ヤマダ電機を厳重注意処分 廃家電の横流しで(共同通信) - goo ニュース
とんでもない事件だ。モラル、社会倫理の問題だけに厳しい処分をしてもらいたい。リサイクルでいえばブックオフでも似たような事件があったが、これは別な機会に触れる。
若い頃、ボランティアでインドやフィリピンに行ったことがある。もう20年近く前だが、その時感じたことに、リサイクルとかリユースということがある。私たちにはゴミにしか見えないものを、徹底して使うのである。裸電球のガラス部分を取り出して、フラスコのようにして、ひもを編み、つるして使う一輪ざしの花瓶のように使っていた。
最近、日本でもおしゃれなインテリアとして見かけるが、あれは丸いガラス部分はそのために作られたものだろう。確かに数も品質も揃わない物をあてにして作るものは工業化には向かない。ハンドメイドだからできるのだ。だから工業製品はハンドメイド風に、はじめから規格を揃えて電球のガラスらしきものを作ってしまう。
私がインドにいった頃から日本は使い捨て文化で、どんどん買って、どんどん捨てていた。
実は、そうしなければ、経済が発展しないのである。ものが売れるから経済が回るというのは、資本主義の社会では、考えてみれば、「当たり前」だが、どこか生身の人間にはしっくりこない。
お金を循環させるために国内で消費するのである。「消費」すれば、あなたの家のお父さんの勤める会社は「売上」が伸びる。これで日本経済は成り立つのである。
輸出型から内需主導型の経済発展の時代へという流れが「使い捨て文化」の背景にあるのだろう。日本のバブル時代の到来も内需拡大ということがバックにあったし、その後から今に至るまでその経済的風潮は変わっていない。
さて、そのあとに来そうなのが「環境重視型」経済発展である。今回の事件もリサイクル法という悪法(あえて悪法とよぼう)がバックにある。環境問題を盾に、今度は「使い捨てるにもお金がいる」というようにしたのである。でも「消費」が止まっては景気がよくならない。どんどん買って、どんどん捨ててもらわないと企業は困るのである。環境問題、資源循環型社会というお題目があるから、消費者からお金がとれる。
ニュースをよく読むと、500万円という金額は山田電機がリサイクル費として消費者から代理徴収したお金である。1600台分だから一台あたり3125円。資源循環型の社会を作るために消費者が払っているお金である。
これにはリサイクル業者が販売して得た金額は入っていない。あるいは、船に乗せられて、中国や東南アジアに行ったかもしれない。その先でそのままリユースされているかもしれないし、分解され有効な資源を回収するリサイクルが行われているかもしれない。同時に取り出しには最新の注意が必要な有害物質も輸出されているかもしれない。日本から出た先でどのような処理が行われようと、もう誰の監視もないのである。
どうも、消費社会は主客を転倒させておかしな方向に進んでいるように見える。何かがおかしい。
かつて私がフィリピンやインドで見た使えるものは徹底して使うという発想には今の日本は到底戻れそうもない。