170531 子と親と社会 <論点 問われる保育の質>などを読みながら
昨夜はわが家も暑さを感じてしまいました。居間でのんびりするときはいつも涼やかな風でゆったり気分になれます。ところが昨晩は違っていました。むんむんするのです。気温は28度近くあったと思います。ただ、階下にいたとき結構涼しさを感じたので、下の部屋に行くとやはり快適なほど涼しいのです。気温を測りましたがすぐに2度くらい下がったと思います。しばらく読書をして休む頃には22度か23度と冷えるほどでした。
やはり2階は屋根に当たる日差しで、夜になっても気温が下がらなかったんですね。それに比べ階下は日差しが遮断され、快適空間でした。そして数日前に灌漑用水を入れた田んぼでは、カエルの合唱が谷一面にこだまして賑やかです。当分の間カエルくんの合唱を危機ながら読書でしょうか。
早暁には今度は野鳥の鳴き声がけたたましく聞こえてきました。ヒナが親鳥に餌をねだっているのでしょうか、ホオジロもヒヨドリも、ツバメも忙しく飛び回っています。子育ては彼らにとって一番の仕事かもしれません。楽しくもあり厳しくもある、でも最高の喜びの中で懸命に働いているのでしょうか。そこには命の喜びにあふれているのかもしれません。
さて人間社会は豊かになったのか、それとも不幸せになったのか、簡単にはいえないですが、最近の親子をめぐる話題はあまりうれしくなるような内容に乏しく、残念な思いをしますが、それも個々人の豊かさを求め、欲求を追求する裏返しなのでしょうか。世界的に見れば、飢餓・疫病・圧政・略奪・そして戦争といった苦しみから逃れられない多くの人の不幸と比較すれば、贅沢な悩みなんでしょうか。
そんなことを思いながら、今朝の毎日記事<論点問われる保育の質>を読みました。昨年でしたか、「保育所落ちた日本死ね!」のブログ、そして共感する大勢が話題なりました。そこまで追い詰められているんですね。なにが追い詰めていくのでしょうか。女性側が一人悩む状況が取り上げられることが多いように思います。男性側が朝早くから夜遅くまで仕事で子供の世話まで手が回らないとかの都合のよい弁解も記事になっていたりします。
少なくとも子育ての負担が女性側に傾きすぎるという社会意識・制度に問題の一因があるように思います。
いろいろ考えてみたいこともありますが、とりあえず記事の論点での指摘を取り上げます。
<待機児童を減らすため、政府は保育士の配置基準を緩和するなどして受け入れ可能な「量」の拡大を目指している>ことに対して、ここでは保育の質の問題を3人の論者が異論ないし別の問題を唱えています。
まず、秋田喜代美・東京大発達保育実践政策学センター長は、保育の質を強化することの必要性を訴え、<保育者が就職してはすぐに辞める構造ができてしまっており、ベテランの保育者が少ないためだ。保育者が長く勤め続けられるよう、離職防止や負担軽減に向けた取り組みが必要だ。>
たしかにそのとおりと思うのですが、このような事情は、介護士や社会福祉士など福祉の分野や児童・高齢者虐待の分野でも類似の問題を抱えていますね。
また、保育の質を調査したところ<保育者と子どもの関係性では、子どもの悲しみや喜びなどを受け止める「受容・共感・傾聴」や「集団での遊び・活動の支援」でクラス担任の自己評価が高かった。保育者の労働環境では、担任が負担を感じるトップ3は「事務的作業の多さ」「保育者不足」「責任の重さ」。「疲れを感じる」と答えた担任は「やや」「とても」で8割弱だった。>
しっかりしたクラス担任がいれば保育の質を高められるということでしょうか。それは教育システム全体にもいえますね。同様に事務的作業の多さなどは、まさに現在の教員が抱えている過重労働と同じのように見えてきます。
私の依頼者の中にも保育士の方が時折いますが、みなさんまじめで懸命に生きているという印象を受けます。きっと子供たちにも懸命に対応しているのだと思います。ただ、幼い子どもの体調管理や安全性の確保、さまざまな子供たちの間でのトラブルなど気を抜けない毎日でしょうが、その割に給料がきわめて低いですね。首都圏では保育士の絶対的な不足もあり賃金値上げの傾向がみられるようですが、地方にまでは波及していないようです。
本来、高い保育の質を求められ、持続的な研修の必要性が高いわけですが、ここで指摘されている認可外や企業主導型保育だけでなく、認可保育園でも、研修制度が十分とはいえない状況と思います。
首都圏の自治体は各自さまざまな工夫をしているようですが、保坂展人・東京都世田谷区長は、<保育施設を整備する土地を確保するため、賃料の3分の2を区が負担するなどの対策を取り、今年は3歳児以上の待機児童はゼロになった。2016年度中に1976人分の受け皿を拡充し、20年4月の待機児童ゼロを目標にしている。>と積極的な姿勢がうかがえます。
保坂氏は、独自に「世田谷区保育の質ガイドライン」を公表して、保育の質の確保を自治体としてコントロールしている点を自負しています。
たしかにこのようなガイドラインを整備し公表して、それに基づき保育園運営を行うこと自体は客観性・公平性を確保しつつ、本来の保育の質・量を高めることに役立つ第一歩として評価できると思います。
しかし、ガイドラインをざっとスキャンしてみただけですが、具体的な保育の質を高めるにはさらにさまざまなガイドラインの中身が問題で、さらにいえばその内容がじゅうじつしたものであるだけでなく、実際に、実効性あるものでなければ、絵に描いた餅にすぎません。私自身、世田谷区ではいろいろ事件を取り扱い、古くからの地主層もいれば多種多様で、必ずしも高度の教育を受けた、あるいは成功した人ばかりが居住しているわけではありませんね。日本特有の混在した町の一つでしょう。まちづくりにしても先験的な取り組みをしてきた一面、一般的にそういう意識かというと当てはまらないと思います。同様に、保育の質ガイドラインが有効に働くかは、これからの住民活動の頑張り次第ではないかと思います。期待したいです。
寺町東子・弁護士は、保育の質として、基本は安全の確保という視点で、<保育は他人の子どもを預かる仕事であり、専門性は保育の質を確保するために不可欠だ。無資格者のみの施設はなくすべきだ。>と指摘しています。また、量を確保するために、配置基準の緩和をはかる政府に対して、<今必要なのは、保育士の目を確実に子どもに行き届かせるために、配置基準を今より手厚い方向に見直すことだ。>とも主張しています。そして<保育士の待遇改善>や事故が起こった場合の<検証制度を法的に位置付ける必要もある。>も指摘しています。
たしかに寺町氏の基本的スタンスは妥当なものだと思います。ただ、保護者側にも問題はないか、いまこの点を取り上げるのは妥当ではないかもしれませんが、将来的にはより充実した保育のあり方に進んでいくとしたら、保護者と保育者との連携・協力は不可欠ではないでしょうか。事故対応を中心に議論していますが、その場合にでもなぜ保護者が問題を公にするのを避けようとするのか、その背景に迫る必要があるように思うのです。
待機児童の量の問題について、他の記事を見ますと以下の記事が出てきました。
<待機児童2020年度末ゼロ 政府新目標、受け皿22万人増>
すごいですね、数字の帳尻合わせは得意なんでしょうか。それ自体に先に指摘されたような無理があるのではないかと懸念ばかり浮かんできます。と同時に、潜在的な需要が顕在化して、いたちごっこになるおそれもありますね。そこにはよりよい親の生き方、この育ち方、社会のあり方というものが、政府の構想の中には見えてこないのですが、それは私の勉強不足に過ぎないのでしょうか。
ところで、首都圏では、<待機児童豊島区、ゼロ 杉並区は緊急事態宣言解除 /東京>といった、早速大きな成果?をあげたところもあれば、他方で、地方でも共働きが増大しているせいか<待機児童筑後地区115人 依然厳しい現状 4月1日時点 /福岡>ということにもなっているようです。
で、これらの待機児童は大きく話題となり、関係する人も多いため、政府が、自治体が、それなりに相当の力を入れてきていると思うのです。でも一方で蚊帳の外に置かれている児童がいることも忘れてはならないと思うのです。
<輪の中へ医療的ケア児と保育所 第2部/上 自治体の支援進展に差>で取り上げられている医療的ケア児と家族にとってはより厳しい現実にさらされていると思います。
<たん吸引や栄養注入などの医療的ケアを必要とする子どもについて、2016年5月に児童福祉法と障害者総合支援法が改正され、自治体に支援の努力義務が課された。>
毎日新聞が調査した結果、<全国の主要自治体を対象に実施した調査では、政令指定都市、道府県庁所在地、東京23区の計74自治体のうち、34自治体が医療的ケア児の保育所受け入れは「ゼロまたは不明」と回答。そのうち12自治体は入所を受け付けていなかった。>ということです。
支援の努力義務を理解し意識している自治体や首長は一体どのくらいいるのでしょうか。少数だから切り捨ててよいのでしょうか。
例外的に受け入れた品川区の例が紹介されています。
<東京都品川区は今年度から認可保育所で医療的ケアに対応する体制を整備する。「やっと地元で腰を落ち着けて育児ができる」。たん吸引が必要な長女(1)を今秋から預ける予定の父親(42)が胸をなで下ろす。
長女は15年10月、未熟児で誕生。生後2カ月で気管切開してたん吸引が必要になり、入院生活が始まった。16年11月には闘病中だった妻が死去。当時、区内の保育所や児童発達支援施設で医療的ケアは提供されていなかった。一人親となった父親は民間の受け入れ先を探し、区外で看護師がケアに対応する託児所を確保。朝夕、娘を抱いて通勤電車に揺られた。
品川区は法改正を踏まえ、対応を協議。託児所や病院とも連携して安全を確保した上で受け入れ可能と判断した。区は保育所に看護師1人を追加配置する方針で、保育士も医療的ケアができるよう研修を進めている。
父親は「前例がない取り組みに、区は迅速に対応してくれた。たくさんの人が協力してくれた」と感謝する。区は当面、たん吸引と経管栄養注入に限って受け入れる方針。「看護師不在の場合、保育士でもケア可能な体制を整えるため」という。>
いかに大変か、自分がかかわった経験がないですが、父親の言葉の重みを感じます。自宅で終末を迎える運動に関わっていたことがありますが、医師・看護師・家族などの連携と努力は並大抵ではありません。皆さん心優しいひとばかりです。こういう人たちと仲間を組めることに幸せを感じるのかもしれません。
まして幼い子どもの場合、適切な体制が整備されていないと、制度の狭間の中で対応することができず、家族だけで世話することではやっていけないでしょう。数少ないけれど自らの力で生きていくことが困難な人たちにしっかり支援のテが届くように、社会が対応するのでなければ、心豊かな人たちの生きる社会にはなれないように思うのです。
1時間半以上になってきました。そろそろ終わりにします。まとまりがないのと、よりもっとなにかをいいたかったように思うのですが、疲れで頭も回らなくなってきていますので、この辺で今日は終わります。