亜北斎「1970年 ベトナム戦争真っ只中で、ビートルズが解散し、
サイモン&ガーファンクルの 明日に架ける橋 が大ヒット、
ジャック・ジョンソン をマイルス・デイビスが発売、
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決し、大阪で万博。
ウクライナ・ヘルソナでロケした、
ソフィア・ローレンの ひまわり が公開された年。
その年の 夏のニューヨーク、
夕方でも真昼のように明るい《サマータイム》に驚き 実感し、
《ワールド・トレードセンター、ツインタワー》も建ってなかった、
まだまだ 治安がよくなかった時代。
ブルックリンから デューク・エリントンの A列車で行こう
Take the "A" Train と 地下鉄に乗って、
ハーレムには行かず、たどり着いたのは、
ぐっと手前のイーストビレッジのジャズクラブ《スラッグス》。
(72年、リー・モーガンが射殺された所)
そこで演奏してた、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ。
ベースが鈴木勲。 休憩中に、
『 物騒なところだから、帰りは気を付けてね。』と、
優しい目で優しく声を掛けられ、
目の前の大音量と大迫力にも感激、感動、うれしかった。
その後の日本公演、次々と発売されたレコード。
ずっとファンやった。
鈴木勲、オマサン、89年の生涯に幕が降りた。
ピッコロベースの《ブロー・アップ》を聴きながら。
オマサンは NYが似合って、わてには 自由の女神やった。
思い出は宝物や。」
写楽斉「オマサンの死因がコロナ。 こんな時代、 残念。
ウクライナは停戦どころか 泥沼。 コロナはどうなんやろ。
人を辛い目にあわせて、姿も現さず,高見の見物。
ウクライナの死者も増え、死んでいくロシア兵ひとりひとりにも、
家族が・・・あぁ。
素朴な疑問。人を殺せば殺人罪。
さんざん、子供まで殺して、なんで戦争には適用でけんのや。」