180404 美食を生む日本の地形地質 <美食地質学入門 第1講 明石ダイ 浅瀬の恵み>と<スーパーがレストラン化>を読みながら
私はさほど海外に行ったわけではありませんが、それでも多少はあちこちでその地の料理をいただきました。そして私の狭い経験では日本ほどおいしい食べ物、料理を味わうことができないと思っています。むろんフランス料理の○星レストランで食事をしたことがないので、フランスの料理と比べて自慢するというのではありません。だいたい私にはナイフとフォークを使って、次々と運ばれてくる豪華な料理を楽しんで食べれる器量が備わっていないように思います。
イタリア料理もスペイン料理、ドイツ料理もそれぞれざっくばらんな感じはいいですが、それでも旅をしていてその地の料理を楽しむということであって、和食の味わい深さにはとても及びません。UK料理もレストランではあまりよさを感じませんが、家庭料理は結構活けると思っています。それでも同じでしょうね。だいたいイギリス人は外で飲みますが、食事はあまりとらない印象ですね。
南米になるとどさっと大量の肉魚野菜と出てきてびっくりしますが、小食の私にはそれだけで降参です。北米も同じようなものですね。肉はジューシーでおいしく感じることもありますが(アメリカでは経験がない?)、それほど好きではないので、やはり日々楽しみことはできませんね。
ま、日々食べるものをあれこれいうのは恥ずかしいことと、どこかで読んだような気がしますが、武士道に書いてありましたかねそんな趣旨のことを?それはともかく食べられればいいと思うのも本当です。ただ、やはり日本の食べ物、料理は、なにか自然の香りが充ち満ちていて、魚好きということもあるのでしょうけど、いいですね。外国で食べる魚は骨を取り除き凝ったソースで魚自体の味わいを殺している印象すらあります。
そんなしょうもないことをつい書いてしまっています。それは昨夕の毎日記事<美食地質学入門第1講 明石ダイ 浅瀬の恵み、高速潮流の鍛錬>を読んだせいかもしれません。別の話題で書きかけたのですが、少し堅い話になりそうでしたので、今日は眠気が終日していて、自分の元気を取り戻そうと、この話題にしました。
新しい講座が始まりました。<「美食地質学」は本日開講です。美食と地質って接点がまったくなさそうですが、さにあらず。実は深~い関係があるんです。私たちがいただいている豊富な海や山の幸は、日本列島の恵み。そんな視点で食材を見直してみようという新しいガクモンなのです。>
でも以前取り上げた<NHKスペシャル 列島誕生 ジオ・ジャパン>で、同じ趣旨で日本列島各地に生まれた多様で美味な食材がその列島誕生というプレートテクトニクスのダイナミズムの結果であることが見事に紹介されていました。
とはいえ今回は瀬戸内海の誕生、とりわけ瀬戸と灘の形成が高速潮流を生み、豊富で美味な魚介類が誕生したというのですから、幼い頃からタイやワタリガニ、シャコなどに目がなかった私にはそうなんだと地質変動の面白さを感じさせてくれました。
最近はタイといってもあまり注目されませんね。ほんとにおいしいタイが少なくなったのかもしれません。でも明石のタイは別物なんでしょう。
<第1回の食材は明石ダイ。兵庫・明石から直送されたタイは身が厚く、身の色味が全体的にピンクで、今の時期は桜ダイと呼ばれる。目の上が青く、まるでアイシャドーのよう。>
<大引「こういうのは、ものすごくいいといわれます。体の色は食べるもので変わる。瀬戸内海の鹿ノ瀬という浅瀬が餌が豊富で、餌に甲殻類を食べると赤く、貝を食べると黄金色になるんです」>
鹿ノ瀬の浅瀬は別物のようです。
<巽「鹿ノ瀬ではエビやカニが育つんですが、なんでか。プランクトンが多いからです。海底が砂地で、速い海流にかき回されて、酸素や栄養分が行き渡るんですね」>
ではその砂地はどうしてできたのかですね。
<その砂地は、六甲山の御影(みかげ)石(花こう岩)の粗い粒子が残ったもので、海流で巻き上げられて積もったという。粗いから隙間(すきま)ができて、酸素などが行き渡りやすいのだ。まさに瀬戸内海のたまもの。>
といっても砂地だからすべていい条件がそろうわけではないでしょう。ボルネオ島の大きな砂浜で一人寝そべったり、遠くまで続く浅瀬を歩いたり、海上遊泳しながら寝転んだりしましたが、あまり豊かな魚介類がいそうな雰囲気ではありませんでした。
やはり特別の条件が必要なのですね。静かな波の静かな砂浜ではなく、高速潮流が走る自然の妙が生み出すのですね。
<大引「瀬戸内海は、魚のための自然サイクルが整ってる。こんなところはなかなかないですよ。漁師さんが『川のように流れる』と言うほど潮の流れが速いから、身が締まってる」>
ここで登場するのがプレートテクトニクス、フィリピン海プレートの動きの変化ですね。
<巽 ・・・フィリピン海プレートは300万年前まで、真北に沈み込んでいたのが、古くて冷えて重い太平洋プレートに押されて、少し西に向きを変えた。で、中央構造線という大昔の巨大断層が引きずられて西に動き、中央構造線の南の南四国と紀伊半島が西へ動いた。相対的に北側が東へ動き、瀬戸内海にはシワができた。瀬戸(半島や島があって狭くなっている)と灘(比較的広い海域)の凸凹がそれだ。(図(2))
「淡路島や生駒山などが隆起し、播磨灘や大阪湾などが沈んだんです」>
ここがまだよくわからないのですが、中央構造線ができたまではなんとなく理解できるのですが、その北方にある瀬戸内海にシワができ瀬戸と灘の凹凸ができた、しかも西から伊予灘・安芸灘、燧灘、播磨灘、大阪湾(難波?)の4つの灘と、間に3つの瀬戸が生まれたというのがよくわかりません。それは上記の大きなプレートの動きだけでは説明できないのでしょうね。あるいは素人に説明するには簡単出ないので省略したのでしょうかね。
それにしても、NHKのジオ・ジャパンでは1500万年前までの少し遠い時代の話でしたが、300万年前に瀬戸内海の瀬戸と灘が、また奈良と大阪を分ける生駒山脈が生まれたのでしょうか(葛城・金剛山系も?)1500万年前から300万年前、さらに小氷河期の1万年くらい前まで、もう少し地形地質の変化を追ってみたい気持ちになりますね。
で、<潮の満ち引きの時に淡路島がせき止めるので、海水が狭い海峡を勢いよく流れるのだ。鳴門の渦潮もその表れ。瀬戸内海はフィリピン海プレートの斜め沈み込みが生んだというわけ、おわかりいただけましたか?>
この前提として、黒潮など太平洋の海流が瀬戸内海に流れ込む大きな動きが必要ですが、なぜそうなるのかも知りたいところです。それは地形上、吸引されるのでしょうかね。そして関門海峡でせき止められ、東方に流れが押し出され、この瀬戸と灘で急激な流れを生むのでしょうか。他方で、紀伊半島西側から入ってきた海流も淡路島でせき止められ、狭い明石海峡を抜き出して急流になるのでしょうかね。
これが瀬戸内海航路を東側からと西側からと、双方からの船が航行を容易にしたのですかね。そして中間点にある鞆の浦などがちょうどよい東西の分岐点として風待ち港として、長く多くの人々が停まり木として佇んできたのかもしれません。
そして瀬戸内のタイは早い瀬に打ち勝って泳ぐから筋肉質でこりこりしているようです。実際、私の幼い頃の記憶はとてもこりこりして歯ごたえがあったように思います。
<巽「明石ダイは筋肉質で、生物のエネルギー源のATP(アデノシン三リン酸)という物質が豊富。これはタイが死んだらイノシン酸、つまりうまみに変わるんです。取れたてがコリコリしてて新鮮なんて言うけど、単なる死後硬直で、それがおいしいかは別。死後硬直のあとに初めてうまみが出てくるんですよ」
大引「神経締めといって、脳を一突きして即死させ、半日ほど置くとうまみが増すんです」
神経締めは、タイに死んだと気付かせない必殺技だ。>
あとはいろいろと食事の話が出ていますが、省略します。
続いて、この夕刊記事の反対側には<スーパーがレストラン化 外食・中食・内食消える境界 縮む胃袋、争奪戦>とあり、このニュースにもなんとなく現代風情を感じてしまいます。
この3食の違いもあまりよくわかっていませんでしたが、
<レストランなどで食事を取る「外食」、調理済みの弁当や総菜を買って食べる「中食」、家で料理を作る「内食」--。これまで明確に分かれていた食の形態があやふやになり、その境界線が消えつつある!? 食の世界に今、何が起きているのか。【宇田川恵】>
どんどん進化している?わけですね。
<イオンは、イオンモール座間の1階に、通常の食品スーパーに加え、計120席の飲食空間を設けている。ここでは鮮魚売り場の魚を使って職人がすしを握るなど、スーパーの食材を調理し、本格的な料理を提供。客は食べた魚が気に入れば、売り場で買って帰ることもできる。一方、リンゴ1個をはじめ、スーパーの多種多様な食品をレジで購入し、座って食べるのも自由だ。まさにスーパーとレストランの一体型店舗といえる。>
外食、中食、内食(これらの言葉を単純に漢字変換するとでてきませんでした。まだワープロソフトも文化の変化についていっていないのでしょうか)は、わかりますが、上記のイオンの事業は、特別、あらたな事業展開というほどでもないように思います。ま、応用編でしょうか。こういった応用なら、いくらでもバラエティに富む展開が可能ではと思うのです。あまり外食、中食、内食の概念区分にこだわる必要もないでしょう。
食の文化は時代変われば形態も自然に変わっていくでしょう。内食中心といったことも実態はどこまでがそうだったか、わかりません。
<外食、中食、内食が入り乱れ、縮みゆく日本の胃袋を奪い合う戦いが激しさを増している。>というのも、あまり概念にこだわった理解かもしれません。そもそも食のあり方は多様なのですから。
<そもそも日本は朝食も夕食も家で作って食べる習慣があるが、タイや台湾などアジア地域では多くの人が朝食は外の屋台などで食べている。>というのも日本人全体として的確な指摘かはわかりません。先住民の世界では日本人と同じように見えます。日本人の場合西欧化する中で、あまり外食が進まなかったとみるのも一面的かなと思います。
サラリーマンの場合、朝食、夕食とも外でというのが普通だったようにも思えます。ただ、女性が家にいて主婦として働いていない時代が戦後長く続いたことで、そのような見方もあるのかもしれませんが、さほど根本的な構造とまでいえないように思うのです。
ただ、<日本の食事情に詳しいフードコンサルタントの池田恵里さんはこう強調する。「そもそも米国の調査では9割の人が『料理をするのは嫌い』というデータが出ており、日本でも状況は似ていると思う。>といった見方はどうかと思うのです。
<しかも一人で食事を取る人が大勢いるという、歴史上かつてない事態が世界的にも日本でも進んでいる。特に日本では男性の1人暮らしがとても多い。自宅で食事を作るより、外で食べる方がよほど効率的で経済的な環境にどんどん変わってきているのです」
超高齢化が家で食事を作らない状況に追い打ちをかける、とも池田さんは指摘する。「高齢者は包丁を握ることさえ面倒になり、65歳ぐらいから食事を作らない傾向は顕著に表れてきます」>というのもいかがかなと思います。
料理というのは食べる喜びもあれば、作る喜びもあるでしょう。むろん肉や魚を作ることはできないですが、米、野菜はさほどむずかしくないですし、料理も味をどうこういわなければ、それなりに楽しみながら作ることもできるのではと思うのです。ですから高齢者になって料理作りをする人が増えたり、それを楽しんでいる人は健康に年を重ねているのではと思うのです。
料理を作らない、面倒だとか、効率的とか経済的とか言って、作ることをしないと、ますます脳の働きが鈍くなり、認知症への道も近づくのでは思っています。好んで認知症になりたい人はいないでしょうから、料理作りを頭を使って手を使って、健康に生きることこそ、肝要かなと、もしかして道元さんが語っているのではと思います。ただ道元は50歳余でなくなったと思いますが、どうしたんでしょうね。どちらかというと勝手気ままに生きたような、そして料理も作っていなかったような親鸞が90歳も生きたのが不思議です。
今日はこれにておしまい。また明日。