たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

認知症を生きる <認知症と暮らす意味とは?>と<認知症になっても役に立てる>を読みながら

2018-05-21 | 健康に生きるとは

180521 認知症を生きる <認知症と暮らす意味とは?>と<認知症になっても役に立てる>を読みながら

 

今朝もイソヒヨドリがベランダの手すりでさえずりをしています。居心地がいいのでしょうか。恋人を待っているのでしょうか。昨日は庭の剪定をしていて隣家の奥さんからきれいにしていますねと言われました。褒められるとお世辞でももう少し頑張ろうと思うのが人情でしょうか。

 

裏庭だとほとんど気づかれることもないので、勝手気ままに庭いじりをしていますが、通りに面したところだと、あまりいい加減にできないと心の中では思いつつ、普段はだいたい伸び放題にしています。花も枯れて、しおれてもそのままです。たまには面倒見てやらないといけないかなと思うのですが、なかなか思うようにいかないものです。たまにきれいにしようと思っているときに褒め言葉がかかると、次はもう少しと思うのところはまだまだ認知症の領域は遠いと自己満足しています。

 

ところで、認知症の簡易判断方法として<「長谷川式簡易知能評価スケール」>は人口に膾炙していますが、今朝の毎日記事にその方が登場していました。私は失礼ながら、もう来世にのんびりされていると思っていたのですが、現役で仕事をされているようで、自ら認知症の発症を公表されたりして、話題になっているようです。

 

毎日朝刊記事<そこが聞きたい認知症と暮らす意味とは? 精神科医 長谷川和夫氏>では、<認知症研究の第一人者で、検査法を確立したことで知られる精神科医の長谷川和夫さん(89)が昨年、認知症の発症を公表した。「普通に暮らす私の姿を見て、認知症になっても大丈夫と安心してもらいたかった」と話す。自ら患者の立場になり、認知症ケアにおける「一人の人間として尊重する」ことの意味をかみしめているという。【聞き手・原田啓之、写真・太田康男】>

 

ただ、その発症の確認方法は、長谷川式とは少し異なるようですね。

<認知症の発症に気付いたのはいつごろですか。

 1年くらい前から、記憶に「確かさ」がなくなったと感じました。例えば外出時に「玄関の扉に鍵を掛けたかな」と気になって家に戻ります。一旦確認して家を出ても、また鍵が不安で戻る。これを1日に何度も繰り返すようになりました。私は50年も認知症に関係する仕事をしているものだから、すぐに「おかしいな」と分かりました。>

 

CT検査等の結果は、<「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」=1=と診断>ということで、軽いようですし、進行も早くないようです。

 

長谷川氏は、診断結果にショックを受けつつも、認知症になっても症状を自覚して生活すれば、普通に暮らせることを示したかったようです。

<仕方がないと受け入れています。また、私の場合は夕方に疲れてくると認知症の影響が出てくるのですが、午前中は頭がはっきりしています。以前と変わらずに近所を散歩したり、映画を鑑賞したり、教会で礼拝に参加して聖書を読んだりしているのです。毎日楽しいですよ。>

 

<「パーソン・センタード・ケア」(本人を中心とした介護)という理念>を長谷川氏は訴えているそうです。

 

その具体的な内容はここでは明確にされていませんが、長谷川氏は自らの体験から、日本の介護レベルの高さを指摘しています。

<日本の介護はレベルが高く、パーソン・センタード・ケアといえるものもあります。発症後に利用した近所のデイサービスはスタッフの気遣いが行き届いてすばらしかった。利用者一人一人のことを把握し、まめに「いかがですか」「一緒に体操しませんか」と優しく声をかけてくれる。>

 

長谷川氏が体験したような介護の実態は、はたしてどの程度介護の現場で実現できているのでしょう。私がたまに訪問する介護施設では、そのような状況になるにはさらにスタッフが必要ではないかと感じます。ただ、介護職員の多くがまじめに明るく接しようとしているのは感じられます。マンパワーの不足を感じます。

 

ところで、もう一人の医師鎌田實氏は<さあこれからだ/152 認知症になっても役に立てる>の中で、<「蝶の眠り」というすてきな映画>の紹介で、<「アルツハイマーになっても小説を書くことも、人を愛することもできる。美しく、やさしく、可能性に満ちた映画だ」>と指摘しています。

 

他方で、アルツハイマー病の遺伝子をもっていても発症させないカギとして、慢性炎症を防ぐことと提言しています。それを防ぐには糖尿病や歯周病にならないことを勧めます。

 

そしてキーポイントとして、<骨ホルモンのオステオカルシン>に注目し、この分泌を促すには<かかと落としのような骨に衝撃を与える運動がいい。>と自ら実践しています。

 

そういえば、NHK番組でもゴースト血管を防ぐには、かかとおとしがいいと言っていたかと記憶しています。

 

そして認知症になっても大丈夫というのを、若年性認知症の男性の友人の言葉を引用しています。

<彼は「認知症患者にも満ち足りた生活がある」と言う。そのために、(1)ないものねだりをしない(2)小さな目標を立てて達成感に浸る(3)好きなこと、楽しいことを見つけて実行する--を心がけているという。>

 

そうですね。認知症にならない配慮も必要ですが、なってもそれなりの生き方はある、一度限りの人生、気持ちの持ち方次第で活き活きと暮らせますよね。

 

ということで今日はおしまい。また明日。


歩くことの意味 <ふくらはぎが第2の心臓>とか<あと10cm歩幅を広く>とかの話を聞きながら

2018-05-20 | 健康に生きるとは

180520 歩くことの意味 <ふくらはぎが第2の心臓>とか<あと10cm歩幅を広く>とかの話を聞きながら

 

今朝は以前から気になっていた生け垣を剪定しました。剪定もやりだすと切りがないのですが、あまり飽きが来ない作業です。すかすかになりましたが、これで生け垣の中に小さな花園を通りからも見えるようになってきたかと思いつつ、いや日の光が差し込みやすくなり、あの事務所に置いておいた少し大きめのバラの花を植えることができるとほくそ笑んでいます。

 

そういえば、田中陽希さんは大変な歩きの達人ですね。高山植物も癒やされるのか、もの凄いスピードで歩いていても、立ち止まり可憐に咲く花たちと邂逅を楽しんでいますね。彼の歩きはどういう身体能力というか、内臓器官というか、彼の気力というか、感嘆するばかりです。とはいえ、海外のアドベンチャーレースでは、彼以上の強者どもが過酷な歩きをするのですから、人間の能力とはすばらしいですね。

 

私にはとてもあのような歩き方はできませんね。若い時代でも。ただ、彼のように大量の水分補給は必要ないのが取り柄かもしれません?私は高校時代下手な野球を一生懸命やっていて、昔のことですから弱くて練習は軍隊並みで、終わるまで水を飲ませてもらえませんでした。そのせいか、あまり水分を必要としないのです。草刈りなんかで汗を一杯かきますが、23時間、ときには⑷,5時間水分なしでやり通します。

 

90年代後半くらいまではリサイクル法制がなく、缶やペットボトルの処理が廃棄物行政としては大きな課題ということもあり、私は一切この種のものを買うことがなかったので、その後も外で作業するときもこの種の飲料を携帯しない習慣がついてしまったようです。脱水症にならないかの問題にはいまのところ出くわしたことがないので、こういう人間もいるのかなと自分で半分感心しています。ただ、車に毎日乗るようになり、和歌山市など遠出するときは必ずペットボトルで水分を補給しています。眠気を催さないためと緊張感を緩めるためでしょうか。

 

ところで、実は今日の話題として、吉野木材業の歴史というか、江戸時代の裁判闘争について書こうと思いつつ、なかなか読み込む気力がでず、このテーマは別の機会にすることにして、ここ一週間くらいのTV番組で見たことをちょっと思い出しながら、歩くことの意味を少し考えてみようかと思います。それで陽希さんの歩きの話を持ち出したのはいいですが、ずいぶん脱線してしまいました。というか書きながら、どういう筋書きにしようかと着想が浮かぶのを待って、あるいはタイピングの指を動かしながら、次にどう話題を展開しようかと考えているのです。

 

まずはNHKアナウンサー(名前は忘れました)が北ウェールズのたしか世界遺産登録の城塞都市?のようなところまで田舎道を5日間くらい歩く番組でした。ウェールズといっても多くの日本人にはなじみが薄く、スコットランドやイングランド、北アイルランドに比べると訪問したことがある人は格段に少ないように思います。という私も行ったことがないので知ったかぶりはできません。ただ、C.W.ニコルさんがウェールズ出身でよく話題にされているので、気になる風土景観でした。

 

さてそこでは150kmくらいを歩いて行くのですが、牧場があちこちに広がっていて、ときにその牧場の中を歩いて行くのです。それが以前にも紹介した「歩く権利」によって認められている私有地の中に一定幅の歩くことができる通路です。1934年にスコットランドで歩く権利法が長い闘争と難産を経て成立したのです。

 

UKのホームページでも、<Rights of way and accessing land>としてその内容が紹介されています。

 

囲われた牧場の中を歩くことができるなんてすてきですね。身近に生まれたばかりの羊の親子と触れ合うこともできますね。たしか歩いている途中で、羊の出産現場に立ち会うこともでき、とても素晴らしい出会いをしていました。私はなんどか私有地のアクセス権が認められているfootpathを歩いたことがありますが、そういった経験はなかったですね。逆にアメリカでは同種の権利が確立されていないのに、ボストン郊外で立ち入り禁止の立て札に気づかず、足を踏み入れて、銃の危険にさらされるところだったのを途中で気づき、冷や汗もので立ち去りましたのを思い出しました。

 

この歩く権利の歴史はとても面白いのですが、それはまた別の機会にして、別のNHK番組で毛細血管をサーモグラフィーで見ると冷たくなっているというか、血流の流れがよどんでいる、その状態が続けばゴースト血管になり、進行すると認知症や骨粗しょう症になりやすいとか。その原因の一つにふくらはぎが活用されていないという話だったかと思います。ふくらはぎは、第二の心臓といわれ、ふくらはぎが適切に機能していると、下肢の血流をポンプアップすることになるので、血流がよくなるとか。

 

そこで紹介されたのがイタリアでした小さな田舎町のご老人たち。なにかゲームを楽しんでいるのですが、いずれも90代、中には100歳を超えた人がいたでしょうか。元気はつらつです。その健康長寿の秘訣は、毎日坂道を歩いているとのこと。そのご老人のふくらはぎはたれさがることなく、ま、ぴちぴちとまでいかなくてもしっかりしています。そのふくらはぎだとしっかり歩けますし、表情も明るく耳も声もいいですね。やはり歩くことなんですね。

 

もう一つの番組も面白かったですね。タレントと一般の方が専門医の前で、歩かされるのです。その歩き方で、身体能力としての?年齢が割り出され、実年齢と比較するのです。そうすると、最初はすべて実年齢より数歳から10歳以上高い結果となりました。そしてその歩き方だと、人によって違いますが、膝が悪化するとか、転倒の危険があるとか、問題にされます。ところが、その専門医のあるアドバイスを受けてもう一度歩くと、ほぼ実年齢かそれより若い年齢になって、著しく改善されています。

 

タレントやモデルは、一応歩き方はきれいな風には見えますが、私が見てもちょっとと思っていました。その他の人はすべてあまり健康的な歩き方ではないなと思っていました。でも2回目の時はかなり改善していました。

 

その改善の秘密は歩幅でした。基本は身長-100cmが適正な歩幅だそうです。それでヒントは10cm歩幅を広げることでした。その結果身体移動もスムーズになり、つま先、かかとのけりも本来的な働きをして、適切に体全体の機能を生かして体重移動を受け止めているようです。

 

私も最近はほとんど歩かなくなったので、歩幅も狭くなりつつあり、歩くスピードも遅くなってきたと思います。首都圏で働いているときは公共交通機関以外はたいてい歩きでしたので、地下鉄駅間の移動なんかも、すいすいと人を抜いて歩いたり、エスカレーターを使わないで、階段を2段ずつ上がる調子でしたから、健康的だったと思います。当地にやってきて歩こうと思いながら、なかなか実行できません。これらのTVを参考に、健康長寿はともかく、寿命が尽きるまで、そしてぱっとお陀仏になるよう、歩くことを心がけたいと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


睡眠のいろいろ <睡眠障害 どんな病気?>を読みながら

2018-05-04 | 健康に生きるとは

180504 睡眠のいろいろ <睡眠障害 どんな病気?>を読みながら

 

昨日は憲法施行71年目ということで、連休後半初日ということもあり、多くの関連記事が掲載されていました。若い世代は北朝鮮や中国の脅威が成長過程で繰り返し報道などを通じて身近なのでしょう。自衛隊明記を含む9条改正論議に注目しているように見えます。他方で、戦前戦中世代や私のような安保世代だと、大半は平和憲法の根底を揺るがすことには消極的な姿勢ではないでしょうか。

 

とはいえ、憲法は国家統治を定める根本法であるとともに、国家から国民の権利を守る基本的人権を定めているわけですから、私たち庶民にとっても日々の日常生活の隅々までかかわってくるわけですね。生活保護の受給が受けられないとか、支給額が減額されるとか、あるいは介護・医療費の負担が増額されるといったことは、憲法の規定やその趣旨に悖るものではないかといった議論もあってよいことだと思います。

 

イラク派兵などの日報が隠ぺいされたり、発見されても一部しか開示されないといった問題も、憲法の知る権利との関係でも問題にされてよいことでしょう。いやいや、教育の自由や教育を受ける権利との関係では、茶髪ダメとかさまざまな校則により生徒を規制するやり方がはたして合理的なものかも議論されてよいと思います。

 

わが国では、アメリカで憲法論議が活発になった50年代以降の黒人差別とそれへの抵抗運動など、多くの死傷者を招くような論争はさほど多くなかったように思います。アメリカ人は多くの人がとても合衆国憲法を大事にしているように感じます。まったく異なる対立した意見を持っていながらも。銃所持の権利なんかはまったく相いれない見方で対立しているように思えます。

 

それに比べ、わが国は人種差別がアメリカほど深刻でない、銃による乱射事件といったものも稀有に近いこともあり、憲法論議が高まらないのでしょうかね。いいことかもしれません。自然に憲法意識が定着しているのであれば・・・

 

ところで、みどりの日はいつできたのでしたか。あまり実感がわかないのはどうしてでしょう。いや、多くの人はこの連休を利用して、海はまだ早いので、新緑が萌える山、川などの緑地で行楽を楽しんでいるということでしょうか。いやいや、緑地保全の活動を各地で連休中にやっていますよということでしょうか。

 

ともかく以前は自ら休みをとることが躊躇するような社会文化の中で、政府が祝日を用意することで、長い連休をとれるように仕組み、過重労働を緩和させようと試みたのでしょうかね。

 

しかし、大企業労働者や公務員は別にして、中小企業だと長期の連休をとれているところばかりではないのではと思うのです。それに地方だと、この連休はたいてい田植えなど農作業が忙しいので、農事にいそしんでいるように思えます。

 

農家の一年を見ていると、カレンダーの曜日は関係なく、なにかの農作業をしているように感じます。それでもずっと身近な自然の中にいるので、四季の変化を暦以上に感じて、愛でる気持ちを自然に抱いているかもしれません。

 

と今日の本題と関係のない話をしてしまいましたが、どうもここのところ体調不調で、睡眠をしっかりとっているのに、昼間ぼっとしているのです。それで3日、4日の祝日の話題も遠くに感じつつ、報道をぼっと見ていました。

 

すると今朝の毎日記事<くらしナビ・ライフスタイル 睡眠障害 どんな病気?>というのが目に留まりました。これはいまの私の状況に少し似ていないかな、と思いましたが、ま、私の場合は風邪気味なせいもあるのだろうと、この記事での症状との違いを見ながら納得してしまいました。

 

しかし、睡眠の問題は多様で、この記事で紹介されている方は長い間誰にも悩みを話せず苦労されたのだと思うのです。そういう症状は、睡眠障害だけでなく、相当な種類・数があると思うのです。医師を目指すもの、そういう悩みに積極的にかかわって治してあげてほしいと思うのです。

 

<夜間に十分寝ているはずなのに、日中耐えられないほど眠い--。時と場所を選ばず居眠りしてしまうなら、もしかしたら睡眠障害なのかもしれない。>ということで「睡眠障害」が取り上げられています。

 

<「寝てはいけないとわかっていても寝てしまう。ずっとつらかった」。千葉県八千代市の会社員、大端郁美さん(44)は、夜中に十分な睡眠時間を確保しているのに日中、時と場所を選ばず居眠りする症状に悩まされてきた。発症は11歳の頃。自宅で友達と会話していて発作的に寝てしまい、翌日その友人がむくれていたのを覚えている。

 中学に進学すると授業中の居眠りが増え、成績は右肩下がり。志望していた高校の入学試験中に寝ることもあった。この頃から、喜んだり怒ったりすると全身の力が抜ける「脱力発作」を伴うようになったため、病院で内科を受診したが異常は見つからなかった。企業に就職しても居眠りが続き、眠気防止にコーヒーを飲んで、体をつねりながら職場に立ったが睡魔には勝てなかった。結果、ついたあだ名は「眠眠(ねむねむ)大魔王」。自信を失い、転職を繰り返し、ふさぎ込む日々が長く続いた。>

 

睡眠障害というと、睡眠できないことかと思うのですが、逆にいつでも突然眠ってしまうわけですから、もっと適切な命名があってよいだろうと思いますね。

 

すると30歳のときにTV番組で<「過眠症」の代表的な病気だという。>ということが紹介され、<睡眠の専門医をすぐに訪ね、脳波や遺伝子の検査でナルコレプシーと診断された。>とのこと。その結果<今は眠気を取る薬で症状を抑えているが、服用しない日は寝てしまうため、苦労は尽きない。>眠気をとる薬を服用し続けないといけないなんて、気の毒です。いったい、原因はなんなんでしょうね。

 

ともかく薬を服用することで、眠気を抑えることができるようになったわけですから、仕事など普通の生活ができるようになったのでしょうね。

 

睡眠不足から生じる場合は、十分な睡眠をとるように生活改善をすればいいのですが、長時間眠っていても、睡眠時無呼吸状態とか、適切な睡眠がとれていない場合もあるでしょうから、やはり過眠症の疑いがあれば、睡眠専門医の診断を仰ぐのがベターでしょう。

 

私は今のところ、疲れからきているようで、一時的なものだと思っています。打ち合わせなど仕事中に起こることはありませんので。ま、連休中は、いつも以上に休息をとれということでしょうか。今日も昼間はほとんど寝てしまいました。連休明けは打ち合わせで忙しいので、出かけるのを取りやめて、自宅療養して、睡眠障害なるものに近づかないようにしたいと思うのです。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


高齢者と口のケア <口のケアと健康 /下 高齢者、療養の質を向上>などを読んで

2018-04-08 | 健康に生きるとは

180408 高齢者と口のケア <口のケアと健康 /下 高齢者、療養の質を向上>などを読んで

 

ピーピーピヒョロロロといったふうな軽やかなリズムの鳴き声がすぐそばで聞こえてきました。ベランダを見るとイソヒヨドリが数mくらい先でぴょんぴょん跳ねています。そして庭先の垣根にぴょんと乗ると、また鳴いています。いい声ですね。

 

前に住んでいたところでは、ウグイスが縄張りにしていたのか、毎日のように鳴いていたのですが、ここでは滅多にウグイスの鳴き声が聞こえてきません。ほかの鳥はいろいろ鳴くのですが・・・ツーピーツーピー(私のは定番の聞きなしではありません)と軽いタッチの鳴き声もしょっちゅうです。シジュウカラですが。

 

今日はイソヒヨドリが谷渡りではないですが、わが家の庭から向こうのヒノキ林にひょいと羽ばたいて渡っていったのですが、そのときの羽を広げた姿がとてもきれいでした。ちょうど眼下で羽ばたいて滑降してくれたので、羽の形もよくわかってうれしい限りです。

 

さて、今日はとくに話題がないと思っていたら、毎日記事<口のケアと健康/下 高齢者、療養の質を向上>とその中で<歯科医師・米山武義さんアドバイス>が身につまされる?思いをしました。

 

私自身、長い間、生活が不規則で、深夜まで飲んで帰った後ばたんきゅうと倒れ込むように寝てしまう日々を過ごした時代がありまして、歯みがきはあまりまじめではなかったというか、やらないで過ごすことが結構あったと思います。その無精が40代過ぎてから、歯の痛みがひどくなり、時折、歯医者さんのお世話になってきました。

 

現在は定期的に近くの歯医者さんに口腔ケアをしてもらっていますが、歯科衛生士さんの指導のおかげで、以前に比べかなりよくなったと自分では思っています。体の中で歯は日々酷使している割には、その世話をきちんと見てこなかったためか、最近のように割と丁寧に口腔ケアをするようになってからは、結構体調もよくなってきたように思います。

 

歯医者さんに行くのは億劫で、いままでは定期的なケアの指導を受けていても、結局、そのとおり継続できず、また歯が痛くなって歯医者さんにいくパターンを繰り返していたのです。ところが、現在お世話になっている歯医者さんは、こんどサボってしまうと歯がだめになると覚悟したせいか、今のところまじめに定期ケアを受けているのです。

 

で、<歯科医師・米山武義さんアドバイス>によると、口腔ケアが要介護者にとって極めて必要性の高い方法であることがわかります。

<要介護高齢者への口腔ケアが徹底していたスウェーデンで学び、帰国して1980年代に特別養護老人ホームで実践すると、誤嚥性肺炎になる高齢者が2年間で4割減った。口の中の細菌が肺に入り込んでしまうことは分かっていたが、口腔ケアをすれば肺炎の発症リスクが下がることを科学的に証明できた。>

 

誤嚥性肺炎といった重篤な症状にならなくても、口腔ケアをして清潔にしていれば、要介護者はもちろんのこと、健常者も(私も)病気になるリスクを減らすことができるのではと思うのです。

 

次のようなその発生メカニズムを知れば、より歯みがきなど自分でできるうちにしっかり身につけておけば、さまざまな病気予防になるでしょうね。歯と歯ぐきは割合やっていますが、舌となるとなかなかできていません。これも今後はやっておかないといけないなと思うのです。

 

<誤嚥性肺炎は主に、(1)胃の内容物が逆流する(2)せきをしたり、むせたりする際に食べ物が気管に入る(3)知らないうちに気管に飲食物や唾液が入る--ことが原因で起きる。予防の基本は、歯や歯ぐき、舌を清潔にし、口の中の細菌をコントロールすること。食べ物を食道に送り込む「嚥下反射」、気管に入っても異物をはき出そうとする「咳(がい)反射」という力を鍛えておくことも重要だ。>

 

<高齢者の口腔ケアの最終目標は「自分の口で食べる」。それは生きる意欲にもつながるからだ。>そうですね、私の母も認知症の進展がさほど早くないのは、自分の手を使って自分の口で食べているからでしょうね。

 

高齢者施設や在宅介護では、このような考え方を取り入れ、口腔ケアを積極的にやり出すところが増えているようで、政府の支援も少しずつ強化されているようです。

 

<介護施設や自宅での口腔(こうくう)ケアは、誤嚥(ごえん)性肺炎の予防や、食べたり話したりする機能の維持に重要だが、不適切なケアはかえってリスクを高める。専門家を含む多職種の連携が鍵を握っている。【有田浩子、堀井恵里子】>

 

私も歯科衛生士さんの指導を受けていますが、彼女たちはとても細やかで丁寧ですので、口腔ケアも指導通りやれば相当よくなるでしょうね。次はその要領です。

<入れ歯を丁寧に洗い、よく絞ったスポンジで舌の汚れを取り、続いて歯磨き。さらに舌のリハビリ、頬のマッサージと、手順通りに進める。約10分で一連のケアを終えた。>

 

介護施設で口腔ケアを実施した効果が示されていて、その有用性が見事に証明されています。

<今年2月までの7カ月間に肺炎で入院したのは定員69人に対し4人(延べ日数116日)で、前年度同期(9人、261日)と比べて人数、入院日数とも半分以下になった。同時期にケアを始めた5施設で肺炎以外も含めた全体の入院日数を比較しても、前年度より2割以上減った。>

 

<入院の減少は、入所者の生活の質の向上だけでなく、施設運営の安定や患者の医療費負担の軽減にも役立つ。>いままで口腔ケアをきちんとしてこなかったために、不必要に入院期間が延びたり、感染のリスクが高まっていたかもしれません。また、医療費増大にもつながっていたといえるでしょう。

 

さらに今月から制度改正で口腔ケアの実効性を高めるようになっています。

<4月の診療・介護報酬改定で、通院できなくなった患者にかかりつけ歯科医が訪問診療を始めた場合の加算が新たに認められたり、ケアマネジャーからかかりつけ歯科医への情報提供が義務付けられたりした>

 

かかりつけ歯科医が今後より身近な存在になるのでしょうね。私自身、その前にほぼそういった歯科医を見つけることができ、安心しています。

 

ところで、そういった要介護者だけでなく、がん患者にとっても口腔ケアの必要性が極めて高いとのことですね。

 

口のケアと健康/上 がん治療、院内歯科と連携>では、これまで病院内にあまり院内歯科を設けるところが少なく、院外の歯科医との連携が容易でない状態が続いていたようです。

 

しかし、口腔ケアをしっかりしておくことで、手術の術前術中術後の状態がよいとのことですね。

 

<口腔外科専門医資格を持つ石橋副部長と歯科衛生士2人という陣容の歯科が院内に置かれたのは、昨年4月。頭頸部外科の藤井隆主任部長は「設置効果は絶大。放射線治療や手術などの際には口の状態をしっかり管理することが大切だが、急な対応も可能になった」と話す。何よりがん治療チームの一員として、患者の情報を共有できるのが最大のメリットという。

 歯科の関わりは、頭頸部のがんだけではない。全身麻酔手術では気管内にチューブを挿入するが、口の中の汚れが肺に押し込まれると肺炎の原因になる。抗がん剤治療をすると、口の中が荒れて食事が取りにくくなるほか、抵抗力が落ちて虫歯や親知らずなどから菌が入り込み、命に関わることもある。>

 

今日はこの辺でおしまいです。また明日。


美食を生む日本の地形地質 <美食地質学入門 第1講 明石ダイ 浅瀬の恵み>と<スーパーがレストラン化>を読みながら

2018-04-04 | 健康に生きるとは

180404 美食を生む日本の地形地質 <美食地質学入門 第1講 明石ダイ 浅瀬の恵み>と<スーパーがレストラン化>を読みながら

 

私はさほど海外に行ったわけではありませんが、それでも多少はあちこちでその地の料理をいただきました。そして私の狭い経験では日本ほどおいしい食べ物、料理を味わうことができないと思っています。むろんフランス料理の○星レストランで食事をしたことがないので、フランスの料理と比べて自慢するというのではありません。だいたい私にはナイフとフォークを使って、次々と運ばれてくる豪華な料理を楽しんで食べれる器量が備わっていないように思います。

 

イタリア料理もスペイン料理、ドイツ料理もそれぞれざっくばらんな感じはいいですが、それでも旅をしていてその地の料理を楽しむということであって、和食の味わい深さにはとても及びません。UK料理もレストランではあまりよさを感じませんが、家庭料理は結構活けると思っています。それでも同じでしょうね。だいたいイギリス人は外で飲みますが、食事はあまりとらない印象ですね。

 

南米になるとどさっと大量の肉魚野菜と出てきてびっくりしますが、小食の私にはそれだけで降参です。北米も同じようなものですね。肉はジューシーでおいしく感じることもありますが(アメリカでは経験がない?)、それほど好きではないので、やはり日々楽しみことはできませんね。

 

ま、日々食べるものをあれこれいうのは恥ずかしいことと、どこかで読んだような気がしますが、武士道に書いてありましたかねそんな趣旨のことを?それはともかく食べられればいいと思うのも本当です。ただ、やはり日本の食べ物、料理は、なにか自然の香りが充ち満ちていて、魚好きということもあるのでしょうけど、いいですね。外国で食べる魚は骨を取り除き凝ったソースで魚自体の味わいを殺している印象すらあります。

 

そんなしょうもないことをつい書いてしまっています。それは昨夕の毎日記事<美食地質学入門第1講 明石ダイ 浅瀬の恵み、高速潮流の鍛錬>を読んだせいかもしれません。別の話題で書きかけたのですが、少し堅い話になりそうでしたので、今日は眠気が終日していて、自分の元気を取り戻そうと、この話題にしました。

 

新しい講座が始まりました。<「美食地質学」は本日開講です。美食と地質って接点がまったくなさそうですが、さにあらず。実は深~い関係があるんです。私たちがいただいている豊富な海や山の幸は、日本列島の恵み。そんな視点で食材を見直してみようという新しいガクモンなのです。>

 

でも以前取り上げた<NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン>で、同じ趣旨で日本列島各地に生まれた多様で美味な食材がその列島誕生というプレートテクトニクスのダイナミズムの結果であることが見事に紹介されていました。

 

とはいえ今回は瀬戸内海の誕生、とりわけ瀬戸と灘の形成が高速潮流を生み、豊富で美味な魚介類が誕生したというのですから、幼い頃からタイやワタリガニ、シャコなどに目がなかった私にはそうなんだと地質変動の面白さを感じさせてくれました。

 

最近はタイといってもあまり注目されませんね。ほんとにおいしいタイが少なくなったのかもしれません。でも明石のタイは別物なんでしょう。

 

<第1回の食材は明石ダイ。兵庫・明石から直送されたタイは身が厚く、身の色味が全体的にピンクで、今の時期は桜ダイと呼ばれる。目の上が青く、まるでアイシャドーのよう。>

 

<大引「こういうのは、ものすごくいいといわれます。体の色は食べるもので変わる。瀬戸内海の鹿ノ瀬という浅瀬が餌が豊富で、餌に甲殻類を食べると赤く、貝を食べると黄金色になるんです」>

 

鹿ノ瀬の浅瀬は別物のようです。

<巽「鹿ノ瀬ではエビやカニが育つんですが、なんでか。プランクトンが多いからです。海底が砂地で、速い海流にかき回されて、酸素や栄養分が行き渡るんですね」>

 

ではその砂地はどうしてできたのかですね。

<その砂地は、六甲山の御影(みかげ)石(花こう岩)の粗い粒子が残ったもので、海流で巻き上げられて積もったという。粗いから隙間(すきま)ができて、酸素などが行き渡りやすいのだ。まさに瀬戸内海のたまもの。>

 

といっても砂地だからすべていい条件がそろうわけではないでしょう。ボルネオ島の大きな砂浜で一人寝そべったり、遠くまで続く浅瀬を歩いたり、海上遊泳しながら寝転んだりしましたが、あまり豊かな魚介類がいそうな雰囲気ではありませんでした。

 

やはり特別の条件が必要なのですね。静かな波の静かな砂浜ではなく、高速潮流が走る自然の妙が生み出すのですね。

<大引「瀬戸内海は、魚のための自然サイクルが整ってる。こんなところはなかなかないですよ。漁師さんが『川のように流れる』と言うほど潮の流れが速いから、身が締まってる」>

 

ここで登場するのがプレートテクトニクス、フィリピン海プレートの動きの変化ですね。

<巽 ・・・フィリピン海プレートは300万年前まで、真北に沈み込んでいたのが、古くて冷えて重い太平洋プレートに押されて、少し西に向きを変えた。で、中央構造線という大昔の巨大断層が引きずられて西に動き、中央構造線の南の南四国と紀伊半島が西へ動いた。相対的に北側が東へ動き、瀬戸内海にはシワができた。瀬戸(半島や島があって狭くなっている)と灘(比較的広い海域)の凸凹がそれだ。(図(2))

「淡路島や生駒山などが隆起し、播磨灘や大阪湾などが沈んだんです」>

 

ここがまだよくわからないのですが、中央構造線ができたまではなんとなく理解できるのですが、その北方にある瀬戸内海にシワができ瀬戸と灘の凹凸ができた、しかも西から伊予灘・安芸灘、燧灘、播磨灘、大阪湾(難波?)の4つの灘と、間に3つの瀬戸が生まれたというのがよくわかりません。それは上記の大きなプレートの動きだけでは説明できないのでしょうね。あるいは素人に説明するには簡単出ないので省略したのでしょうかね。

 

それにしても、NHKのジオ・ジャパンでは1500万年前までの少し遠い時代の話でしたが、300万年前に瀬戸内海の瀬戸と灘が、また奈良と大阪を分ける生駒山脈が生まれたのでしょうか(葛城・金剛山系も?)1500万年前から300万年前、さらに小氷河期の1万年くらい前まで、もう少し地形地質の変化を追ってみたい気持ちになりますね。

 

で、<潮の満ち引きの時に淡路島がせき止めるので、海水が狭い海峡を勢いよく流れるのだ。鳴門の渦潮もその表れ。瀬戸内海はフィリピン海プレートの斜め沈み込みが生んだというわけ、おわかりいただけましたか?>

 

この前提として、黒潮など太平洋の海流が瀬戸内海に流れ込む大きな動きが必要ですが、なぜそうなるのかも知りたいところです。それは地形上、吸引されるのでしょうかね。そして関門海峡でせき止められ、東方に流れが押し出され、この瀬戸と灘で急激な流れを生むのでしょうか。他方で、紀伊半島西側から入ってきた海流も淡路島でせき止められ、狭い明石海峡を抜き出して急流になるのでしょうかね。

 

これが瀬戸内海航路を東側からと西側からと、双方からの船が航行を容易にしたのですかね。そして中間点にある鞆の浦などがちょうどよい東西の分岐点として風待ち港として、長く多くの人々が停まり木として佇んできたのかもしれません。

 

そして瀬戸内のタイは早い瀬に打ち勝って泳ぐから筋肉質でこりこりしているようです。実際、私の幼い頃の記憶はとてもこりこりして歯ごたえがあったように思います。

<巽「明石ダイは筋肉質で、生物のエネルギー源のATP(アデノシン三リン酸)という物質が豊富。これはタイが死んだらイノシン酸、つまりうまみに変わるんです。取れたてがコリコリしてて新鮮なんて言うけど、単なる死後硬直で、それがおいしいかは別。死後硬直のあとに初めてうまみが出てくるんですよ」

大引「神経締めといって、脳を一突きして即死させ、半日ほど置くとうまみが増すんです」

 神経締めは、タイに死んだと気付かせない必殺技だ。>

 

あとはいろいろと食事の話が出ていますが、省略します。

 

続いて、この夕刊記事の反対側には<スーパーがレストラン化 外食・中食・内食消える境界 縮む胃袋、争奪戦>とあり、このニュースにもなんとなく現代風情を感じてしまいます。

 

この3食の違いもあまりよくわかっていませんでしたが、

<レストランなどで食事を取る「外食」、調理済みの弁当や総菜を買って食べる「中食」、家で料理を作る「内食」--。これまで明確に分かれていた食の形態があやふやになり、その境界線が消えつつある!? 食の世界に今、何が起きているのか。【宇田川恵】>

 

どんどん進化している?わけですね。

<イオンは、イオンモール座間の1階に、通常の食品スーパーに加え、計120席の飲食空間を設けている。ここでは鮮魚売り場の魚を使って職人がすしを握るなど、スーパーの食材を調理し、本格的な料理を提供。客は食べた魚が気に入れば、売り場で買って帰ることもできる。一方、リンゴ1個をはじめ、スーパーの多種多様な食品をレジで購入し、座って食べるのも自由だ。まさにスーパーとレストランの一体型店舗といえる。>

 

外食、中食、内食(これらの言葉を単純に漢字変換するとでてきませんでした。まだワープロソフトも文化の変化についていっていないのでしょうか)は、わかりますが、上記のイオンの事業は、特別、あらたな事業展開というほどでもないように思います。ま、応用編でしょうか。こういった応用なら、いくらでもバラエティに富む展開が可能ではと思うのです。あまり外食、中食、内食の概念区分にこだわる必要もないでしょう。

 

食の文化は時代変われば形態も自然に変わっていくでしょう。内食中心といったことも実態はどこまでがそうだったか、わかりません。

<外食、中食、内食が入り乱れ、縮みゆく日本の胃袋を奪い合う戦いが激しさを増している。>というのも、あまり概念にこだわった理解かもしれません。そもそも食のあり方は多様なのですから。

 

<そもそも日本は朝食も夕食も家で作って食べる習慣があるが、タイや台湾などアジア地域では多くの人が朝食は外の屋台などで食べている。>というのも日本人全体として的確な指摘かはわかりません。先住民の世界では日本人と同じように見えます。日本人の場合西欧化する中で、あまり外食が進まなかったとみるのも一面的かなと思います。

 

サラリーマンの場合、朝食、夕食とも外でというのが普通だったようにも思えます。ただ、女性が家にいて主婦として働いていない時代が戦後長く続いたことで、そのような見方もあるのかもしれませんが、さほど根本的な構造とまでいえないように思うのです。

 

ただ、<日本の食事情に詳しいフードコンサルタントの池田恵里さんはこう強調する。「そもそも米国の調査では9割の人が『料理をするのは嫌い』というデータが出ており、日本でも状況は似ていると思う。>といった見方はどうかと思うのです。

 

<しかも一人で食事を取る人が大勢いるという、歴史上かつてない事態が世界的にも日本でも進んでいる。特に日本では男性の1人暮らしがとても多い。自宅で食事を作るより、外で食べる方がよほど効率的で経済的な環境にどんどん変わってきているのです」

 超高齢化が家で食事を作らない状況に追い打ちをかける、とも池田さんは指摘する。「高齢者は包丁を握ることさえ面倒になり、65歳ぐらいから食事を作らない傾向は顕著に表れてきます」>というのもいかがかなと思います。

 

料理というのは食べる喜びもあれば、作る喜びもあるでしょう。むろん肉や魚を作ることはできないですが、米、野菜はさほどむずかしくないですし、料理も味をどうこういわなければ、それなりに楽しみながら作ることもできるのではと思うのです。ですから高齢者になって料理作りをする人が増えたり、それを楽しんでいる人は健康に年を重ねているのではと思うのです。

 

料理を作らない、面倒だとか、効率的とか経済的とか言って、作ることをしないと、ますます脳の働きが鈍くなり、認知症への道も近づくのでは思っています。好んで認知症になりたい人はいないでしょうから、料理作りを頭を使って手を使って、健康に生きることこそ、肝要かなと、もしかして道元さんが語っているのではと思います。ただ道元は50歳余でなくなったと思いますが、どうしたんでしょうね。どちらかというと勝手気ままに生きたような、そして料理も作っていなかったような親鸞が90歳も生きたのが不思議です。

 

今日はこれにておしまい。また明日。