松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

第7次・70才・オートバイの旅・アラビア半島から中東イラン・首都テヘランへ 5月7・8・9・日

2014年05月18日 | 赤道直下と陸路国境148か所


<イランではネットがブロックされて更新できませんでした。18日アルメニアにつきました。
アルメニア・首都エレバン・ネット環境いいですね・・順次更新してゆきます>


2014年5月7日火曜       はれ地下パーキング 23℃        はれ
朝からネット作業・・・二日間だけできなかったネットだけど・・だいぶ長い間空いていたように感じた。かなしいかな、
ネット人間になったのだなーなどと言いながら・・毎日朝起きてビール飲んで寝ました。

たぐいの「くだらない」の日記を書きあげた。文章がうまいとか下手だとか・・だれが何と言おうと自分の生き方だから
おれにしか書けないものもあると開き直らないと日記なんて書けやしない。

「老いぼれ」に「うぬぼれ」重なったんじゃ話しにならない。アラブのホテルもすべてそうだったがここのネットもWiFi
・・早い早い・・イランについたことをメールを送り・・写真の取り込み。

ここのネットは写真の取り込みもすーっと取り込んでくれるのでブログに編集もずーっと楽になった。HP掲示板を編
集しているうちに夜の9時になってしまった。まぁこれが終われば気持ちが楽になる。

ああぁ・・シャルジャーで仕入れビールは残り少なくなった、スコッチ、ウィスキーはまだまだ残っている。ちびちびと
呑まざるを得ないのがつらい。また近いうちにどこかで仕入れよう。アルコールがあればゆうことなしなんだけどな。

贅沢と思ったけど疲れが出てきたようなのでホテルのレストランできのうに続いてステーキを注文した。まずまずの味だ
った。自分で買って焼いて食うのがうまいけど肉屋さんがないからなー。

(7日まではホテルのネットプロがブロックを解いて打てるようにしてもらった)



2014年5月8日水曜   はれ      はれ23℃日陰    
久しぶりに朝の散歩に出かけたとゆうより・・イスファーファン~テヘランに向かう道路の確認のため歩いてみた。歩い
ている人、マイカーの人に聞くが、いまイチわたしの言葉が通じない。

交通整理のおまわりさんに聞こうとしたら白バイがやってきた。「テヘラン方面はどの道」・・・・「マイ・オートバイ
で来ている」「ホテル」においてある・・・どうにか通じたようだがよくわtからなかった。・

だれかをまっている男の人が立っていた・・「ソーリ・・イスファーファン・テヘラン」への道は・・一つ目のロータリ
ーを左へ、二つ目のロータリを右へ・・英語だったのでだいたいわかった。ありがとう。

帰りぎわにホテルがあった「値段を聞いて」みよう・・「30$=3000円」と安い・実は今のホテルにあと一泊しよ
うと考えていたのだ。受付は12時だと・・「OK」ホテルに戻って来ますから。

今のホテルの半分だ・・さっそく荷造りをして移動の準備を終えてチェックアウト。一泊65ドルと思っていたが・二泊
で80ドル・・ステーキも二回食べてだから3500円ぐらいだったのかな。

しかし決めたことだ・・12時前に移動した。オートバイもすぐに出せるようにパーキングの入り口に置いた。安いのは
いいがネットがつながらない・・あー。4時頃からオートバイのスタンドがまた、ずれているようだ。

市内の溶接屋を探そう・・ホテルを出たらバイクがついてきた・・止まってスタンドを直したい・・知っているところを
教えてほしい。しばらく考えて・・走りだして2,3分でついた。

バスなどのが止まっている広場の奥に溶接屋があった。親子でやっているようだ・・スタンドを上げたり下げたりして足
に引っ掛からないようにと頼んだ。連れて来たもっら青年に・・どうもありがとうございました。






跳ねあげたときの位置、下ろしたときの位置の調整が難しいそう。最後はサブスタンドを切り落とし、、そして新たに足
して溶接・・うまくいった、さすがだ。あれこれ30分ぐらいかかった・・お金はいらない・いらないとやさしい親子。

気になっていたことが直せて気が楽になった。ありがとうございましたと・・手話では「安心」の意味で使うようだが・・
相手も喜んでくれるので、わたしはどこの国でも使っている。

特にトイレを借りたときなど・・手のひらを上にして両手を胸からおへその方にゆっくりおろすと「すっきりしました」
と受け止められているようで使わせてもらっている。

今回も手のひらを上にして両手を胸からおへその方にゆっくりおろすと「ありがとうございました」・・相手もニコニコ
顔になり・・気持ちが伝わったようでうれしかった。きれいなモスクの写真をとってホテルに戻る。

買えなくても元もと・・アルコールを買いに出かけた。一流ホテルにあるだろう・・五つ星のホテル・・シラズのホテル
ナンバーワンまで走ってくれと三度目に止まったタクシーに乗った、信頼できる顔だ。

ナンバーワンホテルに「アルコールがあるだろう」と言うとタクシの運転手は「ウィスキー、ワイン、ウオッカー・・」
知らないウィスキーの種類べらべらしゃべっている。ホテルにアルコールがありそうだ。

立派なホテルについた。レセプション「ソーリ、アルコールショップ」「バー&レストラン」女性と男性意味がわからな
いようだ。「ホテルにアルコール・ドリンク」ありませんか・・「ないと言ってる」ようだ。

そのやり取りを見ていたとき男が近づいてアルコールショップはある。だれだろうと思っていたらタクシーの運転手だった。
タクシーで自宅に向かうと言う・・・ウィスキー・ウオッカ類の種類もいっぱいあるようなことを話す。

そしてエブリディ毎日毎日飲んでいるとたのしそうな顔で話を続ける。この運転手はイラン人じゃないな・・・パキスタン、
トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルメニア周りの国を思い出しながら・・・あーそうだトルコ人だ。

「ユートルキー」か「イエス」・・トルコからから運んできているんだな。自宅アパートについた・・部屋に上がらせても
らう。さっそくボトルの数本、出してきた。よく見ると「0,0%」のラベルになっている。

なーんだ「0,0%」じゃないか・・「それでいいんだ」・・そうかラベルを張り替えて運んでいるのか・・・なるほど、
グラスについで呑んでみる。たしかにアルコールだが片方はなじめのない味だ、こっちの方がいい。

台所テーブルにはスイカのとなりに日本の小青梅に似たのを塩でまぶしたのが容器に入っている。シラズで買った青梅をわ
たしも塩をまぶして持ち歩いているのだ。

塩をまぶして食べるのは間違いではなかったのだ。これをつまみに飲んでいると・・・わたしも同じだ、思わず笑う。ウィ
スキーはどうした。別のところにいかないとない・・シャープ?と聞こえる。

イラン小梅を半分分けてもらって・・ショップのことだろうか。奥さんもいっしょに乗り込んだ。電気器具のとなり?閉ま
っている。奥さんの携帯を借りて電話しているが通じない。






「OK」ホテルに戻ろう・・シャープが開いてから買ってホテルまで持ってきてくれと「言われた現金」を渡した日本円で
6000円ぐらいだろうか。ホテルについた、じゃーあとからウオッカーを持ってきてくれと別れる、8時になっている。

あと一泊しようと考えていたがネットが全くつながらない・・あしたイスファーファンに移動しよう・・食事を終えて9時
を過ぎてもウオッカが戻ってこない。

彼は持ち逃げはしないだろう・・でも遅すぎる。ホテルから彼が渡した名刺に電話してもらった・・あと20分ぐらいで着
くとのこと、部屋で待つからコールしてくれ。

「おーい・・ウオッカー」と「大きな声」でホテルに持ってきてくれとタクシーの中で冗談で話したら「ノーノー」手で首
を切るしぐさを見せる。彼がやってきた・・タクシーの中に入り「ウオッカー」は売り切れてなかった代わりに「ウィスキ
ー」を持ってきた。

「ウオッカー」を頼んだ・・話しが違うじゃないか・・お金を返せ・・「ノーノー」こっちのウィスキーが「高いのだ」と。
どっちが高いのかわからないが・・・それにもらった小梅を彼の家に忘れてきたので新たに「イラン小梅」もいっしょに買
って来てくれた、のに「金返せ」といったものだから彼は憤慨している顔になった。

誠意でアルコールを持ってきてくれたのだろうに・・彼に悪い気分にさせてしまったのを後悔している。それにしても数あ
るタクシーの中で偶然にも止まってくれたのはアルコールを知っている運転手だった。悪は悪を呼ぶ・・類は類を呼ぶとゆ
うが・・わたしにとってはまさに幸運だった。


2014年5月9日金曜  はれ朝10℃    はれ昼23     はれ17時35℃
きょうはイスファーファンまで450キロ・・ホテルを6時に出発。二度「イスファーファン」の道を聞いて本線に出るこ
とが出来た。

長そで、ジャンバー二枚では寒すぎる、朝方は冬ジャンバーがほしくなるぐらいである。東に向かっている・・おかしいな、
今度は西、よしよし。また東・・西・・今度は南東走っているうちにわかった。山の谷合いを縫うようにして道が造られて
いるのだ。

これだとトンネルでつなげば近くなるのに・・・トンネルがひとつもないと思ったら出てきた。どこを走っていても岩山が
続いている。まずまずの広い道路・・ともったら片側一車線になったり、それほどひどくはないがこれから補修しなければ
ならないような道もある。

マイカーが少なくトラックががぜん多くなってきたと思ったら急に少なくなる・・う回する道があるのかもしれない。100
~110キロイーブンで予定よりちょっと早い12時半にイスファーファン市内に入った。

「セントラル、センターは」マイカーに聞きながら市内に入っていく。ベンジンスタンドに止まる。いつものようにバイク
の兄ちゃんが話しかけてきた。

スズキ・オフロードに乗った頼りになりそうな青年だ。「ソーリ、ホテル」まで連れて行ってくれ・・「OK」給油を終わら
せて彼についてゆく。

川の橋を渡り川に沿って走ると・・・アー来たことのある世界遺産の橋だ・・今度は橋の道に続く道路・・Uターンしたホテ
ルの前まで8キロ走った。

もしかしたら前回泊まったホテルかも・・中庭がある・・やっぱり前回泊まったゲストハウスだ(1200円)。荷物を下ろ
し・・オートバイはパーキングに・・運転は連れてきてくれたオフロードバイクの兄ちゃんにまかせる。写真をとってくれと
・・うれしそう。ありがとうございました。

オートバイで世界を走行中袴田さんと入れ違い中庭には日本の旅行者二人がいた・・旅人も日本人と会うのは3カ月振りだろ
うか・・。同じテーブルで話し始める。

「ろう」者のすごいオートバイの人、けさ出ていきましたと・・「あっ袴田さんだ」名前は知らないがここの「ろう」の人と
話していたとも・・。これからパキスタンに向かうとか話していたと・・。たしかに袴田さんだ。

ヨーロッパに向かうと聞いていたのでイランに来るとは知らなかった。一足違いだった、入れ違いだったのか・・・うーん残
念だった。「ろう」の袴田さんとはわたしが2005年渋谷・千駄ヶ谷公会堂で講演会を開いたときお会いして・・世界に出
発される前に何回か横浜に行って走るルートのことなど聞いていた。

60歳定年と同時に出発・・ウラジオストック、中央アジア、中東、アフリカ喜望峰、西アフリカ、スペイン、東欧ブルガリ
アからいったん帰国されていた。

言葉が出来なくても走れることを袴田さんが証明してくれている。ここに泊っている日本人、旅行者はAさんとKさん。二人
ともバックパーカー。Kさんはこれから移動すると出ていった。一段落してネットを始めよう・・中庭でコンセントをつなぎ
WiFiで始めたが一向に進まない、期待してきたのだ。

時間つぶしにホテルを探がしみよう・・そこに移ってもいいし、4軒部屋を見せてもらった・・ネットもできそうなホテルを
見つけた。ホテルに戻るとき青信号横断歩道・・左ひじがあたり右足親指を踏まれた・・一瞬なんだ、、車が過ぎ去った。

こんな乱暴な運転をするのか・・幸いヒジもこすっただけ親指も最初痛かったがすぐに痛みもとれたが許せない行為だ。数あ
る人間だからこうゆう乱暴な運転する人もいるので自分で気をつけなくちゃ。それにしても腹が立つ。ゲストハウスに戻りネ
ットをみるとまだ半分しか進んでいない。

1時間たってこのありさまじゃ・・ダメだ。あした行くからと話してきたがこれから移ろう・・Aさんにネットが使えないの
で移りますと挨拶して200m離れたホテルに移動した。キャンセル料は戻ってこなかったが仕方ない。ネットが出来ると期
待してきたのに・・なかなかつながらない。

ブログはイランでブロックされているらしい・・FBフェイスブックもスタッフを呼んでレストランでつないでもらい・・時
間をかけて開くようになった。よしセッテング出来た・・よかった。シャワーを浴びて、さぁー始めよう。

3回クリックしただけでおわり・・いつもの「ネットワークにつながれていません」のメッセージの画面に・・。あーきょう
はもう寝よう朝早かったので・・眠い、またあした、あした。10時前ベッドに入る。