私は見ていないのですが、
NHKの連続小説「カーネーション」
母も姉も楽しみにしているようでした。
「これ、応募してみるからね」
(応募写真はお返し出来ません)
そう言って母の部屋から、
昔友人と写した写真を持って行った。
ドラマの最後に取り上げられかも、
「でもねかなりの応募だと思うから無理ね」
忘れた頃に、
「NHKって律義ね、写真が帰ってきて、
カーネーションでインターネット検索
「かーちゃんネーちゃんのふぁっション」に出ますって
手紙が来たわ」
昔の写真
32番の上から3番目、左の写真、
昭和15年 女学校2年生 友人と(横浜写真館)
向かって左が母です、
若い頃の私にそっくりです。

そして70年後の母です。

私は見ていないのですが、
マレーシアで
唯一見られるNHKで2~3回見ました。
その時最後に一瞬映る投稿された写真を見て、
あっ、これが姉の言っていた・・・・
1日1枚ですから、
出ないと思い忘れていました、
こんな形で載せていただけるなんて
母はいい思い出になりそうです。
ドラマ見てみたいと思いますが
途中だと分からないかしら?
育てられましたが、
祖父同士が友人で
父がどうしてもと言う願いで
嫁いだようです、
母だけが残りましたが、
苦労ばかりの人生、
7人の孫9人のひ孫に恵まれ、
10人目のひ孫はどの孫のところかしら?
とか、
15歳のひ孫の成人式はみれるかしら?
なんて言っています。
lilyさんも
お大事に!
最後に大正から昭和のファッション写真が紹介されるのですよ。
それもまたとても楽しみです。
そうですね、母のアルバムを見ているような気がしてきます。
お母様素敵な方ですね。ウン、似てるわ。
今の貴女より少しスマートだけれど(失礼)
「私だって若い頃は・・・・」という声が聞こえそう(笑)
カーネーションの番組には毎朝、元気をもらっています。
よかったらbonjiさんも見て!
セピア色のbonjiさんのお母さんの写真を見せてもらって
幸せに人生を歩んで来られた方だと思いました。
bonjiさんが美人だと私は聞いています。
やはりお母さんの血を継いでられるのですね。
時代背景や暮らしぶりなど映し出され昔の写真
いいですね。
bonjiさんは今もお母さんを大切になさっています。
これからもbonjiさんが幸せな人生をと願っています。
NHKさん、ホームページに載せて下さって良かったですね。
祖父は男兄弟だけで、
自分の子供も男の子、
そこへ生まれた第2子が母でしたから、
可愛くて、
可愛い洋服を着せては
写真館で良く写したらしいです、
今のように色々なサイズ洋服が豊富になく、
洋裁店にオーダーしたようです、
その母が苦労したので、
帰ってこい!と言われたようですが、
今の時代と違い、
離婚したら、
兄弟姉妹の就職や結婚に悪影響がと、
我慢したらしいです。
でもね、
若い頃は「可愛げ」は今よりもあったかな?
今は可愛げのないおばちゃんになりました。
スッピン好きなのです、
顔を洗って、パンパンと化粧水、乳液でおわり、
そんな感じで外に出るいいですよね、
でも素肌で歩いてると、
あら顔色が悪い・・具合悪いの?
そう言われます。
スッピンで駅辺り歩いてると、
さくらえびさんいるかな?
写真は返還しないと言うので、
母の所で、一生懸命、
カメラで、
光に当たらないよう写していました、
返していただけるなんて、
この写真実は2年ほど前、
一緒に写したお友達の手にあり、
頂いたものです。
母の手元にはなかったのですよ。
私はただのおばちゃんです。
昔からモダンだったのねぇ~~と見ていましたら
まぁ!
bonjiさんのお母様まで・・・
横浜ですもんね。
本当に親子で美人ですね。
何度も会っている私が証言します!
言い切ります。
いまだって美しいから、若いころは
どれだけ可愛い人だったか・・
モテモテだったと思います。
bonjiさん、別に何か欲しいわけじゃないですからね(笑)
初めてお会いした時からそう思ってました。
すっぴんも見たし
ほんとにお母様にそっくりです
この機会に<カーネーション>見ます?
おもしろいですよ。
三姉妹のお母さんの物語のようですね、
母はとても苦労しました、
と言ってもあの頃は皆さんご苦労の中
子育てをしたり、
そしてお嫁さんとして仕事もあり、
戦争があり、戦後の混乱ありですものね。
大変だったと思います、
便利な電化製品もなく、
おむつも布で手洗い・・・
冷たい水で食器洗い、考えられません。
母もこの頃苦労するなんて、
考えていなかったと思います。
親孝行しないといけませんね
そして子供に頼らず生きる方法も。
とっても嬉しいですね。
セピア色の写真、とってもきれいです。
bonjiさんも美しい人ですね。
やっぱり憧れの女性です。
舅姑の間に入ってくれない自分かってな父、
お嫁さんと苦労して、
いつも私達に
ヒステリックに当たりました、
いつも怒られていた気がします、
今はそんな気持ちがよくわかりますが、
実の母でなく
いまに優しい母が迎えに来てくれる
なんて思っていました。
母方の祖父は商売に成功していて、
いつも何人かのお手伝いさんがいたそうで
お嬢様でした、
プライド高いのですよね。
見ていただいてこちらこそ
ありがとうございました。
父は軍人で皇居に詰めていました、
義父母とともに
すぐ横浜の空襲で
焼け出されたと言っていました。
それからの苦労は想像がつきません。
我がままなで病弱な父、
舅姑の苦労、3人の子育て、
後半人生車椅子になって、
可哀想に思います、
親孝行しないといけませんね。
今の孫の年齢で、
何だか大人っぽいですよね、
白黒しかなかったのですよね、
懐かしいですね、
ドラマの最後に一瞬映る、
一般の方達からの投稿写真、
マレーシアのNHKで2~3回みました、
沢山の投稿があったので、
インターネットに載せたのだと思います。
良い記念になりました、
早速プリントアウトして、
見せます。
主人公の明るくバイタリティな生き方が
才能ある三姉妹を育てたのだろうななどと思いながら毎日見ています
応募した写真テレビには映らなかったけれど
インターネットで紹介されたのですね。
お母様も喜ばれた事でしょう
若かりし頃のお母様から70年後でも素敵な今を想像できそうです
私いつも思っていたのよ。bonjiさんは
きっとステキなお方なんだろうなぁ....と
やっぱりその通りですね。
お品があってステキです。その時代の写真って良いですね。
今日はほんわかステキな時間でした。
ありがとうございました。
昭和15年、私は2歳でした。
戦争が激しくなる少し前の事でしょうね。
その後はきっと大変な時代に
入って行きご苦労もされたことでしょう。
カーネーションみています。
昨日も<キルトの家>を見ていて
bojiさんのお母様の事思い出していました。
最後まで、ひとくくりの老人としてでなく
その人個人「0000」で生きて行きたいのだと言うセリフそのとおりだと思いました。
お写真拝見しても誇り高く生きてこられた方に
思えます。ましてや、予測もなく術後にご不自由なって仕舞われたとは、本当に無念だったと
おもいます。bonjiさんがお近くに居られる事は
お幸せですね。
似てると言う事はbonjiさんも・・・
私もテレビ見た事ありませんが
白黒の写真懐かしいな~
小さい時はこんな写真でしたね
お母様も載って良かったですね~