18日の産業医の研修会から履修単位の通知が届きました。残念ながら、産業医の更新時単位数で0.5単位不足していることが判明しました。早速、札幌で受講できる研修会の案内を確認し、受講者の定員を調べると、5月、6月、7月の3週目まで、定員オーバーしていました。
やっと空きのある研修会を見つけました。7月末のウイークデーですが、講座の内容は、現在、産業医として大事な「メンタルヘルス」の問題点についての講義です。講師は、日本の心療内科の草分け九州大学で研鑽を積んできた親友ですので、元気な顔を見て講義を受けてこよう。これも縁なのかなと申し込みました。折り返し、受講証がネットで届きました。
この日は、勤めのある日ですが、かえって、スタッフも気にかけて呉れますから、忘れることも無いでしょう。来年度も健診業務を続けるには、産業医の資格が必須です。9月末までに、医師会や厚生労働省に届出を済ませなければなりません。何とか間に合いそうです。無為に過ごさず、医師として出来るだけのことをして行く。元気のもとになる釣りも続けます。
昨日夕方、ファクトリーの映画館で「駆け込み女と駆け出し男」での大泉洋の名演技を見てきました。まだまだ、私も、映画の中の医師見習い、戯作者見習い、の域を出ていないな~と、日頃の医業と、ブログの幼稚さから反省をして帰りました。写真は、今日26日、道庁の庭。ハスの葉を利用して、カラスなどから逃れようと親子鴨が見えます。カミさんが英会話の勉強の帰りに撮って送って呉れました。
昨年の5月26日の私のブログ:ご覧ください。さっぱり進歩しておりません。
「狩場山をバックに江の島で釣りをするのが大好きなのに、何が原因か分かりませんが、釣り会ではどうも島牧が苦手です。大物を釣った思い出がないのが効いているのかもしれません。昭和45年頃より、最も通った釣り場は島牧なのに不思議です。
素掘りのトンネルが沢山残っていた昭和40年頃、無医村診療で島牧村に1週間ほど滞在していました。テングスに針をつけて、その頃、名前を知らない岩場で穴釣りをしたこともありました。本目にあった村長さんの自宅だったかで五右衛門風呂に入れてもらったのを今でも鮮明に覚えております。
昭和50年の前半、循環器内科の病室に島牧村診療所のW辺先生が入院してきました。不整脈と心不全が改善したあと奥さんと一緒に島牧に帰っていきました。その後島牧から通院しておりました。病を得ていながら、島牧を離れず永住を決意し、自宅を江の島に建てました。
島牧での例会があった時に、医釣会のベストを着ている仲間に私の入漁している場所を聞き奥さんが暖かい差し入れを持参されたのも懐かしい思い出です。島牧では、W辺先生が後ろからみているようで、勝負に徹することができないのかもしれません。」W辺先生の家の前あたりで釣っておりました。先生は、故人となっておりますが、奥様は健在なのでしょうか。
やっと空きのある研修会を見つけました。7月末のウイークデーですが、講座の内容は、現在、産業医として大事な「メンタルヘルス」の問題点についての講義です。講師は、日本の心療内科の草分け九州大学で研鑽を積んできた親友ですので、元気な顔を見て講義を受けてこよう。これも縁なのかなと申し込みました。折り返し、受講証がネットで届きました。
この日は、勤めのある日ですが、かえって、スタッフも気にかけて呉れますから、忘れることも無いでしょう。来年度も健診業務を続けるには、産業医の資格が必須です。9月末までに、医師会や厚生労働省に届出を済ませなければなりません。何とか間に合いそうです。無為に過ごさず、医師として出来るだけのことをして行く。元気のもとになる釣りも続けます。
昨日夕方、ファクトリーの映画館で「駆け込み女と駆け出し男」での大泉洋の名演技を見てきました。まだまだ、私も、映画の中の医師見習い、戯作者見習い、の域を出ていないな~と、日頃の医業と、ブログの幼稚さから反省をして帰りました。写真は、今日26日、道庁の庭。ハスの葉を利用して、カラスなどから逃れようと親子鴨が見えます。カミさんが英会話の勉強の帰りに撮って送って呉れました。
昨年の5月26日の私のブログ:ご覧ください。さっぱり進歩しておりません。
「狩場山をバックに江の島で釣りをするのが大好きなのに、何が原因か分かりませんが、釣り会ではどうも島牧が苦手です。大物を釣った思い出がないのが効いているのかもしれません。昭和45年頃より、最も通った釣り場は島牧なのに不思議です。
素掘りのトンネルが沢山残っていた昭和40年頃、無医村診療で島牧村に1週間ほど滞在していました。テングスに針をつけて、その頃、名前を知らない岩場で穴釣りをしたこともありました。本目にあった村長さんの自宅だったかで五右衛門風呂に入れてもらったのを今でも鮮明に覚えております。
昭和50年の前半、循環器内科の病室に島牧村診療所のW辺先生が入院してきました。不整脈と心不全が改善したあと奥さんと一緒に島牧に帰っていきました。その後島牧から通院しておりました。病を得ていながら、島牧を離れず永住を決意し、自宅を江の島に建てました。
島牧での例会があった時に、医釣会のベストを着ている仲間に私の入漁している場所を聞き奥さんが暖かい差し入れを持参されたのも懐かしい思い出です。島牧では、W辺先生が後ろからみているようで、勝負に徹することができないのかもしれません。」W辺先生の家の前あたりで釣っておりました。先生は、故人となっておりますが、奥様は健在なのでしょうか。