「竹島や ああ竹島や 竹島や」
これはトニーが詠んだ川柳だが、
松尾芭蕉が詠んだと言われる「松島や ああ松島や 松島や」のパロディではない!
元禄2年5月9日(1689年新暦6月25日)、芭蕉は念願の松島に到着しますが、この時芭蕉は感動のあまり、歌を詠まなかったそうです。
じゃあ「松島や ああ松島や 松島や」どこから生まれたのか?
と申しますと、実は江戸後期の狂歌師・田原坊が詠んだ俳句なのです。
最も正確に田原坊が詠んだ歌は、実際には
「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」
でした。
この句が広まったのは、仙台藩の儒者・桜田欽齊が著した『松島図誌』にこの歌が掲載され、多くの人々に知られることとなりました。
因みに「松島や ああ松島や 松島や」は季語を含んでおらず、無季語自由律俳句や川柳に分類されております。
しかしもっと面白い事に当時の江戸時代でも朝鮮、韓国と「竹島領土問題」があった事をご存じですか?
竹島一件で検索して下さい。
しかも現在、韓国が実行支配してる鳥取県の領土「竹島」は「松島」と江戸庶民は呼んでいたのだ!
だからあの「松島や ああ松島や 松島や」は俳句ではなく江戸時代の竹島領土問題を扱った「時事川柳」たしなみ隊!(Facebook参照)なのである。
トニー志茂説