今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えたはずが。
恥ずかしながら、出戻りました。

静子

2012-02-16 10:55:00 | 悲しい事





        


     セピア色で、

      古いアルバムから剥がされた写真が

      父の遺品から出て来ました。

      綺麗な顔立ちの少女、        
      
      多分写真館で撮られた

      7歳の七五三の晴れ姿であろうかと思われます、

      大正9年生まれの父、

      その姉です、

      私の伯母にあたります。



                      

      上等そうな着物と帯、

      手に持つ飾り羽子板は大きく、

      高級そうに見えます、

      横浜元町で貿易商を営み

      船でイギリスに渡った事もあると、

      羽振りが良かったとも聞きましたが、

      結核で父の両親はなくなり、

      この姉も亡くなったようです。

      兄と父は別々に養子に出され、

      弟である父に会いに

      長野から上野駅に着いたあと倒れ、

      上野警察署からの連絡に

      養子であることを知らさせたくない養父母は

      父に会わせる事を拒絶、
     
      弟に会う事なく、

      兄は1人寂しく病院で亡くなったそうです。

      兄「憲一」、大正2年8月17日生まれ、

      雪の降る寒い

      昭和6年1月26日が命日と書いてあります、

      

      姉「静子」と言う名前とこの写真が残っているだけで

      命日ももちろん生年月日もわからないのです。

      大正2年生まれの兄、

      大正9年生まれの父、

      その間でしょうか?

      フェリス女学院に入学した後、

      亡くなったらしいと言う事で、

      父が大事にしていた両親の写真と

      2枚並べて毎日手を合わせ、

      この写真を見ると寂しい運命のこの少女、

      供養してあげたいと思うのです。

      優しい名前の綺麗な少女

      ブログに載せてあげたくなりました。


                       bonji


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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
美しいお嬢様です。 (もと)
2012-02-16 11:19:27
とっても綺麗なお顔立ち、

7歳にしては大人びて見えますね。

とても波乱の人生を歩んでこられたご家族。

どうぞ、安らかに。
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綺麗な方 (koba)
2012-02-16 11:58:52
伯父さまも伯母さまも
裕福な家にお生まれになりながら
数奇な運命をたどることに
なって無念だったことでしょう。

写真を拝見するだけで、その豊かな
生活が伺われますね。

お父様だけでも幸せになることが
できて、ご両親やご兄姉さんは
きっと喜んでいられたことでしょうね。

それにしても何ときれいな方
ですこと、、、、、
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大正時代.... (みいやん)
2012-02-16 15:19:17
素敵で品のあるお方ですね。

写真からもその時代にはとても裕福だったんだなぁ...と思います。
良い写真が残っていましたね。

あの当時結核が流行ったのでしょう....

良い薬が出来たころ...ペニシリンだったかしら...
戦後でしたが私が三歳のころ父が結核になり
肋骨を六本ほど切除しました。
入院生活も長く母はお茶を絶って無事に帰って来ることを願ったそうです。
子供が多かったので母はとても苦労したそうです。

bonjiさんのお父様のご兄弟も色々と大変だったのですね。
bonjiさんが手を合せていらっしゃるという事に心も暖かくなります。
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ドラマみたい (わんこ)
2012-02-16 15:39:29
綺麗なお嬢様ですね、、
でももうこの世にいないとは?

伯父様の人生も、、、

私も最近母のアルバムを見てて、古い写真には
たくさんの人生とドラマが詰まってるな~と

そういう人達、御先祖様を供養するって大事な
事ですよね。
だってその人達のお陰で今の私達がこうして
いられるんですものね。
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もとさんへ (bonji)
2012-02-16 15:57:14
綺麗ですよね、
亡くならなければ、
美人の自慢の伯母だったのだろうかと、
そう思います。
父は結核で家族を失い、
身体もあまり丈夫ではありませんでしたが
養父母に大事に育てられ、
母と結婚して、3人の私達子供と、
7人の孫、
そして5人までひ孫を抱く事ができました、
皆の分幸せだったと思います。


           bonji  
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kobaさんへ (bonji)
2012-02-16 21:28:03
小諸に住んでいた祖父の妹が
長男である祖父の変わりに、
夫婦で後をとりました、
軽井沢にお墓参りに行きますと、
土葬だったので、
ふかふかな土に少し墓石がまがり、
何だか、この下に眠っているのかと、
不思議な気がします。

父は養子先で幸せでしたが、
長野に養子に行った兄は、
あまり幸せではなく、
弟に会いに来ましたが、
父を実子として育てていた養父母は、
警察からの電話に、
関係ないと断ったそうです。
悲しい話ですね。


            bonji  
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みいやんさんへ (bonji)
2012-02-16 21:40:10
昔は結核は治りにくいとされていましたね、
父上そして支えていらした母上
苦労なさいましたね。

父は2歳半で母を、
6歳で父を亡くしています、
父も肺は弱く、
肺気腫で弱かったのですが、
83歳まで、皆の分頑張ったのでしょうね、
お墓を守っていた父の叔母や
その息子さんもなくなり、
私だかけかな?
なんてこの写真みて思います。


            
         bonji
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わんこさんへ (bonji)
2012-02-16 21:51:52
ドラマのようですよね、
父は7歳で養子に来て、
中学入学まで知らされず、
入学書類に添えた戸籍謄本が、
自分のだけ糊ずけしてあるので
開けてみて分かったそうで、
1晩泣き明かしたといいました。

それからその事はタブーで、
養父母に両親の事聞けなかったようです、
母が嫁に来て、父から聞いて
祖父母に内緒で親の事を調べて
軽井沢にお墓を守っている祖父の妹に
たどり着いたようです。
時々お墓参りにいきます、
暖かくなったら行ってみます。

           bonji
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あの頃 (夢路)
2012-02-17 10:40:06
私たちの知らない時代ですが、様々な人生模様がありますね。
あの頃はまだまだ医療も今ほど行き届いていなくて、また日本も大変な時代でした。
お父様もそのお兄様もお姉さまも豊かなお暮らしから波乱万丈な人生に。
まるでドラマのようです。
私の母も戦後の疲れからか、結核を患い、私と姉は母から数ヶ月引き離され、
祖父母の下で暮らしました。私はまだ3歳ぐらいだったかしら。
うっすらと記憶にあります。
今は本当に平和な時代ですね。

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奇麗ね~ (シャム)
2012-02-17 10:49:02
本当上品で奇麗な方
目鼻立ちがはっきりして奇麗ですね~
見とれています~
大きな羽子板 凄~い
昔でこんな大きい羽子板 どれだけ凄い事か・・・
裕福だったんですね

昔は結核大変な病気でしたからね~
お父様とお兄さん会わせてほしかったですね
お父様も心残りだった事でしょう

みなさんの事思ってあげるだけでも供養になりますよ
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