たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

国有地もいろいろ <山梨の国有地 放置のち「たたき売り」 算定、財務省次第>などを読みながら

2018-01-08 | 行政(国・地方)

180108 国有地もいろいろ <山梨の国有地 放置のち「たたき売り」 算定、財務省次第>などを読みながら

 

日本航空学園といえば、最近甲子園にも出場するので、名前くらいは覚えているくらいですが、突然、毎日朝刊の一面に取り上げられ驚きました。

 

財務省山梨の国有地 格安販売 評価額の8分の1で>との見出し記事では、<山梨県内の国有地を地元の学校法人が約50年無断で使い続け、管理する財務省関東財務局が把握しながら放置した末、2016年5月に評価額の8分の1で売却していたことが明らかになった。>

 

またまた森友学園との土地売却みたいな財務省の胡散臭い国有地売却かと思いつつ、記事を読み進めてみますと、おおむね毎日記事の指摘は理解できるものの、実態はかなり違う印象を抱きました。

 

たしかに土地評価と売却価格の差はバナナのたたき売りに近いですので、毎日記者の激怒するような気持ちもわからないわけではありません。

 

でも問題の土地を見ると、なるほど面積合計は<同県甲斐市の計約6566平方メートル>ですから、相当なものです。といっても田舎ではこのくらいでは農業を含め事業用地とするには十分ともいえないでしょう。それでもたいした面積であることは確かです。

 

しかし、その配置・形状・元の土地利用を考えると、独立の交換価値を見いだすのは難しいでしょうね。

 

もう一つの記事<山梨の国有地放置のち「たたき売り」 算定、財務省次第>には当該土地の部分を特定する地図が掲載されています。

 

これによると、釜無川に沿って滑走路などキャンパスがありますが、その中に<農道や水路の形状のまま枝分かれして存在して>いた?ようです。現在の土地利用については触れていませんが、農道も水路も必要ないはずで、キャンパス敷地として埋められたりして残っていないのではないかと思います。いずれにしても網目状に延びる農道・水路では、第三者が取得しても使いようがないでしょうね。

 

その意味では、財務省が一定の減額評価をするのは、その減額に合理性がある限り問題とはならないように思います。

 

では財務省の減額処理はどうだったのでしょう。

<滑走路などキャンパス内の国有地の評価額(相続税評価額)は計約7180万円。>この金額は農道・水路以外にも国有地があったと言うことでしょうか、そうではなく、単純に現在の利用状況を踏まえてキャンパス敷地の評価を算出したと言うことなのでしょうね。これ自体がはなはだ疑問ですが、それほど大きな問題ではないでしょう。

 

その上で、<農道や水路の形状のまま枝分かれして存在しており、財務局は他に需要がない場合に減額できる「需給修正率」(50%)を用いたほか、この土地に学園の「借地権」があったとみなして「借地権割合の控除」(50%)も適用。さらに教育施設への減額措置(50%)なども使って最終的に875万円まで価格を下げた。>

 

すごい計算ですね。単純に本来の評価額に50%、50%、50%と3回乗じると秀吉がやったネズミ算式の逆で大幅減額が可能なのですね。

 

減額するのはいいとしても、この減額根拠と比率はとても合理性があるとは思えません。

 

ま、需給修正率という理由自体はごもっともで、その割合はもっと低くても良いかもしれませんが、一体、その比率をどのような基準で定めたか疑問です。

 

次に借地権割合の控除は、前提として借地権がないのですから、これ自体減額根拠となりませんね。なお、時効取得の主張については論外ですし、それを理由に借地権を認めることは矛盾しますから、論理が混乱しているともいえるでしょう。

 

毎日記事や掲載された論者の意見では、時効取得の解説まで掲載しながら、どうも適切でないものになっているように思えます。ま、司法試験の基礎的問題で、私のような高齢者にはもう記憶のどこかに飛んでいったようなものですが、少しは思い出しながら触れておきます。

 

毎日記事にもあるように「時効取得」は< 民法162条で規定され、他人の不動産などを20年間占有した者は、所有権を取得するなどとされている。「所有の意思をもって、平穏かつ公然と」>が要件とされます。簡単な問題のように思えますが、実際は「所有の意思」をめぐる紛争は結構ありますし、最高裁でなんども判決が下されているくらいですから、微妙な事案も少なくないと思います。

 

とはいえ、基本は所有の意思が必要(自主占有)ですので、借りたりしていればその意思を認められません。占有が20年を超えて50年以上であっても所有関係に影響を与えることはありません。とはいえ所有の意思はその人の内心の意思ではなく、占有を取得したときの契約を含む法律原因や外形的な利用形態によって客観的に判断されますので、その主張立証ができるかがポイントになります。

 

で、記事では<日本航空学園は「国有地という認識はあったが、国から(使用料などの)請求はなく利用していた」と説明。>とか、一時、国と売却の協議をして値段の点で折り合わなかったというのですから、他人のものの占有として、他主占有となり、時効取得はアウトですね。

 

とはいえ、農道・水路ですし、国がまったく管理していなかったようですから、その合計面積からいっても評価額が特段おかしいとまでいえるかはもう少し検討を要すると思います。財務省の減額算定の手法に疑問はありますが、算定結果の減額額はそれほどバナナのたたき売りとまでいえるかは即断できないと思います。

 

強いて言えば、もう少し適切な評価マニュアルを作り、ガラス張りにして交渉内容を明らかにしていれば、それほど問題にされなかったかもしれません。

 

とここまでが前置きです。いつもながら前置きが長くなり恐縮しています。

 

なぜこの問題をとりあげたかは、問題の土地が農道・水路だったからです。おそらく日本航空学園は、田畑の所有者との間では売買契約を締結して、きちんと所有権移転登記を適切に済ましたのだと思われます。

 

なぜ農道・水路が残ったのか、ここははっきりしませんが、学園が田畑を取得した60年代であればこれらを分筆して登記していなかった可能性もあります。青線・赤線として無番地の公図表記だけだったのかもしれません。むろんそれでも国有地であることは間違いないのですから、払い下げなど適切な法的処置を講じるのが本来だったのでしょう。

 

で、この国有地であることを問題にしたいと思っているのです。なぜ国有地なのか、私もよくわかっていません。戦前から戦後にかけて多くの農道・水路(当時の建設省が開設するのは別ですが)は、元々周辺の農家が所有している農地を無償提供して、関係農家の便益のために利用されてきたのだと思います。その田畑が学園敷地に売却されたとき、その農道・水路は用途がなくなったのですから、本来の農家に戻してもおかしくないのではと思うのです。

 

すべての農道・水路をそのように取り扱うのはどうかと思いますが、地域の事情に応じてそのような取り扱いも合理性があるのではと思うのです。そうなると国有地などといって、元々開設にもタッチせず、維持管理にも関与していなかった国が権利を云々するのはどうかと思うのです。

 

むろんこういった農道・水路で費用支援があったりするので、すべてを個々の農民にというのもどうかと思いますが、関係者の協議で配分を決めるというのもあるかもしれません。

 

現在、こういった財務省管理の農道・水路の多くは、自治体に移管され、いわゆる普通河川的な取り扱いを準用しているのではと思われます。農道については、ここでは赤道を想定していますが、保留しておきます。

 

もう一つ釜無川といえば、信玄堤・霞堤で有名ですね。このキャンパス地となったところも氾濫原でしょうね。釜無川が暴れても、肥沃な土壌を運んでくることで農産物がたくさんとれたのでしょうか。そんなことを思い出さしてくれる写真記事でした。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日

 

 

 


議事録は必須 <政府の重要会議、議事録ないケース>などを読んで

2017-12-21 | 行政(国・地方)

171221 議事録は必須 <政府の重要会議、議事録ないケース>などを読んで

 

今日は朝から大阪・堺まで出かけていって、夕方前に帰ってきたら、依頼者から突然の電話で相談があり、業務時間終了時にようやく終わり、いま一段落しています。

 

堺での用事のついでに、一度は訪れたかった大山古墳(いわゆる伝仁徳天皇陵)を訪れました。百舌鳥古市古墳群として来年の世界遺産登録を目指すことが決定したとのニュースをいつか見た気がします。世界遺産登録の対象となること自体、その規模・世界史的な意義などからも当然と思いつつ、でも対象としてふさわしくないのではとも思うのです。そんな気持ちで写真を撮っていたら、たまたま観光客もいなかったこともあり、ガイドの一人が近づいてきて、いろいろ説明しようとするのです。ありがたいが一般論は結構ですと断り、被葬者の問題などを指摘したりすると、今度はその方も世界遺産登録に疑問を投げかけてきました。

 

世界遺産とするなら本来の前方後円墳の形状に戻すべきだといった意見でした。それはそうでしょうね。秦の始皇帝陵も発掘調査などを続け、次第に全容が明らかになりつつあるわけですから。現在のように立入禁止で、被葬者すら特定できていないのに、仁徳天皇陵として登録したりしたら、どうなるのでしょう。比定の根拠は平安時代の延喜式でしたか、当てにならないように思うのです。記紀の記載から見ても矛盾しませんかね。仁徳の諱は苦しむ民の姿を見て3年間でしたか?免税措置をとったとか、仮にそうだとしても、こんな大規模工事を庶民に負担させる苦役を強いる人が仁政を行ったと思えますかね。

 

すでに考古学の世界では解決されたように思いつつ、歴史学の世界でもいろいろ諸説が紛糾しているようにも思え、そのような議論は素人には楽しい限りです。でも記録があまりになさすぎますね。当時は文字を書く人がいなかったというのは誤解ではないでしょうか。きちんと意思決定の記録が残されていたが、乙巳の変で、蘇我蝦夷ではなく変を起こした張本人が焚書坑儒ではないですが、都合の悪い記録を始末したのではと愚考しています。

 

と余計な話しをしてしまいましたが、為政者の意思決定はきちんと記録に残されるべきであることは、だれも異論がないように思うのです。ところが、わが国ではなかなかそのような公文書管理が根付きませんね。

 

今朝の毎日記事<行政文書管理残る課題 政府の重要会議、議事録ないケース>と<公文書管理政府が見直し案 「1年未満」廃棄時も記録>で取り上げられた問題は、真剣に検討してもらいたいですね。

 

私自身、日弁連の委員会である部会を主催していたことがありますが、昔は職員が傍聴して議事記録を取るようなこともありましたが、ある時期から委員自身でとるようになった記憶です。いずれにしても、そのような議事録があることで、どのような意見が出て、最終的な決定に至ったかがわかり、その判断過程の問題点を後から振り返って検証することもできます。問題のある決定であれば、異なる意見がなかったか、あるいはその決定を支持した意見に裏付けが十分でなかったとか、検証できますね。

 

議事録をどの程度丁寧に残すかはその問題ごとにABCといったランク分けをして、それに応じた記載も考えていいでしょう。

 

人間の意思決定は誤りやすいですし、誤りがあればどのような議論の結果なされたか、正しい場合でもその議論の立て方、根拠資料の分析などは、今後の参考になるわけですね。

 

その点では、行政行為、しかも国家機関の場合はすべて重要でないものはないでしょう。議事録を残さなくて良いものはないとってよいと思うのです。むろん重要性に違いが相当あるわけですから、それに応じて文書化や記録管理には工夫が必要と思います。

 

しかし、毎日記事で取り上げられているように、皇室会議の議事が概要のみというのは議事録の体をなしていないのではないでしょうか。公表する場合一定のクローズが必要であることは確かでしょうけど、議事録自体は重要な場合個々の発言者とその発言内容は丁寧に記録されるべきではないでしょうか。

 

皇室会議の議事録といった限定でなく、重要な政府機関の意思決定一般については当然、上記のことが当てはまりますし、もう少しいくつかの手法をとりいれてもよいと思うのです。

 

たとえばビジュアル化という意味ではビデオ録画を原則にするといったことが一定の会議についてはあてはまるように思うのです。単に録音するだけでもいいと思うのです。現在のAIは視覚だけでなく聴覚も繊細かつ機能的になっていますから、直ちに文書化も可能ですね。

 

しかも一定の議題ごと、論点ごとなどで、人間の能力の何十倍何百倍の速さで、わかりやすい整理も可能ではないかと思うのです。

 

それらはAI記録なり、AI文書として保管しておく必要があると思うのです。できればすべての政府・行政の担い手の言動は記録として残して欲しいと思うのです。民間なり、プライバシー確保の必要性が高い場合でも、記録自体は残しておくのが本筋ではないでしょうか。

 

民間にしろ、議員にしろ、政府や行政にアプローチすること自体、それは公益に関わることですので、秘密裏に運ぶべきではないと思うのです。対象となるのは会議にとどまらず、面会、交渉すべてです。

 

ICレコーダーを用意すれば簡単です。それは電磁的記録としてPCに保管され、同時にAIによって文書化も一瞬で可能になるはずです。

 

それを文書として公表することについては、一定の基準で、期間や内容を考量して、最終的には全部開示できる制度化を求めたいと思うのです。

 

国家的機密や個人のプライバシーといった秘匿性は、その限りで確保できるのですから、まずは議事録作成・保管ということをはじめてはどうでしょう。

 

議事録を作っていないとか、一年未満で廃棄といった問題は、とりあえずこのような処理で対応できるのではないでしょうか。

 

記録はPC内で保管することで、文書記録の膨大さのために狭い部屋が占領されるといった弁解はなりたたなくなるでしょう。なんでも記録すると、膨大な記録の中に重要な案件が埋没するといった不安もACは解決してくれるでしょう。

 

後は、どのように公表するかを、改めて時間をかけて議論して、少しずつか、思い切りか、開示する道筋をつければいいのではないでしょうか。

 

とここまでで一時間です。堺・橋本をつなぐ高野街道はいつも混んでいて、滅入ります。どっと疲れた中で、青島顕記者の丁寧な記事を読み込むだけの元気がないため、ただただ、自分の考えを述べるだけに終わりました。もう少し地に着いた議論をすればいいのですが、ご勘弁を

 

今日はこのあたりでおしまい。また明日。


仕事に生きる <ストーリー 月給25万9000円の市長・・>を読みながら  

2017-12-17 | 行政(国・地方)

171217 仕事に生きる <ストーリー 月給25万9000円の市長・・>を読みながら

 

今村俊也九段が見事なうち回しで、強敵黄八段に中押し勝ち。NHK囲碁トーナメントは40年くらい前から時折見ていて、20年くらい前から遠のいていました。最近再び見るようになったら、若き精鋭の一人今村さんがいつのまにか白髪も目立つトーナメント出場選手では年齢が上位に位置するようになったようです。若手は10代、20代がとても強いですね。黄さんもすでに30代でしたか、鋭い読みでとても強いと思っていたので、優位に進める今村さんも逆転されるかと思っていたら、今回は最後まで決めて緩みなく、ベテランの強さを発揮しました。

 

囲碁や将棋の世界では年齢は関係ないですね。年齢という経験を重ねれば強くなるということも内容です。非情な世界というか、自然の優勝劣敗の世界でしょうか。

 

翻って、ビジネスの世界でも、長く年功序列で終身雇用、右肩上がりの給与制は、もう過去の話でしょうか。いまなおしがみついている企業・社員はグローバル社会で取り残されていくのかもしれません。最近の20代、30代の世代では、いつまでも続くと思うな勤め先と安定収入ということが念頭にあるようですね。そのため企業での仕事以外に収入源を見つけたり、スキルを得ようと努めたりで、企業への忠誠心?といったものも薄らいでいるのでしょうか。社会の全体の状況はわかりませんが、少なくともそのような流れが着実に信仰しているように思えます。

 

他方で、国・地方自治体の歳費は、首長、議員、公務員のいずれも一定の基準で標準額があるようで、横並び式というか、多少は社会の影響を受けてカットもあるのかもしれませんが、どうも実績主義や歳費削減の動きが亀並みの進行のように見えるのは一面的でしょうか。

 

そんな中、毎日朝刊では<ストーリー月給25万9000円の市長(その1) 夕張の「サンタ」の10年>と<(その2止)夕張再生目指し格闘>の記事が円谷美晶(つぶらや・みあき)記者によって取り上げられています。

 

市長の月給259000円というタイトル、それだけで衝撃的ですね。破綻した夕張市だから仕方ないと思うのも一つですが、それを担っているのが、元東京都職員で将来を嘱望された若き青年が大幅収入減を承知で続けているとなると、注目したくなりますね。

 

その夕張市について、<北海道の新千歳空港から約40キロに位置する夕張は、かつて炭鉱のまちとして栄えた。ピークだった1960年に11万7000人を数えた人口は石炭産業の衰退で激減。観光振興策の失敗などで632億円の債務を抱えた。民間企業でいえば倒産状態となり、2007年3月から「財政再建団体」(現制度では財政再生団体)として国の管理下に置かれている。>石炭産業に続いて、たしかリゾート推進策という国を挙げての施策に追随邁進した結果ですね。行政の責任は重い、しかし、市民も無自覚だったでしょう。

 

<市長の鈴木直道さん(36)>がなぜこの厳しい自治体の首長になることを選択したのか、それは誰もが気になるでしょう。円谷記者はそれを代わってくれました。

 

出発点は10年前。<一面に銀世界が広がる北海道・夕張山系。東京都職員だった鈴木直道さん(36)は2007年12月25日、この地を初めて訪れた。08年1月21日付で夕張市へ派遣される前に、東京都の猪瀬直樹副知事(当時)らと下見に来たのだ。>

 

<当時26歳の鈴木さんは都の保健政策部疾病対策課主事だった。緊縮財政のまちに身を置くことで、削れる行政サービスとそうでないものは何なのか知りたい。夕張で学んだことを都庁の仕事に生かせるのでは--と考えたという。

 07年に財政再建団体に指定された夕張市は職員の給料を平均3割カット。将来の希望が持てなくなった管理職らが一斉退職し、残された職員が突然管理職になるなど混乱していた。>

 

丹下健三氏が設計した都庁舎の内外のきらびやかさの中から、突然、破綻した田舎の市庁舎を訪れた鈴木さんが目にした現実は予想以上に厳しいものでした。

 

<着任日は歓迎会でもしてくれるのかと思っていたが、そんな様子はみじんもない。午後5時前になると、職員たちは次々とベンチコートやスキーウエアを羽織り始めた。経費節減で庁内の暖房が切れるための防寒対策だった。気温はどんどん下がり、指もかじかみ、パソコンを打つ手の感覚がなくなった。その日の夜、百沢さんとコンビニ弁当を食べながら語り合った。「俺たち、これからどうなるのかな……」

破綻したまちの役所は暗かった。自分の仕事で精いっぱいで、仲間を助ける余裕もない。>

 

普通なら、これだけで根を上げてしまい、早く任期が終わらないか、都庁に帰れる日を指折り数える心境になるのではないでしょうか。その点、猪瀬氏のメガネに叶った青年だったのですね。

 

いや、予想を超えるほどの情熱をもった青年だったように思います。鈴木さんは、中断していた祭りに着目、<農協や青年会議所などの協力を得てまつりを復活。20万円という低予算で手づくりのイベントに生まれ変わらせた。>

 

その上、<せっかくできた住民とのつながりを生かしてもっと仕事がしたいと考え、09年3月までの予定だった派遣期間の延長を申し出た。最後の勤務を終えたのは10年3月。市職員や市民ら約50人が市役所前に集まり、黄色いハンカチを振って見送ってくれた。>

 

そう山田洋次監督作品「幸福の黄色いハンカチ」のように。ロケ地夕張の象徴でもあったように思います。この作品は登場人物は地味だが誠実に生きる普通の人たちばかり。なんでもないような生き方の中に黄色いハンカチは心からのほほえみを与えてくれているように思うのです。そんなしっかり足のついた行政運営をしていたら、夕張市は違っていたと思うのです。

 

<東京に戻った鈴木さんは、都から内閣府に出向し、地方自治を担当する。>それはそれで有意義な、名誉ある仕事であったはずです。でも鈴木さんは、物足りなさを感じたのでしょう。

 

<夕張の若い市民らから市長選への出馬を打診されたのはそんな頃だった。

 当時は婚約者だった麻奈美さん(35)との結婚を控えており、埼玉県内の団地に住み始めたばかり。財政再建のため夕張市長の年収は300万円台で、当選しても200万円近く減ってしまう。

 それでも夕張への思いが勝った。東京23区より広いのに財政破綻後は図書館もなく、6校あった小学校は1校になり、住民税も高い。仲間や友人が自分を必要としてくれるならやれることがある、と思い立って10年11月に都庁を退職。11年4月の市長選で元衆院議員ら3人を抑えて初当選した。>

 

でも彼の熱い思いは、長年慣れ親しんだ行政実務をまさにチェンジするのですから、実際直面した職員には理解不能で、空回りになる危険があったでしょう。

<まず取り組んだのは役所の機構改革。国の同意がなければ予算を変えられず「どうせ何もできない」と思考停止に陥った空気を変えたかった。>

 

鈴木さんと職員の間では厳しい衝突が繰り返されたことは容易に想像できます。

< 「これ以上、業務を増やさないでほしい。私たちに死ねというんですか」

 「私は死ぬ覚悟で仕事している。みなさんも人生をかけて仕事してください」>

 

また鈴木さんのやり方にも一方的なところが合ったようです。

<当時の鈴木さんは、国の管理下で進む財政再建を夕張の実情に合ったものに見直してもらおうと東京に足しげく通い、「夕張のセールスマン」を自任してイベントや講演を一手に引き受けてもいた。職員から「決裁が滞り、仕事にならない」「都知事と違うのだから、もっと職員のところに来てほしい」といった声が上が>ったとのこと。

 

そんなとき<派遣時代に鈴木さんの直属の上司だった寺江和俊さん(55)=現総務課長>が、彼だからこそいえるアドバイスにより、鈴木さん自身の意識を変えるようになったようです。

 

次第に地に着いた行政施策を実現するようになったのでしょう。

 

その鈴木さんの生い立ちも決して楽なものでなく、母と姉の3人で暮らし、経済的事情で大学進学を一旦あきらめ、都庁職員となり夜間大学を出たというのです。苦労して精進に努めてきたから、夕張市長としての苦労も、市民のためにと思ってやれるのでしょうか。

 

公私とも見事な生き方です。

妻となる<麻奈美さんと出会ったのも都職員時代。夕張市長就任の翌月に2人で市役所に婚姻届を提出した。2年ほど賃貸アパートに住んだ後、市内に一戸建てを購入した。「日本一給料の安い首長」と紹介される鈴木さんだが、麻奈美さんも幼稚園で働いて家計を支える。

 現在の鈴木さんは午前7時に起床し、8時半に出勤。9時からミーティングや庁議があり、来客対応や行事にも追われ、帰宅は午後10時を過ぎることも多い。>

 

そして鈴木さんは大きく前進しようとしています。

<財政再建一辺倒だった夕張市は今年3月、地域再生に向けた新規事業に10年間で113億円を投じることの了承を国から取り付け、新たな一歩を踏み出した。具体的には、第2子以降の保育料無料化▽民間アパート建設費の助成▽子育てや文化、交通の拠点となる複合施設の建設--などを進め、鈴木さんは「耐え忍ぶ10年から、夕張の将来を明るく作り上げていく10年がスタートした」と強調する。>

 

でも職員や市民の反応はいまひとつ。

 

それでも鈴木さんは<「夕張は市民にとって理不尽な状況で財政再建団体になった。それを解決することには大義がある。『大義ある逆境』を乗り越えることは、すごくやりがいがあります」。>と。

 

『大義ある逆境』に向かう青年市長、もう少し注視し、期待してみていきたいと思うのです。

 

自分の歳費や給与の増減に頓着しない公務員がもっと増えることを期待しつつ。


納税義務のあり方 <論点ふるさと納税の実像>を読んで

2017-10-06 | 行政(国・地方)

171006 納税義務のあり方 <論点ふるさと納税の実像>を読んで

 

今回の解散では、安倍首相が掲げた大義の一つが消費税の使途の変更でした。税金の使途が直接、選挙の重要な争点になったことがこれまであったのでしょうか。なんらかの意味で徒然ながら使途が問題になってきたことは確かですが、増税が決まっている消費税という特定の税金の使途変更を争点にするというのはきわめて希ではないでしょうか。といってもとってつけた大義だったようにもみえ、すでにこの争点はぼんやりしつつあるようです。

 

私たち普通の国民は納税義務を負っていますが、他方で、税金の課税体系やその使途をどう決めるかについては、隔絶された状態にあるように思えます。むろん衆参の選挙での一票はその選択権の行使でしょうけど、具体的な課税内容やその使途に影響を与える仕組みにはなっていません。不平不満があっても関心が薄れてしまうと思うのです。

 

さて見出しの記事は毎日朝刊です。2008年度に、故郷への応援、感謝の趣旨から始まったというふるさと納税、過剰な返礼品競争で、いま見直しの声が高まり、過渡期にあるようです。「取られる」としか思えなかった納税に、自分から納めよう、選択できる納税に近づいてきたかのようにも見えるこの制度、この記事から現状を探ってみたいと思います。

 

3つの異なる立場から議論されています。一つは<返礼品競争から「降りた」 藤本正人・埼玉県所沢市長>です。

 

その考えは明快です。<埼玉県所沢市は今年4月から、ふるさと納税に対する返礼品の提供をやめた。返礼品競争のため、住民は(納税者というより)モノ選びに必死な消費者と化し、各自治体は他の自治体に納められるべき税をモノで釣って、奪おうと躍起だ。だが、「ふるさとを応援しよう」という本来の趣旨はどこへ行ったのか。人の欲に火をつけて納税させる競争から「降りる」ことでしか、制度のあり方に異議を唱える方法はないと考えた。>

 

たしかに過剰な返礼品競争をみていると、一理あると思います。制度の本来の趣旨を応援、感謝といった視点からみれば返礼品競争は行き過ぎでしょうし、想定外でしょう。だからとって提供をストップしか選択がないかはどうでしょう。

 

所沢市はその選択の積極的な根拠について<納税とは何か。国も地方も市民も、もう一度考えなければいけない。子供が市内の学校に通い、親は市内のデイサービスを利用する。牛肉や海産物を求めて全員がふるさと納税をしたら、自分が住むまちの福祉や教育はどうなるのか。誰かがそのために税金を払っていることを忘れないでほしい。>と必要な行政需要に対応できない問題を指摘しています。

 

<総務省が「返礼品は寄付額の3割以内に」と通知を出した>点もそれでは問題の解決につながらないとして、<それでも返礼品競争を続けるなら、ふるさと納税の税額控除対象を国税部分に限るべきだ。>と地方税を少なくとも聖域にすべきというのです。

 

<返礼品をなくせば「損得」によるふるさと納税がなくなり、規模は縮小するだろう。だが、出身地や被災地を応援したい、という国民の純粋な気持ちは残るはずだ。>と制度の本来の趣旨に立ち戻れというのでしょう、その意味では制度本来の趣旨に合致する選択かもしれません。

 

たしかに返礼品目当てにふるさと納税先を選択している人もいるでしょう。少なくいことも確かでしょう。でもその前提には、自分の住む自治体のサービスがきちんと自分たちの需要に応えているのか理解できていないことが基本にあるのではないでしょうか。つまりは自治体側で行政サービスを納税に見合った内容を提供していると住民には理解されていないように思うのです。いや、実際には必死でやっていますというのかもしれませんが、少なくとも納税者にはそう理解できるような情報提供がなされていないですし、実感もないと思うのです。

 

だからといって、返礼品の内容次第でふるさと納税を決めるという選択に合理性があるは思いません。ただ、提供サービスによっては、望ましい自治体の使途になりうるように思いますし、はじめて自分たちで納税の選択権を行使できる道を開くことができるようにも思うのです。

 

その点、<地方創生へ「感謝券」続行も 黒岩信忠・群馬県草津町長>では、<群馬県草津町は草津温泉で「食べている」観光業中心の町だ。2014年度から、ふるさと納税の返礼品に「くさつ温泉感謝券」を導入した。例えば3万円の寄付で1万5000円分。町内のホテル・旅館や一部のみやげ物店、飲食店などで使える「地域限定の通貨券」だ。他の多くの市町村の農海産物などを中心にふるさと納税の返礼品が人気を集めているが、山奥でこれと言った特産品のない我が町にはそんな“武器”はない。>

 

感謝券はある種のローカルマネーですね。<ふるさと納税制度の原点は「地方創生」。お金のない地方の自治体が潤い、住民が少しでも豊かに暮らしていくようにすることが趣旨だ。家電や宝飾品のような返礼品は資産価値があるから、もらった人が転売し、どこへでも流通してしまう恐れがあるので制度の趣旨に反するが、感謝券は町内だけで消費されるので他に持ち出されることはない。こんなに理にかなった制度の利用方法はないのではないか。私は地方創生の先頭に立っていると自負している。>

 

観光地ならではの方式でしょうか。感謝券の場合もらっても草津に行って買い物などをしないと活用できないわけですから、地域振興により直接的につながっているでしょう。むろん地元特産の品物を提供することも同じだというかもしれませんが、やはり感謝券をもって草津に訪れるというのは観光地としては一つの納税のあり方として結構おもしろいと思うのです。

 

ただこのふるさと納税制度は、自治体の創意工夫を生み出す、納税意欲をかき立てる努力が問われていると思うのです。それがより行政本来のサービスという公共性に近づくものであれば協賛が広まるのではないでしょうか。

 

3番目の<地域の課題解決へ知恵 須永珠代・「トラストバンク」代表取締役>は、そういった将来性のある提案をしているように思えます。

 

このトラストバンクでは<ふるさと納税を紹介、仲介する総合サイト「ふるさとチョイス」を始めて5年。現在、全国の約7割に当たる1270を超える自治体に利用していただいている。>とのこと。

 

<ここまで市場が成長した理由には、自治体が魅力的な返礼品を競い合ったことが挙げられるが、その一方で制度の本来の狙いである「地域の課題解決」のための寄付金の用途にもいろいろな知恵が出てきている。北海道上士幌町は人口5000人弱の町だが、寄付金は子育て支援に集中するという大方針を打ち出した。16年度から10年間、町内の認定こども園を無料にした。すると関東・関西圏などから移住する若い家族が増え、道内有数の人口増自治体となった。>

 

寄付金の用途を明確にして今求められているサービスに提供することを打ち出す、行政サービスの特定化でしょうか。<災害による緊急寄付><経済的理由で食生活に影響が出る恐れのある家庭の子どもたちに食品を配送する「こども宅食」>など、次々と寄付金用途の個別化、差別化と実需に対応するようになってきたようです。

 

ただ、<ふるさと納税の行き過ぎた返礼品への対応として総務省は4月、大臣名で「返礼品の送付等について」という通知を出した。「一部の地方団体において趣旨に反するような返礼品が送付されている状況が続けば、制度全体に対する国民の信頼を損なう」と指摘。(1)商品券や電子マネーなど(2)資産性が高い貴金属や時計など(3)高額商品(4)返礼割合が高いもの--を返礼品にしないように求めた。返礼割合は「良識の範囲」として3割を上限としている。>と制限を設けました。

 

当然かもしれません。他方で、各自治体は自らの行政サービスを見直して、納税者の期待にどう答えるかを、常に真剣に検討して提供していくことが、このふるさと納税制度を契機に納税意識をもった多くの住民の期待に応えることになるのではと思うのです。

 

これからの自治体による行政サービスの進化に期待して今日はこの辺でおしまいです。


記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

2017-03-17 | 行政(国・地方)

170317 記録の破棄と民主制の基礎 <南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か>などを読んで

 

朝目覚めると、高野山に連なる雨引山の山の端には薄紅の広がりが、そこ先には半透明のだいぶ満ちかけた月が、ブルースカイが広がりに映えていました。

 

もう3月中旬を過ぎ、桜のつぼみもにわかに活気を感じさせます。そういえば桜、月といえば西行ですが、今日はなぜか親鸞の和歌を思い出してしまいます。あの強靱で比叡山の荒修行をこなし、新潟に遠島処分になっても耐え抜き、さらに真宗に対し排外的な関東で布教を続け、晩年は京で、『教行信証』の完成に向け執筆に専念し机に向かう姿からは、和歌のたしなみなど考えられないようにも思うのです。

 

でも、生まれ育った環境でしょうか、9歳の時慈円に入門を申し出て、一夜待てといわれたとき、歌ったという、次の和歌は宗祖伝説のようでもあり、真実でもあるように思えます。

 

明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは

 

さて、今日もいろいろ書類づくりや資料入手に出かけたり、打合せがやっと終わると、もうすでに3時を過ぎています。高齢になると、というか、若い頃も、仕事をしているとあっという間に時間が経ち、一日が終わり、一月も過ぎ去り、そして一年も、十年も光陰矢のごとしです。そして過去の失敗や成功、無駄な時間つぶしを嘆いていると、それこそますます変なことになりそうです。

 

そういえば、最近うつ症状を訴える人が多くなったように思うのですが、以前見たBS報道では、うつは進化の結果、人間が必然的に発症する病気といった話しでした。最初は魚類が敵の攻撃から逃げるために扁桃体が生まれ、そのセンサーで神経がフル回転して猛スピードで逃げるのに役だったそうです。天敵にたいする神経細胞の進化でしょうか。次は海馬という記憶する器官が、さまざまな天敵の恐怖・不安を記憶することにより、扁桃体の反応が過敏になってきたというのです。さらに言葉を獲得したことにより、人の話や動物の仲間の話(コミュニケーションはいろいろでしょう)で余計に反応が過敏になったとされています。

 

そして現代社会の競争と格差の拡大、持続的なストレスは、扁桃体自体が反応疲れで機能しなくなり、神経細胞全体が萎縮し、無気力になってしまうというのです。このうつ状態を防ぐ、あるいは緩和するには、進化の過程で失った機能を回復する必要があるとのこと。

 

それは進化をあえて採用しなかった、縄文人的な生活をいまなお営む、アフリカのハッザ民族の生活様式が参考になるというのです。それは狩猟生活を主として、収穫物はすべてが平等に分配する、そこには支配者も特権階級もいないのです。そして将来の心配や不安がなく、今日のことを大事にそれ以上のことを考えたりしない生き方で満足しているというのです。

 

とはいえ、縄文人的生活様式や、ハッザ民族の生活をまねるわけにもいきません。そこにある価値観や生活様式の基本的な要素をなんらかの形で参考にすることでしょうか。平等と公正さ、隠し立てしないこと、仲間の中に秘密はないということ、これをどう現代の中で生かせるかは、検討課題でしょう。

 

さて、そろそろ前置きを終え、見出しの課題に入ろうかと思います。最近話題のそれぞれの重要な事件、いくつか共通する問題を抱えているように思います。とりあえず「記録の破棄」それが民主制の基礎を危うくしているということを感じています。

 

毎日記事<南スーダンPKO 統幕幹部、日報隠し指示か 陸自保管、1月判明>のPKO問題や、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白>、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>などの森友学園問題、<東日本大震災6年 原発事故と国策>で見られる協議会などの非公開のうえ、議事録の一部削除や黒塗りなどです。

 

民主主義というものが張り子の虎的な意味でしかないのであれば、国の存立も危ういでしょう。トランプ大統領や朴大統領の言動、施策に国を挙げての非難が起こるのは、ある意味では民主主義という理想への期待の裏返しかもしれません。

 

先にあげた三つの事件は、氷山の一角ですが、いずれも国家のあり方に係わる重大な問題といってよいと思います。その意味で、議会が、あるいは司法が、それぞれの立ち位置で、検討してよい問題だと思います。

 

私なりに一つずつ、簡単に問題を検討してみたいと思います。南スーダンPKOの日報記録の問題は、まず<昨年9月に日報の情報公開請求を受けた同省は、派遣部隊とCRFで文書を探しつつ、統幕にも意見照会をした上で「廃棄して不存在」として同12月に不開示を決定した。>防衛省はどこにもないとしていたのですね。

 

不開示決定直後でしょうか、<稲田朋美防衛相が再探索を指示し、同月26日に統幕での保管を確認した後、陸自内でも保管されていることを把握したが、同省は2月7日から電子データの開示を始めた際にも「陸自にデータは保管されていない」と説明し、>と不自然な状況が判明していました。それが今回、<これまで防衛省が「廃棄したので存在しない」としていた陸自内で、日報の電子データが保管されていたことが分かった。>

 

陸自内での情報管理の問題もあるでしょうし、防衛大臣への報告の虚偽性も問題になるでしょう。そして日報の内容自体が問題であったことがこの隠蔽の背景にあったとみてよいのではないでしょうか。

 

<日報には、昨年7月の政府軍と反政府勢力との大規模な衝突を「戦闘」と表現する記載があり、野党が国会でPKO参加5原則が崩れていたのではと追及。稲田防衛相は「法的意味で戦闘行為はなかった」と説明していた。>ことがもんだいとなりました。この稲田防衛相の説明が憲法解釈として子供じみた内容であるか、ご本人気づいているのでしょうか。おそらく陸自内でも稲田防衛相に日報を提出すれば、説明できなくなると怖れていたのではないかと考えます。稲田氏は南スーダンを訪問していますが、現地の状況について、PKOから説明を受けていたか、分かりませんが、対応した派遣部隊の責任者はこの人になにをどう説明するかは、人を見て取捨選択したと思われるのです。

 

稲田氏は、国会での防衛相としての対応、今回の森友学園での対応を見る限り、とても防衛というわが国にとって機密性の高い、そして冷静な対応と機敏で統一した判断を求められる分野のトップとして、自衛隊員の信頼を得ているとは言いがたいように思えます。

 

日報という、現場で作業をしている人たちにとっては最も重要な報告、それも戦闘行為が間近で行われている現場の緊迫の中で書かれたものであるにもかかわらず、それが一旦は開示されず、開示された記載内容も、国民の信頼を得るような説明でないだけでなく、現場の自衛隊員の苦悩を理解しないような安直な説明では、とてもPKOのメンバーはやりきれないでしょう。

 

私は本来、南スーダンへのPKO派遣は、日報等に基づき、かなり早い段階で撤退すべきだったのではないかと思いますが、それはまだ事実関係がよくわかっていないので、結論めいたことは保留したいと思います。ただ、今回撤退が早まったのは、稲田氏の答弁や日報隠しという、陸自本部の対応に、現場で作業継続の意思を喪失したのではないかと愚考します。

 

命を賭して危険な南スーダンでの作業をしてきたのに、その報告ですらまともに取り上げてもらえないとしたら、やるせない気持ちにならないでしょうか。この点は少し脱線しましたが、要は、日報という最も重要な報告を廃棄したといった説明で隠蔽する体質こそ、シビリアンコントロール、引いては民主主義を根底から崩してしまいかねないと思います。

 

いかに「国際平和支援法」とのレッテル貼りをしてPKOの派遣基準を法律上明確にしたとしても、事実認識の基礎である、日報を隠蔽し、かつ、日報の記載内容を我田引水的に曲解するのであれば、法律はあってなきがごときものとなり、現場の自衛隊員の苦労や苦悩も報われないものとなるでしょう。

 

次に森友学園問題ですが、どんどんエスカレートする籠池発言の話しは脇に置いて、行政はさまざまな人と対応することを予定しており、その際、刑事法上の問題だけでなく、行政手続法を含め個々の行政法における許認可などの折衝に疑問がもたれないよう、また、公正で公平な取扱を担保するために、個々の面談記録をきちんと記録し、請求があれば開示して国民の審判を仰ぐことこそ、ハッザ民族の公正さに近づくのではないかと思うのです。

 

ところが、国有地の売却を担当した財務局、財務省は、<国有地取得 財務省、交渉記録廃棄 衆院予算委で認める>のとおり、交渉記録を全部廃棄したというのですから、驚きを通り越して、いかに杜撰な処理をしていたのかを感じてしまいます。東京都も豊洲問題では似たような状況ですが、これほど酷くはないですね。東京ガスが提出した議事録は膨大だったと思いますが、民間企業であれば、当然、交渉記録を上司に報告する必要があるでしょうし、売買契約成立しても、契約前の段階、契約後の段階、それぞれ後日問題が発生することが少ないのですから、交渉記録こそ重要な証拠となり、それを一定期間保存するのが当然です。

 

まして国有財産を取り扱っている、国民の財産であるのですから、より慎重でなければならないし、申し開きが出来るように、交渉が公正・公平になされたことを裏付けるのは議事録ですから、きちんと記録し、上司に提出し、裁可を得て、また長期間保存するのが責務というか、義務ではないでしょうか。さらにいえば、議事録自体がいい加減でとられていた可能性すら疑いを抱きます。議事録作成基準など、きちんとしたマニュアルを用意しておく必要すら感じます。むろん、一定期間の(最低でも10年程度)保存期間も定めないといけないでしょう。

 

大阪府の小学校認可手続きについても、関連して問題となり、<国有地売却 協議記録、大阪府も空白 対財務局、1年3カ月>との記事では、わざわざ空白期間のある協議記録となっていること自体、意図的な隠蔽と言わざるを得ない状況となっています。

 

この問題と直接関連するわけではありませんが、先日の報道ニュースの中で、松井知事が、認可申請は性善説で対応しているので、資金計画について委員から適切な疑義が指摘されているにもかかわらず、税理士という資格を持った人の押印があるから、その計画は信頼できるものとしたかのような発言がありました。この発言を聞いて奇異に感じたのは私だけではないでしょう。

 

資格ある専門家の署名捺印があれば、その内容を信頼してよいというのはあまりに安易ではないでしょうか。税理士より一般にはその会計資料について信頼性があると言われる公認会計士ないしは会計監査法人が関与した会計不正事件は、最近、頻繁に問題になっています。むろん税理士も同様です。脱税事件に関与した税理士もいます。その数の多寡ではないと思います。税理士も、公認会計士も報酬をもらって、クライアントのために、仕事をします。むろん職務上の公正さを図ろうとするのは当然です。でも彼らの仕事には限界があります。クライアントが差し出した資料の裏付けをどこまでとっているかとなると、疑問が少なくないのです。

 

なぜ小学校の認可に当たって資金力の裏付けを求めるのでしょうか。当然、小学校は私学といえでも多くの児童の教育を担い、その将来に多大な影響を与えるわけですから、持続的な経営基盤の確立がないと認めるわけにはいかないでしょう。その審査は、実質的な検討が必要でしょう。単に税理士が作成した計画だからなんてことで、認可を前向きに進めるようなことがあっていいはずがありません。少しここも脱線してしまいました。

 

議事録の廃棄・隠蔽といった問題はさまざまな分野で問題となっていますが、やはり原発問題は極めて重大事ですので、これは取り上げておく必要があると思います。毎日記事・<<記者の目>東日本大震災6年 原発事故と国策>では、議事の非公開と議事録の一部削除、黒塗りという、最も重要な意思決定過程のブラックボックス化の中で、多くの被災者にとって重大な変更決定がなされたことを指摘しています。

 

話しは飛びますが、私がカナダで経験した環境アセスメントの公聴会(わが国とは異なり、いわば対審制的で、裁判審理に類似する手続きです)で、多くの印象的な出来事がありましたが、そのうちの一つは、徹底した専門家意見の根拠の解明でした。さまざまな基準設定があるとき、事業者側のパネルの一人が専門家の立場で意見を述べます。そのときその専門分野を明らかにし、その研究成果と直接関係しない部分の意見については、どのような根拠で述べているかを質されました。文献情報では直接、その基礎を裏付けるものではなく、最後はたしか、ある行政庁のある特定の職員からのヒアリングにより得た結果だと証言するまで追求された記憶です。

 

この記者の目は厳しく鋭いです。少々疲れてきましたので、内容はウェブ情報をご覧下さい。約1時間半書き続け、PCの休みなさいサインが頻繁に出ていますので、まだ終業時間ではないですが、ここらでお開きとします。

なお、今日仕事で、日弁連の新養育費・婚姻費用算定基準を使おうかと思い、以前書いたものに引用していたとそのブログをみたのですが、URLがありませんでした。それで日弁連のHPでさがしたのですが、すぐに見つかりませんでした。それで前に書いた12月5日付けのブログに追加しましたので、関心のある方はご覧下さい。