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災害対応に緊急事態条項が必要なのか

2016-05-01 18:04:16 | 政治
 今回は、熊本地震に対する政府の姿勢について書きたい。前回はオスプレイのことについて書いたが、今回は政府が“緊急事態条項”の必要性に言及したことについて書く。
 地震後の15日の会見で、菅官房長官は緊急事態条項の必要性を語った。「今回のような大規模災害が発生したような緊急時に、国民の安全を守るために国家や国民がどのような役割を果たすべきかを、憲法にどう位置づけるかは極めて重く大切な課題だ」というのである(朝日新聞電子版より)。
 この発言も、「震災の政治利用ではないか」と批判された。
 政府は以前から緊急事態条項の創設を目論んでいたが、震災が起こったのを機に、それを口実として利用しようとしているのではないか――そんな批判が出ている。いちおう公平を期すために書いておくと、これは記者からの質問に対して答えた発言ではある。しかしそれも、政権よりのメディアと事前に示し合わせておいてそういう質問をさせたのではないか、というような疑惑がもたれている。ふつうであればそういうのは「うがった見方」ということになるのだろうが、安倍政権ならやりかねないし、悲しいことに、そういうことをしそうなメディアが存在しているという事実もある。ゆえに、“なかば自作自演”というのも、あながちうがった見方ではないと思えてしまうのだ。

 はたして、あの熊本地震から、「緊急事態条項が必要」という結論が導き出されるのだろうか。
 この間紹介した小林節氏の講演会でも、このことが話題になった。小林氏の答えは、明確に「ノー」である。
 あの震災で、最初に現地対策本部長として熊本入りした松本文明・内閣府副大臣のさまざまな言動が問題になった。テレビ会議で差し入れを要請したぐらいのことはまだいいとしても、避難者が屋外にいる状態を解消しろ、といったのには熊本県知事も激怒したといわれる。避難者の多くは余震が怖くて屋外にいるのであって、そういう現地の事情がわかっていない、と政府側の姿勢は厳しく批判された。
 こうした点を踏まえて小林氏は、災害のような緊急事態では基礎自治体に権限を集中させるような仕組みを作るべきなのであって、緊急事態条項というのはナンセンスだという。そのとおりだろう。現地の事情もよくわからない中央の人間がしゃしゃり出てきて現場の指揮をとるといっても、かえって現地は混乱するばかりだ。現場をよく知っている市町村長に大きな権限を与え、機動的に対応できるようにするべきなのだ。

 ……と、震災のことを書いてきたが、この“緊急事態条項”について本当の問題は、地震対応がどうかということではない。
 菅官房長官の発言が“震災の政治利用”というふうに批判されるのは、実際には彼らが災害支援のことなど考えていないからだ。彼らは彼らが目指す強権的国家体制の一環として緊急事態条項なるものを作ろうとしているのであって、その口実として災害対策というのを持ち出している。だから、「震災を政治利用している」といわれるわけである。

 災害対応ということとを別にして考えてみたときにも、自民党がいうような緊急事態条項というものが本当に必要なのかというのは疑問だ。
 それは、よくいわれるとおり、それによって国民の権利を制限するということの危険があるためだ。そのこととのバランスを考えたときに、緊急事態条項というのはそう簡単に認めていいものではない。
 たとえば、フランスでは、昨年の同時多発テロ以降、憲法に緊急事態条項を盛り込むべきだというような議論が起きていたが、結局、先月末に、オランド大統領は改憲を断念した。捜査機関に大きな裁量が与えられることに反対の声が強く、断念せざるをえなくなったのだ。緊急事態条項の導入は見送られたし、二重国籍者の国籍剥奪なども、人権上の問題があるとして、これに反対して司法相が辞任するなど強い反対があり、実現しなかった。
 これがまっとうな判断というものである。
 いくらテロの脅威といったところで、社会的な自由を制限していくことには慎重でなければならない。まして、現代のテロリスト相手には、厳重な警戒態勢をしいたとしても十分ではない。そのことは、ほかならぬフランスの事例が示している。そうしたリスクをはかりにかけて、二度の大規模なテロに見舞われたフランスであってさえ、その対策として緊急事態条項を創設するのは危険だからやめたほうがいいという結論に達している。それぐらい、憲法に抜け穴をつくってしまうことには慎重でなければならないのだ。

 いつだか、アメリカの現状を描くドキュメントで見たが、「安全のためといって自由を手放していけば、最終的には両方を失う」という言葉があった。社会的な自由を犠牲にしていけば、いつか安全も保障されなくなってしまうのである。アメリカでは、2001年の同時多発テロ以降、そういう動きが進んできた。その結果として、たとえばNSLのことなど、さまざまな問題が指摘されている。テロによって引き起こされた一時的な社会不安によって、かえって社会全体を不自由にするような法制度を作ってしまったということが、反省されている。そういう状況をみれば、いまの日本で緊急事態条項を創設するなどというのは、まったくナンセンスである。