たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

デモクラシーとは <NHK「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>などを見ながら

2019-03-13 | 戦争・安全保障・人と国家

190313 デモクラシーとは <NHK「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>などを見ながら

 

演説や講演の上手な人を見るとうらやましく感じることがあります。聴衆を惹きつける魅力が声の調子や手振り身振りに間の具合、もちろんその内容そのものにあるのでしょう。

 

視覚や聴覚に障がいがある人の場合、前段は必ずしも有効ではないかもしれません。といっても視覚障害だと聴覚が優れている人が多いかもしれません。声の調子に余計魅了されるのでしょうか。結局は、内容自体がどれだけ納得できるものかにかかっているように思うのですが、どうでしょう。

 

ちょっと余談になりますが、毎日今朝の記事<ひと松田崚さん=聴覚障害者の法律相談を担う>が掲載されていました。聴覚障害があると、日常生活でも大変なのに、手話を学ぶ環境でなかったにもかかわらず、筑波大に合格し、さらに司法試験をパスしたというのですから、凄いですね。以前、このブログかfbでも紹介しましたが、40年くらい前、視覚障害の方が司法試験を目指されていて、仲間がその勉強を手伝い、その後合格され、日弁連でも障がい者や生活困窮者などの救済のため幅広い活躍をされています。松田氏も聴覚障害というこれまであまり注目されてこなかった分野にもその立場に立って活躍されることを期待したいです。

 

実はもう少しこの松田氏のことや聴覚障害について触れたいと思っていたのですが、今朝のNHKおはよう日本のある放映を見て、録画していたのを昨夜見た<BS1スペシャル「独裁者ヒトラー 演説の魔力」>を少し考えることにしたのです。

 

まずはヒトラーの演説です。たしかに力強く、ある種の説得力を持つことは確かです。ナチス党の党員集会でしたか、その数に圧倒されますが、すべてが熱狂的にヒトラーの演説に同調しています。感動しているようにも見えます。一種の催眠状態に陥っているようにすら見えます。

 

なぜかといいますと、NHK取材班が行ったのでしょうか、彼の演説の中で「平和」という擁護が結構多用されていました。とりわけ異常に増加するのが2回ありました。戦争開始時とスターリングラード戦で大敗を喫したときだったと思います。いずれも平和を繰り返し強く訴え、と同時に自国を守るために戦うことを求めるのです(ちょっとこの要約は正確ではないかもしれません)。

 

演説の具体的な内容や詳細はわかりません。でもヒトラーの演説の断片をきいていても、とても説得力があるとか、魅了されるといった風に思えないのは、私の理解力不足でしょうか。あるいは当時の欧州や世界情勢を踏まえない、現在の平和ぼけした中にいるからでしょうか(そういういい方をする人がいるかもしれませんので)、あるいは第二次大戦の敗北、占領を経たからでしょうか。

 

とりわけ不思議に思うのは、当時のドイツ国民は、思想をヒトラーによってかナチス党によってか、どんどん植え付けられていったようです。第二次大戦の勃発となったポーランド侵攻も、彼らが劣る民族と蔑視し、さらにソ連侵攻もスラブ民族がそうだと決めつけ、国内ではユダヤ人を差別し強制収容所に送り大量虐殺しています。

 

私にはヒトラーの演説に歓喜するドイツ国民の姿がどうも理解できません。番組が言うほどに演説に魔力があったとも思えないのです。ワイマール憲法下で民主政治が始まったドイツで選挙を通じて小さな政党に過ぎなかったナチス党が異常に拡大したのはすでにたくさんの研究で論じられていることと思います。

 

私の一面的な見方ですが、当時のドイツ国民は第一次大戦で敗戦国として不当な仕打ちを受けたといった被害者意識が強かったのではないかと思うのです。そのような意識をうまく利用したのがヒトラーではなかったのかと思うのです。そしてわが日本人も付和雷同するといった国民性を揶揄されますが、それは多かれ少なかれどの国民ももっているように思えます。内容如何ではなく、ある段階になると、批判できなくなる、とりわけ自分が所属する地域、国の利益に関しては、一つの意見が大勢を占めると批判的な見方ができなくなるのではないかと思うのです。

 

デモクラシーを説いた?独立宣言の国、アメリカでもトランプ氏の主張に内容はともかく付和雷同しているように思えるのです。ただ、対立軸が成立しているので、まだ怪しい状況ではあってもこれもデモクラシー?かなと思ったりします。

 

ところで、いろいろ書いてきましたが、なにより驚いたことがありました。それはヒトラー時代に熱烈支持した当時の10代の方々(ヒトラーユーゲント)が現在90代前後で、NHKのインタビューに応じて発言されたことばです。

 

いまなお当時の行動に間違いがなかったといった趣旨の発言であったと思います。自国のためにとった行動で正しかったと思っていて、ヒトラーへの批判もなかったと思います。それは取材を受けたすべての人ではありませんでしたが、私には大半がそのように思えました。敗戦し、国土が焦土となり、東西分裂の悲惨な運命を辿ったドイツ国民ですが、それでもそのような思いをもっているということに、ヒトラーと言うより、当時のドイツの国民性になにか言いしれぬ脅威を感じます。

 

他方で、わが国はというと、終戦の日を境に、がらっと一変して、誰もが戦争を、軍部を批判しました。これだけ意識を瞬時に変えられる国民性?も不思議に思えますが、一定の人は戦争に批判的でしたでしょうから分かりますが、その他は付和雷同組か、洗脳されていたのでしょうか。

 

そこでNHKおはよう日本で今朝紹介された、岡原少将という方の話に移ります。彼は演説が上手で、生涯たしか1400回の演説を行ったとのことでした。むろん戦争奨励、戦うことを啓蒙する内容です。

 

彼の演説はたしか写真だけだったように思いますが、演説の草稿みたいなものが残っていて(あるいは誰かの聴取メモ?)、笑いを誘って聴衆の心を捉えることが上手だったようです。ただ、ヒトラーのような扇動して聴衆に歓喜を起こさせたり(まあそうしかけているようにも思えますが)して、洗脳すると言うよりは、切々と語るような感じでしょうか。

 

彼は戦後も子や孫との生活を供にしたようですが、一度も戦争のことを語ることなく、静かに生涯を閉じたそうです。自分の行ったこと(演説により大勢が軍人となり戦地に散ったりしたでしょう)に語れない思いがあったのではないでしょうか。

 

デモクラシーとはなんでしょうね。ギリシアで生まれ、演説・討議で徹底した議論を積み重ねて結論に至り、多数で決するも、少数の立場に配慮するとも言われていたような記憶です。

 

いかにうまい演説でも、異なる意見や対立する議論が生まれないような状況では、いかがなものでしょう。少数や異なる立場、民族などを差別視して、一方的にその立場を否定したり、冷遇するのはデモクラシーの基本に悖るのではないかと思うのです。

 

そんなことをふと考えた番組でした。今日はこの辺でおしまい。また明日。


競争と人間の愚かさ <発掘・戦禍の証し 全国最悪の空襲>などを読みながら

2019-02-19 | 戦争・安全保障・人と国家

190219 競争と人間の愚かさ <発掘・戦禍の証し 全国最悪の空襲>などを読みながら

 

今日は終日雨でした。雨の中を歩くのはやっかいなことかもしれません。雨に濡れると寒さもあり嫌な気分になるかもしれません。幸い私の場合自宅・事務所の間ほとんど雨に濡れることがなく、そういった気持ちなることもなく過ごせます。それでも出かける前、事務所から持ち帰った枯れかかった花を庭に植えるときは小雨に濡れました。花にとってはちょうどよいお湿りかなと思いながら、土の中にいくつかの花を入れました。雨景色が好きといっても、実際ずぶ濡れになると、沿うも言って折れませんね。

 

歌川広重の「東海道五十三次之内 庄野 白雨」なんかを見ていると、すてきだなとおもうのですが、描かれた人たちはどうだったでしょう。

 

ところで今日も打ち合わせなどが続き多少忙しくしていたのですが、ちょうど時間が合ってぼんやりしていたとき、突然、昔の仲間から電話があり、長話となりました。仲間と言っても30年前、日弁連熱帯林調査に参加したニューフェイスでした。まだ学生風なかんじで独特な雰囲気をもった女性でしたが、いまではベテランとして活躍してるのだと思います。

 

私がブログ三昧の生活?をしている様子を聞いてくれまして、高齢者のちょうどよい聞き役を演じてくれ、楽しい時間となりました。そういえばZeroトイレ・イノベーターの友人の話も長いですが、この場合は私が聞き役です。

 

さて6時も過ぎてしまいましたので、そろそろ本題に入ります。

 

今朝の毎日記事<発掘・戦禍の証し全国最悪の空襲 1945年8月2日(富山市) 一夜で消えた町の99.5%>は驚くべき内容であると同時、いろいろと連想ゲームが始まりました。

 

富山市といえば最近は、コンパクトシティ構想とかLRTとか、ヨーロッパで繰り広げられている先進例を導入する取り組みをする一方で、議員の不祥事も次々と露呈されて少し話題になっています。

 

その富山市が194582日、<一夜で消えた町の99.5%>というのですから、仰天です。東京大空襲や大阪など大都市が次々と空襲で破壊されたことはよく知られたじじつですが、記事で紹介された<主な被災都市の破壊率>でいえば、比率の最上位である神戸、和歌山、東京がいずれも50%台にとどまる中、富山市の例は異常です。

 

しかもこの比率以上に問題がありました。<不二越などの軍需工場は全く被害を受けなかった。戦後長い間、被災者は「軍需工場への空爆の巻き添えだった」と思っていた。しかし、空爆は当初から住宅地を標的にしたものだったことが明らかになった。>

 

米軍の攻撃はあくまで住宅地、一般人を狙い撃ちしたものであったのです。そんな非道があるか、そんなことは信じられないと思うかもしれません。しかし、<米陸軍航空軍史では「富山空襲は想像を絶する99・5%」と特記していることからも破壊率の高さがうかがえる。>

 

これを読みながら、私にも突然、思い出すことがありました。当地には陵山古墳というまるで天皇陵かと早合点しそうな名称の古墳があります。そこを訪ねたとき、その手前に橋本駅米軍艦載機による犠牲者追悼の碑が立っているのに気づきました。そこに絵が描かれてあって艦載機2機が田舎の駅舎に向かって攻撃している図です。犠牲者は6名の方です。むろん軍人とか、軍需工場などを狙った物ではないことは明らかです。和歌山市空襲は有名ですが、その東方には紀ノ川沿いにのどかな田園地帯がひろがるのみで、そこを2機の艦載機がなぜ飛んでいったのでしょう。

 

当時、アメリカ軍、とくに陸軍とその一組織に位置づけられていた航空軍は、日本を敗戦に追いやるために競い合っていたのです。陸軍はマンハッタン計画で、原子爆弾開発を進め、7月から8月にかけて何が何でも投下して多大の被害を与えて莫大な費用を投じた成果を示そうとしていました。他方で、航空軍は、空襲による被害の戦禍をあげつつも、軍需施設を狙うだけでは成功率が十分でなく、また敗戦に追い込むだけの実績をあげれず、このままでは空軍の独立が危ういと焦っていたと思われます。

 

お互いが競い合っていたのだと思います。むろん競争相手はいくつもあったでしょうけど、少なくとも陸軍内の競争は過熱していたと思われます。そこには人命とか人の生活、家族の一生といったことは念頭になかったと思います。どれだけの被災人数、棟数、規模であったかという数字の争いであったのではないかと思うのです。

 

ですから、そのような航空軍のパイロットが、たった2機で自由に橋本まで飛んできて、勝手に掃射してもおとがめもなかったのでしょう。あるいは戦果として報告されたのでしょうか。そうであればなんのルールもなかったといわれても仕方がないですね。

 

その競争の頂点は広島・長崎の原爆投下ですが、わずか数日前、それを予期した航空軍が少しでも戦果をあげようと無謀・非道というべき富山市壊滅空襲をあえて行ったのでしょう。それは単に軍事競争に過ぎない、でもそれが競争のなれの果てでしょう。

 

いままた米ソが軍事競争を再開しようとしています。背後に軍事産業や戦争商人が支えているのでしょうけど。

 

それは他方で、資本主義であれば当然の結果だと語る人もいるようですが、先日見たNHK番組では、新自由主義を唱えたハイエクも、はたまた見えざる手を訴え市場の自由を訴えた経済学の父?アダム・スミスも、野放しの自由ではないというのです。そういった自由な競争がもたらす多大な負の影響を熟知していて、そのコントロールを指摘していたというものであったかと思います。

 

自由や競争は人類が勝ち得た重要で基本的な価値ですが、そこに大事な、社会や世界にとって守らなければならない一線があるのだと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 

 


辺野古と報道と天皇 <在日米軍再編 辺野古土砂投入の各紙報道>と<社説 平成最後の天皇誕生日>を読みながら

2018-12-24 | 戦争・安全保障・人と国家

181224 辺野古と報道と天皇 <在日米軍再編 辺野古土砂投入の各紙報道>と<社説 平成最後の天皇誕生日>を読みながら

 

今日はブログをパスしようかと一旦思いました。踏ん切りがつかない中、辺野古の記事に触発され、また天皇のお言葉も感慨深いものでしたので、少しだけ書いてみようかと思います。

 

本題に入る前に、ゴーン氏の特別背任容疑での逮捕に関する記事<日産ゴーン容疑者 投資損失、日産に払わす 数千万円>を少し取り上げたいと思います。ここでは、付け替えの期間の損失を一旦日産に払わしたことを取り上げています。そのこと自体より、気になっているのは、「付け替え」という用語です。

 

私などが経験したこのことばは、道路の付け替えといった用法で使われてきた感覚です。つまり、元あった道路が何らかの理由で廃道、不便になったなどから、別の代替用の道路が新設されるという場合に使われていました。むろん金融商品としては別の使われ方もありうると思うのですが、ウェブ検索で少し調べてみても、このゴーン事件以外で見つかりませんでした。むろん金融商品取引法にそのような行為形態を予定した規定はないと思います。

 

金融商品取引では実務上使われる方法のようですが、どこまで概念が明確なのでしょうか。だいたい、ゴーン氏の資産管理会社がスワップという金融派生商品取引で発生した損失を日産に負担させるといった、いわば債務引き受けに類似する行為が当然にできるとは思えません。債権者の金融機関が日産の取締役会決議を求めたとの報道があったと思いますが、それで有効な取引になるのかも判然としません。付け替えという行為がどのような要件があれば成立するのか、その場合その時点で、特別背任が成立するのかも判然としません。

 

その意味で、今回の記事が指摘するようなその後の損失の支払は損失自体が現実化したといえますが、「付け替え」自体の問題がどう評価されるのかがあきらかでないですね。

 

仮に「付け替え」時点で犯罪が成立するのであれば(その可能性が高いと思いますが)、その後に、また元に戻したり、知人に多額の送金を日産にさせたりしても、その犯罪成立には影響しないように思えるのですが、どうも報道では後者を含めてはじめて成立するような取扱にみえます。どうも付け替え行為自体が法的にどう評価されるのか明確な議論を欠いたままであることがこの事件の行方を不透明にしている印象です。とはいえ、ゴーン氏については、犯罪の成否はともかく、この一連の行為は非常なコストカッターとして日産リバイバルを果たしたとしても、その評価は地に落ちたと思います。

 

と関係のない議論を長々としてしまいました。書くつもりがなかったのに、タイピングをしだすと止まらない悪い癖ですね。さて本題に入ります。

 

毎日朝刊記事<在日米軍再編辺野古土砂投入の各紙報道 本土側の無関心、責任問う視点も>は、沖縄と辺野古問題について報道のあり方を整理して、しかもその変化を取り上げていて、なかなか興味深いものでした。

 

沖縄を訪れると地元紙は本土の紙面と大きく違います。

<14日に始まった土砂投入は沖縄の本土復帰後初めての大型米軍基地建設の本格化を意味する。沖縄県の琉球新報と沖縄タイムスは15日朝刊でいずれも1面に大見出しを掲げ、小型無人機で接近した現場を撮影した写真を、赤土が青い海を埋める構図で載せた。>

 

他方で、全国紙も思ったより取り上げていました。しかも朝日・毎日だけでなく、日経も、本土の国民の責任に言及するものでした。

<量的には地元と本土との温度差がはっきりしていたが、本土側から自分たちの責任に言及するところがあった。朝日は1面に那覇支局長の「視点」を置き「想像してほしい。これが自分の街なら」と書いた。毎日の社説は「本土側の無関心も問われなければならない」と指摘。日経の16日社説も「責任は本土の国民にもある」とした上で、「借地料をもらっておいて文句をいうなという人がいる」という現状について「歴史を知れば、そんな悪口は出ないはずだ」と書いた。>

 

埋立の評価をめぐっては、強行と批判的な記事が朝日・毎日の全国紙だけでなく、地方紙も相当数がその立場で政府を批判しています。他方で、普天間飛行場の危険な状況を回避するためにはやむを得ないという、読売・産経の姿勢は政府よりの立場ですから、当然でしょうか。

 

ところで、報道がどれだけ紙面を賑わしても、やはり本土の国民の意識は高まっていない印象です。それを憂うのは誰でしょう。国民の「象徴としての立場を受け入れ」てその「旅を続けてきた今上天皇でしょうか。

 

天皇陛下おことば全文>は全文どころか、わずかな一部のみ引用しているだけですので、参考になりません。<社説平成最後の天皇誕生日 平和な時代への深い思い>で、私が少なからずやはりと思い心振るわせる気持ちになった感情を、適切に表現しているように思えました。

 

<日本で唯一の地上戦を経験した沖縄に寄せる思いは深い。皇太子時代を含め、訪問は11回に及ぶ。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べ、退位後も沖縄に寄り添うお気持ちを示した。>沖縄に初めて来島したとき、火炎瓶を投げつけられたほど、沖縄島民の気持ちは複雑なものだったと思います。その中で今上天皇はひたすら沖縄を訪れ、祈りを捧げていました。

 

むろん沖縄に対してだけその祈りを続けてきたわけではありません。しかし沖縄が受けた長い長い苦難と悲惨な状態、それに耐え続けてきた人たちへの思いは、国民の象徴としての立場を受け入れたとき、覚悟していたのではないかと思うのです。私は人として尊敬したいと思うのです。

 

もし天皇を象徴として尊崇するのであれば、沖縄の現状を無視できないと思うのです。辺野古基地新設は許してはいけないと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


米軍基地返還のあり方 <沖縄の米軍返還地の原状回復 日本政府が129億円負担>を読みながら

2018-12-17 | 戦争・安全保障・人と国家

181217 米軍基地返還のあり方 <沖縄の米軍返還地の原状回復 日本政府が129億円負担>を読みながら

 

沖縄の話に入る前に、昨夜から大きなニュースとなった札幌市豊平区の爆発と多くの負傷者、当初は「飲食店爆発」などの見出しが流れ、なんとなくガスを使うからなにかの拍子に爆発したのかしらと思っていました。ところがビル自体が木っ端微塵になっているのですから、テロ事件でもないようですし、飲食店で起こるのかしらと不思議に思っていました。

 

すると毎日最新ニュースでは<札幌の爆発、不動産店で「消臭スプレー100缶ガス抜き」 現場検証始まる>とあり、<42人が重軽傷を負った爆発事故>の発端は、どうやら飲食店ではなく隣の不動産店舗だったようです。

 

<爆発があった「酒井ビル」は木造2階建てで、延べ床面積は約360平方メートル。・・・

 1階は南側から不動産仲介業「アパマンショップ平岸駅前店」、飲食店「海さくら平岸店」、整骨院の3店が棟割りで入居していた。不動産店と飲食店の2店部分が倒壊し、特に不動産店は跡形もないほど崩れて建物は全焼した。>というのが物的被害です。

 

<捜査関係者によると、不動産店の従業員が「100個以上の除菌消臭スプレー缶のガスを抜いた後、手を洗おうとしたら爆発した」と話しているという。>他方で、<市消防局によると、建物裏側に各店舗用のプロパンガスのボンベが計9本あったが、目立った損傷は見られなかった。【真貝恒平、澤俊太郎】>ということですから、プロパンガスが爆発したのではないようです。ではあのスプレー缶がこんな破壊力をもつのでしょうか。

 

私もスプレー缶をゴミ出しする前に、いつも穴を開けて残っているガスを出して空にしますが、驚きです。臭いとか気になりますが、そんな爆発力があるとはですね。ただ、この不動産店での穴開け作業は異常ですね。繁華街で、しかも密閉の部屋の中で、100個以上の除菌消臭スプレー缶のガス抜きをしていたというのですから、信じられません。臭いがするもの、あまりしないものもあるでしょうし、こんなに大量にガスを排出したら、事故の可能性があることくらいわかりそうなものです。

 

私は外でガス抜きするか、室内でも倉庫など人気がないところで、ドアを開けた状態でやりますね。臭いがきになりますし、ちょっとしたことで爆発したり、発火するリスクも可能性としては認識していました。というのは東京都杉並区の不燃ゴミ中間処理施設の事件を担当していたころ、なんども施設を訪れ、職員から燃えるゴミ・不燃ゴミなどの収集車内での火災事故が少なくないことを聞いていましたので、そのリスクをいつも意識しながらゴミ分別と集積所に持って行っていました。

 

もう一つは、プラスチックも摩擦によって発火する可能性があることも専門家から指摘されていましたので、そういうさまざまなリスクを感じていました。スプレー缶にガスを残したままゴミに出すなんてもっての他ですが、それを部屋の中でさせる不動産店のあり方も厳しく非難されてよいと思うのです。むろんこの経緯については、これからの現場検証などによって明らかになるのでしょうから、早々と不十分な情報で叱責するのは控えるべきでしょう。ただ、スプレー缶100個以上のガス抜きという話はまったく根拠がなければでそうにないことですね。

 

この話は少し長くなりすぎました。30分も書いてしまいましたので、後残り30分で書き上げます。

 

毎日朝刊一面トップに<沖縄の米軍返還地の原状回復 日本政府が129億円負担>の記事がでていました。

 

米軍の普天間基地の返還をめぐって当然のように辺野古に基地を新設しないといけないといった不思議な論法がまかり通っています。なぜ単純に世界一危険な普天間基地を返還しないのか、これがなかなか議論の舞台に登場してきません。まさにアメリカの一方的な主張が通っています。

 

それに加えて、返還された場合でも、元の土地に戻すという、原状回復義務は米軍が一切負わず、日本が代わってやっています。それはおかしいでしょう。私がカナダに滞在しているときもカナダ国内の米軍基地の返還の際、ダイオキシンなどが発見され、その土壌汚染対策に必要な多額の費用をカナダ政府が米国に要求しているニュースを見たことがあります。それが本来でしょう。

 

ところが、<沖縄県内にある米軍用地の返還に伴い、汚染物質の処分や建物の撤去などのために日本政府が負担した原状回復費が計約129億円に上ることが、防衛省沖縄防衛局への取材で判明した。今後さらに膨らむ可能性がある。>わたしはこれまでの基地返還で、原状回復費がこの程度で済んだとは考えにくいと思っています。この<今後さらに膨らむ可能性>というのがどのような根拠で指摘しているのか分かりませんが、その通りと考えます。ダイオキシン類などの汚染は簡単な土壌調査ですぐに判明できるわけでなく、また浄化処理も跡地利用として農地などであれば、浄化のレベルも高くなりますから、豊洲の土壌処理どころで済まないと思います。

 

この後の記事では<日米両政府は嘉手納基地以南の米軍施設・区域の返還に合意しており、返還が進むたびに原状回復費は膨らむ可能性がある。【川上珠実】>ということで、将来の基地返還に伴う土壌汚染対策費の増加を指摘しているようです。これまで返還された土地についても、十分な土壌調査をすると新たに発見される危険は相当高いと思われます。

 

今後ですが、<沖縄県内では近年、返還地で環境汚染の発覚が相次いでおり、県は米国の責任で回復措置をとることなどを定めた環境条項を日米地位協定に新設するように求めている。>協定の見直しは当然でしょうね。

 

日弁連調査で明らかになったというか、これ自体は昔から米軍の欧米諸国での対等の関係と比べて、日米地位協定におけるわが国の劣位は異質ではないでしょうか。

 

<ドイツが米軍を含む北大西洋条約機構(NATO)軍と結んだ協定は、軍当局は環境への負担を避け、避けられない場合は適切な措置を講じて埋め合わせをすることが明記されている。米軍基地に対しても原則としてドイツ国内法が適用され、浄化費を米側が負担した例もあるという。>これはドイツだけでなく他のEU諸国でも例があったと思います。

 

<桜井名誉教授は「米側が環境汚染の責任を免れる日米地位協定はモラルハザードを引き起こしやすい。米軍に対して環境汚染の抑制を動機付けるためにも、汚染の実態と責任を明らかにすべきだ」と話している。>と見直しを求めていますね。

 

さらに協定とは異なり、米軍のあり方をアメリカ環境法に基づき訴訟で問題にできないか、若い弁護士諸君に期待したいところです。90年代初め、横須賀基地の空母問題で知人のGさんはわが国初?のNEPA訴訟をアメリカで提訴しましたが、沖縄基地についても新たな視点で取り組むことは可能ではないかと思うのです。

 

さて今日はこの辺でおしまい。また明日。


辺野古問題と政府の公正さ <菅官房長官の発言 正確な事実踏まえ説明を>などを読みながら

2018-11-07 | 戦争・安全保障・人と国家

181107 辺野古問題と政府の公正さ <菅官房長官の発言 正確な事実踏まえ説明を>などを読みながら

 

今日もある後見事件で病院付添を担当し、さきほど事務所に帰ってきました。ちょっと肉体作業もあって結構疲れてしまいます。

 

それでもまだこのブログを書くだけの気力が残っているみたいなので、今日も書いておこうかと思います。トランプ政権の是非が問われたアメリカ中間選挙は、国内の分断状態がそのまま票にでたようでして、下院が民主党、上院は共和党が過半数を握るという、ねじれ現象となりました。トランプ大統領は上院を勝ち取ったことで十分成果があったのでしょう、満足そうですね。だいたい現職大統領が政治運営を放って置いて、選挙区に入り浸りなんておかしいと思うのですが、なんでもありなんですね。アメリカの民主主義といっても、独立戦争を勃発させたときから、国民はもちろん、議員もさほどしっかりした議論を尽くしたといえる状態になったことはないのではと思うのです。

 

たまたま少し前、アマゾン配信の第2代大統領、“JOHN ADAMS”というTV映画を見たのですが、きちんとした議論をしていたのは弁護士である彼と、わずかな人たちであったように描かれています。実際もそうであったのかなと思っています。現在のアメリカ国民の様子や、議会の運営、公聴会なども相当な議論を尽くしてるように見えて、形式的に終わっているように見えるからでしょうか。

 

そのアメリカという大国のために、沖縄という素晴らしい人と領土を、戦争中から現在まで、その言うがママに、わが国は提供してきたのではないかとふと思うのです。わが国の矜恃は一体どこにいったのでしょう。

 

さて普天間・辺野古問題ですが、今朝の毎日記事、記者の熱い思いが語られていて、これを取り上げたいと思います。

 

私が普天間飛行場地のひどい状況を知ったのは90年頃が最初でした。その後普天間基地の危険を除去するためということで、辺野古基地の新設の話が取り上げられていた90年代後半、地元の反対運動の人たちの案内で、当時計画された海上基地周辺を船で視察したことがあります。その当時のことが、この記者の目という記事を読んで思い出しされたのです。

 

記者の目普天間移設 菅官房長官の発言 正確な事実踏まえ説明を=三森輝久(熊本支局・元那覇支局)>は、菅官房長官の発言に対して事実経過を丁寧に説き、事実に反すると鋭く切り込んでいます。

 

菅官房長官の問題発言は次の点です。

< 「22年前(1996年)のSACO(日米特別行動委員会)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、地元の市長と知事の同意を得て辺野古への移設を閣議決定したという経緯があるわけです」「これはもともと地元と話して決めたことじゃないですか。日米合意以来、沖縄や政府の関係者が努力を重ねてきた。辺野古の工事も、地元知事の埋め立て承認をいただいて決まったことをやってきたわけです」>

 

辺野古移転は地元の了解を得て22年前に決まり、その後も一貫して地元の了解を得て計画・工事を進めてきたというようです。それをいまになって反対するのはちゃぶ台返しだとでも言っているように聞こえますね。

 

<しかし、実際はそうではない。菅氏が言う「閣議決定した」計画は、V字形2本の滑走路を備えた現行計画ではなく、その前身、辺野古沖2・2キロの海上を埋め立てて滑走路を造る当初計画のこと。この二つは似て非なるものだ。>そうです私が実際に見た地点は現在とはまったく異なる位置ですし、基地自体も似て非なる物です。

 

しかし、それ以上に問題があるといってよいでしょう。

<当初計画の起点は、日米合意後の98年、稲嶺恵一氏の知事当選にある。稲嶺氏は「苦渋の選択」として「15年使用期限」「軍民共用空港」の条件付きで県内移設を容認し、・・・名護市の岸本建男市長(故人)・・・は99年12月27日、15年使用期限や基地使用協定締結など7項目を条件に容認。政府は翌28日、「使用期限については米国政府との話し合いで取り上げる」などとして7条件を受け入れた形で移設方針を閣議決定した。>

 

つまり、期間制限付き、利用制限付きだったのです。将来にわたって沖縄に基地負担を継続させることに断固反対しつつ、普天間問題解消のため苦渋の選択をしたことを忘れてはいけないでしょう。その海上案ですら、アメリカで訴訟提起を含め多くの反対があって座礁したのです。

 

ところが、05年に計画の変更と言うより新たな計画案が登場し、それは<辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上部を造成し、あわせて沿岸部を埋め立てて1本の滑走路を整備する計画に変更した。>上、<この時、政府は沖縄県や名護市に相談せず、了解を得ないまま米政府と合意した。そして15年使用期限などの7条件も雲散霧消した。>

 

つまり、沖縄にとって受け入れのための譲れない条件を外され、しかも沖縄の了解を得ずになされたのが現計画なのです。

 

三森記者の最後のことば<沖縄の人々が訴えているのは、米軍基地という重い荷物を、本土も一緒に負ってほしい、なぜ沖縄だけに負わせるのかという、根本的な疑問である。政府は正確な事実経過の上に立って説明を尽くし、その疑問に向き合わなければならない。>は、当然の内容ですが、政府はそんなことを承知の上で、トランプ政権に頭が上がらず、弱い沖縄の人たちに無理を強いることを平気でいるようです。私たちはそれでよいのでしょうか。

 

現在の大きな争点、埋立承認撤回をめぐる行政不服審査手続について、大きな疑義が出ています。この問題は今回が初めてではなく、以前から議論されてきたと思いますが、政府のあり方が問われていますし、行政不服審査法の立法趣旨が問われていると思うのです。

 

今日の毎日のもう一つの記事<アクセス沖縄県、承認撤回 防衛局、国交相に停止申請 「原告が審査役」の不思議 識者「正当性欠く」>です。

 

<米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設工事が再開したのは、防衛省沖縄防衛局長が申し立てた沖縄県の埋め立て承認撤回処分の執行停止を、石井啓一国土交通相が認めたためだ。国交相による執行停止は2015年以来。>

 

何が問題でしょうか。

<「国民の権利救済」が目的の行政不服審査法を使い、防衛省が請求して国交相が審査する奇妙さに加え、専門家からは「今回は3年前より正当性に欠ける」との指摘が出ている。【佐藤丈一】>

 

こういった点は環境アセスでも事業者が国の場合によく議論されることですが、とくに行政不服審査法という法制度自体が、旧憲法時代にはなかった、行政行為により被害を受けた国民の救済手段として立法化されたことから、今回の事態は腑に落ちない出来事です。事業者は防衛省という国の主要機関です。それが救済を求め、閣議決定をした内閣を構成する国交相の下、中立公正の立場で審査することなど到底不可能と言えるでしょう。仮にそういえなくとも信頼性を欠くといえるでしょう。

 

この手続の経過は次のようです。

<8月末、県が名護市辺野古沖の埋め立て承認を撤回し、9月末の知事選で移設反対の玉城デニー氏が大勝した。しかし防衛省は10月17日、「一日も早い普天間の全面返還を実現する」として沖縄防衛局長名で不服審査請求と執行停止を申し立て、石井氏が30日に執行停止を決めた。移設問題で同局長から国への不服申し立ては記録が残る05年以降で4回目。安倍政権では15年10月の埋め立て承認取り消しに続き3回目だ。>

 

今回の審査は、前回に比べてより問題性が高いと言われています。

<国交相は15年の埋め立て承認取り消しへの不服申し立てに併せ、「県知事に国政の重大事項を判断する権限はない」として県に代わって事務を行う代執行に向けた行政訴訟も起こした。岡田教授は「今回は訴える側と審査する側が内閣の一員で、国交相は防衛省の『代理役』として訴訟までやった。その立場で審査するのはあり得ない」と疑問を投げかける。>

 

防衛省が国であることから、そもそも埋立手続上特別扱いを受けていることから、別の問題も指摘されています。

<公有水面埋立法では、行政は事業者に「免許」を与えて工事を厳しく監督するが、国による埋め立てに対しては「承認」に過ぎず、指示や命令はできない。一方、沖縄防衛局長は今回、事業者として審査請求した。本多滝夫龍谷大教授(行政法)は「違法な工事が行われれば知事は免許の効力を制限できるが、国に対してそんな権限はない。特殊な地位にある沖縄防衛局長が事業者のように請求するのはどうしても理解できない」。>審査請求の前提たる、法的制限を課せられていない事業者・防衛省という立場で、この制度を一般の事業者と同様に請求権を有するか疑問視されますね。

 

沖縄辺野古問題、もう一度、最初から見直し、仕切り直しすることこそ、本土と沖縄、そしてアメリカとの将来に有益と考えますが、いかがでしょう。

 

今日はこのへんでおしまい。また明日。