松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅4 ウラジオストック

2012年07月22日 | 赤道直下と陸路国境148か所
オートバイでロシア・シベリアを走り始める




2003年6月26日木曜 小雨 雨 20℃
7時ホテルをスタート。グル―っとまわって駅に出て記念写真。きのう聞いていた道を北に向かって走る。ロータリー越えて一旦停車してハバロフスクの道を聞き直す。目の前にハイウェイが走っているのが見える。いいところで止まってよかった。あーそうなんだ。よかったよかった。一発でハバロフスクへの道に乗ることが出来た。午前中小雨、霧、雨あーいやだなー。

森の中を走る走る。雨も上がった。80kぐらいのスピード。早目の昼食、ここらへんは平坦の道。ガススタンドの中にミニ売店・もあった。きのう作ってもらったゆで卵でおしまい。Nさんはソーセージを食べる。じゃりみちになった。深いジャリのところも出て来た。Nさんがじゃりみちにタイヤを取られて苦戦しているがバックミラーでわかる。14時半ごろだろうか260kmぐらい走った所で急にふた道にわかれる。

そのまま左側に入った。ああぁーと思いストップした。まぁいいや前に進もうとしたとたん「ズドーン」どうした??。なにが起きたのかわからない。あーここで「旅も終りか」と一瞬頭をよぎる。Nさんはヘルメットかぶったまま横倒しになっている。すぐNさんを起しに行く。「だいじょうぶ」Nさんは「大丈夫です」と応える。うしろから来た赤い乗用車も止まって協力してもらった。ばらばらと小さい荷物が散らばっているのを拾う。

なんの荷物だろうと拾い上げて自分のオートバイに戻って見るとボックスがポッカリ空いている。拾った小さい荷物は自分のボックスから落ちこぼれた荷物だった。なんだ―自分の荷物だったのか。荷物をまとめてこわれてしまったボックスは予備の「ゴムヒモ」でうしろにくくりつける。これは「トルコ」で経験している。そのまま修理屋を見つけながら走り続ける。

50kmぐらい走っところで中古屋みたいな鉄骨屋みたいな家を左に見つけた。Uターンして入ってみた。ご主人はわたしと同じ歳ぐらいかな。「これこれ」「あれあれ」とと話すと平然とした顔で「お―オ―」「まかせとけ」みたいな言葉にわたしには聞こえる。こわれているボックスに穴をあけて針金を通して「完全には」閉まらないが走るには支障がない補修。

修理中子どもたちとロシアオートバイで林の中を走り回ったりして過ごす。思ったより早い1時半ぐらいで終わった。ラッキーだ。これもいい「旅の記念」になるとNさんに話して気持ちをやわらげてやる。修理が終わったころおやじさんは部屋を見せて「ここでよかったら」「泊まっていけ」と。いやこれで充分です「よろしくお願いします」と泊まることにした。さっそくビールと食べ物をおやじさんの車で買い出しに行く。

5時半と早い時間だけれど「呑み始める」。ご主人と奥さん、息子双子兄弟、おとこ、孫などいっしょに話しながら日が暮れてからも飲み続ける。買い物に行った帰りには自宅にサウナにも入れさせてもらった。離れに作ってあるサウナ小屋、「へー」これが本格的なサウナなんだ。いやなことになってしまったが結果的には地元の人たちとも話が出来たしめずらしい経験もできた。

またオートバイ修理中に近い将来喫茶店みたいなお店を開きたいとおやじさんから頼まれた「看板」も作った。幹線道路から目立つよう「べニア板」サイズに「ここがアナトりですご自由におやすみください」と日本人にわかるように二段書きに仕上げた。

(上)ハバロフスクのホテル
(中)鉄骨やで修理
(下)ハバロフスクまで524km