西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その1)

2015-12-18 | 生き方

NO.1[まだ見ぬ国を目指して、道中の出来事]

 成田よりモスクワ、フランス経由でブルキナファソの首都ワガドゥグ空港に着くまで2日要します。成田を出て約4時間、シベリヤを越えている時、隣には三十歳代のロシア人の美しい女性が座っていました。

それまではロシア語は出来ないし、何を話しかけて良いかと戸惑いながら無言でいると、突然女性のほうから「どこまで行くのですか?モスクワ?」と、とても流暢な日本語で話しかけてくれて一瞬びっくり、まるで映画に出で来るような美しいブロンドの女性が私に・・・?話を聞くと、どうやら日本のスナックで働いていてもう長いそうです。

私の住んでいる街の近くにもロシア人の女性が何人か働いているお店があるので場所を言うと、そのお店に二カ月間居た事がある、と言うので友達の名前を言って見ると、「その人なら毎日のように来てたョ~!」、それまでは遠いモスクワが近所のように感じられました。

モスクワの空港では4時間ほどトランジットがあります。彼女に後ろ髪をひかれながらもお別れし、ちょっと腹が空いたので空港を散策しながら何か食べようとコーヒーショップに行き、お金を出すと言いかたが悪かったのでしょうか。何やらドルは使えるがユーロは使えないらしいのです。成田で全部ユーロに変えてしまいモスクワ空港の銀行でドルに換えようとしましたが換えてもらえず、仕方なく途方に暮れパリへの便の時間を待つ事にしました。まだブルキナファソまで3分の1の道のり、これからの事が思いやられます。

やっとの思いでパリのシャルル・ドゴール空港に着きました。「ここがパリか~!」空港はモダンで明るく、お洒落な人たちが笑顔で会話をしています。ここでは11時間のトランジット、ホテルは高いし時間も中途半端なので、仕方なく空港内で過ごす事にしました。空港に着いたのが夜中の12時ごろなので、ワインでも食らって寝てしまおうと探しましたが、店は全部閉まっていて仕方なくロビーのベンチで寝る事に、しかし神経が高ぶってなかなか眠れず腹は空くし、タバコは吸えないし、ながい、なが~いパリの一夜でした。

 やがて朝になり、時差ぼけと睡眠不足で頭がふらつく中「いよいよ~今日はブルキナファソだ~!」と残る元気を奮い立たせ、期待と不安を抱きながらコーヒーショップで半開きの目で、まだ見ぬ国ブルキナファソに思いを馳せるのでした。

 

次回をお楽しみに・・・・・



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