伊藤整の自伝的小説「若い詩人の肖像」の中に二人の女性が出てきます。蘭島の浜で初デートの後に深い仲になったN子は、伊藤整が別れを告げた後に血で書いた手紙を送っています。情熱的なN子とは反対に片思いのままに過ぎた女性が忍路に住んでいました。その女性T子が住んでいた家は、忍路の観音坂にありました。
塩谷から伊藤整は通っていたらしいのです。月の夜、音を立てずにT子の家の近くを通ったという記述もあります。その思いを追いかけて伊藤整研究家は観音坂を探索していました。蘭島にも観音坂というのが有るらしく、昔から住んでいる地元の方は知っているようです。
実は、この坂には私も馴染みがあります。釣りブロガーである知人のやみいさんやハゴトコさんもこの坂を良く知っているでしょう。私は昭和45年前後に数年間、学生を引率し忍路の臨海実験場に泊まり込みで行ってました。ウニの受精の実験中、時間つぶしに、私は港内の防波堤でカレイ釣りをしていました。
宿泊施設が満員の時には、近くのお寺に泊りましたが、学生達にせがまれて夏休みには海水浴に泊りがけで行きました。家族連れで泊ったこともありました。この時に忍路のお寺から観音坂とおぼしきけもの道を通って蘭島海水浴場に何度も通っていました。このけもの道はオショロ寄りの崖に近い所にありましたので忍路の観音坂と思います。今度確かめてきます。
塩谷から伊藤整は通っていたらしいのです。月の夜、音を立てずにT子の家の近くを通ったという記述もあります。その思いを追いかけて伊藤整研究家は観音坂を探索していました。蘭島にも観音坂というのが有るらしく、昔から住んでいる地元の方は知っているようです。
実は、この坂には私も馴染みがあります。釣りブロガーである知人のやみいさんやハゴトコさんもこの坂を良く知っているでしょう。私は昭和45年前後に数年間、学生を引率し忍路の臨海実験場に泊まり込みで行ってました。ウニの受精の実験中、時間つぶしに、私は港内の防波堤でカレイ釣りをしていました。
宿泊施設が満員の時には、近くのお寺に泊りましたが、学生達にせがまれて夏休みには海水浴に泊りがけで行きました。家族連れで泊ったこともありました。この時に忍路のお寺から観音坂とおぼしきけもの道を通って蘭島海水浴場に何度も通っていました。このけもの道はオショロ寄りの崖に近い所にありましたので忍路の観音坂と思います。今度確かめてきます。