命のカウントダウン(健康余命3605日)

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扁桃腺なんて言われたら、返答せん!!

2023-04-17 18:35:18 | 知らんでもええこと
喉の奥にあって、風邪をひいた時などに赤く腫れてのどの痛みのもとになったりする組織・・・
扁桃腺だと思っていませんか?

以前は何らかの分泌物を排出する腺組織だと思われていたのですが、そうではない事が分かって、現在では扁桃腺ではなく単に扁桃と呼ばれています。

ですから、そこが赤く腫れて痛みを伴うような場合は扁桃腺炎ではなくて、扁桃炎が正しいのでございます。

似たような言葉の変遷があるのが慢性関節リウマチ
こちらは第46回日本リウマチ学会総会(2002年4月23日)において、「慢性関節リウマチ」から「関節リウマチ」へと呼称変更を決定 しております。これを今更間違える医者は多分いないと思います。

でも、扁桃については、未だに扁桃腺と呼ぶ方(医療関係者も含めて)が多いですね。
間違っている人がいても、鬼の首でも取ったかの様に騒ぐのは感心しません。

もし、小林製薬の様に医療関係なのに扁桃腺なんて何度も何度も言う方には・・・だんまりを決め込みましょう!!
   そう、返答せんのが一番であります!!!!


自分の苗字 坂根 について

2023-03-31 22:40:37 | 知らんでもええこと
今晩は、奈良県中部 田原本町の医療法人 坂根医院の坂根俊輔です。
今日は、自分の苗字 坂根に着いてのお話ですです。
父は坂根圭輔で、京都府与謝郡野田川町の出身でした。私も成人してしばらくまでの間、本籍地は野田川町幾地876でした。
私が小学生の頃、今から60年近く前は、毎年のように野田川町に里帰りしていました。当時の野田川町は、機織りの盛んな街で(京都府の日本海側は皆そうでした)日がなバッタんばったんと旧式の機織り機の騒音が町中で合奏となって響き続けている町でした。
町の真ん中を通る道の片側は坂根ばかり、もう一方は山本ばかりで、だれも名字で呼び合う事は無く所属する家長の名の後にセカンドネームを入れて、どこそこの誰それ 例えば正三郎のところのみつ子などと呼び合っていることが、小学生の私に新鮮に思えた事が記憶にあります。
そんな坂根性なのですが、面白いHPがあります。
先ずは、日本性氏語源辞典
これはさらっとした普通の濃度の情報です。
全国で同性の方が約10,900人おられて、1,477位に位する名前であることが分かります。

次にあげるのが、とっても熱くユニークな情報ネットワークです

全国にある坂根の名が付いた地名 町名などを網羅したり
坂根性の全国分布(都道府県別、市町村別)
全国の坂根さんからの坂根情報などがあって、とても充実しているのですよ。
私も坂根さん情報に、思わず投稿してしまっています。

皆さんのお名前では、こんなHPあるでしょうか?
私、このHPのお陰で自分の名前を誇る事が出来ます。
このHPの製作者の坂根さん、ありがとうございます。
     坂根が感謝しております。


桜前線通過中

2023-03-30 02:55:43 | 知らんでもええこと
奈良県中部では、今まさに桜が満開です。

あと何回見られるのかな、そんな事を思う歳になりました
令和3年の男の平均寿命(0歳の平均余命のこと。 以下同じ)は 81.47年、女の平均寿命は87.57年なので私の年齢の68.8歳を引くと、12年少々で、12回みられることになるけれど、68.8歳の平均余命を調べるのが正しいのだから、それで調べると、17回くらい見られることになります。

あと17回ねぇ。85歳か86歳ですねぇ。長い様な短い様な・・・・
そのうちの健康な余命は、3736日、10年少々ですね。
周囲の手を煩わすことなく元気で最期まで生きたいですけれど、どうなるかは天のみぞ知るです。

散る桜 残る桜も散る桜     
どんな散りかたをするのでしょうか・・・・


人生のターニングポイント

2023-03-21 02:31:28 | 知らんでもええこと
NHKをなんとなく見ていたら、あの日偶然そこにいて
と言う番組をやっていた。その時代の象徴的な場所を移した映像に偶然その姿が残されていた人が、その後どんな人生を歩んだのか?
先ほど見たのは、六本木ヒルズの開業間もない時の映像に残された人々がその後どう生きているかを追うと言う趣旨だった。ダイアルQ2関連で一時大成功していたが、偽造プリカ関連で売り上げ激減、倒産し、借金まみれになってヤクザに2度も監禁された。しかしその後立ち直り、以前以上の成功を収めている方。

もう一人は六本木ヒルズの高層階にオフィスを構え、27歳で社長をされていたイケメン男性。この方はヒルズに誘ってもらった関連会社の倒産に巻き込まれて倒産。その後ホームセンターで地道に働いたて家族を養っておられたそうですが、その後自分の趣味のシューティングゲームに使うエアガンの改良に地道に取り組み、地に足をつけて生きておられる方、それぞれ一人ずつ紹介した内容で、良い番組構成だったと思います。

翻って、自分のターニングポンとを考えてみた。
それは26歳の6月末の事だった。その梅雨、私はチリ紙交換をしていた。

23歳の時にそれまで4年在籍していた慶応大学工学部を学業不振で放校処分となり(4年在籍しても3年生に進級できなかったので放りだされた)名古屋の経営後継者養育学校に1年通う事になった。そこも持ち前のさぼり癖で危うかったのだけれど、生徒が6人しかいない特殊な学校だったので、職員の方たちの手を煩わしながら何とか卒業証書を手にしたのだ。
何とか特殊な経営後継者養成所を卒業したと思ったら、その数か月後には肝心の継ぐべき会社があえなく倒産してしまった。建設会社など複数の企業の職員応募に履歴書を出したのだけれど、面接さえしてくれるところはなかった。当時は、中途採用をする企業が少なかったし、私の経歴も一流大学を中退したあと専門学校に1年行って卒業、そして京都の中小企業に就職して3か月も経たないうちの倒産したという理解のし難いそして縁起の悪そうな履歴であった。
そうそう、塾の講師の応募があって、試験を受けたら、ほぼ満点に近い成績だったようで、採用された。「惜しいですねぇ、社会科で2問だけ取りこぼしがありました」と、言われた。言葉の裏に「どうしてもっとまともな就職をしないのか?」と問われている気がした。「私は社会不適合者だから。」と、思ったけれど、勿論そんな事は口に出さなかった。

その塾は、いわゆる「おちこぼれ」相手の塾で、私はそんな塾の存在を知らなかったので、面白くは感じたし、子供たちは可愛かったのだけれど、塾を経営している婆さんと、その息子の厭味ったらしい性格、阿呆さ加減と金に対する汚さに辟易して一か月少々で職を辞した。

働き口が無くて、どうしようかと思っていたら、高校の遊び仲間から、「チリ紙交換せえへんか。結構自由やで。」と誘われた。聞けば、軽トラを「大将」から借りて、賃料は払うが、どう働くかは各人の自由だと言う。塾で、非論理的なアホな上司の下で働く鬱陶しさを重々感じていたので、「自由」と言う言葉はとても心に響いた。

そして、実際に働いてみたら、本当に自由だった。
日々、車の賃料は発生するものの、その日働こうがずっと寝ていようが全く誰にも指図されないのだ。働かなければ収入が無いだけ。反対に頑張って働くと、当時は結構な収入になった。

その当時、故紙の買い入れ価格が結構高くて、要領よく働くと、大卒の初任給の2倍くらい得る事も十分可能だった。だから、当時のチリ紙交換業界には、一般社会で生きづらさを感じている様な一癖ありそうな奴らが集まっていた。

チリ紙交換業は、収集した新聞紙や雑誌、段ボールなどの重さで収入が決まる。支出は車の賃料、ガソリン代と収集した故紙と交換に渡すティッシュペーパー代など。ティッシュペーパー代など大したことは無いので、私は出し惜しみせず、特にボスっぽいおばちゃんには箱ティッシュなどをポンポン渡した。そうすると、お得意さんになってくれたり、周囲の友人の家に声をかけて故紙集めの協力してくれたりするのだ。
雨の日であれば、オフィス街で2階以上のところを回るとか、休日であれば普段機織り機の音が煩くい西陣を回るとか、頭を使うと成績が上がるのが面白かった。それで、結構な成績を残して、チリ紙交換業界内の引き抜きにあったりもして何とも面白く、「天職だ、私は生涯この業界に骨をうずめる」なんて言っていたのだが、梅雨には勝てなかった。

その年の梅雨は、本当にシトシト雨が降り続いた。一週間も雨が続くと、「チリコ殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も続きゃいい」などと都都逸もどきをうなったりする余裕もあっったのだが、10日以上も降り続いて、「こりゃ、職を考えなあかんな」と、思い至った。

そんな事を考えている時に、下宿に残された受験参考書、蛍雪時代が大量に廃棄された。家に帰ってそれを読んでみると、蛍雪時代に受験生のやる気を鼓舞する「目指せ医学部」などと言う記事があった。

何をやっても大したことが出来ず、企業にも採用されず、塾に就職しても長続きせず暗澹としていた私にとって、大学受験は成功体験だった。1浪の時、慶応に受かったのだが(補欠合格)高校の先生にそれを報告したら、「何処のケイオウや。」と、言われた。「あの、ワセダケイオウの慶應義塾大学です。」と言ったら、先生はしばらく茫然とされた挙句、「なんで江川を落としてお前を入れるんや」と、言われた。
同じ年に、ピッチャーの江川卓さんも慶応大学を受験しておられて、不合格だでした。私は工学部ですし、江川さんは文科系ですから、大学が同じいっても、全く比較対象にはならないとは思ったのですが、先生の口からそんな言葉が漏れる位、私はどうしようもない生徒でした。

 私の高校の成績は相当に悪かったです。当時の京都の公立高校は、何処の高校も難度は均一でした。当時の京都府知事は蜷川さんで、なんと共産党のかたでした。売り文句が「15の春は泣かせない!」で、高校入試で落ちて泣く生徒は少なかったのですが、そのかわり18になって大学受験ではほとんどの生徒が泣きました。
楽をすればそのツケはどこかで必ず払わなければならない様です・・・・

その当時の低レベルの公立高校でも、卒業できるかどうかの成績でした。内申の平均が5段階評価で2.6だったかなA~Eまでの評価でDでした。Eだと卒業できないのだから、卒業できた最低レベルです。

3年生の夏にいやおうなく全員受けさせられた模擬テストがありました。
その数学の問題が難しくて、1問も全く理解できず、当然0点だったのですが・・・帰って来た成績表を見ると、数学の成績、320人ほどの中で155番でした。あれっつ何で?何にも分からなかったのに。記述式だから、絶対に0点のはずなのに????
成績表を見てようやく理解できました。私、やはり0点でした。0点なのに320数人中155番だったのは・・・・受験した同級生の半数程度が0点だったからでした。

そんな学校での内申Dでした。高校に行くよりも雀荘に居る時間の方が長い様な高校生活でしたから・・・

長くなりすぎましたね・・・でも、続きます!

7千万円の値引き!!!

2023-03-14 22:23:27 | 知らんでもええこと
医療機器には、膿盆や攝子(ピンセット)の様に一世紀も前からほとんど形を変えていないものもあれば、凄まじいスピードで進化していくものもあります。

薬では、解熱剤なんて30年前とほとんど変わっていませんが、抗がん剤や糖尿病薬では、10年ごとに別世界に突入しているのではないかと思えるほどの変化がこれまでにもありました。

MRI、CT、超音波診断装置(エコー)などの画像診断機器の進歩も素晴らしいものがあります。私が医師になった30数年前、MRIは出来たばかりでその解像度は酷いものでした。その当時、動くものは撮れなかったCTですが、今では拍動する心臓を取り巻く血管の動脈硬化迄分かるようになりました。超音波診断装置(エコー)も、整形外科に必須のものになるなんて当時想像も出来ませんでした。

そんな長足の進歩を遂げている超音波診断装置(エコー)に関するお話です。
医院のエコー機が時代遅れになって来たので、買い替えることにしました。
それで見積もりを取ったのですが、それがこれです。
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ふざけているの?って言いたくなりませんか?
ロールスロイスのファントムextendedをプリウスPHEVの値段で売るのって事ですよね!!

または、駅から徒歩2分 新築のタワマン ファミリータイプ3LDKを、40年落ちのワンルームマンション価格にもいかない値で売るのか?と言う事です。おかしいですよね!!!

7千2百7十5万円引き!!!!!
おいおい

大体、この定価がおかしいですよね。
一体どういった意図で付けられているのでしょうか?
この見積もりに、定価76,800,000と書いてあるから、定価と言いましたが、医療機器の定価って分からないことが多いです。

ネットで調べても定価が分かるのは安価な品物ばかりで、高価なものは、定価が明かされていないことが殆どです。MRI、CT、エコーなどの高額医療機器、ネット上にカタログは出ていますが、価格は表示されていません。(数十万円程度のものは出ていますが・・・・

なかなか表に出てこない このとんでもない「定価」。「定価」が付けられている以上、そこに何らかの意味はあるのでしょう。では、なんでこんなにとんでもない価格が付けられているのか?

ひょっとすると、公的なところに定価に近い価格で売り込んで、その利益の多くを賄賂としてどこかに流し込んでいるのか?なんていうブラックな想像までしてしまいますよね!!

医療機器の「定価」と「取引価格」の異様なまでの差を解説していただける方おられましたら、すみませんが説明していただけないでしょうか。なにとぞよろしくお願いいたします。私には超不思議でしかないです!!