応策を単に登記の義務化を図ったり、職権登記で対応するということで、問題の本質的な解決になるのか、少なからず疑問を感じます。
なぜ登記しないのでしょう。民法の遺産分割制度が有効に機能していない分野でこの未登記問題が起こっていないのでしょうか。むろん、登記の義務化ないし職権登記で法定相続の登記は多くは用意でしょう。しかし、それでも高齢化の急速な進展で、配偶者・子のいない人の相続の場合、相続人の発見だけでも大変な作業となります。職権登記ということで簡単にできる話ではないと思います。
第2の土地所有権のあり方については、所有権放棄が検討されていますが、なかなか容易ではないのでしょう。しかし、相続放棄は認められていますし、兄弟や甥姪が相続人になる場合、割合多いかもしれませんね。さらにいえば、農地・山林での利用責務を強化する制度がさらに実効性を持つようになれば、占有という実質的な利用が当然視されることになれば、将来的は放棄構成も工夫の余地があるかと思うのです。土地利用の公共性をどう捉えるかは民主主義がどう実現されているかにもよると思いますが、現時点ではなかなか無理でしょう。
他方で、土地利用の円滑化を図る仕組みとして、相隣関係の規定や、共有地管理のあり方、家裁の財産管理制度の活用など、いくつか検討されています。着実ですが、大きな変革には結びつきにくいところでしょうか。
ちょっと時間がオーバーしてきたようで、後、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」については<概要>で大筋分かりますが、それ自体は一定の円滑化といえますが、あまりに公共事業、ないし的なもので、それでは従来の枠組みを超えるものではなく、また(2)所有者の探索を合理化する仕組みとしてあげられている次の制度も、それほど効果的か疑問があります。
○ 土地の所有者の探索のために必要な公的情報について、行政機関が利用できる制度
○ 長期間、相続登記等がされていない土地について、登記官が、長期相続登記等未了土地である旨等を登記簿に記録すること等ができる制度
(3)所有者不明土地を適切に管理する仕組みも、これによってどの程度自治体が使うのでしょうかね。財産管理人もそれほど有効な策を持ち得ない状況ですからね。
空き家問題はまた別の機会に
今日はこれにておしまい。また明日。