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いよいよチェコプラハ最終編となりました。
プラハ城の正門には衛兵さんが2名微動だにしないで立っている。
毎正時近衛兵の交代が行われる。
先頭の方が偉く、後ろに交代要員をしたがえて、行って帰りに交代した衛兵をつれて帰ってくる。
プラハ城を後にして、カレル橋に向かった。
カレル橋では、色々なパフォーマンスが繰り広げられていた。
この辺りから人通りが多く、スリが多いと言われた。
橋の上には、所狭しとお店が開いていた。
正直なところ、このお店が橋を狭くしている。
先ほど行ったプラハ城を。カレル橋を渡り終えた場所から見るとこの風景。
ここから見るプラハ城の景色が一番素晴らしいと言われた。
カレル橋を渡り、広場があった。
中央には勉学をする学生を象った4つの像がある銅像があった。
チェコにも、人が集まる広場にはハトが群がっていたのが世界共通なのかなと思ってしまう。
カレル通り。
旧市街広場へ向かう。
戦争の影響で、狭く曲線を描き、敵の侵入を防いだなごりがあるという。
旧市街地の小道を歩いていくと、旧市役所前の広場に出た。
奥にはティーン教会が見える。
広場をはさんで巨大な建物が向かい合っている様に圧倒される。
天文時計には、沢山の観光客が集まる。
正午にはすべての12人の使徒が現れるため、観光客があつまるようです。
1410年に造られ600年近い歳月をほぼオリジナルの形で刻み続けている言う。
正午になって時計が動き始めた。
あまりの地味な動きに、戸惑ってしまった。
日本でのからくり時計は、動きが多く、普通に見ていて判るのだが、これは、動きがシンプルでどこが動いているのか判りにくかった。
最も古い部分は時計の機構と天文図の文字盤であり、製作は1410年にさかのぼる。作成者は時計職人であったカダンのミクラシュとプラハ・カレル大学の数学・天文学教授であったヤン・シンデルである。
プラハのオルロイは14世紀から15世紀の間、機械仕掛けの時計が発明された直後に数多く設計・製作された天文時計のひとつである。
時計の横側に配置された4つの彫像は時間が来ると動き、死神(骸骨の姿をしている)は時を叩いている。1時間間隔で定められた時間になると、時計の上部の窓から12使徒の像が現れ、正午には12体全てが揃う。
旧市街広場。
正面にティーン教会が見える。
80メートルの高さを誇る塔がひときわ目を引く教会。
前身は12世紀に建てられたが、今の姿は14世紀に改築されたもの。
ゴシック様式のアーケードとルネサンス様式の美しい飾り屋根を持つ。
この教会は15世紀前半にはフス派の本拠地として機能していた。
広場から路地に入ると、良い雰囲気。
この静かな場所を見ると、やっぱりチェコなんだなぁと思ってしまう。
最後は、チェコ文化のシンボルであるチェコの国民劇場。
「チェコ語によるチェコ人のための舞台」というスローガンのもと、国民の寄付によって建設されたが完成直後に消失し、1883年に再建された。スメタナやドヴォルザークらチェコの音楽家が活躍する舞台となった。
この劇場を見てヨーロッパの音楽に対する文化が日本と大きく違うのを感じた。
高崎市にある「群馬音楽センター」も市民の寄付で造られたが、ここを見た後では、ただの式典会場にしか見えなかった。
「チェコ プルゼニ」へ続く
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プラハ城の正門には衛兵さんが2名微動だにしないで立っている。
毎正時近衛兵の交代が行われる。
先頭の方が偉く、後ろに交代要員をしたがえて、行って帰りに交代した衛兵をつれて帰ってくる。
プラハ城を後にして、カレル橋に向かった。
カレル橋では、色々なパフォーマンスが繰り広げられていた。
この辺りから人通りが多く、スリが多いと言われた。
橋の上には、所狭しとお店が開いていた。
正直なところ、このお店が橋を狭くしている。
先ほど行ったプラハ城を。カレル橋を渡り終えた場所から見るとこの風景。
ここから見るプラハ城の景色が一番素晴らしいと言われた。
カレル橋を渡り、広場があった。
中央には勉学をする学生を象った4つの像がある銅像があった。
チェコにも、人が集まる広場にはハトが群がっていたのが世界共通なのかなと思ってしまう。
カレル通り。
旧市街広場へ向かう。
戦争の影響で、狭く曲線を描き、敵の侵入を防いだなごりがあるという。
旧市街地の小道を歩いていくと、旧市役所前の広場に出た。
奥にはティーン教会が見える。
広場をはさんで巨大な建物が向かい合っている様に圧倒される。
天文時計には、沢山の観光客が集まる。
正午にはすべての12人の使徒が現れるため、観光客があつまるようです。
1410年に造られ600年近い歳月をほぼオリジナルの形で刻み続けている言う。
正午になって時計が動き始めた。
あまりの地味な動きに、戸惑ってしまった。
日本でのからくり時計は、動きが多く、普通に見ていて判るのだが、これは、動きがシンプルでどこが動いているのか判りにくかった。
最も古い部分は時計の機構と天文図の文字盤であり、製作は1410年にさかのぼる。作成者は時計職人であったカダンのミクラシュとプラハ・カレル大学の数学・天文学教授であったヤン・シンデルである。
プラハのオルロイは14世紀から15世紀の間、機械仕掛けの時計が発明された直後に数多く設計・製作された天文時計のひとつである。
時計の横側に配置された4つの彫像は時間が来ると動き、死神(骸骨の姿をしている)は時を叩いている。1時間間隔で定められた時間になると、時計の上部の窓から12使徒の像が現れ、正午には12体全てが揃う。
旧市街広場。
正面にティーン教会が見える。
80メートルの高さを誇る塔がひときわ目を引く教会。
前身は12世紀に建てられたが、今の姿は14世紀に改築されたもの。
ゴシック様式のアーケードとルネサンス様式の美しい飾り屋根を持つ。
この教会は15世紀前半にはフス派の本拠地として機能していた。
広場から路地に入ると、良い雰囲気。
この静かな場所を見ると、やっぱりチェコなんだなぁと思ってしまう。
最後は、チェコ文化のシンボルであるチェコの国民劇場。
「チェコ語によるチェコ人のための舞台」というスローガンのもと、国民の寄付によって建設されたが完成直後に消失し、1883年に再建された。スメタナやドヴォルザークらチェコの音楽家が活躍する舞台となった。
この劇場を見てヨーロッパの音楽に対する文化が日本と大きく違うのを感じた。
高崎市にある「群馬音楽センター」も市民の寄付で造られたが、ここを見た後では、ただの式典会場にしか見えなかった。
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本当に写真でしか観る事がないような風景でした。
残念なのは、荷物の関係でコンパクトカメラを持っていきました。
一眼レフを持っていったら、もっと実物に近づけた写真になっていたと思うと残念です。
だから、実物は本当に重みがあり感動する建物でした。
海外経験の全く無い、自分にとって今回の旅は不安が120%以上ありました。
でも、行ってみると、同じ人間という生き物が生きて、自分と同じように生活していると思いました。
不安が多い分、感動は比例して多いと感じました。
ぜひ、機会がありましたら行ってください。
人としての視野がグーンと広がると思います。
それよりも、この日本、それも奈良に住んでいたらヒデさんの撮った写真の風景が非現実の世界のような、もっといえば『ここはUSJ?』て思えるような場所ですよね
普通に日常を過ごしていたら絶対に触れる事のなかったチェコ
なんか今、行ってみたい気がしてます
> たま☆ さんへ
変ですね。
でも、「1」にしても「3」にコメントしても、写真が似てるから問題ないです。
私、この記事にコメントしたつもりが・・・。何故か『1』にコメントしてますね(笑)