国鉄→JR民営化から25年。わたしも42歳で専務
車掌からおろされて駅売店などの雑務種、57歳定年
まで窓際族どころか軒下族へ。元の職種に戻せと15年間
の裁判闘争も定年で会社側の粘り勝。自分の頭で考えない
裁判所は「ただめし」「くっているだけ」の「職業」だった。
普通の人を捕まえて「犯人に仕立て上げる」警察・検察の
「冤罪」とまったく同じ・・。
闘いつづけ負けつづけ国労とゆうだけで差別されて
定年を迎える。当時30歳の青年部だった組合員も
もう55歳になってしまった。
昇職試験などは受からず差別され続けて定年退職
する。歯を食いしばって耐えてきた国労組合員。
仲間を裏切ってまでJR東日本労組に移った人
「会社側にすり寄って見たところで会社を辞めれば
ただの人」退職してからが人生の生き方・の勝負。
会社側のロボットに完全になり下がった東京電力労
働者。JR労働者も同じようになりかねない。
働く人たちに「人間らしく生きよう」と呼びかけた
いと集まった国労の仲間たちの声だった。
「人間らしく生きる」金には代えられない大きな財産。
車掌からおろされて駅売店などの雑務種、57歳定年
まで窓際族どころか軒下族へ。元の職種に戻せと15年間
の裁判闘争も定年で会社側の粘り勝。自分の頭で考えない
裁判所は「ただめし」「くっているだけ」の「職業」だった。
普通の人を捕まえて「犯人に仕立て上げる」警察・検察の
「冤罪」とまったく同じ・・。
闘いつづけ負けつづけ国労とゆうだけで差別されて
定年を迎える。当時30歳の青年部だった組合員も
もう55歳になってしまった。
昇職試験などは受からず差別され続けて定年退職
する。歯を食いしばって耐えてきた国労組合員。
仲間を裏切ってまでJR東日本労組に移った人
「会社側にすり寄って見たところで会社を辞めれば
ただの人」退職してからが人生の生き方・の勝負。
会社側のロボットに完全になり下がった東京電力労
働者。JR労働者も同じようになりかねない。
働く人たちに「人間らしく生きよう」と呼びかけた
いと集まった国労の仲間たちの声だった。
「人間らしく生きる」金には代えられない大きな財産。