たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人の死について 死の処し方を考える

2016-10-31 | 人の生と死、生き方

人の死について 死の処し方を考える

 

人の死ということではないですが、いま天皇の生前退位が話題になっていますね。天皇も人である以上、その生死について考えるとき、とりわけ崩御するまで天皇という役割を担う責務を負うことが名誉であるとともに、大きな負担にもなりうることは容易に理解できます。

 

「天皇制」をめぐっては記紀の時代から長く議論が絶えず、またその地位をめぐって骨肉の争いもよく知られたところですね。生前退位をめぐる議論は日本(国の呼称として国際的に公式に唱えたのは記紀の時代よりかなり後との説も説得的です)のあり方ともかかわり、ここで取り上げるのは現時点では控えておきます。

 

で、普通の人の死というものについて、少し考えてみたいと思います。今日も終日、あちらこちらと動き回り、頭の中を整理できないまま、思いつくまま(いつも同じですが)、書き綴ってみようかと思います。

 

人の命はかけがいのないものであることは、その人にとっても、関係する人にとっても、社会にとっても、異論を挟む事ではないことかと思います。

 

そのため、人の命が守られるように、法令も時代に要請に応じて多様になっているように思います。殺人は刑法法典で、その禁止を法的に担保するために極刑も含め厳しい罰則を定めています。最近の社会問題に応じたものとしては、

平成12年成立の児童虐待の防止等に関する法律

平成18年成立の自殺対策基本法

同年成立の高齢者虐待防止法

平成23年成立の障害者虐待防止法

平成25年成立のいじめ防止対策推進法

平成26年成立の過労死等防止対策推進法

などなど、これらはほんの一部ですが、直接的・間接的な死を回避する法制度が次々と国会で作られてきました。

 

違った観点では、これまでの医療の考え方にある意味、反省を迫る、尊厳死の運動(尊厳死協会)も死のあり方に一石を投じています。私が尊厳死協会の方と話をした最初は四半世紀くらい前でしたが、まだ会員は一万かもう少しくらいしかいなかったのではないかと思います。いまでは10万人の大台を超えています。アメリカの法制度のように、生命維持装置を外すことを裁判所の命令でやりとげるといったことは、おそらく日本では当分ないでしょうが、人が死というもののあり方を考える現代的テーマの一つではないかと思います。

 

また異なる観点では、終末期医療のあり方として、自宅での死をサポートする、医師・看護師・患者と一緒になって実践する活動に参加してきましたが、最近は制度的な措置が広がってきたようにも思うのです。

 

長々とまた書いてしまいましたが、私の本論は、自らの自分の命をどう処すかという点を少し考えてみたいと思っています。できるだけ長生きするということも大事なことでしょう。その意味で不摂生を見直し、できるだけ健康生活を保つといったことも試みてよいのかと思います。

 

とはいえ、あの始皇帝が最も望んだ不老長寿の夢は、徐福を介して蓬莱山を求めても、遂げられないことは当たり前ですね。人は必ず死が訪れます。その処し方です。私は、30年以上にわたって頭の中で少し浮かんでは消えるこの問題を、空海という人の最期に(今も生きているそうですが)ヒントがあるように思っています。空海に限らず、修験者や僧侶の中にもそういった壮絶というか、厳粛な道を選んだ人も少なくない時代があったのではないかと愚考するのです。いやもしかしたら、縄文人などはそれが自然だったのかもしれないと思ったりします。

 

きちんとした書物で確認したわけではないので、空海が選んだ死の作法というか死への道は、断定できるわけではありません。でも魅力を感じています。自分ができるかどうか、最近は時折考えることもあります。

 

ではどうするか、基本は五穀を、やがてはすべてを絶つということです。それを長期簡にわたって実践していったとも言われています。空海伝説は数限りないので、嘘誠、判然としませんが、私は信仰という状態にはなれそうにないですが、この空海の生き方というか、死に方には信じたいなにかを感じています。

 

 

 

 


人の死とそのあり方

2016-10-30 | 人の生と死、生き方

161030 人の死とそのあり方

 

今朝は3時間余りかけて竹林の整除という名で竹を数十本切り倒しました。一本切ると、8~10mの長さなので3つ切りくらいにさらに切って持ち運びやすくします。チェーンソーで切れば簡単ですが、エネルギー消費、振動、臭い、いろいろな理由で、あくまでノコギリを使うので、初めは寒さを感じますが、すぐにぽかぽかになります。

 

これも竹の生命とかかわるのかもしれませんが、竹は切れば切るほど翌年には勢いよくタケノコが生え、あっという間に頭上高く伸びます。とても生命力があるんですね。竹を切ることはその命を断ち切ることではないのですね。

 

今回の竹の伐倒は、スズメバチの巣の周辺を見渡せるようにするためで、ほんとは1m間隔に竹が残るようにしたいのですが、なかなかはかどりません。見上げると、一本の竹の上の方にハチの巣がかかっている。どうも巣にはハチがいないよう。彼らも命を連綿と伝えようと頑張っているのでしょうね。

 

ところで、今朝竹林に出かける前、BSNHK1の世界のニュースをちらっと見たら、段ボール製の棺桶がエコロジーと経済性から提案されているとのこと。オークで作られたと思われる立派な棺桶を並べて、それに比べると価格もかなり安いので、どうせ埋葬ないし焼いてしまうのなら、この提案も悪くないかも。その後、いくつかのさらなるアイデアが放映されていたのですが、竹林作業をしているうちに忘れてしまいました。覚えているのはスウェーデンの冷凍後に焼却して粉状にする案、どこだったか骨粉をお墓に埋められる方式、などいろいろな方式が上がっていました。

 

遺体の処理というと、なんとも礼節のない表現ですが、ある種の宗教観とか歴史的な慣行とか、それぞれが保有している考え方は尊重されるべきと考えますが、他方で、そのような縛りというか観念が絶対的なものか、見直してもいいのではないかと思うのです。親鸞が自分は鴨川に捨ててくれと遺言したとか言われますが、彼が育ったころの鴨川は遺体放置場、いや死期が迫った病人が持ち込まれていたことを親鸞自身が体験していたとも言われています。親鸞の一途に生きる姿勢を垣間見るとそれも当然かなと思ったりします。浄土真宗ではいまなお、お墓をもたない信徒もいます。

 

私自身、そんな考え方もあり、四半世紀前に、自然保護と生命の循環という観念で、仲間と一緒に、自然葬という名の散骨を新たに推進することを含め、埋葬方式に限られない葬送の在り方を求め、葬送の自由をすすめる会を立ち上げ、首都圏にいるころ、ずっと活動に参加してきました。

 

こういった遺体の処理については、墓地埋葬法が戦前の法令をほぼ継承し、現在に至っています。葬式自体は、宗教儀式そのものと戦後観念されたのか、憲法の精神からか法律の対象となっていません。その点では、葬式はやるかどうかや、その方式は個人の自由です。では亡くなった後、火葬場での焼却は義務なのでしょうか。それは地域慣行を尊重して、地域により異なります。といっても埋葬を認めている自治体はごく限られ、都市域を含めほとんどは焼骨の埋蔵しか認めていません。というわけで、亡くなると、火葬場で焼却されることになります。その焼却の在り方は特段、法規制の対象となっていません。火葬場自体は、大気汚染防止の観点から規制はありますが。ところが、わが国では、おそらく火葬が広がった大正期から戦後初期までに、骨拾いという慣行が定着し、焼却方法もできるだけ骨の形が残る温度調節や焼却施設が技術的にも発展していったのではないかと思います。

 

ちょっと話が飛びますが、92年ころだったと思いますが、ロンドン市営墓地を訪ねて、その散骨実態を見聞したことがあります。下手な英語にもかかわらず、イギリス紳士の担当者は懇切丁寧に案内・説明してくれました。火葬場の焼却施設を案内してもらい、その焼却はできるだけ灰状になるよう高温にしているとのこと。火葬施設は、礼拝場と直結していて、礼拝が終わると参列者はもちろん遺族もさっと帰ります。イギリスは、火葬を取り入れるまでにキリスト教(プロテスタントが中心)に反するということで大変だったようですが、火葬導入後は骨には多くが関心を抱かなくなったようです。それで、骨壺もなんとも簡易なプラスチック製。それより骨灰を取りに来ない人も少なくないそうです。

 

そして散骨も、芝生に撒くことが多く(なお、スウェーデンでは世界遺産の「森の墓地」で撒いている様子をNHK映像で見ましたがとても敬虔さを感じました)、あるいは墓地内のローズガーデンでは自分のプレートのところに撒く方式もあります。撒く場所は、とくに制限はなく、テームズ川でも撒けるそうです。その他中小河川で撒く例が放映されたのをその後見たことがあります。ところで、骨灰の引き取りは、法令で任意となっているのですが、そのためか、かえって引き取らない人が多いのかもしれません。

 

別の話をするつもりがかなり脱線し、少々疲れがでてきたので、この話は別の機会に整理してやってみたいと思います。


地震国日本での安全性とは

2016-10-29 | リスクと対応の多様性

地震国日本での安全性とは

 

東日本大震災・大津波の影響は、福島第一原発のメルトダウンを含め東日本一帯にいまなお深刻な被害が各地で見られます。

 

3.11地震後に千葉県成田市で発生した地盤沈下による住宅の傾きは、多くの甚大な被害に比べれば、小さいかもしれないですが、当事者となればやはり深刻です。施主は住宅メーカー・積水ハウスを被告にして損害賠償請求の訴えを提起しました。積水ハウスは地震による液状化の結果、不同沈下したと反論しました。先月29日東京地裁が、被告の主張を否定し、適切な地盤調査がなされず、本来地盤改良すべきであるの、それを怠ったとして、債務不履行および不法行為責任を認め、請求額に近い約1400万円の支払を認めてました。

 

この概要は、3社による3つ地盤調査の内容を含めて「日経ホームビルダー」のホームページhttp://kenplatz.nikkeibp.co.jp/atcl/bldhbd/15/1611/101400001/ でわかりやすく紹介されています。

 

たしかに東日本大震災の直後、地盤工学の専門家などが震源地はもちろん、東京湾沿岸を含め、各地の調査に入り、地震による影響が即座に写真等で報告されていました。たとえば、千葉県浦安の分譲地は不動産業界のトップ企業が埋立により造成し、億単位が相場の優良住宅地と評判でしたが、その液状化による被害はとても言葉では言い表せないほどでした。

 

ところで、私たちは、時として、各種の科学的調査やデータが相当信頼できるとの前提で、日常の生活を営んでいます。その安全性への信頼は、科学的技術やシステムの発展で、相当程度高まっていると思います。とはいえ、このケースで実施されたスウェーデン式サウンディング試験(SWS試験)は、簡易な調査で、地盤構造からいうと表層部だけの強度を測定するに過ぎません。むろん、この調査は建築基準法上、有効なものとされ、一般的な戸建て住宅の建築では問題ないと思います。

 

ただ、前提として当該土地の形成の履歴がきちんとした資料に基づきあることが求められると思います。日経の記事だけだとそこははっきりしません。というか、わが国の土地開発の歴史はむろん古く、他方で造成等の地形・地質の記録はあまりありません。とりわけ昭和36年成立の宅地造成規制法は、乱開発による造成地崩壊などの被害を受けて生まれましたが、その後も大きな被害が発生し、昭和43年以降も頻繁に改正を繰り返しています。

 

当該地がいつ宅地造成が行われ、それが切り盛りされた地形かは重要な情報ですが、そのような記録が十分に残されていないことが少なくないのです。それだけではなく、開発許可制度が強化され、地滑り防止法などが施行されるようになって以降はある程度の情報が整備されてきましたが、それ以前は、地形図などの情報を頼りに、専門家が過去に地滑りがあったか、造成盛土されたかなど判断する傾向にあります。その判断は相当信憑性に問題があります。

 

それでもそういう地形・地盤の歴史を考察することは重要です。しかし、地盤の下は分からないことだらけです。それは強度や揺れへの耐久力といった面に止まりません。地下水脈や汚染などになると手探りです。それをボーリング調査で一定のメッシュ間隔で調査したからと言って、その限度で一定のデータを確認できるに過ぎません。

 

そのような安全性に関する信頼度が絶対的なものになりうることは困難だと思うのです。とりわけ地震については、ほとんど分かっていません。現在、裁判等で争われる場合でも、過去の分かっている地震データを基に、その耐震性を検討するに過ぎず、安全というのはその限度で図られていることを理解しておきたいと思うのです。

 

その点、維新前の日本は、西洋文明・科学技術が導入する前、みすぼらしいほどの家が建ち並んでいたと異邦人によって指摘されています。建物と言っても、すぐに火災や地震で倒れてしまう。でも人々は、平気な顔で、翌日には新に建て直し、その災難を気に留めないように、笑顔で日常を送っているといった言及もあります。

 

なにが人間にとって安全か、安楽なのか、もう一度振り返ってみたい、そんな思いを持つこともあります。


長時間労働・疾病・過労死を考える

2016-10-28 | 働くことを見直す

長時間労働・疾病・過労死を考える

 

一昨日のBSフジ・プライムニュースで、「『過労死』なくせるか?心のストレスと自殺」を取り上げていました。

 

登場者は、80年代後半から過労死110番を立ち上げ問題に取り組んできた川人博弁護士、この種の問題を日常的に医師として取り組んで来られ、「メンタルヘルス入門」、「セルフケアガイドブック」などの著作で実践的な解決の道を提案する産業医の桜澤博文氏。そして厚労大臣時代に、過労死等防止対策推進法を成立に導き、ブラック企業という名称を正式に呼称して世の中に警鐘を訴えた田村憲久氏。

 

最近も毎日新聞20161014日 東京夕刊で、電通の新入社員が入社して8ヶ月で自殺したが、これが過労死として労災認定を受け、東京労働局等が強制調査に着手して、36協定では70時間となっているのに、これを超える超過勤務の実態を確認し、是正勧告の方針を示していると報道されました。しかも亡くなった女性は、過労死ラインとされる月80時を超える105時間の時間外労働であったとされていますが、遺族代理人の川人氏は最長月130時間であったと指摘しているとのこと。

 

電通は花形企業ですが、過去にも前歴があります。毎日を含め報道各社は継続してこの問題を追及しています。以前も他の著名企業で問題となった、法規を逸脱するため、サービス残業や労働時間の偽装も関連して問題になるかもしれません。

 

このような最近の事情を背景に、番組はこの3名にいくつかのテーマを取り上げて議論ししてもらいました。過労死や精神疾患を招く長時間労働を防ぐにはどうしたらよいかという点について、川人氏は、現行労働基準法が8時間労働、36協定が一定の上限(過労死ライン月80時間)をもっているのに、その違反をきちんと取り締まる監督官が少なすぎ、その増加を主張し、法執行の問題を取り上げていました。

 

産業医の桜澤氏は、長時間労働に至る要因として、過去の経済成長期の長時間労働の前提が異なっているのに、その慣行意識が残存していることに加えて、パワハラ、セクハラなどのを含むさまざまな圧力があること、企業内でメンタルヘルスを適切に指導する産業医が少ないこと、産業医を雇っている企業自体が少ないことなどを問題として指摘していました。

 

田村氏は、自民党として過労死防止対策大綱(この表現は正確でないおそれあり)で、次の目標を掲げ、問題を解決に取り組む姿勢を示しました。

週労働時間60時間以上の労働者の割合 5%以下

年次有給休暇取得割合 70%以上

メンタルヘルス対策に取り組む企業等の割合 80%以上

 

このような議論は、たしかに一歩前進をそれぞれ語っているように思います。ただ、本質的な解決はなかなか容易でないことも看取できます。

 

ところで、欧米人の働き方、相当違うように思うのです。むろんCEOなどトップマネジメントの担い手は、24時間、自分の判断でコントロールしながら、労働というのか仕事をしているでしょう。でも一般の事務労働者も工場労働者も、労働時間が短いことは長い間言われてきたことです。

 

私自身、カナダに2年ほど滞在しましたが、通常、あらゆる職場で午後5時前後になると、ラッシュ時間になり、帰宅を急ぎます。そして夕食を食べた後、再び繁華街などに出て、劇場や映画を楽しんだりしている風景を不思議な感覚で見ていました。休暇も、私の関係していた研究所では、研究員がそれぞれ3週間程度、自分の好きな期間を選んで、研究者同士で日程の調整をしていました。

 

日本にもさまざまな雇用形態が増えてきたとはいえ、長時間労働は当たり前という意識がまだ根強く残っているように思うのです。

 

労働という言葉は、マルクス・エンゲルスが指摘したように、また、維新時のイギリスの産業革命下の労働が拘束された、自由な時間を奪う、人間性を奪う、そういう性格をなかなか超越する労働環境や意識を作り出すことができていないのではないかと愚考します。

 

維新前の日本人は、好きなときに働き、異邦人からみたら怠惰このうえないと見た人もいると言います。他方で、とりわけ職人は自分が気に入るまで作業を止めない、百姓もそれぞれですが、その職分に自負を抱き、土地というものを徹底的に有効活用するため、土日もなく、朝から晩まで農作業をしても、辛い意識を抱かなかったとも言われています。ある意味、それぞれが身分にとらわれず、自分なりの生き方を楽しんでいた、だから、異邦人や他人に対しても、礼節と優しさを自然に提供できたのではないかと夢想してしまいます。

 

かなり脱線しましたが、近世日本の村社会や百姓、そして武士を含む身分制との関係については、最近の研究では、従来の教科書の紋切り型の描写を大きく変える内容が明らかにされつつあるように思います。


もう一つ脱線すると、人工知能(AI)とスパコンの活用が今後飛躍的に発達し、長時間労働する機会が減少するなど、労働力不足にも対応するとも言われています。ただ、AIは、チェス、囲碁などの世界No.1にも勝つ時代です。現在、知能労働といも言われる、行政書士、司法書士、弁護士、会計士、医師などあらゆる業態の仕事がとって代わる時代もあり得るかもしれません。むろん現在、ホームページでのこの種の情報は大量に流れていますが、いくら量が多くても、人やケース、人間の機微などに対しては、ほとんど対応できないものです。ところがAIとスパコンが高度になれば、そうはいっておられないかもしれません。未来は夢か、幻か、私の生きている時代には、見ることができないでしょうが。なお、あのスパコン「京」の数倍がもう一般で、現在はその100倍あるいは1000倍のスピードが開発目標だそうです。どうなることやら。


スズメバチ事件の顛末その7 生き残りの戦略

2016-10-27 | 自然生態系との関わり方

スズメバチ事件の顛末その7 生き残りの戦略

 

先日、議員のAさんに連絡して、スズメバチの巣撤去のお礼を言いました。やはり一時間近くかかったとのことでした。巣はかなりでかかったと地元の彼も驚いたようです。

 

とはいうものの、竹藪を密集した状態にしていると再び巣をつくるかもしれないと思い、今朝、真竹や篠竹の密集したのを伐採に出かけました。巣があったところは、ヒノキの切り株(30㎝くらい)に密着した場所でした。やはり隣家のBさんの竹藪でした。

 

Bさんは80歳をすぎ現在、介護を受けており農作業ができなくなっています。奥さんは最近、亡くなられ、田畑の管理ができなくなっています。竹藪は私が当地にやってきた頃も管理されておらず、私がわが家の竹藪を間伐する合間に少しだけ切っていたのでした。私も体調不調が年柄年中なので、自分のところもなかなかやりきれない状態で、隣家はここ数年手が回りませんでした。

 

それで今朝はしっかり見通しのよい竹林にしておこうと、真竹や篠竹を切り始めました。ところが、しばらくすると背後でなにやら飛び交っています。アブかブヨかと振り向くと、なんとスズメバチです。数匹で、それも小型、幼いハチでした。

 

実は昨日、和歌山市からの帰り、来月ウォークイベントで訪れる宝来山神社を訪れたのですが、そのとき先月新築された拝殿の軒から私の周りをブーンと一匹のスズメバチが飛び回っていました。これは大きく大人で今朝のと比べると3倍はありました。といってもスズメバチは攻撃してくることは滅多にないので、こちらが襲わない限り、慌てふためかなければ大丈夫です。

 

が、今朝のスズメバチは撤去したはずの巣の周辺を飛び交っていましたので、その周りで竹を切っている私に攻撃してくる危険が高いのです。場合によっては仲間を呼んでくるかもしれません。これはまずいと思い、一旦立ち退きました。

 

まだスズメバチが飛び交っているということは、取り除いたはずの巣の下に、まだ女王ハチの巣が、安全策を講じて二段式構造で(?)で、作られていた可能性が高いと思うのです。遺伝子継承の本能的な戦略でしょうか。

 

とはいえ、このまま放置するわけにはいかない、来年になればまた大きくなって、危険な状態になる。スズメバチの生命維持を妨害するのは気の毒ですが、これは人間が適切な管理をすべき里山を放置した結果であり、やはりこの密集した竹藪を、長岡京や嵯峨野の竹林とまではいかなくても、見通しのきく竹林にしないといけないと思い至り、周辺から伐採をすることにしました。巣の近くは最後に残し、いつでも逃げられるように、遠回しに竹藪を間伐しようと再開しました。

 

こうなると一週間くらいかけて、この巣の撤去をやることになりそうです。なかなかスズメバチ事件は終了しないようです。