


2014年5月15日木曜 小雨 くもり 雨 はれ
4時前に起きて出発準備・・5時レセプションの二人はロビーで寝ている最中・・オートバイのパーキング・・
きのう夕方聞いたとき紙に書いて「朝5時大丈夫だ」と言っていたが・・通じてなったようだ。
パーキングにやってきたマイカ^-若者は6時オープンだとゆう・・。雨が落ちてきた・・きょうはの出発やめ
よう・・・ホテルの部屋に戻ってベッドへ・・いつのまにか寝入っていた。
7時雨が降りそうで落ちてこない・・よし・・出発しよう。くもり空の中タブリーズに向かう。きのう何回も聞
いているが・・さてさて・・走りながら進もう。行きどまりの手前でタクシー・・「バブリース」・・オレの車
のあとについてこい・・地下に入っていく・・上がってループ線に入る・・・これはわかりずらいわ・・。
タクシーは止まって・・これからまっすぐだ・・。ありがとうございました。あと一歩で間違えるところでタク
シーに助けられた。郊外に出るまで結構車は多かったが・途中から・・・消えるようにいなくなった。
雨が降ってきた横風も吹いて来た
風上にオートバイを倒しながら走る。いつのまにか雨はやんでいた。高原の中に入っていく・・寒い、風が冷た
い・・空気が冷たくなってきた。長袖を着こんでその上にカッパを着こんで来たがそれでも寒い。
これじゃ冬支度・・長袖を二枚重ねる。12時になっても温度10℃から上がらない。ころころかわる・・めず
らしい高原の山の模様をながめながら目的地についた。
タブリースの町・・オートバイがいない・いつもはバイクが走りながら話しかけてくるがついてこない・・地元
の人に「ホテル」を聞く・・停まっていると・・「どうした」と聞いてくるマイカークルーザー車
「ホテル」を探している・・電話は知り合いにだろうか、「ホテル」までタクシーで誘導してくれた。タクシー
代まで出してもらった・・、ありがとうございました。繁華街の中にあったホテル。
さっそく晩飯の買い出しは・・きゅうり、トマト、玉ねぎ、小梅ににたのも買った・・ライスを喰いたくなった
のでチキンカレーライスはホテルのレストランに頼んだ。ご飯にチキンの汁(スープじゃない)をかけた・・う
まかった。
2014年5月14日水曜 はれ はれ
10時にシュハランムさん事務所へ・・そこの近く・・オイル交換、オイルフィルター交換へ・・お店に前に止
まるとバイクの人たちが集まってくる。オイル交換とオイルフィルター2個2500円ぐらいか・・。
雨でなかったらあしたアルメニアに向かいます・またまたお世話になりましたとシュハランムさんにお別れの挨
拶をした。すぐに着れる雨のときのカッパをプレゼントしてもらった。日本に来るときはぜひ連絡してください。
ホテル前に日本に来たことのある日本語がわかる人にテヘラン市内からタフリーズに向かう道ノリを聞くが・・
よくわからなかった。
まぁ走りながら聞くしかないだろう・・あした出発の準備を整えて晩飯は近くの焼鳥屋でライスをつけてもらっ
た。はっきりしない空模様・・焼鳥屋のおやじさんは雨は降らないと言う・・アラビアにきてからカッパ着て走
ってきたことがない・・ほんとうに雨が降らなければいいな・・。



2014年5月13日火曜 朝曇っていたがはれ はれ
きょうはなんの祭日なのか・・お休みで商店街もガラーンとして静かな市内になっている。きのうシュハランム
さんのお店がわからなくなったので朝散歩がてら確認してわかった。
川の流れのようにとめどなくやってくる通りはきょうは車、バイクが少ない。いつもバイクなど逆走して走って
いるのを見かけるがよく事故が起きないものだ。昼間方焼き鳥を焼いているお店を発見・・昼飯に買って帰る。
夕方ホメニイ広場へ散歩・・カメラ屋があった。今使っているキャノンIOS望遠レンズ28-300は本体をデ
ジタルに替えたため広角で撮れなくなり使っていなかった・・せっかくだから安いレンズがあったらと一旦ホテ
ルに戻りカメラと1万円だけ持ってお店に。
ほしいのは18000円だったが・・他のこれなら1万円でいいと言う。安いかどうかわからないがせっかく持っ
てきた一眼レフこれから使えるようにと思い切って買った。
ホメニイ広場をグルーっと回って地下鉄乗り場まで行って乗りたかったが・・カメラ2台持っていたので乗る気
がしなかった。シラズで仕入れたアルコール・早く飲んでしまわないと、これからウィスキーのうまいコニャッ
クが待っているアルメニアに向かう予定である。あぁれー・・ウィスキーとコニャックは違うのかな・・。









2014年5月12日月曜 はれ12時30℃ はれ17時35℃
ネットを借りに行く前に編集できるようにワードに日記を書き終えて13時過ぎにシュハランムさんのお店に行く
が・・ホテルから一本道の左側すぐのはずだ。
違うのか・・Uターンしてお店のある反対側へ回る。歩いて探すが見つからない。オートバイのまわりにオート
バイが集まってきた。名刺を見せてこの店に行きたい。こっちじゃない向こうの道だと。イヤ・・たしかこの道
のはずだけど・・、電話してくれた。
ここに来るから待っているようにと電話してくれた男。再び歩いてみるが見つからないバイクの人迎えに来てく
れた・・初めての顔「お店の人」「そうだ」集まっている人に合唱ポーズですみませんでしたとあいさつ。
バイクについて走る2,3分でついた。オーナーは出かけていたがすぐに戻ってきた。以前のお店に寄ったライ
ダーの写真を見せてくれた。
ポタラ宮をバックの写真はやっぱりエベレストまでいっしょに走った「粥川陽平君」だった。アフリカを走った
女性の写真には・・「RiKO 2006 MAY Nambia」とサインしてあった。予想していた鉄馬B女さんとは違う
女性のようだ。
二階の事務所でWiFiネットはつながらず・・持ち歩いているコードでつないでメールとHP掲示板はOKに
なった。ゆっくりとメールを見て返信でき、掲示板も更新することが出来た。
気になっていたメールの返信が出来て気持ちが落ち着きホッとした。ネットがないとさびしい気持ちになるって
ことは・・ネット人間になってしまった悲しさを感じるなー。
シュハランムのお店はあした休みらしい・・どこのお店も休みなのかは分からないが・・・あさって14日オー
トバイのオイル交換とオイルフィルターをの交換を近くのお店でやることにしてホテルに戻る。いま8時近く
まで明るい・・テヘランだ。



2014年5月11日日曜 はれ6時18℃ はれ10時28℃ はれ
残りビール1本になったので荷物ケースはだいぶ楽にしまえるようになった。6時30分イスファーファン・
ホテルを出る・・地下のパーキングに停めていたオートバイの上にチャパティをどっさり置いてくれている・・

レストランのスタッフの気持ちがありがたい。テヘランまで約450キロ・・きのう何回もテヘランへの道は
確かめた。どこまでも一本道、イランは運転は荒いがスピードはアラビア程は出さない。
ハイウェイを走っている車は少ないな・・。料金所で「OK」と「ただ」で走れるようだ・・シラズからイス
ファーファンに来た時と同じような西に向かって走り、東に向かって又西へとジグザグにハイウェイの道・・
相変わらず左に右の岩山・・
そして高原の中に道が続く。写真の電池交換・・ホテルの近くで買った安い電池、交換したが使い物にならな
かった・・相当期間がたってしまった電池だったのだろうか。
充電式の電池を用心のため持ってきていたので事なきを得る。これまでもそうだったように走りながらトラッ
クはでかいクラクションを鳴らして走り去る、こっちもクラクションで応える。
オートバイを写真におさめながら走っていくマイカ―・・子供が一生懸命に手をふる姿に元気をもらう。最後
の給油・・まだはっきりつかんでいないイラン通貨、リッター30円ぐらいだろうか・・10年前6円だった
が30~35円に値上げしたのだろうか。



高速料金所を過ぎてテヘラン市内についたようだ。ハイウェイでは一台も見なかったバイク・・市内にはいっ
たとたんバイクが増えてきた。二人乗り若夫婦?脇に停めて「ソーリ・ホメニイ広場」・「Uターンして・・」
と話しているようだ。
次にちょっと大きめのバイク・元気ありそうな若者二人乗りを脇に停めて「ソーリ・ホメニイ広場」この「道
を進め」わたしをそこまで「引っ張ってくれ」「右手はユー・左手はマイ」同時に動かして頼んでみた。
「OK」走る、走るジグザグにすり抜けて走る・・負けずについてゆく。兄ちゃんのバイクはすり抜けられる
がわたしはストップ。青年バイクは持っていてくれる・・相当走った来たがまだつかない・・何回かバイクの
人に聞きながらっ走っている。
裏小路の狭い道に何回か入っていく・・大丈夫かいな・・ホメニイ広場を知っている別のバイクが前について
走ってくれているようだ。
まだつかない・・ロータリーに出たがこれじゃない・・。ホメニイ広場はもっと大きい。20キロ近く走って
きている。車もバイクも入り乱れた道の混雑は10年前と変わらない。ぶつからないでよく走れるものだ。
ついたようだ大きいロータリー・・ここがホメニイ広場だ。高速を降りて1時間近く走ってきた。ロータリー
の周りにバイクをいっぱい止めている。少し手前に停めた・・わーっと人だかりになる。
一生けん命に引っ張ってくれた青年に「長かったねー・・ありがとう」ベンジン代払うから・・お札を出した。
ノーノー「いらない」とゆうしぐさ・・イヤーすみませんでした。
写真をお互いに撮って・・別れる。ありがとうございました。しばし休憩今12時半・・今度はホテルまで引
っ張ってくれるバイクの青年を見つける。さっきから興味深々にオートバイを見ていた好青年にあんたの「
バイクはどれだ」
「これだ」と青年。悪いけど「ホテル」まで引っ張ってくれないか・・「ホテル?」「そう寝んね・」両手を耳に
当てて「スリーピング・ホテル」と頼んでみた。ちょっと考えて場所をつかんだのか「ついてこい」・・
オートバイのまわりの人に合唱ポーズでありがとうと言って走りだそうとした瞬間わたしのうしろに乗り込ん
だものがいた。すぐに停めて「ふざけやがって」本気で蹴飛ばしてやろうと降りたが・・男は走り去る。
追いかけるまねをするとさらに逃げだして行った。青年のオートバイについて走る・・5,6分でホテル前に
ついた、周りは忙しそうに感じる騒然とした商店街・・道幅は広い
オートバイのまわりに人が集まってきた・・・大きいバイクだから興味があるのだろう。荷物をホテルに運ん
でオートバイは別のパーキングへ。さっきの青年にパーキングまで運転を頼んだ。青年にありがとうございま
した。
ホテル30ドル・・3000円、オマーンのホテルのように目の前が岩山ではないが5階の部屋から見晴らし
はいい、許せる範囲の値段・・とりあえずここに泊って別のホテルを探せばいいか。
昼飯・・昼寝して4時過ぎ別のホテルがあったらと・・近くを散歩する。車につかうベルト、水道金具、電気
工具、ロープ、さまざまな工業用品、小さい八百屋、ジュース屋、焼鳥屋も表通り裏通りも混雑して活気があ
る。
製品は最近のものとゆうより以前から使っているような品物が多い。うん・少し坂道になっている・・車もバ
イクも川の流れのようにひっきりなしに流れ出してくる道路に突きあたった。
10年前に来た時この流れを見たことがある。まさかその「通りでは」あるまい・・そういえば部品店が並ん
でいたなーもしかしたらその時の道かもしれない。工具店など見てまわり・・あの時とは違う道だろう思いな
がら歩き続けた。
当時持ち帰りの晩飯を買いに行ってた時レストランには「ろう」の人が働いていてうらやましそうな顔でわた
しの「オートバイ見たよ」と言ってくれた青年を思い出す。
レストランはわからなったが、もしかしたらこの辺から入った狭い裏道右側に安いゲストハウスがあってその
前に工具屋さん。その工具屋さん店を閉めてから夜だけオートバイを入れてもらってお世話になっていた。
車の流れを渡って裏道に入っていく。こんな道じゃなかったのでは・・おおーっホテルがある。ここだ・・こ
こだ・・手前にオートバイを置いた空き地もある・・ここだ。ホテルに入って見ると中の様子は似ている。
肝心な工具屋さんのあったビルは建て直し工事中で青いビニールがかかっている。ホテルの人や工具屋さんの
となりのお店に、10年前「この角にあったお店」にお世話になったんですと日本語で話した。
どこに移られましたか知らないですか。「50m先に移った」と、そこに行ってみると違う人の顔・・実は
「今工事中のビルの角の店」メモ用紙に書いて見せると・・「あぁ太った人か」「そうだ・・」オートバイの
うしろに乗れと狭い道を走り・・
大きな通りに出たところに止まった。ドアーを開けると・・「いた」当時お世話になった人だ・・名前はす
っかり忘れている。向こうも覚えていてくれた。「その時はお世話になりました」握手する。
名刺冊子をめくり当時渡したわたしの名刺も保存してくれていて見せてくれた。ありがたい。あの時60才そ
れから10年もったってしまい70才になりました。なんとも感慨深い・・。

日本に数年いたとゆう日本語を話せる人を電話で呼び出したようだ・・すぐ見えた「アリー」さんとゆう人。
わたしの他にエベレストまで走ったライダー、アフリカを走ってきた女性ライダーも当時の店にやってきたと
話す。

アリーさんがオーナーの名前は「シュハランム」さんと教えてくれた。イランはネットが使えなくて困ってい
ると話したら「うちの事務所で使っていい」と。ではあしたパソコンを持ってきますからよろしくおねがいしま
す。
いい「おみやげ」までいただいて戻る、途中今晩のおかず焼き鶏を買ってホテルへ。だれだろうエベレストま
で走ったライダー・・なーんだ・・いっしょに入った「粥川陽平君」じゃないか。
当時チベットをいっしょに走って彼はそれからヨーロッパ~アフリカ向かった・・イランではゲストハウスの
アドレスとホテル前の工具店で店を閉めた夜オートバイを入れさせてもらったと話したから彼も寄ったのだろ
う。
アフリカを走ってきて寄った女性?・・もしかした「鉄馬B女」さんじゃないかと思う、インド・バラナシで
5人顔も知らない同士ネットで打ち合わせしてインドで落ち合うことになった。
2004年11月。大阪の「クロのおやじ」さんこと岡崎さんもアフリカを回ってきた、「鉄馬B女」さん
(滋賀)もアフリカを走ってきた。「ぽこ&けん」さんこと荒木健一郎・優子(滝野沢)夫婦もアフリカを走
ってきた。
それぞれ期日・ルートは別々に走ってきた。それに松尾の5人で落ち合った。その時の鉄馬B女さんだったの
かもしれない。あした写真を見せるとのことなので楽しみである。
工具屋さんと再会できてよかったー、世界の人々にお世話になりっぱなし・・こうしてお世話になった人にひ
とりでもお礼を言えることは・・こんなにうれしいことはない。大相撲の魁皇関に顔が似てる・・シュハラン
ムさん49才になったと日本語のできるアリーさんが言う。






2014年5月10日土曜 はれ はれ
ホテルの近くを散歩がてらカメラの電池を確保しておこう・・一軒目電池2個入り120円・・こんなものかな
・・二軒目2個入り60円と安いが3個で品切れ。
お昼前・・世界遺産の橋までオートバイで出かかける、真っすぐ走ったところが、行き止まりの「橋」である。
ほかのオートバイも歩道に乗り上げて止めている・・わたしも邪魔にならないよう歩道に停めた。
2003年10月に来たことがある。その時は中央アジア・トルクメニスタンから入ったが残金4000円し
かない・・どこの銀行に行っても・・マスターカード、ビザカード、もちろんシティバンクカードも使えない、
大きな街マシュハドまで行けば大丈夫だろうと行ってみたがやっぱりダメ。
アメリカ・キーウェストでデジカメラを盗まれたのでフロリダ近くの電気ショップ店で10万円ぐらいで買った
JVCビデオ・・使い勝手がよくなくて一眼レフのカメラを使っていた。

そのビデオカメラ、最初3万5千円だったがのぞき窓が壊れていたので仕方ない2万5千円でカメラ店で手放し
た。マシュハドからそのお金を持ってお金おろしに国境越えて隣の国アゼルバイジャン・バクーの銀行まで4
泊5日走った。ベンジン当時リッター6円だったので助かった。
バクーの銀行でATMの機械がお札を数えるシャシャシャ音を聞いてアー大丈夫だったと・・・身体がへなへな
となった。それまで眠れない夜が続いたのでお金が降りて身体のチカラが抜けてしまったのだ。
アゼルバイジャンはウィスキーが安かったのでボトル2本買ってイランのビザを取り直してグルジア~トルコと
走る。今度は誕生日のためトルコでビールをどっさり仕入れてイランに入った。2003年10月15日60才
の誕生日はテヘラン・・ひとり盛大に静かに祝った。
イラン・テヘランからパキスタンに抜ける時イスファーファンに寄ったのが10年前。前回より人通りが多いよ
うな気がする、橋の向こう岸まで歩いて前回と同じような場所から写真をとる。
地元の高校生に自分のも撮ってもらう。オートバイに戻ると地元の人たちが写真をとっている・・いっしょに
わたしも入れてもらいとってもらった。ホテルに戻りネットを試すが使えない。
一回もネット使えないじゃないか「ホテル代返せ」レセプションに言ってどなった。何事かとスタッフが集まっ
てくる・・適当にそれまであしらっていたスタッフの男がパソコンにとりかかりどうにかメールだけは見られる
ようになったが・・返事(返信)が出来ない、
すぐに「ネットワークにつながっていません」のメッセージ画面ににがっくり・・あしたテヘランに移動しよう。

