太った中年

日本男児たるもの

文無し拾い煙草

2010-08-18 | weblog

今私は文無し状態で(4/1)

今私は文無し状態で、のんびりPCいじりしている暇はないのに
こんなことでいいのだろうか。

甘えているからな。

部屋はタダ。水も電気代もタダ 食事までタダ
ジュースもビールもタダ お金ないからそれだけで
みんな助けてくれている。

早く恩返ししないとな。

*

サムライ7さんがどういった経緯でフィリピン人の世話になったのか分からないけれど、「お金ないからそれだけでみんな助けてくれている」ってのは貧しいフィリピン人のセーフティネット。

それに対して「甘えている」「恩返し」と思うサムライ7さんは日本人のメンタリティー。

日本で文無しになればホームレスしかないから、サムライ7さんは運がよかったのかもしれない。

でもまあ早く文無し状態から脱出して世話になったフィリピン人に恩返しをして欲しいと思う。

*

そうそう

フィリピンへ渡航した際よく行く日本食レストランがあって、そこの日本人マネージャーの文無しネタ。

彼は元プロモーターで招へいの仕事がなくなると、青粒(フィリピンのバイアグラ)を日本へ輸出する会社を興した。これが当たって家と車を手に入れた。そして事業拡大のためダバオへ向かう。

ダバオはフィリピン南部最大の日系人社会都市。日系人をフィリピンパブへ送り込む企てだ。

そこで人脈作りのため半年間毎晩飲み歩いた。ある程度目安がついてマニラへ戻ると会社はフィリピン人パートナーに乗っ取られていて、家と車もなくなっていた。彼曰く「迂闊だった」と。

突然、文無し状態に陥った彼は別れたフィリピン人妻のもとへ身を寄せメシを食わせてもらった。

貧乏暇あり生活がスタートして彼が一番困ったのが煙草。どうしても煙草はヤメることが出来ず、そうかと言って世話になっている別れた女房に煙草銭までせびるワケにもいかない、困り果てた。

仕方がないので彼は街に出て、道端に落ちている煙草を拾うことにした。貧乏暇あり生活が拾い煙草生活に変化した。拾い煙草の日本人は余程珍しいのか、まず同じ拾い煙草をしているフィリピン人の知るところとなった。彼曰く「拾い煙草をすればフィリピン人と真の友情が芽生える」と。

最初、フィリピン人の方から声を掛けてきた。「おい、煙草がないのならコレやるぞ」、そう言ってシケモクを手渡された。続いて「あそこへ行ってみろ、煙草が落ちているぞ」、貴重なシケモク情報だ。

拾い煙草を始めて1週間もすれば多くのフィリピン人たちと拾い煙草仲間になる。そしてあるものがないものにシケモクを分け与える暗黙のルールに従う。それから暫くして、拾い煙草の日本人の噂は知人の耳に入り、知人の紹介で日本食レストランのマネージャーに就職することが出来た。

人間万事塞翁が馬といったところかな。

さて、2年半前、マニラで借りていたアパートを引き払うとき、家財道具の処分をどうするか彼に相談したところ元妻のところからアパートへ引っ越す予定があり彼がすべて引き取ってくれた。

彼曰く「くれるものなら何でも貰う、例えそれがシケモクでも」と。

どうだ奥さん、今回はちょっと感動しただろ。ではでは。