昭和49年、およそ40年前、別の内科で育った者が一同に集まり日本で初めての臓器別内科を立ちあげるという顔合わせが北光線のTという出来て間もない寿司屋の2階で行われた。集まった医師は17名、封建的な医局制度と燃え上がった学園紛争の影をそれぞれ引きずっていた。
故人となったのは2人。後から何で俺を私を呼んで呉れなかったというクレームが入るのは必定なので、誰が招集したかを明らかにしないという生活の知恵というか、面倒くさいので「有志の会」とした。創設期の看護師さん方を含めて24名が集まる。
「明日午前中、私は留守なので頼むよ」と院長に言われて、スケジュールを点検するまでこの会の期日を忘れていた。看護師さん方は、時々会っておしゃべりしているようだが、医師の方は、出身医局が違っていたので付き合いも短く、年賀状でのお付きあいになってしまったものが多い。
釣り仲間の方が付き合いが長いように感じる。酒を飲まないので、どうも酒席が苦手。釣りバスの中で大物話や自慢話で語りあっている方が向いている。億劫といいながら、40年経ってどのようにお互いが変貌を遂げたか、を見たり、ホラ話を聞くのもいいかもと考えた。閉じこもっていると認知症に傾く。
故人となったのは2人。後から何で俺を私を呼んで呉れなかったというクレームが入るのは必定なので、誰が招集したかを明らかにしないという生活の知恵というか、面倒くさいので「有志の会」とした。創設期の看護師さん方を含めて24名が集まる。
「明日午前中、私は留守なので頼むよ」と院長に言われて、スケジュールを点検するまでこの会の期日を忘れていた。看護師さん方は、時々会っておしゃべりしているようだが、医師の方は、出身医局が違っていたので付き合いも短く、年賀状でのお付きあいになってしまったものが多い。
釣り仲間の方が付き合いが長いように感じる。酒を飲まないので、どうも酒席が苦手。釣りバスの中で大物話や自慢話で語りあっている方が向いている。億劫といいながら、40年経ってどのようにお互いが変貌を遂げたか、を見たり、ホラ話を聞くのもいいかもと考えた。閉じこもっていると認知症に傾く。