先日発表された昨年10-12月期のGDP成長率が、マイナスとなった。前期は当初マイナスで後に修正されてプラスになったが、今期もまたマイナスの数字が出た。アベノミクスの失速はあちこちで指摘されているが、これはもう本当にやばいところにきているのかもしれない。そこで今回は、あらためてアベノミクスについて考えてみたい。
まずはじめに書いておきたいのは、このブログでは以前に一度紹介した北岡孝義・明治大学教授の予言である。
北岡氏は、著書『アベノミクスの危険な罠』(PHP研究所)のなかで、アベノミクスの効果についてシミュレーションしてみた結果、その効果は2年半ほどしかもたないという結果を紹介している。そして、アベノミクス開始から2年半というのは、去年の夏ぐらいになるわけだが、そこからの3期のうち2期がマイナス成長に陥ったというのは、はたして偶然だろうか。アベノミクスは、もう崩壊しつつあるのではないか。
ついでなので、ここからしばらく、北岡氏の著書を参考にして、書いていきたい。
この本のなかで北岡氏はアベノミクスの「異次元緩和」を鋭く批判しているが、特に問題視されているのは、アベノミクスが「打ち出の小槌」であることだ。
日銀は、いくらでも紙幣を発行できる。だから、いくらでも市場にマネーを供給し続けることができる。だが、なんの代償もなしにそんなことを続けられるはずがないというのは、少し分別があればわかることだろう。
こういうやり方には、当然ながら代償はある。それは、そのようなやり方が通貨の信認を破壊してしまうということだ。
極端な例で考えてみると、それはよくわかる。
たとえば、政府が高額な硬貨を発行するということは可能である。紙幣を発行できるのは日本銀行だけだが、硬貨は政府が発行できる。ということは、やろうと思えば、一兆円コインを発行して、それで借金をさっぱり返済することだってできるわけである。だが、それをやれば通貨の信認は崩壊する。だから、どこの国でもそんなことはやらない。
このような極端な例を考えてみると、通貨を大量に発行して赤字を埋めるというやり方の問題点が見えてくる。もちろん、表向きには“異次元緩和”は物価上昇が目的であり、赤字の穴埋めというふうにはいっていないわけだが、実質的にそうだと見られればどうなるかということが問題なのである。
“信認”は目には見えない。
その目に見えない信認を掘り崩すことによるリスクも、目に見えない。だから、その危険さが認識されていない。
もし政府が一兆円コインを千枚発行して、それで借金1000兆円を返済したら。
それで借金は返済できるかもしれないが、もはや誰もその通貨を信用しなくなるだろう。円の価値は暴落し、経済は大混乱に陥るだろう。基本的に、アベノミクスの異次元緩和というのは、それと同じことなのである。
では、信用はどうやったら維持できるかというと、そういう無節操なやり方はしない、ということで維持されるのである。日銀がある程度政府から独立していて、政府が無茶なことをやろうとしてもそれには応じない。そういう姿勢を示してこそ、通貨の信認は維持される。
北岡氏によれば、アベノミクスがはじまるまで、日銀は「打ち出の小槌」をふるって大量にマネーを供給するというようなやり方には消極的だった。その事実が、円の信認を支えていたという。そこを破ってしまったということは、円の信認が崩壊するリスクが日々上昇していっているということなのだ。「リスクは目には見えない」ということが、そのことの危険を認識しにくくしている。
小難しい話になったが――結論としてはこういうことだ。
もし仮に、近い将来、国債が暴落して日本の財政が破綻状態に陥るというような事態が生じたとしたら、それはアベノミクスによって引き起こされたものである可能性がある。そうなる可能性を、アベノミクスがはじまった当初の時点で指摘していた専門家がいる。そのことは、いまのうちにいっておきたい。姑息な総理大臣が後であれこれ屁理屈をこねて言い訳をするような場合にそなえて。
そしてもう一つの問題として、緩和策には“限界”が存在するのではないかということも、最近よく指摘されるようになった。
周知のとおり、現在の緩和は、すでに発行されて市中にある国債を日銀が買い取るというかたちで行われている。物価上昇を達成するまで、年間80兆円ぶんの国債を買い取るというのである。
だが、当然ながら、すでに発行されている国債というのは無限に存在しているわけではない。額にはかぎりがある。そのすべてを買い取るというところまではいかずとも、民間銀行の側がいずれ国債を売り渋るようになるのではないかといわれている。国債が資金調達の際の担保になっているとか、リスクウェイトで自己資本比率がどうだとかややこしい事情があり、銀行は銀行で、保有している国債をいくらでも売り払っていいわけではない。したがって、手持ちの国債がどんどん減っていけば、ある一定のラインを超えたところで「もうこれ以上は売れません」となる可能性が高い。そうなれば、緩和策は終了せざるをえない。国債の発行残高は1000兆円あまり。毎年2、30兆円ずつ増え続けているとはいえ、上に述べたような事情を考慮すれば、年間80兆円国債を買い取っていくというのをそう長く続けることはできなさそうである。これについて、IMFの研究員は、2017年から18年ぐらいに限界を迎えると予想したという。もしそのリミットがやってきたときに物価上昇目標を達成できていなかったら? そのときは、もう完全に詰みである。
ことのついでに、アベノミクスがよってたついわゆる「リフレ」という発想が根本から間違っているのではないかという疑念も表明しておきたい。
リフレとは、一般的に「期待インフレ率を高めることで実質金利を低下させる」というふうに説明される。
インフレは借金負担を軽くするので、将来インフレが起きると予測されれば「実質的な金利」は名目上の金利よりも小さいことになり、お金が借りやすくなる――という理屈である。しかし、本当にこれで銀行が融資を増やすようになるのかは疑わしい。以前マイナス金利についての記事でも書いたが、お金の借りやすさ、借りにくさというのは、お金が動かないことへの根本的対処にはならないし、また、貸す側からすれば利ザヤがほとんど見込めない状況では安全・確実な融資先にしか投資できないということになり、金利の低下は――それが“名目的”であろうと“実質的”であろうと――むしろ融資をしぶる原因にさえなりうる。というか、現状はかぎりなくそちらに近いのではないか。やはり以前書いたが、マイナス金利を導入したというのも、つまりは「リフレ」が理屈どおりに機能していないがために、そういうトリッキーな手法をとらざるをえなくなったとも見られているのである。
また、リフレの構図を一般消費者にあてはめて、「期待インフレ率によって消費意欲が高まる」というふうな説明がされることもある。
つまり、将来モノの値段が上がりそうだという雰囲気が世間に広がると、値段が上がる前に買ったほうがいい、ということになり、人々がモノを買うようになる。そうすると企業の業績が上がる。従業員への給与も増え、インフレが進み、消費はさらに活発化する――そういう正の循環が生じるというわけである。この理屈がアベノミクスの説明としてどの程度妥当なのかはわからないが、しかし、これも本当にそういう効果があるのかは疑わしい。
いまの世の中をみて、そういう“正の循環”が生じているように見えるだろうか?
将来モノの値段が上がりそうだということになったら、「いまのうちに買う」という選択肢とは別に、「そもそも買うこと自体をあきらめる」という選択肢もある。いまの消費者は、ほとんどが後者のほうをとっているのではないか。日本のような成熟した消費社会にあっては、「これはなんとしても買いたい」というような強い需要があまり存在しない。テレビ、冷蔵庫、車といったちょっと高い買い物は、買い替え需要がほとんどで、そういったものは買わなくてもしばらくは大丈夫な場合が多く、「お金に余裕があったら買ってもいい」という程度の需要にしかならない。そんな「お金があれば買ってもいい」というぐらいの消極的な需要では、「物価があがるなら今のうちに」というような消費行動にはつながらないだろう。将来に対する不安が、むしろ、消費者を「不必要な出費はなるべく避けよう」という心理にさせているのが実態ではないか。実際、今月内閣府が発表した消費動向調査では「消費者態度指数」が低下しているし、「景気ウォッチャー」の調査でも景気実感は悪化している。その調査では、来年の消費税再増税を意識して消費者は財布のヒモをかたくしている、という意見もあったという。
そして、それはお金がある人の場合の話だが、世の中にはもっと切実に「お金がない」という人もいる。そういう人は、ない袖はふれないのだから、期待インフレ率がどうなろうとお金を使いようがない。この点について、連合総研の調べによると、世帯収入の半分以上を稼ぐ非正規労働者の2割が、食事の回数を減らすなどの行動をとっていたという。食事の回数を減らすほど生活を切り詰めている人たちが、無駄な消費などしようはずもない。
こうした事実を踏まえれば、アベノミクスの方法論は、その根底から間違った方向を向いているのではないか。
そして最後に、もう一つ北岡氏の著書に書かれている論を紹介しておきたい。
北岡氏は、アベノミクスを、高橋是清によるいわゆる“高橋財政”の再来であると指摘している。高橋財政は、浜口雄幸内閣の緊縮策が失敗に終わったことから積極財政に転換したものだが、それは結果として軍部の暴走を財政的に支援することになった。アベノミクスも、基本的な考え方は高橋財政と同じであり、それが「軍事」部門の膨張につながるおそれがある。
当ブログでも何度か取り上げたが、今年度の防衛予算は5兆円の大台を突破する見通しである。これからさらに膨れ上がっていく防衛予算を「打ち出の小槌」がファイナンスするということになったら、それはまさに高橋財政の負の側面が繰り返されることになりかねないのではないか。