相 絵一の偽画工坊

気まぐれ映画絵日記

A列車で行こう Take the ”A” Train

2022年03月16日 | 音楽

亜北斎「1970年 ベトナム戦争真っ只中で、ビートルズが解散し、

    サイモン&ガーファンクルの 明日に架ける橋 が大ヒット、

    ジャック・ジョンソン をマイルス・デイビスが発売、

    三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決し、大阪で万博。

    ウクライナ・ヘルソナでロケした、

    ソフィア・ローレンの ひまわり が公開された年。

    その年の 夏のニューヨーク、

    夕方でも真昼のように明るい《サマータイム》に驚き 実感し、

    《ワールド・トレードセンター、ツインタワー》も建ってなかった、

    まだまだ 治安がよくなかった時代。

    ブルックリンから デューク・エリントンの A列車で行こう

    Take  the  "A" Train  と 地下鉄に乗って、

    ハーレムには行かず、たどり着いたのは、

    ぐっと手前のイーストビレッジのジャズクラブ《スラッグス》。

    (72年、リー・モーガンが射殺された所)

    そこで演奏してた、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ。

    ベースが鈴木勲。 休憩中に、

    『 物騒なところだから、帰りは気を付けてね。』と、

    優しい目で優しく声を掛けられ、

    目の前の大音量と大迫力にも感激、感動、うれしかった。

    その後の日本公演、次々と発売されたレコード。

    ずっとファンやった。

    鈴木勲、オマサン、89年の生涯に幕が降りた。

      

    ピッコロベースの《ブロー・アップ》を聴きながら。  

    オマサンは NYが似合って、わてには 自由の女神やった。

       

                     思い出は宝物や。」

写楽斉「オマサンの死因がコロナ。 こんな時代、  残念。

           

    ウクライナは停戦どころか 泥沼。 コロナはどうなんやろ。

    人を辛い目にあわせて、姿も現さず,高見の見物。

    ウクライナの死者も増え、死んでいくロシア兵ひとりひとりにも、

    家族が・・・あぁ。

    素朴な疑問。人を殺せば殺人罪。

    さんざん、子供まで殺して、なんで戦争には適用でけんのや。」

 

コメント
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