180430 決死の追求と自然の脅威 <逃走容疑で受刑者の男逮捕>を読みながらふと考える
今朝、庭の手入れを久しぶりにやっていると、隣家からその花はなんて言うのですかと、聞かれました。私は新しく植えた珍しいサボテンの花かと思ったら、その周りに咲いている小さな花でした。
去年何種類かの色違いを植えて、長い間咲いていましたが、まさか今年も咲くとは思っていませんでした。今年は土に馴染んだのか、去年より勢いよく咲いています。キンギョソウです。冬の間枯れてしまっていたのですが、3月末頃からどんどん去年植えた一部が今年も花びらを開いてくれるとうれしいものです。
バラも去年はなかなか咲かなかったのですが、いまはつぼみが一杯で、これは楽しみです。今年はバラを少し増やそうかと思っています。野鳥も庭までやってきます。蝶や虫がいるからでしょうか。コンポストの中にはダンゴムシがうじゃうじゃいて活発に活躍してくれています。おかげで生ゴミ出しは2月に一度くらいで済んでいるような気がします。
ところで、共同通信記事<逃走容疑で受刑者の男逮捕広島駅周辺の路上で確保>という結果は、ようやく島の人々に安心と本来の生活に戻ることができる安堵感を与えてくれるでしょうね。
<愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者の平尾龍磨容疑者(27)が脱走した事件で、広島県警は30日、広島市南区にあるJR広島駅周辺の路上で同容疑者の身柄を確保し、逃走の疑いで逮捕した。調べに対し「海を泳いで渡った」と話している。>
結局、海に囲まれた向島の中で逃避行を続けていたと思われた脱走犯は、海を泳いで中国側に渡って、広島市まで足を運んでいたのですね。
この島での逃避行を続けていた脱走犯と警察の大捕物劇をニュースで見ていて、意外と捜査には穴があるものだなと思いつつ、池澤夏樹著『アトミックボックス』を朧気ながら思い出しました。
この脱走犯がなぜ脱走し、警察の厳しい追及を逃れて、広島市(あるいは故郷の福岡方面?)まで逃げ続けたのか、それは今後の捜査で判明するかもしれませんが、映画『逃亡者』のリチャード・キンブルのような正義を求めたわけではないようですね。共同通信記事は<「刑務所での人間関係が嫌になった」と供述>
『アトミックボックス』は、警察庁(公安調査庁も関与していたような記憶?)が全国規模で捜査網を張り巡らし、一人の若い女性を、名目は父の死亡についての自殺幇助(実際は国家秘密の原爆計画を記録したデータを奪うため)を理由に、スリリングな捕物帖を、瀬戸内の小島から島伝い、さらに太平洋、そして東京と、ジェラード警部のような猛烈なつい急激が展開するのです(実は毎日新聞朝刊でだいぶまえに連載された後読んでいませんので、記憶はかなりいい加減です。でもこれほど面白いと思った小説は数少ないと思っています)。
これが田中陽希さんのようなアスリート並というか、プロのアドベンチャーレーサーだったら、従来の小説や映画でもありそうな感じです。しかし、逃走劇の女性主人公は、たしか地方の大学で社会学(民俗学?)の研究員で、これまで研究に没頭していたオタク的存在です。ま直裁に言えば、フィールドワークで野外に出るとしても、自然の脅威にはとても太刀打ちできない外観を醸し出しています。
そういえば、今朝の田中陽希のグレート・トラバースでは、津軽海峡をシーカヤックで渡る場面が登場しました。25kmを4,5時間で渡りきるのですから、なかなかの腕前だと思います。少し海が荒れていましたが、あの程度はたいしたことはないですね。といっても報道カメラマンが乗船している船から一時見えなくなっていたので、そのとき波が強かったかもしれません。放映された画面では、津軽海峡としては波は穏やかに近いのではと思います。少しあれれば、カヤックなんかは波間に沈むほど数m以上の荒波に隠れてしまうでしょうから。
こんな話をしたのは、瀬戸内ではそんな波はない、と思いきや、暴風雨などのときは当然相当な波があるはずです。東京湾でも港の中は割合べたであっても、ちょっと防波堤を抜けて湾の中まで行くと大変な波に襲われることもあるくらいですからね。
で、瀬戸内の名称、瀬戸と灘がありますが、この違いはどんなところなんでしょう。いずれも波が荒い印象ですが、前者は島と島の間で狭まっているため、海流の速度が速くなる場所ですね。灘はというと波が荒いところとされていますが、地形的には島がすくない場所ですね。その波の荒さはどのような要因から来るのでしょう。以前、ジオ・ジャパンの放送を紹介したとき、中央構造線の影響で、九州から愛知まで島や山地が隆起した部分と、沈んだ部分が交互に生まれたといった説明がありました。
で、島が多い場所に生まれる瀬戸はいくつもありその急流が東から、西からと灘でぶつかり合い三角波のようなあれた状態になるのではとちょっと想像してみました。
で、脱走犯が隠れていた向島と中国本土との間は200mの狭い、いわばキャナルのような形状ですから、当然急流となっていますね。でも干満の中休みがあって静止状態にちかくなるときだったら、たった200m、あるいは目立つところを避けても400mとか1000m未満なので、ちょっと泳げる人だったら簡単に渡れますね。
この脱走犯の追撃は、そういった意味ではあまり驚嘆する話と言うより、当然予想の範囲で、その警戒がしっかりできていたかといことが問題になるかもしれません。
それに比べアトミック・ボックスの女性は、警察が予想できない行動をとるのです。その内容を思い出さないのですが、とっても泳いで渡れそうもない島まで泳いでいくのです。その他追求劇は、瀬戸内の島々に住む人々の生活を映し出したり、また島々で開催されているアートイベントまで舞台の小道具として使いながら、彼女の全警察の頭脳の先を行く、AI以上のすばらしい発想を披露し、また行動力を示してくれるのです。
その能力は、頭脳的にも、体力的にも、女性も男性と変わらない、いやそれ以上であることを池澤夏樹氏は丁寧な描写で示してくれています。しかもその目的がとても純粋です。死ぬまで自分の行ってきた秘密を隠し通し一介漁民として生き続けた父への思慕と、父が守り続けた国家的秘密の処理が自分に託されたと自覚した主人公が、その解明のために決死の追求を行う様は、すばらしいですね。
その点、比較してはいけませんが、元財務事務次官のセクハラ発言、そのような人格の持ち主に呼び出されて会食をしなければならない記者の立場、それを容認する報道各社、その構造的問題を、『アトミック・ボックス』で展開されるフィクションは、改めてクローズアップしてくれているように思うのです。いつかもう一度読みたい本です。
今日はこの辺でおしまい。また明日。