松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイひとり旅・アラビア半島・アルハリ砂漠・1000km走破 18日~22日 

2014年03月24日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オマーン首都マスカットから1000kmイエメンの国境に近いサラーラとゆう町まで走った。

3月22日土曜  はれ13℃    はれ23℃   はれ31℃
夜中にひりひりする・・長袖がめくれて太陽の陽ざしで真っ赤・・とゆうより赤黒くなっていたのが
夜になって痛くなってきた。赤くなっていたのはわかっていた・・アフリカでもいつも赤くなっていた
のだがそのまま走り続けていた・・。

その時のことを忘れていたのだろうか。気になる痛さ、荷づくり用に自転車のチュウーブを使って
いる。朝起きて長袖を止める、そのチューブを切って手首にはめる輪っかを3個作った。





7時に出発・・13度と肌寒い・・左手首に2個つけ長袖を止めたので太陽の陽ざしは防げた。相変わ
らずきょうもきのうとまったく同じ砂漠が続く。これまでは約100キロおきぐらいにペトロールスタン
ドがあった。

こんなところでガス欠になったら取り返しがつかない。そのたびに給油し・・その都度次のスタンドま
での距離を聞く。110~120キロのスピードで走ってきた。写真を撮ったりするので結構時間もかかる。





岩山になってきた・・サラーサまで50キロを切った・・急にカーブの坂道になる・・風も強くなってきた。
頭を下げて風をよけて走る。峠を越した・・トラックは列をして走っている・・下り坂・・エンジンブレー
キでどれもソロソロだ。

今までの砂漠からガラッと変わって緑の平野が眼下に見えてきた。ラクダもまとまって育んでいる。ラクダ
もここなら楽だろう・・あの暑い砂漠のなにもない場所でも何頭か見かけたが・・。





イスラエル・ハイファーを起点にベイルート国境~ゴラン高原近く~死海とひとまわりまわってエルサルムに戻
った、この時も 死海の灰色の岩山から峠を越えるとガラッと変わって緑の高原になりラクダがいたのを思いだ
し同じような景色だなーとふと思い出した。

緑の街路樹・・サラーサ市内に入った。スタンドで給油・・「セントラル」はどっち・・ありがとう。どうやら
セントラルに来たようだ・・食堂みたいなところで若い人2,3人話している。ホテルを聴いてみよう。



この道まっすぐに行って「左にある」・・くわしく聞こうとしたら「オレについてこい」とマイカーで引っ張っ
てくれると言う。ありがたい。「そこだ・そこだ」と左を指さす・・2,3分で着いた。サンキュウ・・ありが
とう。

自分でも「いい感」とゆうかなんとなく若い人2,3人集まっていた所、匂いってゆうか・・うまくいきそうな
感じを感じ取ったのだ。いつの間にか旅で身についた「においのかぎかた、かもしれない」自分でも不思議にお
もう。

ホテルは15リアル3750円、ひっぱてくれた青年が話した通りの値段だった。11時だ。予定どうり早くつ
いてよかった。部屋に荷物を運ぶ前に「ソーリ」ここに「アルコールあるの」・・「ノー」近くのファイブスタ
ーホテルにはあると話す。

着替えてタクシーで行くから・・するとスタッフが「何がほしいのか」と聞く。「ビール20本」「ウィスキー
ボトル1本」・・「OK、OK」1時間以内に部屋に届けてくれるとレセプションスタッフ。

部屋に荷物を運ぶ。寒いぐらい冷えている冷房のスイッチを切った。これでもちょうどいいぐらいだ。ノックする
音、30分もしないうちになんとビールとウィスキーを持ってスタッフが届けてくれた。

ハウマッチ・・トータル12000円・・マスカットよりビールも高いようだ・・スタッフのこの人ははごまかす
ような・・ぼるような顔ではない・・これを呑めば元気が出るクスリだ。サンキュウ・・。さっそく冷蔵庫に10
本入れた。






アルコールは8,9度とかなり高い・・ドイツビール

やっぱり大事な飲みものを手にすると気持ちが落ち着き楽しいウキウキした気持ちになる。ネットは部屋まで無線
が届かなくて一階ロビーまで下りることになる。

夕方までと食事してふたたびロビーに降りた・・ええっつパソコンの画面に変な模様が出て・・デスクトップの画
面がでてこない。きょうはもういい早目に休むことにした。冷房は昼間から切ったまま・・でも大丈夫のようだ。



3月21日金曜  はれ20℃  はれ25℃  はれ32℃  はれ39℃
朝5時半に起床・・荷物はホテルに預かってもらった。7時に出発きょうはイエメンの国境に近いサラーラとゆう
町まで走る・・約1000キロ。マスカットからサラーラ方面の道路標識はみたことがあった・・飛行場近く・・

おそらくこのへんだ。出てきた標識サラーラSalalah・・なんとか乗ることができてよかった。岩山の間を縫うよ
うに走ってい道路・・ハイウェイでもないようだ、しかし道はいい。



1000キロ南・サラーラの町まで走る




ペトロールスタンドでで地元ライダーカワサキバルカンに二人乗り・・とあった。

300キロ過ぎて岩山がなくなり・・「いよいよか」恐れている砂漠地帯になってきた・・もう砂漠の「砂」を見
ただけでブルってくる。

砂の山が道に張りだしてこないように「風よ吹くな」・・祈る気持ちでまわりの車に気にしながら走る。道に砂の
さざ波が時々現れる。横風だけで・・追い風なのか前からの砂はない・・。半分の500キロについた。







「ホテルはあるの」ペトロースタンドで聴く、そして給油しているお客にも同じことを訪ねる・・・その方が情報は
高いのだ。200キロペトロールスタンドがある、そこにホテルがあるとお客さんの話「サンキュウ」。

いま2時だ・・よしあと200キロ走ってみよう。風はなく砂のさざ波もおさまった。砂漠の道路に慣れてきたせい
か恐さがなくなってきた。120キロでも走れるようになってきた。スタンドが出てきた予定より100キロ手前だ。



ホテルもある「ネット使えますか」「ノー」・・あと120キロ走ってみよう。さっきまで太陽の陽ざしで左の膝に
強烈な暑さを感じていた、今度は右膝にかわった。工事中の道路にかわって100キロ以下にの走りになる。

あせらずに行こう・・・無理すると必ず何かが起こる・・・南米だったか・・追い越しをかけたら対向車が走ってき
た・・ええっ・・びっくりあわてたこともあった・・このあたりは二車線に変更されていたのだった。




あわてるなと自分に言い聞かせる。ペトロール・スタンドについた、ホテルもあった。16時30分。ここまで給油
のみの休憩なしで走りっぱなし9時間連続走行になった。

道路にはパーキングがあっても日影はない。久しぶりの連続走行になった今までは最高14時間ぐらいだろう連続走
行したこともある、その時は1200キロぐらい走った。

途中でリンゴジュース・ペットボトル(大)を買った。炎天下の下でも・・ごくごく水分補給しながらだったので身
体は楽だった。ホテル前のレストランでステーキカレーを注文・・ぬるくなっていたビールでも元気がでる・・がつ
がつくって晩飯。




3月20日木曜   はれ
ホテルを探すとき「agoda」アゴダはいい・・海外で検索してホテルを探すとき日本円で出てくるのでわたしには助
かっている

http://www.agoda.com/ja-jp/country/oman.html

あしたからサラーサとゆう町まで走る約1000km・・スタンドの間隔など聴いたら30キロ50キロぐらいであ
ると・・これで安心した。夕方スワーダさんに電話を入れた。きょう梱包のことで電話をくれることになっていたが
なかったので電話してみた。いま梱包会社探しているとのこと。

そうですか実はあしたからサラーサまで走ってくる予定です。風が強く道路に砂が出てくるところがあるので注意し
て走るようにとアドバイス。

エエーとたんに緊張してきたサハラ砂漠を思い出した。そうなのか・・マスカット市内を走ってまわりは岩山ばかりの
イメージがあった・・考えてみれば1000キロ走るとゆうことは・・まわりは何もない砂漠地帯になっているのか・・

なんだか怖くなってきた。道は砂で消えてしまい、もう死ぬ覚悟をしたサハラ砂漠・・「今日だけはなんとしても生き
よう」もう必死で走ってきた。いま思い出しても身が縮む・・恐かったなー。まぁ風が強かったら戻ってくればいい
・・砂嵐はもうこりごりだ。


3月19日水曜  はれ 
朝方いつもより涼しい・・クーラを切る・・。午前中スワーダさんからオートバイを「タンザニア・ダルエスサラーム
」だったら12万円ぐらいで送れそうだけど・・船は1カ月ぐらいはかかりそう、「どうしますか」と電話が入った。

「それぐらいだったら進めてください」とお願いした。夕方4時に木枠の梱包会社の人がオートバイを見に来るので待
っててください。ジャマールも行きますから・・。

そのあとジャマールが仕事で遠くまで出かけているので18時に変更。18時過ぎにジャマールさんと梱包会社の人二人
がホテルに来た。梱包会社の二人・・渋い顔でジャマールさんと話している。

スワーダさんに電話で報告・・きょうの会社は「ダメ」とジャマールさんが話している・・・違う梱包会社を探すから
あした又電話します」と・・・忙しい中あっちこっち探してもらって申し訳なく思う。



3月18日火曜  はれ  21℃   23℃
午前中写真の撮りこみ・・スワーダさんからきのうの船会社にパキスタンまでの見積もり問い合わせているが、ドバイ
にある会社から返事が来てない・・のまだわからないと・・連絡あり。

こうなったら戻りたくない「ドバイ」に戻ってパキスタンかイランに送るしか方法はないかもしれない。ホテルの外壁
塗装のためじゃまになるので「ブルンブルン」(オートバイ)を動かせとレセプションの女性。

日本で放送されたオマーン特集のテレビを見たと3,4人・・日本の仲間からメールが届いた。ゆうべ日本人女性が集
まった時テレビ東京で放映されると話していたのは今日だったんだ。さっそくスワーダさんがテレビに出ていたこと
「仲間が見ましたよ」メールで知らせる。

スワーダ著書[砂漠に造った世界一の学校]は有名らしい・・どこで出版しているのかな・・・。