たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

おむつどうする? <紙おむつ下水処理に懸念の声><廃プラのリサイクル>を読んで

2019-03-23 | 廃棄物の考え方

190323 おむつどうする? <紙おむつ下水処理に懸念の声><廃プラのリサイクル>を読んで

 

紙おむつは便利ですね。赤ん坊もお年寄りも、その世話をする家族、関係者にとってありがたい文明の利器でしょうか。紙おむつができたのはいつころでしょう。

 

だいたい「紙」おむつといっていますが、材質はほとんどが紙ではなくプラスチックですね。ともかくウィキペディアによると<便などが付着したら新品に交換し、再使用を前提としない市販のおむつである。素材として必ずしも紙のみが使われているわけではないこともあり、紙おむつという呼称は適しているとは言い難いが、習慣上そう呼ぶ人は少なくない。かつての使用素材は紙や綿であったが、1980年代以降は高吸水性ポリマーや不織布を使用するなどの工夫により、布おむつを凌ぐ性能を有するようになっている>と80年代以降とのこと。

 

それまでの布オムツは赤ん坊だとまだましですが、大人の場合大変だったでしょうね。そういった不便さから解放された多くの人にとって紙おむつはなくてはならないものとなっているでしょう。むろん私もその一人でしょうね。

 

でもいま海洋汚染で問題となっているマイクロプラスチック(MP)の観点からは、これまでの紙おむつ利用状況を礼賛できない状況にあることは以前から懸念されてきました。

 

毎日の今朝の記事<プラスチック危機紙おむつ下水処理に懸念の声>では、この問題の対応策として国交省が検討している処理方法とその新たな懸念を取り上げています。

 

まずその使用量が驚くべき数字ですね。

<国交省が2月に公表した推計によると、おむつの使用人口は現在の661万人から2040年は779万人に増加、使用量は年間142億枚になる。>このほとんどが紙おむつでしょう。

 

現在紙おむつは一般廃棄物として自治体で収集、多くは焼却処理で減量化して最終処分場に埋立しているのでしょうね。

記事では、その<介護関連施設などへのアンケート調査では「収集場所への運搬」が大きな負担となっていた。>といったところでも利用者側の問題となっているとのこと。普通の家庭でも、燃えるゴミがかさばり、収集回数が頻回必要とされる要因の主たる原因は紙おむつではないかと思うのです。

 

焼却処理の段階でも大きな問題を抱えています。

<水分を多量に含む使用済みおむつは燃えにくく、焼却炉を傷めることや温室効果ガスを発生させることも問題となる。>

 

この運搬と焼却が問題として(その前提が妥当かどう議論したのでしょうね)、国交省が検討しているのが次の画期的な?対策案です。昔から提示されてきたディスポーザー方式の現代版かなという印象です。

<国交省は22年度までのガイドライン作成を目標に、下水を利用したおむつの処分方法を検討している。家庭や施設に下水とつながる専用装置を設置したうえ、装置内で(1)おむつから汚物を分離。汚物だけ下水に流しおむつはゴミとして回収(2)おむつを破砕し固形物のみ回収。排水は下水に流す(3)おむつを破砕しそのまま下水に流す--の3案だ。>

 

最近の高層マンションの人気(もう終わった?)の背景には、あらゆるエンターテインメント施設が完備し、マンション団地で生活が完結し、部屋の中はハイテク家電などで便利さで満たされている、それが需要者から求められているという状況があるようです。このような需要にそったものとして、国交省案は妥当な対応かもしれません。

 

この点、当然ながら批判的な見解が紹介されています。

<東京農工大の高田秀重教授(環境汚染化学)は「・・・おむつは紙だけでなく、プラスチックを原料とする不織布やテープ、高分子吸水材で構成される。それらが破砕されれば、MPとして流出する恐れがあるためだ。>

 

紙おむつはまさにMPの塊というか、少なくとも発生源でしょう。それを破砕するなんてことは、あのディスポーザー方式以上に問題意識のなさを感じます。下水道に流せば、後は処理施設でちゃんと処理して、河川や海に排出してくれると国交省は公共下水道の建前を言い張るかもしれませんが、MPは下水処理でどう処理するというのでしょう。

 

また東京都区内のように、<汚水と雨水を同じ管で流す「合流式下水道」>では雨が降ると、適切に対応できない処理施設も通さないわけですから、余計問題です。

 

他方で、メーカーではMP問題に着目して、研究が始まっているようです。

<ユニ・チャームは16年から、鹿児島県志布志市と共同で使用済みおむつから再生パルプを取り出す実証実験を始めた。回収したおむつをオゾン水溶液で洗浄、殺菌。パルプと高分子吸水材を取り出して再利用し、不織布などは固形燃料などに再生する。処理後のパルプは、新品と同等の衛生品質を確保している。>

 

再生トイレットペーパーのように、再生紙おむつが普及するといいのですが、高度なプラスチック材料を使っているので、前者と比べて難易度がぐっと高まるでしょうね。

 

紙おむつの使用を削減、というのは実際やっている人には困難を強いる話で、便利なプラスチックを含まない別の材料で紙おむつを作ってもらうことに期待したいところでしょうか。

<動植物を原料とするバイオマス素材や生分解性素材といった代替プラスチックの積極的活用も同時に求められている。【塩田彩、野村房代】>というのは私も理解しつつ、難題だと感じています。ただ、よほどの合理的な適切な処理データが提示されない限り、国交省案には賛成できません。

 

ところで、今朝の毎日記事には<論点廃プラのリサイクル>が取り上げられ、廃プラ処理、再利用について、熱・エネルギー回収を促進する立場と、温暖化対策上、燃焼自体を抑制し、さらに再利用のリサイクルが実効性に乏しいことからプラスチック包装の利用抑制、代替物の利用を提案する立場とが、それぞれ論陣を張っています。

 

私自身、プラスチック包装の商品を日常的に使っている手前、後者の立場に手を上げると、「我が身を抓って人の痛さを知れ」といった非難を受けそうです。現実的には前者の立場が穏当かもしれません。しかし、あえてやはり後者の動きをより進める社会になって欲しいと望みたいです。

 

今日はこれにておしまい。また明日、といいたいところですが、明日は出張でブログはお休みです。月曜日から再開。

 

ところで、このブログのプラットフォーマー?でしょうか、331日におしまいということで、ブログを継続する場合別のところに移転するよう、以前からメールが届いています。

4月以降継続するか決めかねています。マンネリとなっているので、ちょうどいい機会だからしばらくブログを休止してはどうかと思ったりしています。fbも3年くらい休暇?をとっていますので、そちらにご挨拶するかもしれません。

 


豊かな生活?ゴミの山? <マイクロプラスチック 微細、河川も汚染>などを読みがら

2019-02-03 | 廃棄物の考え方

190203 豊かな生活?ゴミの山? <マイクロプラスチック 微細、河川も汚染>などを読みがら

 

最近少し賑やかです。ツグミの集団が毎日のようにやってきます。今日は日曜日なので少しその様子を眺めていました。集団を構成しているのは230羽くらいでしょうか。ツグミの他にいつものヒヨドリが一回り大きい姿をときに現れますが、さすがに量に圧倒されてかすぐに飛び立ちます。ツグミたちは杉木立の中でひなたぼっこをしたり、法地斜面の凍結した白色から薄茶、ときに少し緑がかかった雑草の中に嘴を差し込み、虫を捕っているようです。のどかな日和です。といっても外は5度くらいでしょうか、そよ風のせいか日が差し込むと少し暖かさを感じますが、やはり寒いですね。ツグミを含む野鳥はこの程度は平気ですね。

 

この付近にも小河川がながれていますし、柿畑にくわえて、野草、雑草が生い茂るところが一杯です。でも整った自然を感じさせてくれます。それこそ維新前後に来日した西欧人が驚いた日本の原風景を若干、思い描くことができましょうか。

 

ところで、今朝の毎日記事、いくつか関心のある内容でしたので、仕事をする代わり?少しブログを多めに書いてみようかと思います。まず第一がプラゴミ問題にします。

 

二つの記事で、一つは①<マイクロプラスチック微細、河川も汚染 日本近海流出 1立方メートル2.53個 東京理大調査>、もう一つは②<プラスチック危機川のごみ、対策急務 ポリ袋、注射器など散乱 脱使い捨て、家庭から>です。

 

マイクロプラスチック問題は、これまでもブログで取り上げてきましたが、海洋汚染が中心でした。でもその発生源はむろん陸上です。といっても海辺でプラゴミを投棄したり、あるいは海洋投棄するといったことは全体の割合からするとごく一部ではないでしょうか。すると陸上起因の場合海に面しているかどうかも関係しますが、基本は全世界が潜在的に対象となりそうです。わが国は遅くとも60年代後半、とくに70年代にかけてのゴミ戦争や、90年代のプラゴミ(廃プラを含む)のリサイクル対策の促進を通じて、プラスチック排臭対策が相当進んだと、だれもが思っているのではないでしょうか。他方で、途上国は中国の一昨年までの先進国からのその輸入・処理など問題行動があり、その他の途上国ではもっと深刻ではないかと思ったりしていませんか。

 

でも問題の本質を理解していなかったようです。マイクロプラスチックは、工場系はもちろん家庭の中からも、国策として各地で普及した公共下水道や、各種の代替施設を通じて数え切れない河川に排出していることがわかりました。

 

上記の①記事では、<日本近海を漂う微細なマイクロプラスチック(MP)の汚染源が、中国や韓国などアジア諸国から漂着したプラスチックごみだけでなく、国内の河川からのごみも影響しているとの調査結果を東京理科大の二瓶泰雄教授(河川工学)らのグループがまとめた。日本近海はMP密度が世界平均より高い「ホットスポット」といわれており>とその一端を示しています。

 

上記の東京理科大調査結果では、<調査は2015~18年、中部、近畿地方を除く北海道から沖縄までの全国29河川のMP密度を調べた。>ということで、基本的な特徴として<平均すると1立方メートル当たり2・53個で、日本近海の平均3・74個に近かった。>として河川寄与度を推定しています。また<最大値は千葉県の大堀川の13・6個。利根川は8・7個、埼玉県の荒川では4・6個を検出した。>というのです。

 

ここまではそうかと思いつつ、最期の結論というか推論については若干首をかしげました。まず、<レジ袋や発泡スチロールの容器などが原因とみられる。>というのですが、たしかに私が昨日歩いた和歌川でも両方とも目につきました。目立ちますね。でもMPは本来目に見えない物質ですね。目につくと言うこととMPの原因と決めつけるのはどうかと思うのです。その点は、最近のレジ袋やストロー問題も少し一つの製品をだけとりあげて魔女狩り?しているような印象を感じています。それでよいと思う、それ以外はOKという風潮を生みませんかね。

 

つぎの上記最大値の河川から、<人口密度や市街地率が高い地点ほどMPの密度が高く、都市部での汚染が深刻だった。>というのですが、柏市を流れる大堀川がそれに当てはまる?と不思議です。柏市や松戸市周辺は、流域下水道が昔整備されておらす、江戸川など周辺河川の汚濁がひどかった(30年くらい前の話)ですが、その後においても、少なくとも上記の視点が当てはまるか疑問です。利根川や荒川もそうですね。鶴見川はたしかに市街地化が著しいことは確かですが、それでも全体の河川の中で特別という印象はもちにくいですね。原因は別のところというか、もう少し調査分析が必要ではないかと思うのです。

 

他方で、二瓶氏が指摘する<「例えばバケツや洗濯ばさみなどのプラスチック製品を長時間屋外に置いていても劣化してMPとなり、空気中を漂って河川の汚染につながる場合もある」と注意を呼びかける。>という点は、ほとんどの人は意識していないと思いますので、そこは注目しておきたいと思います。

 

プラスチック製品の使用に慣れ親しんだ人なら、だれもが太陽光などで劣化し変形したり、壊れやすくなることは知っていますね。でも屋外で劣化の結果MPとなって空気中に浮遊することはあまり知られていないと思います。それこそこの問題こそ、啓蒙するための努力が必要ではないかと思うのです。

 

容器包装リサイクル法などにより、一定のプラスチック製品はリサイクルという処理工程で再び再利用されると、勝手な思い込みで、どんどんプラスチック製品を買い求め利用し続けているのではないかと思います。私自身がいつの間にかそういう非難されるべき立場に立っていることに愕然とします。リサイクル法ができるまでは、プラスチック製品をできるだけ利用しないようにしていたつもりが、いつの間にか無意識にリサイクルされていると思い込み、便利で安く軽いという三拍子そろったものですから、ついつい選んでしまうというか、買い換えてしまう傾向を作ってしまったのかもしれません。

 

レジ袋を使わなければよい、ストローを再生可能なものにすればよいとか、そこにだけ注目して、プラスチック製品全体の使用に見直しを感じないところに、大きな落とし穴を感じています。

 

ところで、荒川は以前、私がカヌーツーリングしていた拠点ですが、2の記事では<荒川河川敷でNPO法人「荒川クリーンエイド・フォーラム」(東京都江戸川区)などが実施したごみ拾い>というように、割合、昔ならNGO,現在はNPOが活発に環境保全活動をしています。

 

梅田啓祐記者はこのゴミ拾いに同行し取材記事を披露しています。<高さ2メートル以上に成長したヨシの茂みをかき分けると、ペットボトルや食品のポリ袋などのプラごみが散乱していた。約100人の参加者が人海戦術で回収するが、次から次へとポリ袋やカップ麺の包装容器が出てくる。発泡スチロール容器は、手でつかむとぐずぐずと細かく崩れ、破片が風に舞った。これがMPになる。>まだ荒川にはヨシ原が結構残っていて、野鳥も多いのですが、その中にMPが散在しているようです。注射器もでてきましたね。

 

家庭からのMP排出は相当な量になるでしょう。その意味で、家庭からの排出対策をすることがこれからの賢い?生活者というか、未来を考えた生活者と言えるのかもしれません。

 

梅田記者は高知でその取り組みをしている翻訳家の服部氏を紹介しています。

<服部家では、コーヒー豆や裏山で摘んだ野草、自家製のパンをガラス製の容器に入れて保存している。基本的にペットボトル飲料は買わずにステンレス製の水筒を携帯する。雄一郎さんが使う歯ブラシは竹製。使えなくなったら庭のコンポスター(生ごみ処理機)に入れ堆肥(たいひ)に。麻子さんは水だけで簡単に汚れが落ちるメラミンスポンジを「便利だが、食器をこするたびにポロポロとかけらが流れている」と使わない。「こうした取り組みだけでもプラごみは減らせる」と雄一郎さん。ごみの量は月間2リットルしかない。>

 

これには私は白旗を揚げてしまいました。以前は夜遅くまで飲んでいたりして、歯みがきをしないことも普通だった(極めて不衛生!)のですが、最近は食後に必ず歯ブラシをしっかり使うようになりました。歯ブラシも頻繁に取り換えるようになりました。しかし服部氏の指摘するように、まさに歯ブラシは問題のプラスチックですね。毎回磨いているうちに、摩耗して、見えないMPが歯や口の中の汚れと一緒に排水溝へ、そして公共下水道を流れ、最終処分場を経て河川に排出されていますね。スポンジもそうなんですね。いやいやプラスチック問題に長く(最近は遠ざかっていますが)関わってきたのにまったく理解していないことが分かりました。

 

ゴミとして排出されたプラスチックの中継地点などでは、これを圧縮して固めて外に積んだり、倉庫内に置いておく場合でも外気を遮断していないのが普通ですから(相当異臭が出ることも関係するでしょう)、MPはいつも空中を浮遊し、中には吸着性のあるものと塊になって、どこかに滞留したり、落下したりして、なんらかの環境汚染ないし健康被害の要因になる可能性も考えてよいかもしれません。以前は包装物の内容物や吸着したものによる環境汚染を考えていましたが、MPの存在は脅威です。

 

今朝の毎日記事では、多種類化学物質過敏症といった大気汚染物質による影響までも視野に入っていませんですが、今後はそういった視点も検討してみる必要を感じています。

 

この件は、今後も検討課題です。私の生活スタイルもどう変えうるかもですが。

 

 


先憂後楽 <首都圏発生 建設残土が船で三重へ>と<プラスチック危機 国内受け入れ飽和状態>などを読みながら

2018-11-16 | 廃棄物の考え方

181116 先憂後楽 <首都圏発生 建設残土が船で三重へ>と<プラスチック危機 国内受け入れ飽和状態>などを読みながら

 

「トリクルダウン」という安倍首相の威勢のよい発言はいつの間にかロウソクの火のように消えてしまったような感じです。張り子の虎のように見栄えのよい姿形は、注意しないといけません。オレオレ詐欺や特殊詐欺なんかも電話口や会った雰囲気はとてもよいそうです。騙す方はことば巧みです。安倍首相のことばと怪しげな連中と一緒にするのは失礼な話で、玉石混交と言われてしまいそうです。

 

ただ、政治というものは先憂後楽という視点で国家・国民のことを考えてリードしてもらいたいと思うのです。今朝の毎日記事<論点中央銀行の役割 インタビュー 白川方明・日銀前総裁>は、安倍政権が唱えたデフレの定義、一蓮托生に打ち上げた黒田バズーカ砲について、直接言及しないものの、前日銀総裁として、金融政策のあり方を持続可能性の視点で、冷静に論じており、非常に参考になります。

 

同じような見方は、環境保全の点でもいえるように思うのです。90年代以降20年の空白みたいないい方で、強引な経済成長を目指す舵取りをしてきた政官財ですが、その結果、どうなったのか、大変なツケを将来に残してしまっていると思うのです。少子化や高齢化対応といった福祉の問題は少しずつ前進しているようです。しかし環境保全となるとトランプ政権なみに後退が続いているように思えます。

 

残土処理や廃プラ処理は、90年代には大きな問題として取り上げられていました。前者は首都圏内では各地で一応の残土条例が次第に整備されましたが、イタチごっこという感じは拭えません(モグラたたきともいえますか)。廃プラ処理は、一応は分別収集の制度ができあがったものの、循環処理・資源化への制度作りができておらず、尻抜けでした。

 

そのような環境保全への適切にできていない不完全な廃棄物処理(リサイクル処理)行政を前提に、安倍政権は経済成長まっしぐらにすすめてきたように思えます。

 

その結果首都圏では、一年どころか、半年で都市景観の様相が様変わりするほど、急ピッチに開発が進められてきたように思います。そのとき産廃はどう処理されたのか、建設残土という産廃除外物はどうなったか、誰からも意識されない状態が続いたのでしょう。

 

私自身、10数年前、神奈川県で残土条例違反の事例を告発というか、行政に摘発して対応を求めたことがありますが、当時の条例では適切な措置がなかなか迅速に採れず、地団駄を踏む印象でした。開発許可事案では、残土処分はきちんとその量と処分先、ルートなどの報告を求めていますが、最終的な残土の処理まで監督が行き届くかといえば、行政の立場としては難しい現状であったと思います。書面審理以上に、処理場での全量をチェックするだけの体制はなかったのですから。そもそも建設残土と産廃の仕切り・区別自体が現場では簡単でないことが少なくなく、産廃処理がすり抜けられることも当時は一定程度あったと聞いています(これはさらに15年くらい前の話)。

 

マイクロプラスチックによる海洋汚染問題で、スーパーのポリ袋などを有償化する対応を政府が検討していますが、これも今頃になってと思うのです。90年代か、遅くとも2000年代初頭頃には、少なくとも有償化が必要との意識が高まり、実施されつつあったと思うのですが、いつの間にかどこもどんどん無償配布が当たり前となりました。

 

消費税2%アップとの関係で、コンビニでは持ち帰りか、あるいは店で食べるかで、税率が違う扱いでどう対応しようかと全国で話題になっているようです。私からすると、ポリ袋を当然のように用意することの方が気になります。スーパーもコンビニも同じでしょうといいたいのです。有償化に区別する趣旨がわかりません。コンビニの便利さが失われるなんてことは考えにくいのです。むろん私もコンビニを利用しますが、買い物袋持参です。別にこれで快適さ・便利さを損ねることは考えられません。

 

それよりもプラスチックの適切処理がずっとうまくいっていないことの方が問題です。自分は便利でも、その結果悪影響が多大であったら、ちょっとくらいの不便さは受け持つくらい自由人としては当然ではないかと思うのですが。

 

プラスチックのリサイクルなんて形だけで、まともにリサイクル処理ができていないのを放置してきたツケは大きいでしょう。だいたいプラスチックの種類が年々歳々増える一方で、分別処理がそれに応じて進化せず、現在の分別収集では、適切なリサイクルができず、結局、焼却処理して熱源として使うことを「リサイクル」の一環と称するのは羊頭狗肉でしょう。

 

と今日は少し気持ちが入った感じで書きました。

 

ところで、毎日記事は丁寧に事実を取材しており、一面で、真ん中に北方領土問題を小さく囲み、右に首都圏残土が三重県にと、肥大に行き場失うプラごみと、大きく扱っています。安倍首相とプーチン大統領の先行きの見えない交渉より、両者に焦点を当てた毎日新聞に拍手したい気持ちです。

 

詳細は、残土処理については<首都圏発生建設残土が船で三重へ 事実上の「投棄」>を、プラゴミについては<プラスチック危機国内受け入れ飽和状態 廃プラ、処理法確立急務 焼却限界、コスト増>をご覧ください。

 

なお、現代日本人の特徴といってもよい、ヘビーユーザーの対象である包装袋の他に、弁当容器は意外とその処理上の問題に気づいていないかもしれませんので、参考に次の記事<質問なるほドリ弁当容器再利用できる? 複数素材使用 分別難しく=回答・岡礼子>を取り上げておきます。

 

今日はいろいろ文書を書くことが多かったためか、久しぶりに手が痺れています。書き始めに違和感があったので、やはりという感じです。要注意です。

 

ともかく中途半端ですが、これにておしまい。また明日。

 

 

 

 


プラスチックとどうつきあうか <NHHおはよう日本で、プラゴミ限界>を見ながら

2018-08-08 | 廃棄物の考え方

180808 プラスチックとどうつきあうか <NHHおはよう日本で、プラゴミ限界>を見ながら

 

今朝のNHKおはよう日本では、プラスチックごみの限界、業者の悲鳴を取り上げていました。消費者ではないですね。すべてを見たのではないですが、そこに現れた画像は、以前みた光景でした。

 

廃プラだけなのか判別しかねるようなゴミが次々と圧縮梱包され、積み上げられていました。ペットボトルの流れ作業もありました。どのように選別しているのか選別基準がよくわかりませんでしたが、たしかあるペットボトルのメーカーが主体的に寺社だけでなく他社のものもリサイクル処理するために取り扱っているとの報道でした。たしかに本来、はがされたあとにリサイクルのために出されるはずのペットボトルには各社のラベルが残ったままでした。洗浄してだすはずなのに、内容物がのこったままとかもありました。

 

私は草刈りをしているとき、どれだけペットボトルや空き缶が山林や田畑に捨てられているか、嫌と言うほど見てきました。むろんたいていは飲み残し、弁当であれば食べ残しがあります。土に埋もれたものもあります。それを洗って回収日に出す作業をしてきました。気持ちよくやっていたわけではないので、気分が乗らないときはやりません。そして道路のそばに、空き缶を並べて(同じ空き缶やペットボトルを捨てる人がいるので、同一人物なんでしょうかね)、注意喚起をしたことがあります。ま、焼け石に水でしょうか。

 

そんなくだらない話は脱線もいいところなので切り上げて、本筋に戻ります。

 

画像は、リサイクル業者がもう受け入れが困難ということで、まず焼却施設に持ち込むことで対応しようとしたのですが、その焼却施設も処理能力をオーバーして、新規に受け入れできないとシャットアウトというのです。次は埋立処分ですが、それも最終処分場が限られていて、産廃はもちろん一廃も満杯状態のようです。

 

これは従来、事業系の廃プラについては中国が引き取ってくれていたから、問題にならなかったのですが、廃プラ処理で環境問題の悪化が危機的状況になったため、ついに輸入禁止という強硬姿勢に変わった結果です。対応が遅い中国ですが、決まると断固とした対応をしますね。

 

そうなると、これまで見えなかったプラゴミや廃プラのリサイクルの限界、いや廃棄処理の限界が可視化されてきたということでしょう。このことはこれまでなんども繰り返してきた同じ道のようにも見えますが、リサイクル法制が整備された、リサイクルがうまくいっているとの幻想の中で、見えなかっただけ、それより悪いのはよりプラスチック製品がはびこってきたように思います。

 

私の記憶では30年くらい前でしたか、東京弁護士会ではシンポジウムも含めさまざまな会合にプラ容器を用意するのをやめ、代わりに昔ながらのコップかお茶碗を用意するようになった時期がありました。いつまで続いたか忘れましたが、それくらいプラ容器などの普及、廃棄を懸念していたのです。

 

リサイクル法制というまやかし的な制度は、プラ容器やポリ袋などを利用しても、分別収集によりリサイクル利用され、焼却や埋め立て処分は至らない、不法投棄もなくなると幻想的な夢を抱かされたのかもしれません。そんな意識すらなく使っている人も増えたと思います。その結果は、リサイクル利用がほとんどなく、集めたはいいが、自国で処理できないため中国に輸出してリサイクルがうまく動いているという外観をつくってしまったようです。

 

そして中国の輸入禁止によって、フリーズ状態になったかもしれませんが、真剣に取り組み会社も現れたようです。でないと世界的に問題視されているプラスチック製品の利用の抑制が本格化することになることが近い将来予想されるからでしょうか。

 

NHKで紹介されていたのは、ペットボトルなどを回収して、素材に戻し(とっても小さなパーティクルの玉になりますね)、それでリサイクルペットボトルを製造するというのです。さまざまな商品化が90年代くらいから始まっているように思いますが、一番コスト的にも実用的にも合理性があるのは、同一製品のリサイクル利用でしょうか。

 

それにしてもこのままきちんとした対応を構築しないと、焼却処理や埋立処分は限界ですので、不法投棄か、まちにゴミがあふれる状態になるおそれもありますね。

 

一番いいのは生産制限で、代替品を提供することですね。熱中症対策で、さまざまな飲料ボトルが飛ぶように売れ、使われていますが、適切な飲み方をしているかも検討される必要があるとともに、ペットボトル以外の利用も考える時期かもしれません。

 

84日付け毎日記事<プラスチック危機廃プラ、行き場失う 中国が輸入禁止>はその影響の拡大を報じていますね。

 

519日付けNHKクローズアップ現代+は<ペットボトルごみがついに限界!?~世界に広がる“中国ショック”~>とかなりビビッドに、そしてビジュアルに紹介していて参考になるかと思います。

 

今日はちょっと用があるので、30分で書き上げ、急ぎで終わらせてもらいます。

 

また明日。


便利と環境倫理 <プラスチック危機 ケニアの挑戦 ポリ袋使用、まさかの逮捕>を読みながら

2018-07-30 | 廃棄物の考え方

180730 便利と環境倫理 <プラスチック危機 ケニアの挑戦 ポリ袋使用、まさかの逮捕>を読みながら

 

私たちは常に快適さを求めてきたように思うのです。それが最大多数の最大幸福につながる、美しい?見えない糸があると幻想しているわけでもないのに。

 

便利さを追求するのが人間であり、企業であるかもしれません。それを辞めたら発展、進化はないのかもしれません。しかし地球の歴史は一歩前進二歩後退してきたかもしれません。

 

昔であったら神を怖れぬということで、自然災害やたたりという事象が時折、人間の傲慢さを自省させるような事態が起こったのかもしれません。

 

毎日新聞が連載している「プラスチック危機」も、プラスチックの普及とともに、なんども繰り返された警告かもしれません。化学物質などの毒性について閾値が取り上げられますが、社会としての許容能力も似たような目安があるように思えるのです。そろそろ危うい状態に近づいていないでしょうか。

 

先進国といわれる中で、EUはかなり以前からプラスチック使用に自主的に抑制するスタンスをとってきたと思います。わが国はたとえば、東京ゴミ戦争といわれた70年代にはすでに大きな問題とされていたのに、効果的な対策がとられないまま、適当な分別処理・リサイクルでごまかしてきたように思います。

 

途上国はというと、私が80年代後半訪れたボルネオ島で見た光景は、先住民の集落ですらポリ袋をはじめプラスチック製品が出回り、集落のはずれには捨てられたプラスチック容器などで埋め尽くされていました。集落の人数も数十人程度ですので、それほど環境に影響を与えるほどではないですが、こんなへんぴなところでもと驚いた次第です。

 

それからすでに30年が経過しました。わが国も、途上国も、プラスチック製品、そのゴミ化はさらに急速に拡大しています。ほんとにこれでいいのと思うのです。

 

私自身、便利なもの、きれいにするもの、それは反面で、環境に多大な負荷を与えるものと思ってこの30年あまり生活を送っています。その両天秤をどのようにバランスをとるか四苦八苦しつつ、ときに忘れてしまうこともあります。

 

それでもいくつかは実践してきたように思うのです。きれいにする一つ、クリーニングはできるだけ利用しません。30年以上前、クリーニング店で利用しているトリクロロエチレンなどの処理が適切に行われていないことを知ってからです。ワイシャツにシワがあることの方がよいと考えるからです。化粧品はもともと使わないのですが、女性にはできるだけ利用を控えめにしてもらいたいと思う一方、それはだめ出しを受けるかもしれませんね。

 

さて本題のプラスチックです。どんどん増えてきて、いつの間にか私も相当量使っていて、いくら容器包装プラスチックとして分別排出しても、わが国の現状では適切なリサイクルが行えているとは言えないのですから、やはり排出抑制というか、使用を控えるべきでしょう。

 

スーパーでもコンビニでもどこでも、マイバッグを持ち歩いていると、少なくてもポリ袋はいりませんね。私は有料で良いという立場です。これも消費者の中には猛チャージする方もいるでしょうね。ま、私個人には力がないので、相手にはしないでしょうが、行政がそのような企てを考えていれば、それこそ目の敵にされ、消費税増税並の反撃を食らうでしょうか。

 

プラスチック製品は多様で、その中には医療用具などとても有益なものもあるでしょう。問題の多いプラスチックですが、いずれも功罪相半ばするのが真相に近いと思う中、有益性の高いものに限って利用促進する一方、ポリ袋を含めあまり必要性の高くないものは使用制限を考えてもよいのではと思うのです。

 

むろん最終的には個人の選択にかかる部分も少なくないと思いますが、行政、企業、研究者の指向性として、一定の基準を検討する機会を設けてはどうかと思うのです。

 

そのような思いは、途上国と言われるケニアの新たな実験で、先進国と言われるわが国も考えてもらいたいと思った次第です。そのケニアの挑戦は、毎日朝刊記事<プラスチック危機ポリ袋「ノー」 ケニアの挑戦(その2止) ポリ袋使用、まさかの逮捕 厳罰立法、市民の怒り後押し>で驚きと怒りの現状を伝えています。

 

ポリ袋禁止新法による逮捕です。

<「まさかと思ったよ。路上で果物を売っていただけなんだから」。南東部モンバサで昨年10月、マーティン・マシラさん(27)ら4人が警官に現行犯逮捕された。警官はマシラさんが売ろうとしているリンゴが入ったポリ袋を指して「禁止されたのを知らないのか」と詰問し、連行した。マシラさんは翌日裁判所に出頭。初犯のため情状酌量を認められて釈放されたが、裁判官からは「次からは収監か高額な罰金を覚悟するように」とクギを刺された。>

 

消費者の苦情と業者の嘆きです。

<「レジ袋は無料だったのに、なぜ金を取るんだ」。首都ナイロビから約30キロ離れたキテンゲラの大手スーパーでは、商品の持ち帰り用に再利用できる袋を10~40円相当で販売したが客の不評を招き、当初、苦情が殺到した。

 ナイロビの青空市場でトマトやタマネギを売る女性(35)は、持ち帰り用の繊維でできた薄い袋を店に置くが、仕入れ代はポリ袋の6倍高い。客が逃げるので売り物の値上げはできず、1日600円ほどだった利益は半減。「ポリ袋の禁止には反対しないが、安価な代用品がないと商売にならない」と嘆息する。>

 

賛否両論あるものの、禁止法は着実に社会に浸透している様子です。

<法施行に反対する立場の人たちからは、ポリ袋禁止に伴う経済的損失を指摘する声もある。ケニア製造業者協会(KAM)によると、ポリ袋製造業者が廃業に追い込まれ、数千人が失業。関連業界など「間接的な影響」も含めると10万人の雇用に影響が出たと試算し、政府はさまざまな弊害を考慮し、段階的に導入すべきだと訴えてきた。

 こうした声に対し、政府顧問を務める環境専門家ピーター・オデンゴ氏は、社会的なコストは多様な側面から検討されるべきだと「反論」する。「プラごみによる汚染は人々の健康を脅かし、ケニア経済の多くを占める観光収入の減少を招いてきた」>

 

新法のビフォー・アフターは<プラスチック危機ポリ袋「ノー」 ケニアの挑戦(その1) 「世界で最も厳しい」禁止法>によれば、

 

新法施行前は途上国で見かける悲惨な実態がありました。

<禁止法ができるまでケニアのスーパーでは年間1億枚のレジ袋が無料で配布され、使用後には無造作に路上などにポイ捨てされていた。この結果、大量のごみが川や水路などにたまり、水の流れをせき止めてたびたび洪水が発生。また、家畜が誤ってポリ袋をのみ込むことも問題となっていた。「食肉処理場では10頭に2~3頭の割合で牛の胃袋からポリ袋が見つかっていた。街の景観はもとより、食の安全を脅かし、災害を引き起こしてきた」。国家環境管理庁のゼファニア・オウマ副局長(監視指導担当)は、プラごみの不法投棄がもたらしてきた深刻な被害をそう語る。>

 

それが見違えるような美人?のまち景観となったのです。

<だが、この1年で景観は見違えるようになり、家畜の誤飲も減ったという。当初は戸惑っていた市民も布製のエコバッグなどを持ち歩き始めた。>

 

むろん一国だけでは解決する問題でもないですし、ポリ袋だけの問題でもありません。これから持続性あるプラスチックゴミ対応を消費者、事業者、行政のいずれもが真剣に検討していかなければならない問題です。

 

そろそろ1時間となりそうです。この辺でおしまい。また明日。