今日3月11日はあの大きな震災から7年目、
私は弟を亡くしてこの6月でやはり7年を迎えます、
この震災の日は、弟の命日のような気がします。
腸閉塞で小腸を全摘出手術したのがあの年の2月10日、
術後、「半年はもたないと思います」告知され、
その日から一切の固形物はおろか
一滴の水を飲む事さえ許されない日々が続きました、
命を区切られた事を知らない彼が
辛い治療に耐えて回復すると信じていたのもあの頃でした、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/7e/d1ae8cb7320db2f46195a4108b531a60.jpg)
術後一ヶ月、病院であの大きな地震を経験したのです、
翌日心配をして病室に向かうと、
元気な彼は私や周りを心配して、
看護師さんたちがあの大きな揺れに大騒ぎ、
「大丈夫だよ、この病院は新しいから崩れたりしないよ」
そう言って落ち着かせたと、偉そうに話していました。
もしかしたら、回復するかもしれない、
奇跡が起こるかもしれない、いい薬に出会うかもしれない、
そう錯覚するほど一番元気な頃でした、
そこから一片の氷をなめる事が許され、
もちろん食べる事は許されず、
飴をなめる事が許された頃は少しずつ弱り始めてきました。、
私はこの震災の日の弟の顔を毎年思い出す日です。
亡くなる3日程前から先生の計らいで、
少し味の付いたコンソメスープや麦茶を口にし、
そして静かに亡くなって行きました。
震災のこの日が弟の命日のような気がして、
震災で亡くなった方と弟に手をあわせる日になりました。
6月16日また7年目の弟の命日がまた来ます。
夢にも出てこない非情な弟・・・
逢いたいなぁ!。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/nezumi.gif)
まだ心にも多くの傷跡が残る被災された人々のお気持ちはいかばかりでしょう
bonjiさんの弟さんが亡くなった時のことは覚えています
震災の年だったのですねぇ
11日は震災の犠牲になられた人と弟さんとの別れが重なるつらい日なのですね
でも優しいお姉さんのお気持ちは天国の弟さんに届いていることでしょう
強烈な出来事と術後の一番元気な時が重なります。まだ何万人もの方が避難されていると思うと
心が痛みますね。
いつまでも亡くなった身内や友を思う気持ちがなくならないのがわかります、
これから先も震災の日がそんな思いの日になって行くのだなと。
弟さんは辛い闘病生活の中での体験だったのね。
若くして亡くされるのは本当に辛いですね。
嫁はその1年前、37歳でした。
早いですね、
元気だったどんな感じだったかしらと
弟の友人達と会う事がありますが、おじいちゃんになったと思います、50代のイメージのままでずるいですよね。
ひよこさんは偉いですね、小さいお孫さんを育てられて、まだまだ健康第一でいないといけませんね、
お互いにですが!