新型コロナが流行り始めた頃、「マスク警察」と言う言葉が出来ました。マスクを着用していない人に対して、マスクをした人が「何故マスクを着用しないのだ。マスクを付けなさい。」と強く指導?する。そんな人に対する言葉でした。そんな人本当にいるの?と思っていましたが、実際におられました。目撃してびっくりして立ちすくんだことを覚えています。危なそうな人だと感じたので、何も出来ませんでした。
近頃では「逆マスク警察(マスクを外せ警察)」が増殖しているのだそうです。。何故マスクを取らない。マスクなんて無意味だ、鬱陶しいだけだ。マスクなんて付けているのは日本人だけだぞ。マスクなんぞしているから、日本は世界一の感染大国なんだ。マスクは病人の付けるものだ。病気でなければマスクを外せ。最近ではこちらの方々が優勢だそうです。
マスク警察も逆マスク警察も、他人に自分の考えを押し付け、強要したいのですね。この両者の共通点は他にもあります。初老の男性に多いと言う事です。私も初老の(69歳だから中堅老人?)男性ですが、私はマスク警察にも逆マスク警察にも違和感を感じます。中でも特に近頃ネットでかしましい 逆マスク警察(マスクを取れ警察)に強い違和感を感じます。マスクなんて役に立たない。マスクは病人が付けるもので健全な人が付けるものじゃない。マスクなどしているのは日本人くらいのモノ、マスクを付けているから日本が世界の新型コロナ感染大国なのだ。マスクは無効だ 私はマスクなど付けていないが、未だにコロナに掛かっていないぞ!!などが彼らの主張です。
そういう方をお連れしたい場所があります。コロナ病棟です。その場所でマスクなしで1時間ほど滞在していただきましょうか。可能であれば、シーツ交換くらいは手伝っていただきたいですが、そこまで求めるのは酷かもしれませんね。多分、口だけ達者だけど、要領よく体を動かすのは苦手な方達だと思われるから。
正しい知識を持って、きちんと使えば、マスクは非常に有効な道具です。ただそれだけの話です。自分がこれまでマスクなしで運良く感染しなかったことなど、マスクの有用性に関して「論理的には」クソの役にも立たない事実でしかないのです。論理と言うのは、状況を極限まで変化させてもなりたつかどうかでその論理の一般性が担保されます。場所をコロナ病棟に変えたら急にろれつが回らなくなるような言動を続けるのは、想像性の欠如かつ論理性の欠如と言われても致し方ないと考えます。
私はこれまで4,000人以上の発熱者の鼻腔に綿棒を突っ込み、1,900人以上の新型コロナ陽性者を診断してきました。それでも新型コロナに罹患したことはありません。マスクが無効だと宣わっている貴方。何時でも良いから私を訪ねて来て、私のしている事をマスクなしで出来るものならして下さい。それが出来ないのなら、マスクは無効だと言うのは金輪際やめてください。お願いしますね。
閑話休題、法務省のホームページに、この様なな自粛警察に対するコラムが上がっていました。
そこにあった以下の言葉に共感を覚えました。
社会生活の中で,自分とは違う行動をする人,自分とは異なる考え方の人に出会うことも,少なくありません。そのような場面に遭遇すると,違和感を覚えたり,釈然としない気持ちになってしまうこともあります。ただ,そこで少しだけ立ち止まって,そのような人たちに対する自分のそうした感情が,誤解や思い込み,無自覚な差別意識・偏見などによる過剰な反応から生まれたものではないかを考えてみることが,お互いを尊重し合う社会であるために必要なことなのではないでしょうか。
ウーム、私のマスク取れ警察に対する反応はどうなのだろうか?お互いを尊重しあえたらとは思うのですが・・・・共感はするのですが、実行は難しいですね。心が狭いのでしょうねぇ!!!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます