ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

カミさん孝行の後は、ひと息入れて平磯へ

2015-05-08 00:05:19 | 釣り
勤めに出て、いくらかはGWボケが取れてきました。猛暑の京都から帰り、寒いと感じていた肌も、北海道の気候になじんできました。「カミさん孝行と人聞きの良いことを言ってるけれど、私の行きたいところはパスするばかりで、観光というより登山。山ばかり登って来た」と、娘にぼやいておりました。娘たちも私も、金婚式のお祝いは行けるものなら、ペルーのインカ帝国の遺跡が見られるマチュピチュに登らせたいという願いが有るのですが、心機能が落ちてきているカミさんは、「苦しかった、つらかった」だけが残ったんでしょうね。







平地なら、リハビリで鍛えているので、私よりも歩くのが速い位ですが、。一寸した坂道、山道は、きついということが、この旅行でよく分かりました。カミさんの心機能を知るという、単なる釣りに行くためのコマセではない目的をもっておりました。坂道の上り下りは、ず~と手をつないで、心への負担を減らそうとしておりました。こんなに長い時間手をつないで歩いたのは、結婚以来初めてではないでしょうか。
二日目。紫式部が源氏物語執筆のために篭った石山寺(写真上の上)、玉座のある月見亭迄も険しい山道の上にありました。はるか下方の瀬田川に競漕用ボートが浮かんでいました。カミさんの希望で比叡山根本本堂(写真上の中)に寄って、坂道を登ったり降りたりしたあと、近江八幡で昼食。食後、豊臣秀次の最期の地となった八幡山には、途中までケーブルでしたが、降りて頂上への道も険しかったが、眺めた琵琶湖と対岸の湖西の山々の眺望が素晴らしいご褒美でした。(写真上)






日本の行く末を決めた人物が活躍した舞台に実際に立ってみて、歴女なら喜ぶだろう場所を駆け足で回りました。清洲会議の後の秀吉と柴田勝家の主導権争いを決着させた「賤ケ岳」に登りました。リフトで山頂近くまで乗って行き、300mの急峻な山道を、カミさんの手を引いて登りました。(写真上の上は、頂上から見た余呉湖)。次いで、関が原にやってきました。石田三成の陣営が築かれた笹尾山にも登ってみました。三成は何を見、何を考えていたのだろうか。(写真上の中)その足で、幕末の幕引きとなった井伊直弼の居城、彦根城でも、手を引いて天守閣の下まで歩きました、(写真上の下)天守閣入場には60分待ち、諦めて帰りました。下りもきつかったと思います。帰る日は、雨。鴨川踊りの見物したのは、歌舞練場の3階の一番上の列。(写真下)天井桟敷ですね、と隣のフランス女性と意見が合いました。ここまでも、階段を一歩一歩踏みしめて昇りました

札幌に帰宅後、今年限りの借地の雑草取り。剣先でトマトやささぎ用の部分は、掘り起こしました。無理はせずに、釣りから帰ってからに残しました。9日~10日は、アイナメさん、94翁、おのちゃんとご一緒します。場所は瀬棚海岸、今度は平磯でガラ場に入る予定です。移動しながら、釣ることになりますので、2本がらくでしょう。明日は定期の通院日、採血の結果を聞くことになります。前の晩は、変わりなしであってと、悩むものです。