松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅1 日本~ウラジオストック

2012年07月19日 | 赤道直下と陸路国境148か所
「朝起きて・・夜寝ました」たぐいのおそまつな「オートバイ旅日記」を「パソ
コン」に移している最中です。

ヨーロッパ・中東・東欧~北米・南米・アラスカと走った2年間ぶん移し終わり
ました。3年目のいまシベリア横断のところまで来ました。あと3年ぶん残って
いて、このままじゃ遅すぎ・・途中で死んでしまいそう・・・。

とりあえず3年めのシベリア・中央アジア編から少しづつ同時進行で載せていき
たいと・・。メインはカラコラムハイウェイとチベット・エベレストなどの走り
になるのでしょうか。

ヨーロッパ・北米・南米・アラスカ・そして死ぬかと思ったアフリカが最後にな
るでしょう・・少しづつ移しながら載せるつもりです。

その③原稿「オートバイひとり旅・地球走行中」松尾清晴
5年10カ月・112カ国・国境148カ所・赤道直下4ヵ所・28万km全記録
シベリア横断・モンゴル・モスクワ・カザフスタン中央アジア・中東・パキスタン
・アジア編


さぁーシベリアを走ろう準備編
2003年
5月7日 モンゴル大使館へビザ申請
5月14日 モンゴルビザ受け取る
5月15日 「ロシア」「カザフスタン」ビザ申請・招待状が必要とのこと
中央ビザセンターに二カ国のビザ申請を依頼する。
5月22日 「カザフスタン・ビザ」出来上がり受け取りに行く
5月27日 富山伏木港「FKK」エアー サービス株式会社」フェリー船会社に
6月20日乗船の予約を入れる。
6月3日 「ロシアビザ。大丈夫か」電話を入れる。心配で二回目の電話。
6月17日か18日自宅(松尾)に届くとの返事。
3日 東京海上保険会社「海外傷害旅行保険」個別チェックして一年分として加入。2年目に入る時は切れる前に電話すると継続できるとのこと。(注意)2007年6月アフリカのオートバイ旅の時は「6カ月」単位になっていた。
6月16日 ロシアビザ降りる。「中央アジア・ビザセンター」に取りに行く
6月17日 シティバンクで①$ドルに両替10万円
②T/Cトラベルチェック20万円分を発行してもらう。
これでほぼ準備終了

シベリア横断スタート・ウラジオストックに向かう
2003年 6月19日木曜くもり
マンションのベランダに作った家庭菜園。キュウリ・なす・トウモロコシ・スイカ・ゴーヤ・トマトの写真をきのう撮った。キュウリ2本なす2本小さいながらも収穫して食べる。それにしても育ちがいい。ひょうたんのつるはベランダいっぱいに伸び放題である。インゲンも早く伸びないとひょうたんにやられてしまうぞ。玄関に植えている「手まり花」とピンク、赤と黄色のバラの花も写真に収めた。

出発前、家内をオートバイといっしょに撮った。9時いよいよスタート「じゃ行ってくるよ」所沢インターから信越高速に乗る。向うのは富山伏木港。くもりの中信越から長野方面にここら辺から青空が出て来た。給油しようと思っていた場所は「休業中」「ええー」次までもつかな。海外では「ガソリン・スタンド」標示は「次○○km」。「次々○○km」と二つ先まで知らせてくれる標識がある。

だから安心して走ることが出来る。日本でも早く見習ってほしいものである。ようやくたどり着いた給油所で「スタンドは」「二つ先まで」「表示」を「国土交通省」に伝えてほしいと話しながら満タンに入れる。スタンドの人も「もっともだね」と言ってくれたが具体的に国土交通省にきちんと伝えてほしいものだ。日本海の「不知火」で20分の昼寝。

ハイウェイからおりて8号線に入る。高岡市・伏木港に15時に到着。とりあえず税関と「FKKエアーサービス」船会社を探しに行く。税関はすぐわかったが「FKK]はちょっとわかりづらい、間違って入ったJR貨物会社でくわしく「聴いて」たどり着いた。そのあとウラジオストック行き、フェリーの港「万葉埠頭」も確認した。万葉埠頭の駐車場には輸出するのだろう中古車がいっぱい停めてある。

船会社で紹介してもらった宿に泊まる。泊まっているお客はいないような雰囲気。
この宿は港湾関係者の宿泊所なのだろうか3800円。「さびれてしまった」と「おばさん」が話す町の食堂で一杯やりながら夕食をとる。さーあしたはいよいよロシア・ウラジオストックに向かう船に乗る。


原発いらない10万人集会・東京代々木公園

2012年07月16日 | 赤道直下と陸路国境148か所
7月16日東京代々木公園。さようなら原発10万人集会に行ってきました。
10時に会場についた・・ちょっと早かったかな・・。
12時過ぎてようやく会場がうまって13時頃会場は入れきれないほどになった。
「もしかした」「集まらないかも」などと心配することはなかった。
14時主催者は17万集まったと報告があった。

家内のおやじさん92歳は福島県南相馬市小高区が実家・・いまは3回目の
引っ越しで戻って南相馬市の仮設住宅で暮らしている。海岸から5キロ離れて
津波は家の前で止まってくれた。しかし原発で避難している。

「毎日散歩を欠かさない」で続けている。自分の家で過ごしたいのがわかる。
自由に戻れるがまだ水も出ない、電気使えない、ばかりか住むことは許されて
いない。自分の家にもどれないもどかしさ・・平気で電気料金「値上げは権利
であり義務だ]とぬかす東京電力の馬鹿もんにはわかるまい・・。

わたしのほか家内の友人2人全部で4人で参加した。

電気いるけど東電はいらない

2012年07月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所
「すみませんでした」と言えない幼稚な、あの、前の社長は天下りしている。
なんともあの顔の「うぬぼれた」とゆうかなんとも言いようのない、煮ても
喰えないとはこの男・あの顔・と・この顔すべての東電社員。

がまんができないが「世の人々」が見逃しているからなー。

7月16日原発いらない集会。原宿・代々木公園
http://sayonara-nukes.org/2012/06/0716sayonara_nukes/


闘いつづけ・負けつづけ・国労浦車分会

2012年07月09日 | 赤道直下と陸路国境148か所
国鉄→JR民営化から25年。わたしも42歳で専務
車掌からおろされて駅売店などの雑務種、57歳定年
まで窓際族どころか軒下族へ。元の職種に戻せと15年間
の裁判闘争も定年で会社側の粘り勝。自分の頭で考えない
裁判所は「ただめし」「くっているだけ」の「職業」だった。

普通の人を捕まえて「犯人に仕立て上げる」警察・検察の
「冤罪」とまったく同じ・・。

闘いつづけ負けつづけ国労とゆうだけで差別されて
定年を迎える。当時30歳の青年部だった組合員も
もう55歳になってしまった。

昇職試験などは受からず差別され続けて定年退職
する。歯を食いしばって耐えてきた国労組合員。

仲間を裏切ってまでJR東日本労組に移った人
「会社側にすり寄って見たところで会社を辞めれば
ただの人」退職してからが人生の生き方・の勝負。

会社側のロボットに完全になり下がった東京電力労
働者。JR労働者も同じようになりかねない。

働く人たちに「人間らしく生きよう」と呼びかけた
いと集まった国労の仲間たちの声だった。

「人間らしく生きる」金には代えられない大きな財産。


国労浦車分会OB会

2012年07月08日 | 最近のこと

少しづつきたえて造られた見事な身体は70歳
見習いたいなー。負けないようにガンバ・・ロ。

年一回OB会の集まりは実に楽しい呑み会だ。

国労浦和車掌区分会。年一回の行われるOB会
7月7土曜・8日日曜ことしは鬼怒川温泉で開
かれた。

定年退職60歳から最高81歳までの人たちが集
まった。

昭和19年(1944)戦争当時から勤めていた
81歳Hさん働く人のためにいまだに奮闘されて
いる話など夜中1時過ぎまで・・元気をもらいま
した。


元気と言えば少しづつ鍛えてきたUさん70歳の
身体は見事なもの、みんなで見習いたいものだと
宴会で見せてもらった。

次の日も朝からビールで乾杯、お互いに身体をき
たえてまた来年もとバイバイ・・。OB会今回も
実に楽しい呑み会でした。