私は、有能な部品に為りたくなかったのだ。
そう思える今日この頃です。
私は、高校を卒業して一浪して慶応大学工学部に進学しました。でも、何かしっくりしませんでした。教養課程の英語の先生は大好きでしたが、専門課程の先生は窓口が狭い気がして好きになれず、結局専門課程に進むことが出来に中退することになってしまいました。
入学の時には、野球の江川卓さんと同期になっていたので、「なんで江川を落としてお前を入れるのだ!慶応の考えが理解出来ん!」など言われたのですが、私が答えるわけにもいかず、放置しておりました。
江川卓さんと私、同年度の受験ではありましたが、受験したのは彼は文系、私は理系でしたので全く異なるのですがねぇ。
まあ、しかし、江川さんを落として、私を受け入れたことは確かなので、その年の慶応大学の受験体制には問題があったのでしょうねぇ!!
受け入れた生徒がどうなったかで、その後の卒業生の受け入れに大きな影響があるようなので、私も何とか出世したいのですが、致し方ありませんです。私の影響で、その後の洛北高校卒業生の受け入れが縮小したなら申し訳ありませんです。でも、慶應義塾大学の洛北高校の受け入れなんて、ずっとゼロでしたから、縮小するべき枠も無くて!!! と、思っております。
受け入れた生徒がどうなったかで、その後の卒業生の受け入れに大きな影響があるようなので、私も何とか出世したいのですが、致し方ありませんです。私の影響で、その後の洛北高校卒業生の受け入れが縮小したなら申し訳ありませんです。でも、慶應義塾大学の洛北高校の受け入れなんて、ずっとゼロでしたから、縮小するべき枠も無くて!!! と、思っております。
私は、高校生の頃から、大人の部品にはなりたくなかったのです。
ただそれだけ。
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