10年前頭の骨に出来た良性腫瘍の除去手術で
脳に傷を負った母は右半身の機能を失った、
4年間の介護、2回の骨折手術、
母はいま私の手を離れ、歩いて5分の特養のお世話になっている。

右半身不随になり車いすの生活になった
1度だけ動かなくなった身体を嘆き、
大泣きした母は、
それ以来泣く事もなく
自分をしっかりと受け止めている、
母に会いに行った帰りは、リビングで手を振って別れる、
そんな母は最近エレベーターホールまで送ってくれて、
エレベーターが閉まるまで手を振り別れを惜しむ、
帰りは1人で動く左足を少しずつ動かし、
左手で車いすの輪を移動させ、
長い廊下を頑張って帰ると言う、
「帰らなかったら、捜索願出してくださいね」
職員さんに笑ってみせる。

母はこの廊下を私を送ると
車いすで時間をかけて戻る、
「じゃぁね!1人で寂しくない?」

「寂しいわよ」
エレベーターの扉が閉まる瞬間の、母の消えそうな声だった。
一人で廊下を帰るのが寂しくない?・・・のつもりで言ったのに
ドキッとして、喉の奥がツ~ンして、涙が出てきた。
「寂しいよね、ごめん一緒に暮らせないで」
母の言葉が気になり1階から又エレベーターを戻した。
降りて曲がると
母は一生懸命車いすを操作して部屋の戻る、後ろ姿だった、
連れて帰れないよね・・・・
そっと、エレベーターに戻った。

みーすけさんのブログを見ても、同じように
娘として悩み、陳謝し・・
いずれ自分も同じような道を歩むのかな、と
まったく他人ごとではありません
母のことを思います。
娘に「おばあちゃん可哀そう」と言うと
「そんなに思うなら横浜に連れて行って
めんどうみたら」
介護士だけにいうことは辛辣でごもっとも
それでも何もしなかった自分がそこにいました。
できなかったじゃなくてしなかった、
しかたないことだけど申し訳なかった気持ちは
今も引きずっています。
bonjiさん
あなたは出来る限りのことしているのだから
ご自分を責めたりしないでね。
お母様も十分お分かりだと思いますよ。
母が居なかったら今のこの私はあらゆる意味で
存在しなかったし、こうして毎日暮らしていけなかったと思ってます。正に母の愛は海より深いってことばそのものです。
その母に晩年施設暮らしをさせてる事に今も自分の中で葛藤しています。
母の事を思うと、、、、
でも誰しも同じなんですね。
お互い今後も頑張って生きていきましょう。
実母はパーキンソン病で3年前に亡くなりました。
身体はまったく動かせなく話す事も出来なくなりすべての事を忘れて施設で寝てるだけの毎日でした。
最後に言葉を聞きたかったですけど、それもかなわず逝ってしまいました。
今は実家の仏壇の前で母に話しかけてます、返事はありませんけどね・・・
もう~そんなにいつまでもは傍に居られないんだから、
出来ることなら、一緒に帰りたいですよね。
自宅でゆっくり~くつろがせてあげたいです。
どんなにお世話の行き届いた施設でも、
自宅のようにはくつろげないし・・・。
娘としては、そんなジレンマを常に抱えて
課題としながら日々を過ごします。
読みながら、施設の母の顔やしぐさが浮かんできました。
今の母の立場に私を置き換えたら・・・
とてもあの空間で我慢が出来ないように思います。
実は 父が 入院していて ハリラヤの後
日本に一時帰国してました。
入退院のくりかえしで 看護する母は 弱り切ってますが 気丈な母は 私を気遣うばかりで
何もさせてくれません。
外国に住んでるのに めんどうみてあげるよ、なんて 嘘つけないし、夫を単身にして帰るのも できなくて・・・。
とにかく 健康に気をつけて 夫ともうまくやって 私自身が問題なく生きてることが親孝行の最低条件かと思いつつ・・。
ぎりぎりセーフでご縁ができました。
bonnji様 熟年再婚とか……。
一度しかない人生、堂々と信じる道を
生きているご様子が羨ましくもカッコよくもあります。
お母様のこと。
離れているから優しくできるってこともあります。
年寄りは、誰と一緒にいても寂しいもんです。
生きている日々そのものが寂しいんですよ。
通ってきてくれるbonjiさんには感謝していますよ、きっと。
風子ばあさんは年寄りだからこそ、よくわかります。
置いて帰る辛さ
お互い 切ないですね。
私も 施設に置いて帰るのは
酷い娘なのかと 自問自答の 毎日です。
物理的に どうしようもない事もありますから
割り切って考えないといけないのでしょうが
親子の情ですよね・・・
お母さまは よく解っておいでだと思いますよ。
私も3年前に母を亡くすまで自分との戦いでもありました。
認知症がひどく家で見る自信がなく妹も私も離れて住む弟の3人で決めた決断でした。
母を施設に預けた日、帰る時、色々な時辛かったです。
自分の老いのことも思いながら、母は元気な頃に言っていました。
「老いることは過酷」と。
先日、テレビで介護短歌というのを見ていました。
印象に残った短歌です。
「我が母を 初めて預けた
その夜は “ごめん おふくろ”
キッチンで泣き」
bonjiさんのお母さんの施設は幸い近いですしbonjiさんが始終顔を出されているので喜んでいらっしゃいますよ。
ベッドの周りのたくさんの写真がお母さんの励みと思います。
先月27日亡き母の満3年の命日でした。
でもあなたの心の葛藤、とてもよく分かりますよ。
お母上は貴女の幸せな元気な姿が一番の喜びでしょう。
お母様のためにも自分のためにも子供たちのためにも、生き生きと毎日一生懸命生活しましょうよ、ね!
いつまでも、お元気でいられることだけをお祈りします。
あの赤いネイルが忘れられません。